20話 心の穴
尻尾の炎が燃え盛る。『猛火』は特に攻撃的な能力をすさまじく向上させるとは聞いていたが、明らかに動きも素早く、力強くなっているようにギラニスには感じられた。かなり体力を残した状態で『猛火』を発動したようだ。轟々と燃え盛る炎と、普通に向き合ってはいられない程の体熱が伝わってくる。
カイトは手に青い炎を宿し、鋭い爪を立てるとギラニスの腹部を狙って切りかかった。『ドラゴンクロー』がギラニスの体を裂くと、ギラニスは呻き声を上げると同時にカイトの体をあらん限りの力で殴りつける。カイトの体は吹き飛ばされて地面に叩きつけられるが、再び目をこじ開け地面を這うようにして腕を立てると、口から巨大な炎の柱を吹き出した。
「ウァ…………!!」
ただの火炎放射ではなかった。カイトのような小さなポケモンから放たれているとは思えない程に勢いのある炎が目の前に迫ってくる。大きな体を地面に転がす様にしてギラニスは逃れると、地面に手を突くカイトに向かって『悪の波導』を放った。黒い波導がカイトの体を狙って向かって行く。
カイトは『悪の波導』が向かってくる事を確認するとすかさず地面を滑るようにして避ける。さすがに自身の体力も限界に近いと悟ったカイトは軽く舌打ちをすると、畳みかけるようにして地面を蹴り再びギラニスに向かって行く。ギラニスは動かず腕を前にして身構えている。カイトは再び拳に炎を纏い姿勢を低くして駆け抜ける。ギラニスは口を大きく開けて自身の顔の回りに複数の岩を出現させた。『ストーンエッジ』である。駆け抜けてくるカイトを狙い撃つように解き放つ。カイトを狙った岩は彼がかわしていくと同時に地面に衝突した岩は粉々に砕けていく。
もう無理だ、こっちに向かってくる。
ギラニスは一層身を固くすると、目の前に飛び込んでくるカイトから受けるであろう衝撃に備えた。少し怯えていたのも事実である。無意識に目を強く瞑ってしまっていることに本人が気が付いていないのだ。
「ごめん」
距離は数センチ。拳を振りかぶったカイトが呟いた。彼の拳がギラニスの体に触れる。
「どうしても負けられないんだよね」
首だった。ギラニスの首元をカイトの拳が叩きつける。轟々と燃える炎は更に勢いを増して彼の体を押しのけていく。体制を崩し体が傾いたと同時に、カイトは口から再び火炎放射を繰り出した。
「ぐぁ…………!!!」
ギラニスの体は完全にバランスを失い、そして大きな音を立てて地面に倒れ込んだ。火炎放射によって受けたダメージもあり起き上がることが出来ない。その状態のまま、再びカイトの『炎のパンチ』をモロに受け、腹部に衝撃がはしると同時に呼吸を空回らせた。白目を表に晒しながら地面に伸びる。もう相手の出方を伺うような余裕などなかった。
ギラニスは目を回しているというわけではない。しかし、起き上がれない。
数秒経ってもおきあがることが無いギラニスと、肩で息をしながらも地面を踏みしめているカイトの闘いの結果が出た。勝利したのは、カイトである。
* * *
どうしてこんなことになってしまったのだろう。
ジルバスター王は俯いていた。数十分前に決闘を見ていたポケモン達は皆数十分ほど前に解散したばかりだった。流石に野ざらしのままでは話をつけようにもつかないということで、城の中の一室に関係する全員が集合している状態だった。
アカネとカイトは顔を合わせるのをどこか気まずく感じているような様子で足の先をそれぞれ別の方向へ向けていた。その様子を見て、後ろで傍観しているブランカは大きく胸を膨らませため息をついた。ギラニスは体に湿布や包帯を巻きつけた状態で部屋の壁に寄りかかっていた。近くで見るとかなりこっ酷くやられたような傷である。対してカイトも打ち身などの怪我はあったものの、砂埃などを拭いてみればそこまでの外傷はなかった。
アークとセイラは呆れたような顔つきで腕を組み、ジルバスター王をじっと見つめていた。
「…………ジルバスター王。勝負は勝負ですわ。わたくしが申しあげるのは非常に失礼であるということは重々承知ですが、誤った情報でここまでの事態を起こしたのはそもそもあなたです。早々に負けを認め、謝罪をするべきかと」
「話は大体聞いたわ。まず私は、この国に残ることは承認してないし、こんな決闘で所有権なんか競ってまるで物扱い……それも、正直気に入らない」
「承認してない……?」
「…………」
ほっとしたような声を向けられ、アカネは思わずカイトから顔を逸らした。視線を逸らされたような気がしたカイトは多少戸惑いを見せるが、それ以上にジルバスター王の動向に目を向けた。
アカネは何かに耐えるように拳を強く握りしめながら、言葉を続ける。
「失踪した前歌姫についての話よ。歌姫がどうなったのか、あんたがどう思ってるかなんて私には正直どうでもいいの。私が思ってるのは、ただ普通にこの国に客として存在させてほしい。それで、その時が来たらきちんと元の大陸に送り返してほしい。それだけ」
「……キミが気になっているであろう、人間についての文章も多く存在する。実例などについても多少は教えることが出来る筈だ。……ここにいれば」
まだムキになっているジルバスター王にため息をそっと零したのは、ブランカだけではなくギルド・アークのマスターであるアークも同じである。どうも、彼には妙に子供っぽいところがあるのがいけない。まだ諦めることが出来ずにいるのだ。
幼い頃の思い出の面影を持つアカネをこの場所にとどまらせることで心の拠り所を作ろうとしている……というよりも、逃げ道を作ろうとしている。嘗ての少女への逃げ場のない後悔から逃れるための逃げ道を。
「…………そうね。確かに私には知りたいことがある。けど、そのためにこの国に骨を埋める気にはならない。私がそうしたい場所はもう決まってるの。あの日から、ずっと」
『あの日』とは、一体いつ何時の事を指すのか。アカネとカイトが、この世界でどのような功績を残したことから今この場所にいるのか。それを知っているポケモン達ならば、その瞬間とは言わずと知っていることだった。その言葉に、一瞬ジルバスター王は怯んだ様な表情を浮かべると、再び視線を地面に落とした。
胸が高鳴る。アカネがあの消滅の時を指す言葉を示したその瞬間に、カイトの目は彼女の姿に釘付けになっていた。大きく目を見開いてアカネの姿を見つめている。知らなかったわけではない、しかし明らかに何かに驚いているかのような、そんな視線を向けながら。
「私は相応しくない。前歌姫は、あんたと国の為に、歌姫になったんでしょ」
「…………違う。あの子は、国の事を思って拒めなかっただけだ。ボクが幼かったせいだ。あんないずれバレるようなことを隠して、彼女の時間を奪ってしまった。彼女の親友を傷つけてしまった。何より、彼女を傷つけてしまった」
ジルの大きな手が彼自身の顔を覆った。艶やかな爪が彼の目や鼻を包みこむ。蹲る様にじて体を前に傾けると、軽く足を折ってその場へ座りこんだ。メイルが駆け寄ろうとするのをゲイルズが手を突き出して制止した。
アカネの言葉を聞いているうちに涙が溢れたわけではない。ただ、思い返す様に自らの思いを口から零す。零すたびに、言葉と一緒に涙もまた目から流れ落ちてくる。代理騎士を立てたうえにカイトにはやられてしまったが、それでも皆の前で涙を見せる訳にはいかないのだ。平和を推奨する者としても、その部分では強く在らねばならない。
……と、思えたのは何分前のことだっただろうか。
「君が歌う姿が、あまりにも彼女と似ていたんだ。だけど、キミはアカネ……カイトのパートナーの、アカネだ。彼女ではない……ボクの我が儘に突き合わせてしまって、本当に、すまなかった。この通りだ」
ジルバスターは抱えていた小箱のようなものをそっと地面に置くと、ボロボロと涙を流しながら頭を下げた。
先ほどまでジルバスターへの静かな怒りを感じていたカイトは、その姿を見た瞬間にその感情が揺らめき、そして小さくなっていくのを感じていた。
言い方は悪いが、カイトから見ればその姿はみじめにみえた。そして、そんな姿をカイト自身はどれだけ晒してきただろう。何か大切なものを失ってしまった気持ちと、手段を択ばずその心の穴を埋めようとする気持ち。我が儘というよりも、まるで死が迫っている中の『生きなければならない』という強迫観念のような……どこか、その感覚を知っていたのだ。
その姿に同情してしまった自分がいることに、カイトは気が付いた。
「じ、ジルさま。気になってたんだけど……ですけど。その小箱は?いつも持っていらっしゃるから」
何故このタイミングで聞くのか、といえるようなタイミングで、リリーが後ろから顔を軽くのぞかせて声をかける。リリーの顔にも若干困惑が浮かんではいたが、変に周りの気を紛らわそうとした……という訳でもなさそうで、本気で思ったことを聞いただけのようだ。
「……あぁ。母がくれたオルゴールだ。母は随分昔に他界したが……手作りだから、音もあまりきれいではないし、形も歪で……でも、ボクにとっては子守歌のようなものだった。
もう、動かないんだがね。壊れてしまって……いくら治しても、同じ音が出せない」
ジルバスターが箱を開け、何かねじを回すような動きをした。ジー、と軽く音が流れるものの、オルゴールの旋律をはじくような音は一切聞こえてはこなかった。
「音が出ないようになってるのね」
「……どうせ、別の音になってしまうんだ。なんだか、別の音を流しているともう一生戻ってこない様な気がしてしまって」
気持ちがわかってしまうような気がしていた。カイトは、そんなジルバスターの姿を見ているうちに、小さくなっていた怒りが更に霧散していくのを感じる。替えがきくものではないということは、本人が一番よくわかっているのである。そんな自分を少しでも変えようとして、変えられるかもしれないと思った結果がこのような状況なのだ。彼は結局、元を正せていないことには気が付くことが出来ない。そして、カイトもそれは同じだった。
「未だに親離れが出来ていないことがバレてしまうな。本当に、情けないよ」
それは違う、と言ってあげたいと思った。親離れができていないというのは確かにそうだが、それは幼少期のジルバスターの話だろう。カイトは彼の事を何も知らない。何も知らないが、何となく彼のことが分かる気がした。
幼少期の彼は、心の中の母親の存在した場所をその歌姫で埋めたのだ。そして、歌姫が居なくなってしまった時、またその隙間を埋めるにはオルゴールの存在に頼るしかなかったのだろう。もう、音も鳴らない重たいオルゴールをずっと腕に抱きかかえているように、一生懸命に穴を塞ごうとしている。
『あの時』のカイトに縋れるものがあったなら、きっと彼もそうしていた。
「……これを責めたところで、私は特にどうする気もないわ。国のポケモン達に広めるつもりもないし、土産話として持って帰るつもりもない。……もう、この話は終わり。私はそれでいい」
アカネは腕を組み、ため息を少し零しながらそう言った。ジルバスター王は悲しそうに眼を細めて顔を上げると、ギュッと口の隅を引きつらせながら再び頭を下げた。
「申し訳なかった」
カイトは何もいう事ができない。言えないというよりも、どこかで自分とは切ってはキレない関連性があると感じていた。
(…………僕はこれを許す言葉を言える立場にはいない。きっと)
何も言わないカイトを、アカネは横目でじっと見つめていた。