21話 リリーとブランカ
アークのギルドの客室に帰ってから、アカネとカイトはベッドの上で向かい合いながら今日の出来事について話し合いを行っていた。ジルバスター王と前歌姫についての話。そして、ギラニスとの決闘の話。アカネは今にも眠気で倒れてしまいそうだし、カイトも体中がギシギシと悲鳴を上げているような状態ではあるものの、何時になく二匹とも真剣な様子だった。
お互い話したいのはそんなことではない筈だった。特に、アカネとしては今眠ってしまう訳にはいかない。胸に燻るモヤモヤとした感覚をどうにかしなければ、気持ちが悪くて仕方がなかった。
「……なんで、私に聞こうと思わなかったの」
どうして、カイトはアカネに真実を聞こうと思わなかったのか。自分は、ジルバスター王のもとに残るなどという話は一切していない。その事実を偽られた時、どうして自分に真っ先に確認しようと思わなかったのか。胸の内に燻るものを口から零すと、それは流れ出るようにして言葉となって表れる。
「私には絶対に合わせられないとでも言われた?けど、それを公に言っちゃったら完全に監禁してるって言ってるようなもんよね」
「…………ごめん」
「……私があっちを選んだかもしれないって思った?」
カイトの尻尾の炎が大きく揺らめくのを、アカネは向き合った場所から見ていた。特に風が通るような構造でもない部屋の中で、暗い影の中にユラユラとカイトの尻尾の炎が大きく揺らめいている。目も伏せがちで、アカネは胃がキュッと収縮するような感覚を覚える。組んでいた腕を解いて頭を軽く押さえると、眠気を飛ばす様に軽くクシャリと頭を掻いて立ち上がった。
「…………悪いけど、ちょっとだけ外の空気吸ってくる」
「ち、違う。アカネ、その」
「ちゃんと話すから。でも今はちょっと……はぁ」
胃がググ、と押しあがるような不快感を感じる。先ほどの事もあり、空腹ではない筈だった。空腹だとしても、すでに食欲など失せてしまっている。アカネはカイトに背を向けると、ゆっくり客室から出て行った。
「…………何が違うんだよ。……何も違わないじゃないか」
アカネが出て行ってしまった部屋の中で、カイトはぽつりとそう呟いた。
* * *
蛍光灯の光が目に痛い。パトラスのギルドとは比べ物にならない程の巨大なギルドを見上げ、そしてカナレアストリートの方へ視線を向けた。相変わらず人工的なギラギラとした光が灯っている。朝早くからギルドを出てパーティに出席したにも関わらず、もう時刻は夜になっていた。ギルドにいた頃ならば、丁度夕食を取っているくらいの時間帯である。
「お、おぅ……り、リリーさん!今日は一段とお洒落じゃありませんかね!?」
「えー、もうお化粧は殆ど落としたんだけど、もしかして残ってたかな。教えてくれてありがとー!」
大人っぽい声質の割には子供っぽい口調。街の光に照らされてキラキラと透明感の溢れる美しい体毛を煌めかせるキュウコンのリリーは、デレデレと彼女を見つめているラッタをあしらっていた。どうやら、ギルドの仲間のようである。通行者たちも皆リリーの方をチラチラと見ながらすれ違っているのを見る限り、やはりリリーは相当な人気者らしい。
リリーの姿をじっと見つめていると、こちらに気付いたであろう彼女がアカネに向かってにっこりと微笑みかけて近づいてきた。綺麗な毛をサラサラと風に揺らしながら歩み寄ってくる姿を見て、またドギマギと体が緊張してしまう。
「あれ?アカネ、さっきカイトとお部屋に帰ったんじゃ?」
「ちょっと外の空気を吸いに……と思ったけど、やっぱり目に入るものが多すぎて、少し落ち着かないかも。リリーこそ、ブランカはどうしたの?」
「ブランカちゃんはさっきまた子供に苔女って言われたらしくて、追っかけていっちゃった」
さっきあんなことがあったのに随分元気なものだな、とは思ったが、ブランカはブランカで日々そういう問題があって大変だとも思う。外見的に明らかに分かってしまう、しかもブランカ程主張の強い色だと尚更目立つだろう。色違いポケモンの問題にそこまで触れた事が無いアカネにとっては本当に未知の領域の話としか言いようのない事だった。
「リリーとブランカの距離感はなんか不思議ね。姉妹みたいに仲が良いのに、丁度良い距離感も有って」
「そうかなぁ、ふつうだと思うの。けど、やっぱり小さい頃からお互い知ってるからね。良い所も悪いところも。だから、お互いどんな行動をとっても驚かないし、必要のないことは言わないかも」
「あぁ、確かにそんな感じはあるかも……?」
「あ、けど、ブランカちゃん……気はつよいような子だけど、本当は他のポケモン達より何倍も傷つきやすくて周りの目を気にしちゃう子だから……誰も知らないうちに傷ついてて、ちょっと心配なんだよね」
リリーは目を細めてそう呟いた。ブランカの事を思い浮かべているのだろうか。どこか遠い目をしているようで、アカネはそんな彼女の姿を見てふと気になったことが頭にふわりと浮かび上がった。
パトラスのギルドがある方の大陸にも通じる、シャロットの事を思い出したのである。尋ねていいのか分からない様な疑問を無性に聞いてみたくなってしまうが、感情を一度収めて、じっとリリーの方を見つめていた。
「アカネ、言いたい事ある?」
アカネの目をのぞき込むようにしてリリーは身を屈めた。大きな瞳とその上にびっしりと生えた睫毛がアカネの間の前に現れる。恋とは違う、しかし何かしら心が惹きつけられるのだ。一種のカリスマ性とでもいうのだろうか。目を合わせたらもう離すことができないような気がした。
「リリーは、どうして『進化』したの?」
「え?進化?」
「ロコン系統ってことは……選ばないと進化できないんじゃない?……いや、ごめん。ただ、キュウコンは進化すると色々大変だって、友達から聞いてて」
「へえ!アカネにもロコンとかキュウコンの友達がいるの?」
リリーは興味津々の様子で目を見開くと、更にアカネに詰め寄る様にして顔を近づいてくる。どうやらアカネのした質問はすっかり頭から飛んでしまっている様子だ。
「え、ええ。ただ、その子ロコンなんだけど……キュウコンには進化しないって言ってた。
キュウコンに進化するって、どんな感じなのかって……嫌だったら答えなくていいんだけれど」
「……ううん。嫌じゃないよ。
……ワタシはね、進化してから成長がとてもゆっくりなの。皆よりも生きていられる時間が何倍も多いの。ワタシとブランカちゃん、親もいなくて、生きたポケモンを缶詰にしたような場所で過ごしていたから、最初は戦闘や進化に関する知識も無かった。だから、何も知らずに浮かれて進化しちゃったんだぁ」
「そうだったの」
アカネの表情の変化で察したのか、リリーは優し気に顔に笑みを浮かべると話を続ける。
「……でも、いつか、皆とお別れするときが来るの。いつか、ブランカちゃんともお別れの時が来ると思う。でも、ワタシがワタシの大好きなポケモン達に、最後の一匹になってしまっても寄り添っていられるなら、ワタシはきっと悲しくても後悔はしないの。
だから、進化したこともおなじ。後悔してないから、そんな顔しないで」
「……悪かったわ。変な顔してたかしら」
「ううん。参考になればいいな」
後付けをするように真実を知って、それでも自分を納得させて受け入れている。その上で自分なりの考え方を確立させている。アカネ自身にも足りない考え方だと感じて、小さく頷いた。カイトのことだってそうだ。もう少し色々考えれば、見えてくるかもしれないことがある。そのために暫く考えようと思って外に出てきたのに、すっかりリリーの考え方に感化されたような気がした。
「フフ。ワタシも少し悩んだ時期があったけど、そういう考え方もある。ワタシはね、強くなりたかったの」
「強くなりたくて?」
リリーの口から出てくるには、少し意外な言葉だった。
「ブランカちゃんは、リーフィアに進化したかったんだ」
え、とアカネが驚きのあまり小さく声を漏らした。エーフィとは全く違う系統である。一体どうしてああなったのか、と不思議だった。
「ワタシが間違えたの。ブランカちゃんがリーフィアに進化したいって言った時、色々調べて……イーブイの進化には専用の道具が必要だってことが分かって。ブランカちゃんは、色違いだったことがすごくコンプレックスだったから、色違いが目立たないって聞いてリーフィアを選んだの。それに、リーフィアってきれいだしね。
リーフィアに進化するには、イーブイに『太陽のリボン』が必要だって思ったの。色々調べて、必要な道具も……」
リリーは遠い目をしていた。アカネにもオチが見えた気がした。太陽のリボン、というイメージが、リリーやブランカの中ではエーフィよりもリーフィアに当てはまってしまったのだろう。『太陽のリボン』がリーフィアへの進化道具だと勘違いをした。そして、その末が緑色のエーフィなのだろう。
「太陽のリボンを使って、進化した先はリーフィアじゃなくてエーフィだったの。ワタシが調べてた時に間違えちゃって……あの時、久しぶりにブランカちゃんが泣いたのを見て、本当に申し訳なくて、謝っても謝り切れなかった。けど、ブランカちゃんは、進化に関しては自分の責任だって言って、ワタシを責めなかった。
……ワタシはこの子を守る為に生きていこうって思った。申し訳なさもあるし、ブランカちゃんのことが大切だからっていうのもある。
だから、ワタシは強くなるために進化したんだよ」
リリーは微笑んだ。まるで何の後悔もないかのように微笑んでいる。その笑顔が意味するものは、ブランカへの無償の愛情のように思えた。幼少期からずっと共に過ごしてきて、家族や姉妹、親友への感情をごちゃまぜにしたような、無償の愛情。
「ブランカは、あんたの寿命のこと知ってるの?」
「ううん、多分ブランカちゃんはしらないの。というか、言ってない」
「どうして?」
アカネは眉間に皺を寄せて首を傾げた。リリーは静かに目を伏せると、先ほどの柔らかな笑みを引くと、大きく丸い目をスッと細めた。
「…………今言わない方がいいことも有るっていうか……ううん、嘘。
ワタシが怖いの。ブランカちゃんがまた動揺して、泣いて、悩むところを見たくない。ワタシも、いつかブランカちゃんに一緒に居たくないって言われるのが怖い。一緒にいるのが辛いって言われるのが、怖いんだよ」
「そんなこと…………」
「うん、分かってるよ。ブランカちゃんはそんなこと言わない。きっと誰に聞いても言われるし、ブランカちゃんだってそう言うと思う。
けど、なんでかなぁ。そうおもっちゃうの。絶対ないって思ってても、そう思っちゃう。無いって思ってた時のことがもし現実になっちゃったら、ワタシ、どうすればいいのかわかんなくなっちゃうと思うから」
リリーはアカネの顔をじっと見つめてそう言った。リリーの表情が本当に優しくて、頭の中を探られているような感覚もあって落ち着かない。思わずアカネが身じろぎをすると、リリーは可笑しそうにクスクスと笑った。
「アカネ、カイトとなんかあったんでしょ?」
「…………まぁ」
まぁ、つまりそういうことである。と、アカネは隠す気も無く白状した。リリーは微笑ましい顔つきでアカネを見つめるが、アカネの内心はなんというか、そういうものではないのである。アカネは少し心外そうに眉を顰める。
「……カイトも、こんなのだったのかもしれないね」
ああ、と。何となく理解したような、理解できていないような感覚を胸に抱く。しかし、カイトが本当に『そういう理由』でアカネに真実を尋ねることができなかったのかどうかはわからない。そして、そんな可能性を見出したアカネ自身も、この先どう接するべきか少し考え物だった。
「……どうするべきかしら」
「それは、アカネが考えた方がいいかなぁ」
確かにそうだ。リリーに頼ってばかりではいけない。この妙に幼げなキュウコンからは、色々と教えて貰ったことが多すぎる様な気がした。カイトの気持ちをきちんと汲み取ろうとしていなかった自分に、多少の反省という感情を抱く。
「私達と同じくらいの年なのに、リリーには教えられてばっか。ほんと、悪いわね」
「…………ん?ワタシもブランカちゃんも、アカネ達より六歳は上だよ?」
「えっ」
「え?」
今日一びっくりした。