17話 王の要求
ジリリリと、何かが擦れ続けるような音を耳にしながら、ボクはただ、青い空を見上げていた。虹色の羽根も銀色の羽根も、天空の王国も何も見えてはこないが、暇を持て余すためだけに、雲をなぞるように眺めていた。
「ジルさま、」
「ジルさま、私が富豪と結婚するんだそうですよ。六万ポケです」
「なに!?富豪と結婚だと!?もうボクより十五歩もリードしてるじゃないか……可笑しい。ルーレットを回すスピードや止まるタイミングを考慮しているというのに……」
「ふ、ポケモンライフゲームとはそうやって楽しむものではありません。山あり谷あり、その展開を楽しめば良いんですよ。はい、六万いただきました」
「くそ、また約束手形が増えた……キミのハンデとしてボクに1ターンくれ……それで全て終わらせてやる!」
「私が勝ったら、ジル様は何かしてくださるんですか?」
その一言に、ボクの手元は盛大に狂った。思った以上に張り切って回るルーレットの音が響き、ボクはやってしまったと思いながらも、その問いに返事を与えた。
「ボクが君に愛称を与えよう。それでどうだ?なんだ、気に喰わないのか?」
「いえ……ただ、私は、そのままの名前を呼んでくだされば十分ですよ。じゃあ、出来るだけ指示語じゃなくて、ちゃんと名前で呼んでほしいです」
「な……このボクにそんな要求を……キミも中々……いや。
では、ボクがもしこのゲームに勝ったら……キミは何をしてくれるんだ?」
「ジルさま、親が事故に遭って一万二千ポケ失うそうですよ」
「な……もう勘弁してくれ……」
「ジルさまが勝利するかどうかは別として……そうですね。私は、ジルさまの仰せの通りにします」
「……そうだな。
ボクが眠れないとき、傍に来て歌を歌ってほしい」
「……ジルさまが負けても、そのくらいのことはやりますよ。
はい、私の勝ちです」
「くそ、キミとポケモンライフゲームやっててもちっとも勝てない。
次はオセロで勝負だ。次こそ負けないからな。シオン」
シオンなんて上品なものではない。けれど、柔らかく優しそうな、幼いボクと同じ黄色い手が、黒い石ころを握りしめるのを見つめる大人のボクは、
ボクは
* * *
舞台に上がったアカネとカイトは、同じように壇上に立つ一匹のポケモンと握手を交わし、軽くではあるが言葉を交わした。二匹が見たことの無い、知識にも無い姿のポケモンである。アカネが手を差し出した時、ぱちりと電気が互いの体を流れるのが分かり、見た目も相まって何とか電気タイプのポケモンだと認識した。
拍手が鳴り響く。依然として会場の中に設置されたアルストロメリアの花の花弁は、開いたままにこちらを見つめているようだった。とにかく、変に怪しまれてはいないようで一安心である。
世界を救った英雄『クロッカス』の紹介とはいえども、軽くジルバスター王と言葉を交わし、現在から未来に至るまでの事件の経緯を簡単に説明する程度だった。カイトは長い闘いが終わったその瞬間の気持ちを、どう表現すべきか多少悩んだが、アカネはいつも通りの様子だった。アカネとカイトのトークライブというような具合だったかもしれない。ただ、しんとした場所で二匹の心の内を打ち明け合うというのは多少気恥ずかしく、気まずいような気持ちがないことも無かった。
とはいえど、正直拍子抜けというものではあるが、二匹は壇上に登ってからスムーズに事を運ぶことが出来たことに少々ほっとしていた。
ジルバスター王は軽く微笑む。端正な顔立ちをした若いポケモンのようだ。これほど若いにも関わらず王とは、苦労も多いのだろう。だが、王としての存在感は確かなようで、今にも会場からは黄色い悲鳴が上がってきそうなほどに女性陣達の目は輝きを纏っていた。それに答えるように会場へ朗らかな笑みを向ける。まだ若いのに……いろいろと苦労が絶えなさそうである。
ジルバスター王が最後に挨拶をした後、一通りのイベントは終了した。これで、一応は仕事は完了したということになる。アカネとカイトは体を休めるべく、体に付けた装飾品や服を脱ごうと舞台裏でゴソゴソし始める。床を勢いよく踏みしめる音が響き、二匹の背後へと近づいてくる。
「まぁ、アカネ様!」
タブンネが現れ、『殿方と同じ部屋で更衣などはしたない!!』と叫んでアカネを別室へ引っ張っていった。カイトはまたも肩を落とすが、とにかく借りた服を一旦ゲイルズに手渡すと、一緒にこの王宮へやってきたポケモン、ブランカとリリーを捜し始めた。色々な意味で目立つ二匹なので、直に見つかると思っていた。しかし、パーティという名目であるからか派手な出で立ちのポケモンが多く、なかなか二匹を見つけることが出来ない。大きなゴルバットが目の前を横切っていく。その後ろに、僅かではあるがモコモコとした綿に宝石の輝きを織り込んだかのような姿を見つけた。急いでそちらへと駆けていく。
「あら、カイト」
「ひさしぶりー。すっごくよかったよ、ぜんぶ!」
「あ、ありがとう」
ブランカは何かショッキングピンク色のカップケーキのようなものを貪っている。しかし、やはり彼女の何とも言い難い苔色の体はこの場でも目立つ。リリーは元からの透明感や清廉さからか、この場に割と馴染んでいるようだ。
「そういえばアカネはどうしたのよ?あの子ももう出番終わってるでしょ」
「いや、また王宮のひとに連れて行かれちゃってさ」
「そうなんだ……じゃあ、少し待ってよっかぁ。そろそろね、マスターもこっちに来るの! …………あ、ほら!あれ!」
リリーの視線の先へとカイトも視線を滑らせる。数匹のポケモン達が様々な大きさ、形のグラスを優雅に揺らしながら談笑している中、一匹のポケモンが非常に素早くポケモン達の波をかき分けてこちらへやってくるのが見えた。黒い体にドレス……といえばいいのか、言っていいのか分からない衣装を身につけている。大体体格的にはリリー程度だろうか。中々長身である。吊り上がった目と黒い体、しなやかな動きでこちらへ向かってくる。それなりに距離が近づくと、そのポケモンは愉快に手を振りながらこちらに向かってきた。ブランカは手を振り返す様にして二又に別れた緑色の尻尾を振った。
「マスター、お疲れ様です」
「あらっ!ブランカちゃんもリリーちゃんも、今日とっても可愛いじゃない?素敵よ」
「マスターもとってもかわいいよー!」
どう見ても人工的な睫毛をバシバシにつけているポケモンは、ウフフと上品に笑いながらチラリとカイトの方を見た。カイトは緊張しながらもどこか気の抜けた感覚を覚え、『初めまして』と頭を下げる。顔を上げてみると、やはり見間違いではない。そのポケモンはゾロアークというポケモンであり、年齢は若くは無いが若く見える。そして、どう見ても雄のポケモンだった。
さすがアルストロメリアである。きっとそういう面でも多種多様なポケモンがいるのだろう……と、カイトは頭の隅で考えていた。特段、何を気にすることも無いのだが、あまり身近にはいないようなタイプのポケモンだったので、少し物珍しく感じてしまったのだ。
「アナタがカイト君ね。パトラスから話は聞いてるわ。さっきのスピーチとっても素晴らしかった。勿論あなたのパートナーの彼女の歌声も……王宮で歌だなんて、何年ぶりに聞いたかしら」
うっとり、と言った表情を浮かべるゾロアーク。このポケモンがギルド・アークのマスターだというのなら、先程の話からもブランカ達から相当慕われている。きっと悪いポケモンではないのだろう。
「自己紹介が遅れたわ。私の種族はゾロアーク。名前はアーク。ギルド・アークのマスターなの。よろしくね」
「カイト・ジェファーズです。パトラスのギルドから来ました」
「パトラスから聞いた通り二枚目だわぁ!おまけにかわいらしくてとっても素敵。私貴方ともっとお話したいけれど、ちょっとカイト君のお耳に早速入れておかなければならない話があるの。初対面なのに早々、ごめんなさいね」
そう言って、アークはちらりと自分の背後へ視線を向けた。そんな風に何かを盗み見る彼の表情が一瞬別のポケモンになってしまったような、そんな感覚に栗毛立つ。アークが視線を送った先には、先ほどまでカイトと一緒にステージを見ていたポケモン、クチートのセイラが真剣な眼差しで佇んでいた。どうやら、アークとセイラは面識があるようだ。同じ土地に住むポケモン同士なので無理は無いにしても、どうも様子が先ほどとは打って変わって堅苦しく感じた。
セイラはこちらに静かに手招きをする。それに気が付いたブランカとリリーも何やら訝し気な表情で各々の顔をチラチラと不思議そうに見つめていたが、カイトがこの状況について説明を求めようと口を開いたその直後アークが言葉を放った。
「ここではなんだから、皆個室に移動しましょ。そこでちょっと話したいことがあるの」
「え?でも僕はとりあえずアカネを待たないと」
「いえ。いくら待っても、多分アカネちゃんはこないわ」
アークの一言に、カイトの心はざわりと大きな音を立てて蠢いた。
一方のアカネは、更衣室に連れていかれると踏んでいたのだが違った。アカネを抱えたタブンネはドスドスと更衣室を通過し歩き始めたかと思うと、更に廊下の角を左へ曲がり右に曲がり、そして絢爛豪華な装飾品を纏う階段を上がり始めた。流石に可笑しいと思い始めたアカネは軽くタブンネの腕の中でもがくが、更に力を強くして話してくれる気配がない。強引だという自覚があるという事である。流石にこの中で電撃を放ってしまっては、大陸に帰った際パトラスのギルドからこっ酷く叱られるかもしれない。
しかし…………。
「ちょっと、一体何処へ……!」
「アカネ様、こちらです!」
そう言ってタブンネは大きな扉を開いて勢いよくその中に滑り込むと、扉のノブのあたりをいじってガチャリ、と音を立てた。おそらく、鍵をかけられたのであろう。先程のタブンネのアカネへ態度から、悪意はないものだと判断はしたが、振り返るとそこには想像もしていなかったような光景が広がっていた。
ゲイルズが部屋の奥に佇む。その部屋は、煌びやかな雰囲気を持っているという訳ではなく、至ってシンプルな茶色を基調とした部屋だった。王宮の中にあるといえばどこか地味だが、しかし品の有る佇まいの調度品が見受けられる。その奥で一匹、黄色く艶やかな体毛を纏い、ジルバスター王は椅子に腰かけてじっとアカネの方を見つめていた。
刺々しい雰囲気はあるが、よく見れば黄金と称しても相違ない美しい体毛。大きな耳に、暗闇の中に静かな青い炎を灯したような丸い瞳。端正な顔立ち、『王』と称すには少々小柄な……しかし、アカネからしてみれば十分な大きさのあるポケモン。ジルバスター・アルストロメリア。種族は不明だが、見たことの無い姿をしているため、おそらく珍しい種族のポケモンなのだろう、とアカネは勝手に解釈した。
アカネをこの場所に連れてきたのは何か理由があるはずだ。カイトを連れてこようとすれば幾らでもできたはずである。あえてアカネのみをここに連れてきた理由……もしや、あの時の歌のことだろうか。ジルバスター王の後ろで佇むゲイルズの姿を見て、船に乗った当日の彼の罵倒が頭を過る。
ジルバスター王が立ち上がり、アカネの方へと歩み寄ってくる。ふと彼の手元に目が引き寄せられる。舞台で挨拶していた時と同じように、彼は小さな包みのようなものを手に持っていた。片時も傍から離していないのだろうか。それは自然に、まるで彼の腕の一部のように抱きかかえられていた。
不思議のダンジョンの中にいるわけでもないのに、他のポケモンからの威圧感があるこの感覚は久しぶりである。
「驚かせてしまって申し訳ない。先ほどの舞台、とても良かった」
「え……ええ。そう。それで、私に何か用?……ですか」
「かしこまらなくてもいい。
……いや。それで、先ほどの舞台の歌なのだが……非常に素晴らしかった。ボクも多くの歌を聞いてきたように思うが、君は特に素晴らしい。つまり、何が言いたいのかというと…………。
我が国は、もう数年歌姫が存在していない状況にある。という話は、歌を練習する際ゲイルズから聞いたかい?」
「そうね。……歌が、この国や大陸の大地を実らせる。歌姫は、それを担うただ一匹のポケモン……不思議な話だったと思ったけど」
嫌な予感がした。何故わざわざ、自分をこの場所に一匹で呼び出してこの話を始めたのか。表情を伺おうと王の顔をじっと見つめるが、彼は真剣な表情でアカネの瞳を見つめていた。ゲイルズも、相変わらずスンとした表情でどこか空中を見ているだけである。
「嗚呼。その通りだ。そして、この数年その役割を果たす者はいなかった。当然、この地は少しずつ枯れている。
ボクは……いや、この国は。新たな歌姫を求めている。そして、君の歌を聞いて思ったんだ。君しかいない。
君を、我が国の歌姫として迎え入れたいのだ」
「ちょっと待って。勝手なこと言わないでほしいんだけど、第一歌が上手いなら私以上のポケモンは山ほどいるでしょ。ゲイルズなら分かると思うけど、私が歌えたのは『妖精の歌』だけをとにかく練習し続けたからよ。他の歌を普通に歌おうとしても歌えない。そもそも、歌自体にそこまで興味があるわけじゃないし」
「なら、他の曲も練習すればいい。先ほども言ったように、ボクは君の歌が他にはない程に素晴らしいと感じた。それに、『妖精の歌』はこの大陸に捧げる為、前歌姫も歌っていた」
『前歌姫』と口にした際、ジルバスター王の目元がほんの少し引きつったような気がしたが、アカネにはそれ以上に気になることがあった。彼が自分の歌のみを素晴らしいと感じる筈はない。アカネも自身が音程を外してしまったり、安定感を保つことが出来ないと感じた場面は多かった。そんな不完全なものを素晴らしいと言い切るのであれば、それが唯一無二のものだと言い張るのならば、相当にジルバスター王は音楽のセンスが無いのではないだろうか。音楽のセンスでは他者のことを言えないアカネではあるが、彼に他の目的があるという発想は直に浮かんだ。
だとしたら、思い当たるのはあれしかない。
「……私が、何かしら歌姫に近い能力を持っているかもしれないと思ったから?」
ジルバスター王は黙り込み、そして否定はしない。やはりか、という表情でアカネは腕を組むと、王をじっと睨みつけるように見詰めた。彼は観念したかのように目を細め、少しだけ俯くとすぐに顔を上げた。視線が軽く重なり合う。
「……古代、アルストロメリアには実在した力にとても良く似ているのだ。歌の力は高台に登り、大地へ歌い大地の許しを得る儀式を行う事で初めて発現するものだと言われる。しかし、古代の者達が知る者は違った。彼らはどこでもその力を使うことが出来た。いつでも花の蕾を開かせることが出来たし、死と生を彷徨うものを蘇らせる力を持ち、そして逆に奪うことも出来た」
「奪うことも……」
青い鹿と赤い鳥獣……ゼルネアスとイベルタルのことが頭を過る。しかし、彼らの姿も声も、存在も。アカネが消滅から蘇ってから一度も、感じたことは無い。本当に今日、自分にその力が残っている可能性を感じたのである。
「それが何処の誰なのか、種族は、名前は……何もわからない。しかし、そんな言い伝えが形を変え、大地の許しを得ることにより高台で歌う、というものに変わった。
君は元々、人間だったという。人とはそんな不思議な力を持つ者なのか……一説によれば、その力を持つのは人間だったとも考えられている。だから、ボクは君に歌わせた。そして、君をこの大陸の歌姫にしたいと思った」
ジルバスター王はアカネの目の前に膝をつくと、彼女を見下ろして手を差し出した。手を差し出しても、相変わらず何か箱のようなものは彼の片腕に収まってた。獣じみて磨かれたつやつやとした爪が、アカネの目の前で光に反射している。アカネは暫くの間、黙り込んで彼のその手をじっと見つめていた。思わず手を取ってしまいたくなるほどに艶やかな黄色。水色の柔らかそうな肉球がアカネの顔を映し出すかのように彼女の下でじっと留まっている。
「この国の歌姫になってくれはしないか」
ゆっくりと首を横に振る。
「興味ない」
「……そうか」
彼は立ち上がる。アカネは一気に緊張の糸がほどけたように肩から力が抜けていくのを感じた。話は終わりだ。ジルバスター王は、アカネにそれを伝えたかっただけ。アカネは軽く会釈をすると、何も言わずにその場を立ち去ろうと扉の方へ体を向けた。
突如、響く歌声。聞き覚えがあるその透き通った美しい声。しかし、知らない音も混ざっている。頭の中をゆらゆらと揺さぶる。瞼の奥がまどろみに落ちていくのを感じ、アカネは素早く彼の方を振り向いた。
「な、にを…………」
ゲイルズが美しい音を奏で、そしてその体を楽器として歌っていた。流石のアカネも対応し切ることが出来ず、意識がぼうっと空中に浮かんでいくような感覚に襲われる中、何か柔らかいものに支えられるのを感じた。
最後に見たのは、アカネが向かおうとしていた扉の上に飾られている、二匹のポケモンの姿だった。その中のポケモン達は生きているわけではないのに、アカネは助けを乞うように手を伸ばした。