9話 吹雪の島
一年前に起きた大事件を終息に導いた伝説の探検隊『クロッカス』が、ギルドの卒業試験を見事突破し卒業した、という噂は、既にトレジャータウン中に知りわたっていた。
というのも、朝刊に載った小さな記事の所為である。何故か二匹がギルドを卒業したことが書かれており、卒業試験の内容までは伏せられていたものの、小さな蘭にデカデカと『英雄クロッカス、見事ギルド卒業!』と記されていた。そんなものが町中に配られたものだから、朝から仕事を捜しにトレジャータウンに出ていった二匹にはひっきりなしに声が掛けられた。
とにかく町のポケモンというポケモンに声を掛けられ続けた。その所為でアカネは朝から既に疲れを感じているようで、『おめでとう!』の数が50回を超えたあたりから、お礼を言って明るく振舞おうともどこかげっそりとしている様子だった。今更ながら、自分たちはこの町の中だけとは言えここまでの知名度があるのか……と、二匹は顔を見合わせる。 そんな中、いつも通り探検の準備を整えた後、カフェで少し休もうと『パッチールカフェ』の目の前に来た時である。
「やぁ、君達」
一匹のバリヤードに呼び止められた。何とも言えぬ不思議な顔立ちをした彼は、二匹を呼び止めるとパッチールカフェの階段から離れて二匹へと歩み寄っていった。おそらく、また『おめでとう』だろう。アカネは笑顔を作れ!と、自分の表情筋に指令を送った。
「君達、伝説の探検隊って最近噂の『クロッカス』だろ?ギルドを卒業したらしいじゃないか、おめでとう」
「いやいや、伝説なんてさ……どうもありがとう」
「ええ、ありがとう」
にっこりと笑顔を作ってそう返した。一応、アカネも愛らしい作り笑顔が出来るようになったのである。まだ少し……引きつってはいるが。
「あはは、何だか謙虚だねぇ。良いとおもうよ、すごく。
ところで、君達は『伝説』と呼ばれている探検隊みたいだけど……大昔、『伝説の探検家』と呼ばれた男を知っているかい?」
「……伝説の救助隊、ならわかるけど」
「いや、探検家。いつも単独で行動していて、探検隊連盟の幹部でもあった。彼の名前は『ケンシン』……ハッサムさ。
ケンシンは、世界に名を馳せた探検家だった。あの時代の探検家なら、だれでも憧れていた。まさに探検家の歴史……象徴のというようなものだったかもしれない。
しかし、南西の果てにある『吹雪の島』という場所を探険中、その消息を絶ってしまってね。多くの探検隊が救助や捜索に向かったんだけど、いまだに遺体も発見されていない。結局、凍てつく寒さや吹雪に阻まれ、中には体を壊してしまう隊員も出てきたようで……捜索はそう遅くないうちに打ち切られてしまったようだけどね」
「ケンシンって、聞いたことある?」
「あー……恥ずかしながら、僕は無いかな……」
目を逸らしながらカイトは言う。仮にも探検隊に憧れてギルドに入り、そして卒業した身なのに、世界に名を馳せた探検家の名前も知らないなんて。少し情けないなんて思いながら、カイトは答えた。
「君達のようなまだ若者は知らなくても当然かもしれないね。そんな話は、時と共に薄れて行ってしまうものだから。彼と同年代の大人は既に年老いて他界していたり……その時代に子供だったポケモン達なら、少々年老いているとはいえどまだ存在するかもしれないけどね。
けど、噂ではケンシンは、とてもすごいお宝を捜していたという噂だよ。
世界だって救ったんだ。もしかしたら、君達になら可能性があるかもしれないね。『吹雪の島』……挑戦してみたら?」
そう言って、バリヤードは一枚の紙きれを手渡してきた。何か、地図をちぎりとったもののようだ。しかもそれは相当に古いものらしく、アカネは手渡された紙片を手に取ると、それをぱらりとカイトに見せた。
大昔の話だ。ケンシンというハッサムが生きているとは思えないし、もう彼と同年代のポケモンは皆他界しているという。お宝があるのかどうかも怪しいが、悪い話ではない。
『アルストロメリア』の船が来るまで一週間。これは中々良い仕事になるのではなかろうか。二匹はそう思い、顔を見合わせた。
* * *
「さっむ」
来るんじゃなかった、なんて言えないが。中々に凄まじい。『吹雪の島』という名称なだけあってかなりの量の霰が降り注いでいる。流石に二匹とも防寒具無しともいかず、ガルーラのリンダに頼んで用意してもらったマフラーや上着を羽織っていた。アカネは何かで完全に体を覆ってしまうと戦闘の際に支障が出てしまう為、マフラーと耳に謎のフワフワのカバー(リンダお手製)を付けている。正直少し恥ずかしかったが、カイトが可愛い可愛いと褒めるので普通の事なのかもしれない……と思いなおし、とりあえず付けてきたのである。やはり恥ずかしいが。
カイトは中にメリープの体毛が入った上着を羽織っていた。かなり軽くて暖かい。そもそも二匹はそこまで寒さが苦手なタイプでは無い為、『さむいさむい』と愚痴を吐くように口に出しながらも大事という程ではなかった。
「うーん、ちょっと寒いね」
「あんたは炎タイプだしね……少し慣れてくればどうにかなるかしら」
はぁ、と白い息を吐いた。手には特に何も付けていないため、指先が冷たい。アカネは数回手に息を吹きかけると、積もった雪を踏みしめてダンジョンの中へ進み始めた。
吹雪の山という名称から、氷タイプが多いことはある程度予測できていたが、アカネが事前に感じていた予測も的中していたようだ。氷タイプに並び、水タイプが多い。これはカイトにはかなり不利であるが、お互いの苦手を補うことが出来る。水タイプを持つ者はアカネが相手し、氷タイプの者はカイトが相手をする。両方持っていたとしてもそれはアカネが対処することが出来る為、戦闘自体はスムーズに進みそうだった。
しかし、天候がやはり良くない。霰がぱらぱらと、しかしそれなりの勢いを持って空から降り注ぐのだ。うっかり目に入ってしまっては失明の恐れすらある大きさと勢い。パチンパチンと肌に当たって少し痛い。アカネは目を伏せながら体を丸めると、出来る限り霰が当たらないように身を縮こまらせた。
「アカネ、こっち来て」
カイトがアカネを手招きして自分のすぐ横に誘うと、カイトは自分の体の体温を一気に上げた。じんわり周りにも熱が伝わる程度に体温を上げ、それに伴って彼の尻尾の炎も燃え上がる。彼の体の回りにだけ春の陽ざしが差しているような状態になる。落ちてくる霰は、カイトの体に当たるとつぅ、と溶けるように体の表面を滑り落ちて行った。カイトの近くにいる為、彼が傘のような役割を果たし、アカネにはあまり霰は当たらない。
「いいわね、これ」
にやりと口角を引き上げると、アカネは何やら悪戯っぽく笑ってそう言った。カイトと密着しているわけではないので冷える部分は冷えるものの、ある意味微妙に寒くて暖かい快適な温度である。ただ、戦闘の際に彼の所を離れた際の寒さは覚悟しなければならないが。あと、足元だけは常に雪に接しているため非常に冷たい。まずトレジャータウンに帰った頃には霜焼け確定ではなかろうか。
「日照り玉、雨玉。一応は持ってるんだけど、さてどこで使うか」
「うーん、これもとりあえずエネルギー使うし、少し疲れてきたら不思議玉使おうよ。けど、今のところ僕もこの方があったかいんだよね」
いかにもぽかぽかとした表情でカイトがにっこりと笑った。アカネも吊られて呆れたような笑顔を零すが、ぽかぽかとした時間は長くは続かない。
当然不思議のダンジョンにはポケモンが住み着いている。 非常に水タイプが多い為、アカネは止む無くカイトの近くを離れることを余儀なくされた。バブル光線を放つマリルリに『十万ボルト』で応戦する。一応直撃はしたものの、中々しぶといらしい。マリルリは片手を地面につくものの、最後の力を振り絞ってくるかのように『転がる』でアカネ目がけて突進していく。それを読んでいたかのようにアカネは尻尾を雪の上に叩きつけて地面へと跳ね上がるが、普通の土などではないからか少し飛距離が低い。しかも尻尾が冷たい。
アカネがいるべき場所には何もなく、マリルリはそのまま転がるで突っ切っていくとダンジョンの壁に衝突した。ゴロゴロとそのまま回り続け、やがて目を回して動かなくなる。効果抜群の技を受けてもここまでの力があるとなると、『吹雪の島』はかなりレベルの高いポケモン達が住み着いているようだ。
さむいさむい、とアカネはマフラーをギュッと握りしめカイトの傍へと駆けて行った。身を縮こまらせて直に自分の隣に来る彼女の姿が可愛らしく思って彼は再びぽかぽかとした幸せそうな表情を浮かべるが、ふと彼女の耳を見た。
「アカネ、耳のやつが……」
「あー、やっぱり……」
リンダが編んでくれたアカネの耳カバーは、電撃をモロに受けた所為でかなりボロボロになってしまっていた。これでは本格的に壊れるのは時間の問題だろう、と思い、アカネは渋々耳のカバーを外す。一瞬耳がヒヤッとするものの、すぐに温度になじんでいった。この寒さの中、無いよりはやはり付けておいた方が心地は良いのだが、壊してしまうのは心苦しい思いがする。
「外すの?」
「そうね……まぁ、変に壊したりしたら悪いから。これは少し編み直して普段使いさせてもらうわ」
マフラーは探検隊達が良く愛用しているスカーフなどと似たような素材でできているため、ちょっとやそっとでは壊れたりはしないため無事である。
その後も二匹は同じように戦ってはぴったりとくっつき、出来るだけ吹雪の島という中々厳しそうな名前のダンジョンを快適に過ごそうと努力した。流石に途中で雨玉を使ったりもしたものの、カイトのエネルギーはすさまじく彼の体の回りはいつもぽかぽかとしていた。
『吹雪の島』の階段を20階程通り過ぎた頃だろうか。唐突に霰が止み、光が空から刺してきたかと思うと、何故か先ほどよりも強い冷気が二匹を襲った。
とりあえずダンジョンはここで終わったようだ。となると、ここは中継地点のようなものだろうか。そう思い外に出てみると、そこには想像以上の光景が広がっていた。
「うっわ……」
「クレバス、だよね。これ……大きな裂け目があるけど、奥がかなり暗くなってる。この先があるって事だろうね」
「そうね。で……行くの?」
ここまで来て、いかないとは言えないだろう。しかし、アカネは何やら不吉な予感がしていた。この先には多分何かが居て、今回も例に漏れず何かしら危険な目に合うのだろう。探検に危険は付き物ではある物の、そこまで積極的に行こうとは思えない。
「……あんまり、使いたくはないけど」
アカネはゆっくりとクレバスの裂け目に近づいていき、手を伸ばした。その入り口、壁の内側をゆっくりと撫でるように触り始める。目を瞑り、意識を集中させた。近くにはパートナーがいる、という事を感じながら、意識をどこか別の場所へ、ここではない別の所へ。
「アカネ!大丈夫なの?」
あ、きた。
アカネの頭にその言葉が浮かんだ瞬間、頭がキンキンと痛み始めた。おそらく、この凍てつくような寒さも影響しているのであろう。アカネは体のバランスを失っていくのを感じながら、目の前に一本の閃光が走り、そして光が広がっていくのが見えた。
意識が、時間を遡り、飛んでいく。
赤く、等身のすらりとしたポケモンが一匹、さっきまでアカネ達が歩いていた道を進んで行くのが見えた。そのポケモンは、二匹と同じように巨大なクレバスを見上げると、その裂けめを見つめる。クレバスの形はアカネ達が見た物とは少し形状が違うようだった。
ポケモンが持っているバッグはとても使い古されていて、バッジも探検隊バッジなのだろうが、見たことの無いデザインをしている。
ポケモンは一匹、何かを決心したような顔をすると、バッグの中から一つ、小さな石を摘み、それを洞窟の丁度入り口に落とした。彼の体と同じ、赤い色をした少しくすんだ石のように見える。
「…………あ…………」
「アカネ、戻って来た!?」
カイトは軽くアカネの肩を掴むと、視線を合わせるように彼女の目を見つめた。だから、距離が近い。などと文句を言うほどアカネに余裕はなく、意識がぼうっと揺れ、まだずきずきと頭が痛むようなそんな感覚だった。
「……あ……。
随分…………的確に見えたわ。一匹のハッサムが、この洞窟に入っていった……もしかしたら、この場所に残された最後の記録なのかもしれないわね……。
……確か……」
ふらつく体をどうにか支えながら、彼女はフラフラと自分の真後ろに視線を向け、目を付けた大体の場所までゆっくりと歩き始めた。『時空の叫び』の所為か、まだ足元はおぼつかない。
アカネは地面に膝をつき、何かを探し始めた。クレバスの裂け目の、丁度入り口当たりである。アカネは何となく思い当たる場所の雪を掘りながら、何かを探していた。
「アカネ、ちょっとごめんね」
カイトはそう言ってアカネの肩を軽く引いて移動させると、その口から本当に軽く『火の粉』を吐き出した。シュウシュウと熱が積雪に向かって降り注ぎ、一気に雪が水になって溶けていく。
地面は水浸しになってしまったが、アカネは何かに気が付いたように再び膝をついて手を伸ばした。
「これ……」
赤い石だ。雪の中の、更にその下の氷にでも埋まっていたのだろうか。やはり色はかなりくすんでいて、お世辞にも綺麗と言える代物ではないが、その石ははっきりと赤い色を纏っていた。
「それを……『時空の叫び』で見たのかい?」
「多分これだと思う。ハッサムが落としていったから……何の意味があるのかわからないけれど」
アカネはそう言って、石をゆっくりと自分のバッグの中へ仕舞いこんだ。
「だけど、それがあるという事は……ケンシンっていうハッサムは、確実にこの中へ入っていったって事になるね」
「……じゃ、やっぱ進むしかないって事ね」
アカネはまだ少し痛む頭を軽く押さえながら、口角を上げてカイトの方を見た。カイトも同じような表情をしていたが、一方で少し心配そうでもある。アカネのことを気遣っての事だが、カイトがそんなことを指摘したところで、おそらくアカネは拗ねてしまうだけだろう。
「吹雪の島の情報はあったけど、この洞窟の事は聞いてないし……多分、ケンシンはこの先で完全に消息を絶ったってことね。ここに来るまでは間違いなく生きてた」
何があるかわからない、とにかく注意していこう。
そう二匹で顔を見合わせると、雪を強く踏みしめながら『クレバスの洞窟』へと進んで行った。