8話 新しい日常の始まり
その日の朝は、いつも通りゴルディの怒号によって起こされる。ある意味いつも通りであり、そしてそんな朝もこの日が最後であるという、どこか非日常的な雰囲気に包まれての起床だった。
カイトはゆっくりと起き上がると、隣で肩を上下に揺らしているアカネを見た。やはり、昨日パトラスに話した通り、彼女は眠っていた。というよりも、一度目覚めても眠気に押し負けてしまったのだろう。眉間に皺が寄っている。頭が痛いのだろうか。
まぁ、あのゴルディの五月蠅さなら仕方がない。そう思って、カイトはアカネの体を軽く揺すった。
「アカネ、朝だよ」
「…………あぁ…………」
体を起こす際に、また頭が痛そうに眉間に皺を寄せた。昨日の試験が妙に答えてしまったのだろうな、と思いつつカイトはアカネの両手を掴むと、軽く力を込めて立ち上がらせる。ここに至るまで既に五分経過している。おそらくそろそろ朝礼が始まるころだ。アカネはぼうっとしていて、もはや嫌味の一つも吐く気力は無いらしい。
アカネの体重をほぼ支える様な状態でカイトは歩き出す。通路を抜けるとすぐに朝礼場だ。やはり、クロッカスの二匹以外は全員がその場に揃っていた。ごめん、と一言謝ると、カイトはアカネを連れていつもの位置に移動する。
朝の誓いを言い終わると、最後にパトラスやペリーから話があると言われ、全員その場に残らされた。いつもならとっくに始業している時間の筈だ。全員の前で伝えなければならないことがある、とペリーはどこか嬉しそうに目を細める。なんだ、キモチワルイ。口に出さずとも、そう言いたげな雰囲気が朝礼場に流れる。
「えー、皆。一年前の大事件を解決した英雄……として知られるようになった、この探検隊『クロッカス』についてなのだが……。
この度、クロッカスは正式な国の依頼として、『王都・アルストロメリア』に特別に招待されたのだ」
ペリーの言葉に、誰もが黙り込んだ。アカネに至っては殆ど話を聞いているかどうかも分からない。ただ、それを聞いたフラーが一言、恐る恐る口に出した。
「……アルストロメリア、って……あのアルストロメリアですの?」
「あの巨大な王国が!?クロッカスを招待したって!?」
再び場が俄かに騒めき始める。羨むような声もあれば、本当なのかと真偽を問う者もいた。ペリーがコホン、と羽を口に当てて咳を漏らすと、その場はスッと静まり返る。
「まぁ、驚く者もいるだろうな。アルストロメリアは本来、別の大陸からの入国を非常に厳しく取り締まっている国だ。早々簡単に行ける場所ではない。しかも、国王から直々の招待だというのだから、普通に生きていれば一生たどり着けない場所だ。
電話機や通信機能を持つ不思議玉を作り出した始まりの場所。更にガルーラ像とそれにかかわる歴史も深い、まさに探検隊達の知識欲が集中している、世界が羨む発展都市…………花と文化の都、とも呼ばれているが、まぁおそらくこの中でその大陸に足を踏み入れたものは一匹もいないだろう。
ということで、チーム『クロッカス』。卒業試験に合格はしたが、我々からの最後の使命だ。
一週間後に来る迎えの船で、王都・アルストロメリアに行ってもらいます。しっかり準備を整えておくように」
* * *
ギルドメンバー達に見送られながらの出発だった。出発と言ってもそんなに大したものではなく、目指すは『サメハダ岩』である。
一応、卒業という形での別れに対し、何か選別でほしい物はあるかといくらか相談を受けた。選別を自分たちで決めるというのもなかなか聞かない話ではあるが、もし手に入るなら、と二匹が注文したものが一つあった。
以前、遠征へ行った時である。あの時張ったテントと同じような物が欲しいと注文したのである。というのも、サメハダの岩は一応雨風を凌ぐことができるだけの天井や奥行きはあるが、流石に嵐が来た時、強烈な台風が来た時などは内部までびしょ濡れになってしまう危険がある。サメハダの岩の中には水などある程度生きていくために必要なものは揃っている。これはアカネからの注文だったのが、ペリーは少々ゴネた後に、予備の折り畳み式テントを二匹に渋々手渡した。
場所は移して『サメハダの岩』である。ジュプトルことルーファスや、元リオルことルカリオのリオン達と過ごしていた時以来、全くと言っても良い程使っていなかった場所である。度々鳥ポケモン達の休憩場にでもなっていたのか、少々空洞の中の端に寄せておいた藁が踏み荒らされた形になっていた。しかし、それはまぁ仕方がない。なんせ中に誰もいないのだから当然それを拒むものも無いのである。
「うぅん……やっぱり少し埃っぽいよね。掃除しなきゃなぁ」
「そうね。少し掃除して要らないものは捨てて……もう少し大きめの棚でも置きましょうか。木の実を保存する引き出しとかも欲しいわね。鳥ポケモンに盗まれないかが心配だけど」
「嗚呼、それなら大丈夫だよ。たまに休憩していく奴はいるけど、僕が前にここに住んでた時はそんな事一切無かったからさ。今もそんなに様子は変わってないし」
カイトが水場に積もった埃を地面に落としながらそう言った。やはり、多少塵や埃で汚れているようで、カイトが払ったその場所のみがほんの少しだけ違う色を露わにする。
「それにしても、ギルドも最後に中々いい仕事するわね。暖簾分けの支度金として一万ポケ……まぁ、今までギルドに渡してきた金額とは比にならないけど」
「はは……それは何か悲しくなるから考えないようにしようよ……この先もそうっぽいしね。
とはいえ、ここが今日から僕たちの拠点だし……出入り口の外にポストでも作ろうか。依頼者が直接来ないとも限らないし」
二匹は『サメハダの岩』を拠点にすることにおいて、何が必要か大雑把に整理し、何をするべきかのプランを立てた。彼らがサメハダの岩で活動を開始したのはまだ早朝の話であり、二匹は本日は『探検隊活動』を休業とし、新しい『クロッカス基地』の掃除に取り掛かる。棚の取り付けやら何やらは今すぐにできることではないので追々行うとして、箒や古い布切れなどでサメハダの岩の中を隅々まで掃除し、カイトは中に散乱していた古い藁を薪用と称して括ると部屋の隅に積み重ねた。藁をギルドから持ってきた軽い家具を何となくいい感じの場所に設置し、移動の途中に購入した毛布を藁の上へ敷き、その上からもう一枚色の違う毛布を被せる。これで少しだけ良い寝具の完成である。ギルドの擦り切れたシーツとはわけが違うのだ。
アカネは満足そうに鼻を鳴らすと、ぱたりと倒れ込むようにベッドにダイブした。やはり下が毛布だからか中々の弾力と柔らかさである。アカネは背筋を伸ばす様に伸びをすると、二枚の毛布の間に入り込んで仰向けになった。
昼食を食べるのも忘れて働いていた二匹は、気が付けば辺りが暗くなっていることもすっかり忘れていたようだ。サメハダの岩の中から見る海や空は相変わらず良い景色である。既に空の水色に紺色を流し込んだかのように、徐々に夜へと流れて行くようだった。
アカネが仰向けになって紺色の空を見つめていると、カイトが木の実が三個ずつ入った編み皿を二個持ってそのうちの一つをアカネの目の前に置いた。昼食は無しになったが、もともと探検活動のある時は抜いている時が多いので明日に支障はない。しかし、夕飯は食べなければ明日探険中にバテてしまうだろう。特に、アカネが。
夕飯がまだだったことをふと思い出したアカネは、疲れを訴える体をゆっくり起こすと、毛布を畳んでベッドの上に座り込んだ。サラの中に手を伸ばし、オレンの実を手に取る。「ねぇ、カイト。アルストロメリアって何なの?」
特に何も考えることが無くなった時、ふと朝の会話が思い出された。アカネは疑問をカイトに投げかける。朝が特に弱いアカネは、朝はイライラしているか頭が働いていないかのどちらかに別れる。今日の朝は後者だったようで、ペリーが『アルストロメリアに行ってもらう』と言った時も、特に何も言わずに聞き流していたのだが。
アカネは、この世界のこの大陸のこと以外は本当に何も知らない。カイトの故郷である大陸が、海のどの方向に進めば在るのかもよく分かっていない。『アルストロメリア』など、今日始めて聞いた謎のお洒落な単語の様にしか思えなかった。
不思議そうにしているアカネに笑いかけるように、カイトは穏やかに言った。
「『アルストロメリア』は、この世界で最も発展した国って言われてる場所だよ。通称『花の大陸』と言われる大陸の中心部にある大きな国。そこには国王がいる王宮がある。だから、『王都・アルストロリア』と呼ばれてるんだ」
「相当有名な場所みたいね。国王なんてものがそもそも存在するのが驚きだけど……所謂、あの世界でのディアルガのような存在なのかしら」
アカネは顔をしかめた。朝礼の時に何となく聞いていて覚えた話と、今カイトが話していたことを組み合わせているようだ。何となく同じような内容だった、と記憶しているが。
「間違ってはいないかもしれないよ。もともと、アルストロメリアの文化の発展は国王と呼ばれているポケモン達の血筋から生まれた物みたいだから。発明に関しては本当に創造の神様って言われる位……実際にどんな場所なのかは分かんないけど、やっぱりこことは随分景色が違うみたいだ」
「ふぅん…………」
アカネが興味を持とうが持つまいが、とにかくその『国王』という偉いポケモンから呼び出しをされているのだから行かないわけにはいかないのだろう。普通に生きていては行くことが出来ない様な場所であることは朝耳に入れている。それに、おそらく『パトラスのギルド』としては、二匹がアルストロメリアに行かないという選択肢はおそらく、ない。
「アカネは、そういう風に聞いてアルストロメリアに行ってみたいと思う?」
「……そうね。それだけしっかりした場所なら、何かあっても大丈夫だろうし……少し、興味あるかも。
あんたは?」
「……うん、旅行がてら行くのもいいんじゃないかな、って。移動も船みたいだし、船旅みたいで楽しそうだよ」
カイトは微笑みながらそう言った。『旅行』と言われると、少し楽しみな用にも感じてくる。一方で、カイトには少しだけ引っかかっていることがあったが、このことについてはどうのこうの言っても仕方がない……そう思って、カイトは笑顔の奥にその気持ちをひっこめた。
夕飯を食べ終わると、丁度時間としては午後の八時半頃だろうか。カイトもアカネと同様、食べ終わって少ししてからベッドに入った。心なしか近くなったベッドの距離がどうももどかしい。
「アカネ、お休み」
返事は帰ってこなかった。もう眠ってしまっているのか、彼女が潜った毛布が上下に揺れている。カイトは少し寂しそうな、しかし安心したような複雑な気持ちで笑うと、横になって目を閉じた。
夜空には星が輝いている。月が、ほんの少しサメハダの岩の口に入り込み、その内部を照らしている。
そんな細々とした光を、一瞬黒い何かが横切って遮った。