7話 僕らはずっと仲間で
「やったねーー!あれ、どうして喜ばないの?」
パトラスは大きなセカイイチを高々と掲げて声を上げた。どこか落ち込んだ様子の二匹を不思議に思ったのか、身を屈めて二匹の表情を覗き見る。アカネとカイトは顔を見合わせると、今にもため息を吐き出しそうな表情でパトラスを見た。
「いや…………なんというか」
包帯と怪我だらけなのである。二匹が試験から帰ってきて、『おかえりなさい!!』と明るく迎えてきたメンバーたちの体が。見事にボロボロで、明らかにあの時戦った時にできた傷を治療した後だった。こればかりは隠しきれないのだろう。騙されたふりをするのも少し無理がある。
「みんな、ボロボロっていうか」
「わ、私達も二匹が頑張っているのにだらけていられませんからね!二匹がいつもやってるように依頼を五個達成いたしましたわ!」
「そ、そうなんです!慣れないことしたからこんな感じに……」
『ソウナンダー』と軽く聞き流す。おそらく、自分達の為にこういってくれているのだろう。ついでに『悪の大魔王設定』は継続中の様子である。
光の泉での出来事もあり、とてもでないが両手を上げて喜ぶ気には到底なれなかった。パトラスは不思議そうな表情を浮かべながらも、手に持っているセカイイチをアカネに手渡した。あのパトラスが、セカイイチを他者に譲るとは。驚いた顔をしたペリーを横目に、パトラスは優しい顔つきで言った。
「君達はとても素晴らしいことをしたんだよ。卒業試験に合格。このセカイイチを持ち帰り、そして悪の大魔王にも打ち勝ったんだ」
「…………悪の大魔王がいるとは聞いたけど、私達悪の大魔王を倒したとは一言も言ってないわよ」
随分疲れた様子のアカネが、じっとりとした目つきでパトラスを軽く睨みながらそう言う。しまった、口が滑ったとばかりに『なんでかなぁ……』ととぼけるパトラスはまるでいつも通りだ。
「と、とにかく!お前達は無事、卒業試験に合格したのだ!これからはギルドの厳しいしきたりにも縛られず、フリーの探検隊として活動ができるのだ!」
「じゃあ、もしかしてお金ももうギルドにとられることは無いって!?」
カイトがハッと気が付いたように言った。ただでさえクロッカスは金を使わない。そして、一日の収入が他の探検家たちよりも俄然多い。九割取られてしまっている現在でさえそうなのだから、この先そんなことになれば考えるまでもなく大金持ちである。
しかし、そんな夢はペリーの一言によってバラバラに打ち砕かれた。
「いや、残念ながらそこだけは同じだ。
いつも通り、報酬のほとんどはギルドへ支払ってもらう。卒業と言っても暖簾分けだからな。クロッカスの探検隊活動もまた、このギルドの親方様あってこそなのだ。だから、そこについては我慢しな♪」
「…………いや、衣食住失っただけなんじゃないのこれ?」
アカネが最初の疑問に戻ってしまう。ギルドを卒業したということは、既に自分たちにここに居座る資格など無い。そして食事を与えてもらう事も無い。これはアカネにとっては由々しき事態である。
「まぁ、生活していけないことは絶対ないと思うよ。僕達口座の金額まともに見たことないけど、結構すごいことになってるんじゃないかな」
「…………とりあえずサメハダ岩改造よ。あそこ雨風がちょっと……」
「と、とにかく!すごいですわ!ギルドを卒業できただけでも!」
フラーの一言を皮切りに、全員がクロッカスの卒業に歓声を上げた。皆、戦闘の際の傷の事など一切恨んでいない様子である。心からクロッカスの卒業を喜んでいるようだった。
まさか、こんなに早く卒業の日が来ることになるとは思わなかった。否、遅かったのか、早かったのか。
またいつでも遊びに来い、と言われて、本当に自分たちはここを出ていくことになるのだろうと二匹は思う。そうすると急になんだか寂しいような気持ちになって、カイトは堂々と目を潤ませる。アカネは下を向いて軽く目を拭った。
グーテがまた鼻水と涙を流している。みんなそんな彼をなだめるのに夢中で、クロッカスの二匹の様子にはあまり気づいていない様子だったが。
それでもよかった。今だけは、このままで。
* * *
集まりが終わり、全員が各々の部屋へと帰っていった。クロッカスの二匹はこのギルドにこの一晩滞在した後、発つことになるのだという。パトラスのギルドで過ごすたった一晩だ。このベッドともお別れだな、とアカネは藁のベッドを整えながら考えていた。
一見すると本当に生活感の無いクロッカスの部屋である。これなら片づけにもそう手間はかからないだろう。アカネはベッドを整え終わると、少しだけオレンの実を齧って布団を被り横になった。
「カイト」
カイトはアカネの隣のベッドで棚の片づけをしている。いるものといらないものの整理をしているようで、少しボロボロになった道具や傷んでしまった木の実を木箱の中に放り込んでいる最中だった。
「アカネ、寝るのかい?」
「……ちょっと、また体がだるくて。起きてられる自信がないわ。ごめん、最後だっていうのに」
「ううん、気にしないでよ。
……ねぇ、アカネ」
「ん?」
「……寂しいね」
「…………どうかしら」
アカネは毛布に顔をうずめて、そのまま何もしゃべらなかった。強がるばかりである。寂しく無ければ、どうしてあんなところで涙をこぼすことがあるというのだろうか。
カイト自身も、この一晩が終わればギルドのポケモンではなくなるというのは、とても寂しい事のように感じた。いつも気だるかった朝の朝礼ももうないのだろう。毎朝ペリーに口うるさく話しかけられることも無いのだろう。当たり前だったことが、この先はもうなくなるのだと思うと、寂しい。
そして、アカネが一度自分の前から居なくなってしまった時の事を思い出す。
「…………アカネ。当たり前が変わるって、僕にとっては…………」
アカネの方を見直すと、彼女はもう眠っていた。体を上下に揺らしながら、目を瞑り意識の無い彼女の呼吸は確かに生きている事だけを示している。もう眠ってしまったのに、語り掛けても意味がないような気がして、カイトは口を噤んだ。
そもそも、自分の中で燻っているこんな感情は、アカネにはできる限り見せないと……彼自身が、決めている事だったではないか。
大きくため息をつく。カイトは再び作業に戻ると、痛みかけているりんごを掴んで不用品箱の中へ入れた。そしてまた別のものを掴もうとしたとき、不意にコンコンと扉がノックされる。拳で扉を叩く音というよりは、何か固いもので小突かれているような音だった。
カイトは立ち上がり扉を開くと、そこには頭に包帯を巻いたペリーが目を細めて立ち尽くしていた。
「アカネは?」
妙にヒソヒソとした声でペリーが問いかける。つられてカイトもヒソヒソと話し始めた。
「ごめん、もう寝ちゃってるよ」
「なら丁度良い……カイト、親方様がお呼びだ。時間取れるか?」
「大丈夫だけど……」
いったい何の話だろうか、とカイトは目を細める。何も心当たりがないからではなく、逆に心当たりがありすぎて何なのかよくわからないでいた。
カイトはペリーに連れられてパトラスの元へ向かうと、そのままペリーは部屋には入らず、カイトだけがパトラスの部屋へと通される。相変わらずキラキラとした部屋だった。宝物や宝石が無造作にそこら中に転がっている。
「こんばんは、パトラス」
「やあ、どうもこんばんは。カイト」
他の弟子やペリーがボロボロだというのに、パトラスだけやたらピンピンしていた。怪我など一つもしていない。やはり、『やられた』だの言っていたのはただの演技だったか。
「それで、一体どうしたの?」
「まず、卒業おめでとう。本当に……加入してから、頑張ったよね。クロッカスは。加入したての頃が懐かしいよ。アカネもあの頃はものすごく一匹狼気質で、いろんなメンバーの反感を買ってたし、キミも妙に肩に力が入っていたけど、今は……ね。
……まぁ、前置きはさておき。キミも疲れているから、本題に入ろうと思う」
パトラスは珍しく真剣な表情をして椅子に座った。カイトはいつの間にか自分の背丈に合う位の椅子を用意されていることに気が付き、パトラスに目を配りながらゆっくりと腰かける。カイト単体で呼び出されるなど、いつぶりだろうか。加入してからまだそう経たないうちにも、こんなことがあったような気がした。
「アカネのことだよ」
やっぱり、と思った。カイトが想像していた数々の『心当たり』の中の一つがそれである。無闇に口を挟まず、カイトはそのまま頷いてパトラスの話を促した。パトラスはそれが分かっているかのように次の言葉を打ち出す。
「実は、君達を卒業させるかという問題は……リオンがギルドを辞めたあたり、からかな。今に至るまで、ペリーと僕で随分長い間議論し合ったことなんだ。
さも当然のように君たちの卒業を推奨していたけど、それが現実になった現在において、キミと。キミと、相談兼ね事実確認しておかなければならないことが幾つかある。
まず、さっきも言ったように、アカネの事。
ぼくの見当違いでなければ…………アカネは、あの日。アカネがキミと再会して今に至るまで、妙に……疲れやすい体質になってるように思うんだ」
「………………」
「体調を崩しやすくもなっているみたいだし、何せ理屈では何とも説明できない出来事が彼女の体に起こったんだ。不思議な事ではないんだけど……カイトは、何か原因らしきことを知らない?」
カイトは素直に頷く。隠す理由はないだろう。パトラスも無闇に他者へ物事を広める様なポケモンではないはずだ。だとしたら、とっくに多くのポケモン達からの支持を失ってている。
カイトは一呼吸を置いた後、話し始めた。
「……たしかに。アカネ自身も、そのことには気づいているみたいで、疲れるとすぐに体調に異変が出たり、そもそも依頼を前のペースでこなすと酷い疲労感を感じるらしくて。そのことについては、僕にはっきりと言ってくれたことは無いけど、目に見えて分かる位。
例えば……どんなに朝が弱くても、前はアカネの方が早く起きて僕を起こしてくれてたのに……朝のアカネは本当に具合が悪くて起きれないって感じで。
ただ、自然の理に逆らっちゃった罰なのかも、って。前に熱を出した時にぼやいてるのを聞いた……くらいかな」
「うん。明日からは朝礼で早く起きなくてもいいから……きっと、辛いだろうし」
「……あと、アカネは……『時空の叫び』の他に、もう一つの能力を持ってる。これは知っていると思うけど、生と死の循環を操る力……っていえばいいのかな。
アカネは、その力を通して、ゼルネアスやイベルタルっていうポケモンと会話をしたりしていたんだけど……最近、その二匹の存在をどこにも感じることが出来なくなった、って」
「あのアカネの治癒能力の源だね。能力自体が使えなくなったっていうこと?」
「そういうこと。いくら望んでも呼び掛けても、力を使えなくなってしまった、って。ただ、アカネの目の奥は以前のように赤くなったり青くなったり、表面上は変わってないんだけど、それをすごく不安に思ってるように見えるんだ」
カイトは自分が話しているのに、妙に心配そうに手を口に当てた。パトラスは少し考えるように腕を組むと、再び口を開いた。
「送り出すにはまだ不安が残る二匹だけど、アカネが辛い分はカイトが助けてあげないとね」
「…………そう、だね」
「それでも、二匹で抱えてもつらいことが有ったら、いつでも僕たちに頼って。
何があっても、どんなことが起こっても。僕たちもずっと……キミたちの仲間でいたいからね」
そう言って、パトラスはまた、優しく微笑むのだった。
「……ありがとう」
「…………それでなんだけど」
パトラスは笑顔を浮かべたまま、次の話を切り出す。
「僕からちょっとした提案があるんだ」