15話 着、アルストロメリア
王都・アルストロメリア。
アルストロメリアは『花の大陸』の中央部にある巨大な都市だ。そのため、本来ならば花の大陸の小さな港に船を留め、そこから更に全自動のハイテクな乗り物に乗って中心都市へと向かわなければならないのだが、アカネとカイトはなんせVIPの客である。本来は限られた者しか使う事は出来ない、巨大な船専用に作られた一本の通路を通り、そこからアルストロメリア中心部の港へ直行できる。
夕方から夜へと移り変わる時間。月下の海でアカネとカイトは船の外を見ながらジュースを飲んで過ごしていた。もう少しでアルストロメリアに到着することは明白である。何故なら既に、彼らが乗っている巨大船は『花の大陸』の中に存在していた。
花の大陸の外側は、一見トレジャータウンと変わらないであろう平凡な町や村、山や森などが遠目に見受けられる。藁や木、テント状に作られた民家が立てられ、所々松明がともって点々と光っていながらも、静かな夜を迎えているようだった。
しかし、二匹はそんな風景から一転したその景色を見て、ひたすらに驚愕することになる。そこは一目で『アルストロメリア』だと理解できる。想像を超えた、異世界のような場所にさえ思えたからだ。
「あ、アカネ。今、夜だよね」
「……の、筈だけど」
明るい。しかも、その光は炎が燃えて出る様なぼんやりとした光ではない。例えるならば光の玉が天井に無数に張り付いており、輝きの尽きることの無い不思議玉がずっと夜の世界を照らしているような……とにかく、目に痛い光のように思えた。
突然明るい場所に出たことで、アカネはかなり眩しく感じてしまい目を押さえた。カイトの尻尾の炎が目立たない程に煌々と光がさしている。
空は確かにある。紺色の空があり、雲も流れている。ただ、外灯のような物には松明ではなく丸く発行する玉が四つ程張り付き、アルストロメリアの中に在る港を照らしていた。
見たことの無い素材の建物、見たことの無い乗り物……服を着て歩いているポケモン達も見受けられる。ふと、アカネは未来に行った時の記憶を思い起こした。暗い牢獄、知らない素材でできた不思議な檻……何か、抗うことが出来ないもの。
アカネが以前に見た暗黒の未来と繋がるのはそういう部分だった。しかし、確実に違う事がある。エネルギーに満ち溢れている。電気タイプのアカネは、その場にいるのが何故か心地よく感じてしまうほどに、そのエネルギーは体になじむのが早かった。
二匹は、船を降りていくポケモン達につられて一緒に船を降り、地面に足をつけた。土などとはまるで無縁そうな堅い地面。意志が敷き詰められているというよりは、溶かした砂をカチカチに固めているような、そんな感覚のものだった。足の裏がひんやりと冷たい。
「さて、アカネ様、カイト様」
ゲイルズが目を瞑り、二匹の目の前に歩み出てきた。見たことも無い、あまりにも夜にしてはまぶしすぎる世界を見て少々動揺している二匹の様子を気にすることも無く、ゲイルズはコホンと咳ばらいをする。
「アルストロメリアへようこそ。できれば一刻も早くこのゲイルズがアルストロメリアを案内したいところではありますが、仕事がございます。そして、セイラ様も同じくお仕事が溜まっております。この数日、相当サボっていたようでございますからね……。
こちらでおふたりのお世話をさせていただこうとも思ったのですが、パトラス様からご要望がございまして」
「よ、要望って?」
「要望というのは…………おや」
ゲイルズが二匹の背後を見て何かに気が付いたように軽く声を上げる。二匹が振り向く前に、それは二匹の目の前に現れた。
「この二匹が噂の『クロッカス』ってやつら?」
―――目が覚めるような緑色の何かが、アカネの顔を覗き込むようにして首を伸ばしていた。
「えっ……は?」
アカネも動揺が隠せず、ついキョトンとした顔でそのポケモンを見つめた。
エーフィ。大きな耳、美しい切れ目に耳の下に垂れる二本の長毛。赤い額の宝石。
全てがそのポケモンに一致しているはずなのに、なにかが決定的に違う。ただ、アカネはふと頭に浮かんだ言葉を小さな声で呟いた。
「…………へ……ケート…………」
「…………んなっ……」
ゲイルズが、はぁ、とため息をついて目を逸らす。
「な、なによ!もしかしてあんたも、わたしの色が変だから馬鹿にしてるわけ!?ちょっ…………ちょっとかわいいからって、調子乗らないでくれる!?」
……何故、私は怒られているのか。
カイトが不憫そうな目をしてアカネを見ていた。そして、同時にそのエーフィのことも憐れみの目で見ているようである。
確かに、そのエーフィは何やら普通ではない。少なくとも、二匹の中にある『エーフィ』というポケモンは、美しく艶やかな菫色をしているのだ。しかし、彼女は違う。目が覚めるような真緑色。とにかく真緑色である。そうとしか表現できない。ものとして表現するとすれば……新鮮な苔。
顔を真っ赤にして、涙目になって怒っているようだが、その目が覚める様な緑色がとにかく邪魔をしてきて彼女の表情などが思考に入ってこない。中々衝撃的な体色をしている。
「へけーと?って言葉、もしかしてそっちの大陸じゃ『きもちわるい』とか『苔色だ』とかいう意味じゃないでしょうね……失礼ね!まったくっ……」
自分でも苔色だと思っているようだ。
「いや、誤解だよ……へケートっていうのは……その、知り合いの名前なんだ。行方不明の」
「……え?そうなの?」
「ええ。誤解させたなら悪かったわ……ちょっと、知り合いに似てたから」
全くと言ってもいいほどに似てはいないが、アカネが彼女の姿から『へケート』を連想したのは確かである。緑色のエーフィは、きょとんとした表情で二匹をじっと見つめると、焦ったような挙動と慌てた表情を見せた。
「わ、わたしもごめん!またやっちゃった……はぁ、被害妄想が激しいってパートナーにもよく言われるのに……全く知らないあんたたちの前でもまた……はぁ」
知れば知るほど、二匹の知っている『へケート』には似ていない。彼女はこんなに素直に謝るポケモンではないし、被害妄想が激しいのは同じだが、へケートのそれは常軌を逸している。ましてや、こんな風に他者と接する彼女は大抵演技をしている。そして、その演技はこんなに自然ではないのである。
しかし、緑色のエーフィとは珍しい。おそらく、彼女も未来で出会ったセレビィ、シェリーと同じように色違い個体なのだろう。色以外はただのエーフィである。気は強そうだが、根は良いポケモンのように思えた。
「……とにかく、彼女がパトラス様の要望にお応えするポケモンの一匹。彼女は……」
「わたしはこの国の探検隊ギルド『アーク』に所属しているわ。ブランカ・アルベージュよ。この国でのあんたたちの世話を頼まれてるの」
ふふん、と何か自慢げにゲイルズを見ながら自己紹介をするブランカ。少々お調子者の気が見える上に、変わっているが嫌いではない。アカネもカイトも彼女のそんな姿を見ながら、ほんの少しアルストロメリアへの異質感を忘れることが出来た。
アカネと違う意味で尖っているように見えるポケモンだが、被害妄想が激しい事以外は割と普通で明るい少女のようである。
「僕はカイト・ジェファーズ。よろしくね、ブランカ」
「私は……アコーニー・ロードナイト。フルネームは慣れないからアカネって呼んで」
「ふーん。男女チームなんだ……ふぅん……。
あ、ゲイルズさんはもう帰っていいわよ。わたしとリリーが明日、パーティまでに二匹を王宮に連れてくからさ」
「…………よりによって『ギルド・アーク』の問題児とは……まぁ、リリー様が一緒ならばいいですが。
では、わたくしはこれで」
「失礼ね。問題児って年でもないわよ」
「待って、結局パトラスの要望ってなんなんだい?」
「……『クロッカスの二匹』を、古い友人に任せたい。という要望でございますよ。それでは、失礼いたします」
* * *
ブランカに連れられ、ひたすら明るい街を歩く。建物の中にはガラス扉に仕切られた店があり、まだその中は昼間のように明るかった。外灯が街を照らし、空を見上げてもその明るさ故に星は一つも見えない。月が寂しそうにぼうっと浮いていた。
「ここが『カナレアストリート』。アルストロメリアの中央街よ」
「うちの大陸でいう『トレジャータウン』みたいなもんかな」
「あー。知らないけどまぁそんな感じなんじゃない?で、この通りの奥の方にあるのがうちのギルド。二匹は今日、うちのギルドの客室に泊まることになると思うから……一応聞くけど、本当に一緒の部屋でいいのよね?」
ブランカがにやにやとしながら二匹の方を見る。後ろ歩きになりながら移動しているので危ないなどとアカネが思っていると、カイトが少し声を張るような形で言った。
「べ、別の部屋じゃないといけない?」
「あ、別にそうじゃないんだけど。ただ、ほら。一応男女チームじゃない……寝床を共にするのはどうなのかなって。それともあんたたち、もしかして付き合ってる?」
このような質問は、二匹の生活について掘り下げられると頻繁に投げられるものだ。しかし、二匹一緒にいるときではなく、片方しかいないときにしか聞いてこない場合が多い。二匹一緒に行動しているときに聞かれるのは中々新鮮だったので、二匹は戸惑うようにしてお互いを見つめ合う。
「付き合って……はいないわよね」
「…………うん。付き合っては無い」
カイトは体中から冷や汗が吹き出し、顔が真っ赤に紅潮するのを感じた。アカネは少し考えるような顔つきでカイトをじっと見つめていたが、カイトはそう返事をするとスッと顔をそむけてしまう。顔が自分の体毛の色以上に赤くなりすぎているし、多分目もかなり血走っている事だろう。
付き合ってはいない、が。それに該当するような感情は持っている……などとはこの場では言えず、カイトはそれだけをブランカに告げるにとどまった。しかし一方で、アカネは『付き合う』という言葉そのものが自分とカイトでは繋がらず、首を傾げている。
彼女にとって彼はただ、大切な存在である。
そんな漠然とした、しかしどこか心に引っかかる。気持ち悪いような感じだった。
『へぇ』とブランカは言う。そんな風ならいっそ付き合ってしまえばいいのに、などと思いながら、『カナレアストリート』の説明をしつつ二匹をギルドに案内している時だった。
「あ、リリーだ。リリー!」
ブランカが何かを見つけ、夜の中央街で叫ぶ。アカネとカイトはブランカの後ろからそっとその先を見つめると、何か少し大きな影がこちらに近づいてくるのが目に見えた。
「…………あ…………」
アカネの目はその『近づいてくる者』の釘付けになる。カイトも少し驚いた表情でそれをみていたが、アカネ程ではない。
そこに小走りになりながら現れたのは、一匹のキュウコンだった。しかし、アカネ達が知るキュウコンの姿ではない。白く、そしてワタのようにフワフワとした体毛。赤みを強く帯びた真ん丸な、オパールのような瞳に、白い体毛の中には水色や赤といった要素が少しだけ含まれる毛が角度を変えるごとに光り輝く。まるで雪の結晶を纏っているかのようにキラキラと光を浴びて輝き、長い体毛は相当軽いのか、風にそよいでいた。
なんて、綺麗なのか。
アカネは心臓が高鳴るのを感じていた。この感覚は知っている。ペリーに『メロメロ』を駆けられた時、ペリーの姿が青く美しい鳥に見えた。それをみているうちに顔が熱くなっていくのを感じ、そして目が離せなくなる。その時と全く同じような感覚に陥っていた。
メロメロを使われたわけでもない。ただ、アカネはその美しいポケモンから目を離すことが出来なかった。
アカネのいつもと違うそんな様子にカイトは戸惑い、そしてブランカに尋ねる。
「あのポケモンは…………」
「あれが『リリー』。わたしのパートナー……ね、リリー」
「うん。ブランカちゃん、おつかれさま。とりあえず二匹の部屋の準備はできたから、ギルドに一緒についていくよ。
あ、自己紹介遅れました。ワタシはリリーです。リリー・リコーナー。よろしくね」
にっこりと子供のように笑う。その笑顔を見て、カイトはやっとそのキュウコンがメスであることに気が付いた。どうも中性的な顔立ちをしており、どちらか見分けがつかなかったが……子供のように無邪気に微笑む姿は紛うことなき女性、というよりは女の子である。
アカネもまた、はっとしたようにリリーから一瞬目を離した。そうか、女の子なのか。と、認識した頃には、大分胸の高まりもおさまり、頭も冷えてきた様子である。
一瞬、先ほどの会話のこともあり、『これが恋なのかもしれない』と錯覚してしまった。とんだ思い違いに、アカネは軽く頭を抱える。
キョトンとした顔をしているアカネに近づき、ブランカはそっと囁く。
「リリーを見ると大抵みんなあーなるから気にしないで。あの子、中身は本当に子どもっぽいんだけど、とにかく街でもどこでもモッテモテなの。男女問わず大人気よ……はぁ」
相棒と自分を比べ、何かが悲しくなったのか、小さくため息を最後に零してブランカはアカネからそっと離れた。
リリーが現れてから周囲が慌ただしくなる。もう夜だというのに、まだ『カナレアストリート』には多くのポケモンが行き来していた。大型のポケモンもいれば小型の者もいる。なんと、夜になってから開く店もあるらしい。トレジャータウンとは違い、かなりバラエティ性を重視した場所のようだ。中央街なので当然なのかもしれないが、二匹にとってはとにかく新鮮である。
心なしか電気タイプのポケモンが多い。電気ポケモン達の出す独特な電波を耳や頬に感じながら、アカネは少し心地が悪そうだった。皆楽しんではいるものの、とにかく少し興奮状態のようである。
二匹を影に隠す様にして歩いているのか、先頭をあるくリリーと横に張り付くようにしてあるくブランカ。周囲のポケモン達は主にリリーに視線を寄せていた。皆が皆、チラチラとリリーの方を見ては何かを囁き合っている。顔を赤くして近づこうとするものもいれば、彼女を見ながらもじもじとぎこちない者。ただじっと見とれている者もいる。
「彼女、色違いではなさそうね。そもそも私の知ってるキュウコンとは姿が違うわ」
「いや?あの子は色違いよ。ただ、少し色味が違うってだけ。あの子の先祖はもともと極寒の地で暮らしていて……あ、ロコンとキュウコンには二種類いるんだけど。
氷タイプと炎タイプがいて、あの子は氷タイプのロコンだった。それはそれで珍しいけど普通なの。ただ、色違い個体としてあまり違和感のないレベルに色味が違うってだけ。普通のキュウコンはもっと青っぽいけど、あの子は赤っぽい」
「君達二匹とも色違い?もしかして、『ギルド・アーク』のポケモンってみんなそうなの?」
「いや、他の奴らはみんな普通。わたしとリリーは小さい頃に『色違い個体』を集めて見世物にする奴らから助け出されたの。『ギルド・アーク』のポケモンにね。わたしたち、危うく置物として結晶の中に閉じ込められるとこだったわ」
「それって……性別的に希少且つ見た目がすぐれてる個体とか、色の違うポケモンとかをランク付けして売ってたりする組織だよね……」
「あら、よく知ってんじゃない」
「いや、知り合いがちょっとね」
ポケモンを売買している組織。なかなか聞かない話であるが、今でもそんなことがあるのだろうか。アカネはそう思い目を細める。なにはともあれ、色違い個体のポケモンは何かと敬遠されたりなんなりで苦労が多いと聞く。きっとブランカもかなり苦労してきたのだろう、と思った。
「リリーちゃん、今日も魅力的な毛並みだね」
「え?そうかな、ありがとう!」
「リリーちゃん、新作のブルーアップル食べてかないかい?」
「ありがとう!でもさっきご飯食べちゃった、遠慮しとく!」
リリーがすれ違うポケモンというポケモンに声をかけられているのが見える。年老いた者や若者、男女関係なくとにかくリリーに声をかける。リリーは無邪気に返事をするが、一応あしらってはいるのだろう。ただ、あしらわれていることにも気が付かない程彼女は愛嬌に溢れていた。
あと、普通にブルーアップルは食べたくなかったのだろう。オレンの汁で染めたとは思えない程ビビットな青色である。何をしたらああなるのだろう、と一同は思う。
「さて、そろそろ」
ブランカが尻尾でアカネとカイトの視線を誘う。二又に別れた尻尾が示すのは、この中央街の奥に佇む巨大な建物だった。一瞬、城ではないのかと目を見張るほどに巨大である。木と岩と鉄、そしてなんだかよくわからない素材でできた建物。一見すると三階はありそうだ。キラキラと煌びやかな『カナレアストリート』の雰囲気とは少し異なり、オレンジ色の光が目にぼんやりと優しい穏やかな雰囲気の建物だった。
「ギルド・アークにようこそなの!」
にこっと笑ってリリーは扉を開けた。何と、自動で扉が開いた。
ギルドの中にはたくさんのポケモン達がいる。テーブルの前に座って雑談をしている者もいれば、何か食べている者もいて……何というか、『パトラスのギルド』よりもよほど緩そうな感じである。一言で言えば、パトラスのギルドとは比べ物にならない程に充実しているのだ。
特にギルド内についての説明は受けず、とりあえずギルドの中に設置された階段を上って二階に上がる。梯子よりもよほど楽な移動方法だった。どうしてパトラスのギルドは『梯子』を使うのか。手や足が不自由なポケモン達にとっては不自由この上無いと、ギルドに居た頃はよく愚痴を言い合っていたものである。
実に様々なポケモン達がいるが、アカネやカイトを見ながらヒソヒソと何か言い合っている者、とにかく凝視している者……兎にも角にも、注目されていることに変わりは無かった。二匹は顔を見合わせながら少々目を細めるが、それに気が付いたのか、リリーが振り返って申し訳なさそうな苦笑を浮かべた。
「もしかして、落ち着かないかもしれないけど……みんなね、二匹が来ることを楽しみにしてたの。サブマスターに怒られちゃうから、そんなに騒がないけどね」
リリーがそう言うと、ブランカもくすりと笑って二匹の方へ視線を向けた。
「この馬鹿たちの中でちょっと勇気がある子は、アンタたちの客室に押し掛けてくるかもしれないから。でも敵意なんてこれっぽっちもないと思うんで、適当に相手してあげてよ。
ま、とりあえず一回サブマスターに会ってもらうわ」
わたしはあんま好かないけど、と一言漏らすと、ブランカは二階の一際目立つ扉の前にクロッカスの二匹を誘導する。コンコンと扉を叩くと、ブランカは小さな声で何かを呟いた。
「クリームソーダ」
途端にギギギと重い扉が開く音が響く。成程、合言葉を使ってとびらを開く仕組みなのか。随分簡単な合言葉だが、容易に想像はできないだろう。部屋の中は『パトラスのギルド』のような、片付いていない子供部屋のような内装ではない。綺麗に整頓されている本棚や机が数個佇んでおり、その上には業務的なものであろう書類が積み重ねられていた。
その奥に佇んでいるポケモンは一匹、机に向かいながら書類に何かを書き込み、ポンと判子のようなものを押すと次の書類へ、と何やら事務作業をしているようである。
これまた見たことが無いポケモンだった。そのポケモンは四匹が扉の前に立っているのに気が付いている筈なのにも関わらず、スンとした様子で延々と事務作業を続けている。
「ほらね、あーゆーひとなのよ」
「ブランカちゃん、だめだよ。集中してて気づいてないだけなんだから」
リリーがそう言って優しく微笑んだ。ああ、あれは本当に気が付いていないだけなのか。アカネとカイトは半ば納得したような顔をすると、どんどんと部屋に踏み込んでいくリリーに続いて二匹も部屋の中へと踏み込んでいく。丁寧に『お邪魔します』と呟いておくなど、一応緊張を示すような行動はとっていた。
「ソミア、チーム『クロッカス』がきたわよ」
ぶっきらぼうにブランカが声をかけると、そのポケモンはぴくりと肩を揺らして顔を上げた。眼鏡のようなものをかけており、ぞろぞろと入って来た四匹の顔を順番に眺めると、そっと眼鏡をはずして立ちあがる。
「あなた方が?」
静かな声だった。静かな女性の声である。
「えっと……パトラスのギルドから来ました」
「知ってます。マスターから聞きましたから。
遠い所を、よくおいでくださいました。私はマスターの代理を務めさせていただいています。本人が不在であることに関しては、本当に申し訳ありません。
フラージェスのソミアと申します」
ソミアというポケモンからは、花の蜜のような良い香りが漂ってきた。草タイプにも見えるが、フェアリータイプも混ざっているように見受けられる。どうやら親方に当たるポケモンが不在のようであるが、ソミアの雰囲気だけでも十分にギルドを回していそうな感じである。ブランカは本人が言った通りあまり得意ではないのか、彼女を直視することはせずに少し目を逸らして後ろに下がっていた。
「僕はクロッカスの副リーダー、カイト・ジェファーズです。こっちはリーダーの」
「アコーニー・ロードナイト。アカネでいいわ」
相も変わらずアカネは目上(と思われる)相手でも強気な態度を示しているが、ソミアは特に気にすることも無く彼らの顔を一瞥すると、よろしくお願いします、と頭を下げた。ソミアはきりっとした顔つきの割には少しぽうっとした様子の、まるで少女のような出で立ちである。何を考えているのかイマイチつかめないポケモンだが、二匹はそんなポケモンと幾度も遭遇してきたため、特にやりにくさを感じることなく会話を続けた。
「マスターっていうのは?」
「このギルドのマスターです。アークは現在王宮の方へ出向いておりますので、おそらく明日会場で会うことになるかと思います。
とりあえず、本日はこのギルドの客室でお休みください。明日、ブランカとリリーに王宮へ案内させますので」
ブランカは目を細めた。偉そうに、と言いたげな目つきである。リリーはそんな彼女を嗜めるようにふわりとふわふわの尻尾で撫でるように彼女の頭をはたくと、ソミアに向かってにっこりと微笑んで言った。
「じゃあ、案内してくるね」
「ええ。あなた達も、夜遅くにお疲れさまでした。ゆっくり休んでください」
そう言って、ソミアはコクリとアカネとカイトに会釈をすると、元々居た机の方へと戻っていく。少しも笑わないポケモンだったな、という印象だったが、アカネも同じようなものだった。カイトは柔らかに笑みを浮かべつつも、少々無理をしてひねり出した表情である。
パタン、と扉を締めると、ブランカはやっと呼吸が出来たとでもいうように酷く深いため息を零した。リリーはそんな彼女を微笑しながら見守っている。まるで母親のようなその眼差しに、無邪気で子供のようなリリーであるが、実は意外と精神年齢は高いのかもしれない、とアカネは思った。
ブランカとリリーに案内され、二匹は客室へと案内される。相変わらず他のポケモン達からの視線は熱かったが、ブランカの不貞腐れたような様子にそんなこともあまり気にはならなかった。リリーは微笑の次には『いい加減機嫌直して』と言わんばかりの苦笑いを浮かべていたが、一向にブランカの機嫌は直らない。
「はぁ……早くマスター帰ってきてくれないかしら」
「明日まで返ってこないよ、ブランカちゃん。それに、別にソミアでもいいでしょ?マスターと同じくらい仕事できるし、腕も立つんだから」
「そーゆーことじゃないの。ソミアって何考えてるか分かんないし、わたしあのひとが笑ったの一度も見たことないのよね。業務的すぎて息が詰まる。その点マスターはパワフルで素敵よ」
「確かにパワフルだねー」
そんなにパワフルなのだろうか、とアカネとカイトは顔を見合わせた。パワフルといえば勿論二匹の頭に浮かんでくるのは自分たちのギルドの親方である『パトラス』だが、彼と同じようなパワフルさであれば今日接するのは少し疲れそうだな、とアカネは感じた。
「はぁ。とりあえず、部屋に案内するわね。疲れてるでしょ。あとで飲み物でも持って行くから部屋でくつろいでてよ」
ブランカはそう言うと二匹を先導し始めた。客室の前に辿り着くと、パトラスのギルドのようにいくつか枝分かれしている通路の一番奥に二匹を案内し、目の前の赤い扉をパタンと『サイコキネシス』で開く。二匹が中を覗くと、『パトラスのギルド』のような質素なつくりではなく、何から何まできちんと作り込んであるような綺麗な部屋だった。緑色のカーペットや、二匹が普段から使っているようなベッドとは違う大きなクッションのようなベッドが二つ、少し距離を置いて設置されている。大きな棚には小さなランプや菓子のようなものが入った小さなバスケットが置いてあり、その上の段にはシクラメンの花が飾ってある。
一歩足を踏み入れると、やはり予想外の広さだった。二匹の体が小柄であるからそう思うだけであって、もう少しサイズの大きいポケモンとなればそうは思わないのかもしれないが、自分たちのギルド以上の待遇に驚く。弟子たちの部屋もこうなのだろうか、と思い、カイトは自分の近くにいたリリーに尋ねる。
「弟子の部屋もこうなの?」
「ううん、客室はこんなかんじだけれど、ワタシたちみたいなポケモン達の宿舎はもう少し質素だよ」
「とはいえ、あんな大きいベッド置いてあるなんて……うちのギルドがいかにケチなのかわかるわね」
このギルドの規模はかなり大きいのであるとは思うが、それでも彼の有名なパトラスのギルドはやはりケチ臭いのである。アカネはトコトコと部屋の中に入っていくと、ぴょんとベッドに飛び乗って毛布の感触を確かめてみる。フワフワとした感覚、ほんのりと熱が籠った暖かさ。おそらく中にメリープの毛でも編み込まれているのだろうか。長い船旅は、何もすることがなかったとはいえやはり疲れるのである。アカネはベッドに座った瞬間、もう寝てもいいだろうかという感覚が芽生えてきた。カイトも部屋に入ると、案内をしてくれた二匹に礼を延べてからぱたんと扉を閉めた。静まり返った部屋で、アカネはさっさと布団に潜って天井を見つめているようである。部屋の中は灯のおかげで明るいが、カイトは『もう消す?』とアカネに尋ね、灯の元へと歩み寄った。
「いや、いいわ」
アカネがそう言うので、カイトは軽く返事をしながら自分のベッドへと戻った。ベッドとベッドの間の妙な距離が心地悪い。とりあえず、というようにカイトもベッドに横になった。
「ところで、アカネ…………リリーと初めて会った時、なんか様子がおかしかったけど……そのー……」
「……別に……ただ、ものすごく綺麗だって思ったの。屈辱的だったけど、ペリーにメロメロ掛けられたときの、あの感じだった……って言っても、リリーは女の子だし、そんなわけないとは思うんだけど……あの時の話題のせいで、軽くそんな気分になったわ。元々、どんな感じなのかはわからないけど……ただ、リリー綺麗よね。ずっと見てたい感じ」
声が妙にうっとりとしている。確かにリリーの事は綺麗だと思うが、アカネのような感情に浸ることは出来なかった。むしろ少々胸の奥でくすぶるものがあり、カイトは珍しくそっけない態度で『へえ』と返してしまう。自分で尋ねたくせに、なんだか申し訳ないような気持ちになるが、考えてみれば普段のアカネも殆どこんな対応である。
考えてみれば、美しい宝石をじっと見つめていたりなど、アカネは前々から綺麗なものは好きだった。アカネにとって、リリーがその一つだと思えば何となく気持ちは収まるのだが、アカネのうっとりとした表情がポケモン自身に向けられていることがどうも気持ちを乱してしまう。
「ほんと、一瞬恋かと思ったけど……きっと違うわね」
「どうしてそう思うの?」
「なんとなく」
アカネにしては妙に気分がふわふわしているのか、ふかふかでぽかぽかとしている布団の所為か。今までずっと揺れる船内で過ごしていたから、やっと落ち着くことが出来た、という具合なのだろう。彼女の眠気がそもそも本格的に彼女を眠りの中へ誘い始めた頃だった。
コンコン、と赤い扉がノックされる。その音は扉の下方から聞こえてきたため、ノックをしたのはおそらく小さなポケモンだろう。アカネは眠気で気づいていないようだったので、カイトがベッドから降りて扉へと向かった。
一度だけカイトは扉を叩くと、扉をゆっくり開いた。そこには小さな……というよりは、目線的に言えばカイトとあまり変わらないくらいだろうか。そんなポケモンが二匹、妙に緊張した面持ちで立っていた。
「えっと……君達は」
「わ、わ……ほんものだ」
カイトを見て目を輝かせる一匹のポッチャマ、そしてもう一匹はその後ろからガンつけるようにカイトをじっと見つめている。ポッチャマの目は明らかにキラキラと輝き、尊敬の眼差しだという事は直にわかったが、もう一匹のポケモン……カイトよりかなり小さな背丈で必死に彼を睨んでいるピチューだった。彼は短い腕を必死に組んで目を細め、斜め上を見上げてカイトの目をじっと見つめる。ピョンと前髪が束になって跳ねているのが可愛らしい。アカネやカイトよりも大分年下のポケモンのようだが、どうやらこのギルドの弟子のようだ。
「ふん、なんだよ。俺達と見た感じ変わんないし、全然弱そうじゃん」
「そ、そんなこと言っちゃだめだよ!強さは見た目に比例しないんだから……あぁあ、すいません……僕達本当はこういうことしちゃ駄目って言われてたんですけど、どうしても会いたくて……」
地味に失礼なことをサラッと言っているが、ポッチャマはそう言いながらぺこりと頭を下げた。相変わらずピチューはカイトを睨みつけているが、ふと部屋の中に目を向ける。片方のベッドが膨らんでいることに気が付いたのか、ピチューはにやりと笑ってカイトに言った。
「なんだ、中にもう一匹いんのか?」
「す、すいません。ちょっと口悪くて……」
ちょっとでは無さそうだが、と思いつつ、カイトは年下に変に強気になるのも大人気ないと思いにこりと微笑んだ。
「いや、別にいいよ。君達はこのギルドのポケモンかい?」
「は、はい!僕、クロッカスの二匹の偉業に憧れて、探検隊になりたくてここに……あ、こっちはパートナーなんですけど、見た通り血の気が多くて……」
「ふん」
ピチューは鼻を鳴らし、やっとカイトから視線を背けた。そんな風に会話をしていたものだから、アカネも気が付いて起きてきたらしい。ベッドから降りて、足元がおぼつかないながらも扉の方へ歩み寄っていく。
「ねぇ…………なんかあった……」
酷く眠そうな口調だ。ここでピチューがもしアカネに変な事を言ったらプツンするおそれが無きにしも非ずである。アカネはカイトのそんな心配をよそに、ひょっこりと顔をカイトの隣にのぞかせた。
「わ、わぁぁ…………あ、アカネさんだ!ほんものだ…………あぁ……ほんとすごい美人さんだ……」
「は…………お、おう…………」
ポッチャマは目を更に輝かせてアカネの方を凝視する。アカネは眠そうな表情を浮かべ、少々訝し気に目を細めた。ギルドのポケモン達が訪ねてきたというのは既に理解できていたが、何をしに来たのか分からない様子で、軽く首を傾げる様な様子でじっと二匹の方を見つめていた。
カイトは先ほどまでつっぱっていたピチューに目を向ける。顔を真っ赤にし、目を潤ませてぽーっとした目でアカネを見ているピチューがいた。頑張って組んでいた腕はするりとほどけ、口をぽかんと開けて指先を空中に放り出している。カイトはグルグルとした心地悪い感覚が胸の奥に戻ってくるのを感じた。ほら、こういうことになるのだ。
カイトは一言二言言って二匹を追い返すと、ぱたんと扉を閉めてアカネの方へ目を向けた。彼女はさっさと自分のベッドに潜って横になっている。カイトが帰ってくると、アカネはほんの少し目が覚めたように言った。
「こっちの大陸でも随分広まってるのね。まぁ、ここに着たあたりからへんな視線は感じてたけど……」
「ブランカが言ってた『勇気あるやつ』って、あの子達だったのかな。新米みたいだったけど」
「そうみたいね……」
「……アカネ。明日、本当に舞台で歌うの?沢山のポケモンが見ている中で」
「…………やるって言ったしね……求められれば、歌う……けど……」
眠たそうな声だ。妙な焦りが胸の中を過ぎ去っていく。カイトもまた、そんな感覚に気持ちを引っ張られ、ぼうっとした様子で口を開いた。
「いや、ならやめても……」
カイトはハッとすると口を噤んだ。しかし、アカネは何も言わない。ただ静かな部屋の中にスースーという心地のよさそうな寝息が聞こえてくるだけだった。カイトはキュッと顔を歪ませると、頭毛をぐしゃぐしゃと両手で掻く。
「…………やだなぁ」
俯き、自分の膝の上にかかっている毛布に独り言を零す。変な感覚がずっと胸の中を渦巻いている。
今まで抱えてきた感覚よりもそれは強かった。アカネが一度歴史の改変により消滅し、そしてまたこの世界へと戻ってきてから後からのことである。少し何かあるとすぐにこんな気持ちが胸の奥で燻ってしまうのだ。自分勝手な感情だという事は理解していたし、それをアカネに強く突きつけるつもりなど無かったのに、ふと気づけば口から出そうになる。
出会った頃の他者を突っぱねる様なアカネの性格に、今までどこか安心していたのだ。しかし、今のアカネは違う。一匹狼気質は少しずつなりを潜め、無関心なものでもできる限り受け入れようとする気持ちが芽生えている彼女に、安心することができないでいる。それが自分勝手な感情ゆえの気持ちだという事は十分理解している。理解している、だけなのだが。
心臓が波打つようにドクドクと鼓動を鳴らす。ギュッと締め付けられるように胸元に違和感を感じた。
これが恋ではなかったら、もう少しは楽なのだろうか。そんなことを思ながら、忍び足でベッドから飛び降りて灯を消した。