22話 零れ
「…………」
「…………」
気まずい雰囲気を、それなりに広い筈の部屋に充満させながら、二匹は向かい合い座っていた。ペタンコ座りであるが、背筋の伸び方は正座さながらの緊張感を醸し出している。カイトは自信なさげにアカネの瞳から少し視線を外したところに目線を向けていたが、一方のアカネは怒ったような顔つきでカイトの顔をじっと睨みつけていた。
「あ、アカネ……その、ごめん」
「何が?」
「…………」
「…………私も、少し悪かった」
カイトはふと顔を上げる。あからさまに驚いたような表情をされて、アカネの眉間には更に皺が刻まれた。先ほどまでの怒ったような表情は、この緊張感に対するぎこちなさを映し出していたのだろう。しかし、今の表情は完全に『なんでそんなに驚くんだ』という感情を描いているようなものだった。しかし、『まぁ、いいや』という、少々キョトンとしたへとすぐに切り替わる。
「あんたが私に色々聞けなかったのも、それなりに理由があったと仮定して……それに私が変に怒るのも、ちょっと筋違いな訳で。
多分、最初に掛けるべき言葉を間違えたと思う」
こういう事を話すことは極端に慣れていない。こんな感覚はいつぶりかと思い返す暇も無いが、本心を打ち明ける意味で一番良く似ていた状況は、やはり一年前のあの日に違いない。揺れる地面の上でも、降りしきる時の雨の中であるという訳でもないのだが、定期的にこんなことが二匹の間にはあるものだ。
カイトもまた、そんな風に感じつつも、アカネの意図がよく分からず首を傾げる。怒っているともそうでないとも取れる様な微妙な表情を浮かべるアカネが何を言い出すのか分からず、とりあえずカイトは恐る恐る尋ねた。
「…………僕に?」
「そうね。
……勝ってくれて、ありがとう」
微笑みが、下がっていた口角が上がっていくと同時にアカネの顔からほろりと零れてくる。普段の気の強さや憎たらしさを一切感じない微笑みを浮かべる口から零れたその言葉は、衝撃としか言いようがなかった。カイトは一瞬思考が停止したように固まると、わなわなと体を震わせながら緋色の体毛で覆われた頬を更に真っ赤に紅潮させて思わず頭を抱えた。
「……どういたしまして……」
「とりあえず、それ言いたかっただけだから」
アカネは満足そうに鼻を鳴らした。先ほどまでカイトに対して詰め寄っていた話題に関しては触れてこない。カイトが頭を抱えるのをやめて再びアカネの方を見ると、アカネは既に目の前から消えており、ベッドの方に潜り込んでカイトの方へ顔を向けて横に寝そべっていた。
「え……アカネ寝るの?」
「悪いけど、流石に疲れて……あんたも疲れてるでしょ。あそこまで派手に戦ったら」
「まぁそれなりにね」
「そう……じゃあ、おやすみ。また明日」
そう言って、アカネは眠たそうに瞼を落とした後、寝返りを打ってカイトから顔を逸らした。カイトがぼうっとアカネの方を見つめて数分してから、彼女の寝息が部屋の中に小さく響き始める。アカネが眠ったことを確認すると、カイトは自分は布団に潜ろうと毛布に手をかける。
「…………びっくりした……」
アカネの行動は、正直カイトの予想の斜め上だった。
不安感がみるみるうちに薄まっていく代わりに、ふわふわとした嬉しさと、悲鳴を上げるように鼓動を打つ心臓が五月蠅い。
明日はもっと一緒に居られますようにと願いながら、カイトも体を丸めてベッドにもぐりこんだ。
* * *
起床してから出航までの時間は、退屈過ぎる程にあった。アカネとカイトは初日に出会った見習い探検隊のピチューとポッチャマに叩き起こされ、ギルドの親方・アークのもとへと呼び出された。
ピチューとポッチャマは二匹の姿を見ながら妙にもじもじと後ろをついて来たり立ち止まったりしていた。新米探検隊だという話は聞いていたが、見ていて可愛く思う程にもじもじと初々しい。アカネやカイトは良い意味でも悪い意味でも、こういう妙にもじもじした新米時代をおくったことは無かった為、面白いものを見る様な目で二匹をチラチラと観察していた。まだ二匹は子供に近い年齢のようで、強気なのに妙に自信なさげなところが思春期の真っ最中と言った感じである。
アカネとカイトは目を見合わせ、後ろの二匹に声をかけた。
「君達、話終わるまでここで待っててくれる?」
カイトが穏やかな口調で二匹に声をかける。二匹はピクリと肩を震わせると、声を震わせながら言った。
「は、はい!わわ、わかりました!」
「な、なんだよ。なんか用かよ」
「はいはい。とりあえず行ってくるから大人しく待っとくのよ」
そう言って二匹はピチューとポッチャマに手を振ると、二匹は扉の目の前に立って例の合言葉のようなものを呟いた。
「クリームソーダ?」
これで開くのを一度見ているので、これで開くと思っていたが、案外開かないものだった。扉は言葉を認識していないのか、少しも動かない。カイトが『あれ?』と首を傾げていると、後ろにいたポッチャマが声をかけてくる。
「た、多分、今日は『マカロンケーキ』だと思います!」
マスターはきっと随分と甘党なのだろう。しかし、日替わりとは存外面倒臭いシステムである。しかも、合言葉を叫んでは意味がないのでは。
マスターに呼び出された二匹は合言葉を言うと、開いていく扉の向こう側へ足を踏み込んでいく。メインディスクにはアークが眠たそうな顔をしながら腰かけており、手には何やら濁った紅茶のようなものをガラス容器に入れて飲んでいた。下の方に何か黒いプツプツとしたものが沈んでいる。どうしてストローがそんなに太いんだ、など突っ込み所は多かったが、二匹はアークの目の前に行くと『おはようございます』と挨拶をした。と言っても、カイトだけだが。
相変わらずフラージェスのソミアはスンとした顔で淡々と本を読んでいるようだ。アークは二匹を見るとにっこりと微笑みながら立ち上がり、二匹の方へ歩み寄ってくる。
「あらっ!おはようおふたりさん!目覚めはいかがかしら?」
「それなりよ」
「あら……アカネちゃん疲れた顔してるわ。大丈夫?」
「色々あったし。今日船で帰る日よね……?」
アカネは恐る恐るアークに尋ねた。今までに予定外の事が多すぎた所為で、妙に疑心暗鬼になってしまう。アークは哀れむような目を向けながら、『もちろんよ』と答えた。
「こんな長旅で来てくれたのに、色々と申し訳なかったわ。パトラスにも、私から謝っておくわ。カイト君も、本当に良く頑張って……私、ドキドキしたわぁ」
「え、あ、ありがとうございます……?」
「とにかく、二匹とも、今日は出航までしっかりくつろいで行って、出来る限りで良いから自由に過ごして頂戴!」
パン、とアークは手を叩く。二匹が挨拶をして部屋を出ていくと、アークはちらりとソミアの方に目を向けた。相変わらず、本に視線を落として二匹の方を見ようともしない。アークは紅茶の入ったコップを掴み、ストローでチューチューと吸いながらソミアの方へ歩み寄ると、トントンと机をたたいて彼女の意識を自分の方へ向けた。
「ソミア。流石に挨拶くらいはしなさいね。じゃないと、またブランカちゃんみたいな態度とるポケモンが増えちゃうんだから」
「構いません。出航の時にもまた会うんですから、今会話をする必要性も無いと考えました」
「もう〜。あんたフラエッテの時はもうちょっとは優しかったじゃないのよ。ほんと」
「顔が怖いと言われるので。向き合わない方が良いかと。世間話をすると、私は逆に不自然ですから」
「本当は寂しいくせにね……」
はぁ、とアークはため息をついた。カイトはともかくとして、アカネからは彼女と同じような空気を感じた。パトラスの言った通り、少し癖のある二匹ではある。見た目は多少平凡で小さな探険隊なのに、ペらりと一枚捲ればなんて複雑なのか。
ま、ただ平凡なだけじゃ世界は救えないわね。アークは目を細めると、ソミアの頭をぱちんと優しく叩いて、自分のディスクに戻る。
一方、部屋の外に出た二匹は、先ほどと寸分違わぬ位置に座り込んでいる二匹のポケモンに声をかける。
「ごめんよ。遅くなったね」
「あ、は、はい!ぜんぜんだいじょうぶです!」
「ぉ、ぉおせぇよ、まったく」
ポッチャマは緊張しまくりではあるが礼儀正しい。ピチューの方は多少悪態ついてはいるものの尻尾は素直で、パタパタと上下に動いていた。呼び止めておいてなんだが、特にアカネもカイトも何をしようと考えていたわけでもない。ただ、二匹が何か伝えたいことがあって後ろをうろついていたことが分かっていた為、何か言い出すのを待っていた。
その瞬間は沈黙を待つことなくやってくる。ピチューがトントン、とポッチャマの腕をつつく。ポッチャマは勇気を振り絞ったように二匹を見上げると、多少声を縮こまらせながら言った。
「あ、あ、あの!!僕達とっ!バトルしてもらえませんか?」