第一章 さらば、日常
6話 光の泉
 水の上を歩く音が静かな森に響き渡る。
 生き物も何も住んでいない。ただただ数メートルのみ広がる浅い水たまり。その中央にはほんの少しだけくぼんでいる地面。そこには小さな石板のような物が一つ。まるで、台座のように、何かを指し示す様にしてそこに佇んでいた。
「ここが光の泉?」
「光って……ないよね」
 パトラスの話は本当だったらしい。かつては『光の泉』として存在していたものの、それは時の歪みの影響か既に機能しなくなっていたようだ。その中央の台座を囲むように、フィミとクラフトが背中を向けて佇んでいた。二匹が水を踏む音を聞いたのか、クラフトがふとこちらに振り向く。驚いたような顔をして二匹を見つめていた。
「お、おい。カイト、ここに来るまでにそんな傷あったか?てっきり俺達の後ろを付いてきているものだと思っていたのに、いつの間にかいなくなってたから驚いたぞ」
 あの落とし穴に自分達がおちたことに気が付かない方が驚きだ……と二匹は思ったが、光の泉から罠にかけられたところまでは少々距離がある。不思議に思っても、わざわざ確かめに帰ろうとは思わないだろう。
「何でもないわ。ちょっと野暮用。それより、あんた達もそんなとこで何してんの?」
「いや、ここに宝箱があるんだけど……ほら、フィミ」
 小さなフィミが体ごとこちらに振り返る。クロッカスの二匹とはそう変わらない、フィミの小さな体には少し大き目の宝箱が抱きしめられていた。不思議のダンジョンでたまに落ちている、何の変哲もない宝箱。ただ、その宝箱の蓋の明け口には、見覚えのあるエンブレムが付いていた。『探検隊連盟』のマーク……おそらく、フィミが抱きしめているその宝箱が、今回のクロッカスの目的で間違いないだろう。
「前はこんなもの置いてなかったわ。怪しい気もするし、開けていいものか悩んでたのよ」
「それなら、僕達が開けてみるよ。ちょっと貸してもらえる?」
 カイトはフィミに近づいて、自分よりも少し小柄なフィミの体に合わせて腰を屈めた。フィミは少し恥ずかしそうな表情をしながら、カイトの手に『宝箱』を手渡した。よっこいしょ、とカイトは宝箱を抱え直す。割と重さは無い。軽めのものが入っているようだ。
「僕達、ギルドの試験でここにある『宝物』を取ってくるように言われてるんだ」
「成程な。それならおそらくこれがそうだろう。探検隊連盟のエンブレムが付いているように見えるし……中身が気になる。開けてくれないか?」
 最早、主役の二匹よりフィミやクラフトの方がわくわくとしている様子である。カイトは小さく笑うと、少し屈みこみアカネの背に合わせて宝箱を見せた。そして、宝箱の取っ手に手をかける。片手で持つのは多少バランスを取りづらかったのか、にわかに宝箱を持つ手が右往左往していた。アカネは宝箱を支えようと箱の底に手を当てる。
「………………!!」
 手から電撃の様に伝わってくる。頭の中に流れ込んでくる、何か。数秒後、アカネを激しい頭痛が襲った。あまりの痛みにアカネは眉間を押さえる。時空の叫びが起こったのだと直感したカイトは、心配そうに彼女の背中を支えながら見守っていた。
 久しぶりの発動だったからか、『時空の叫び』の副作用は以前よりも強い。目の前が瞬く間に黒色に染められ、その暗黒を貫く一筋の光。その光を中心に、視界が開けた。意識が、遠い彼方へ。

 暗い森。夜だろうか、今よりもずっと暗いこの場所だった。
 光を宿していない光の泉の前の前に現れる大きなポケモンのシルエット。あのシルエットは見慣れていた。パトラスである。
 パトラスは、少し大きな宝箱を抱えていた。おそらく、カイトが持っているものと同じものだ。パトラスは現在アカネ達がいる場所と同じ所へ辿り着くと、ゆっくりと屈みこんで宝箱を置いた。ぽちゃん、と水に浸る音が聞こえる。パトラスの微かな息の音。水の微かな揺らめき。木々のざわめき。
 宝箱から手を放す直前、彼は確かにこういったのだ。

『…………ぼくは、キミたちを信じているからね』

 頭痛が止む。止んだと言っても、余波のようなものはまだあるが、それよりも確かめなければならない事実を優先した。
 アカネは軽く頭を押さえる。カイトが心配そうにのぞき込んでいるのが目に入ったが、大丈夫だとでもこたえるように微かに目を細めて微笑んだ。果たして、きちんと笑うことができていたのかは本人でも分かっていないが。
 アカネはカイトの体を少し押しのけると、宝箱へ手を伸ばした。鍵はそこまで頑丈ではない。まだ手が震えているアカネでも開くことが出来た。見覚えのある、ありすぎる艶やかな赤色が目に入る。
「あら、おいしそうなセカイイチ」
 甘いものが大好きなフィミは誰よりも早く声を上げた。赤々と美味しそうに熟したセカイイチが堂々と宝箱の中を埋め尽くしていた。パトラスらしい。アカネはそう思って、セカイイチをゆっくり箱の中から取り出した。
「こんなお宝なら、パトラスが喜びそうだよね」
 カイトも笑いながらそう言うと、自分のバッグを大きく開いた。この中に入れてくれ、と言っているようだ。アカネはカイトのバッグに大きなセカイイチを詰め込むと、ハァ、とこれまた大きなため息を零した。
「疲れたわ」
「だね。早く帰ってご飯を…………?」 
 カイトの視線がアカネから外れ、水たまりの中央へと引き寄せられていく。それにつられてその場にいる全員が水たまりの中央へと目を向けた。ポコポコと何か中央から泡が湧き出している。そして、台座の下から謎の光が微かに差し込んできた。それと同時に空中からも、光の柱が台座へ向かって差し込んでくる。
「光が、差し込み始めた…………」
「じゃあ、もしかして光の泉……復活したのかな?」
 ベストタイミング、とでも言うべきか。偶然かは分からない出来事であるが、フィミは嬉しそうに手を合わせた。
 泉から何かが聞こえてくる。誰かが歌うように綺麗な男の声だ。声が、その場にいる全員の頭の中に直接流れ込んでくるようにして聞こえてくる。

『目覚める 者達よ。
  時が再び流れだすことで、光も又、ここに流れ始めた。進化を願う者は、台座へ立つがいい』
 かつて、『光の泉』は、ポケモン達の進化の手助けをしていたらしい。
 四匹以外にはほかに誰もいない。どう考えても、泉自身が意志を持っているとしか思えなかった。そのエネルギー源は一体何なのか、アカネはよくわからないと首を傾げたものの、その傍らでは大喜びするフィミとクラフトが手を合わせてはしゃいでいる。
「ということは、やっぱり進化できるのね!わたし、ずっと強くなりたかったのよ!」
「良かったじゃないか!あんなに鍛えたんだ、この泉の力があればきっと進化できるよ!」
 進化する、ということは、フィミはヒメグマからリングマになるという事なのか。二匹は興味深そうにその様子を見つめていた。フィミは少し恥ずかしそうにしながら光の泉の台座に立つと、泉の光を体中に浴びて気持ち良さそうに笑顔を作った。その笑顔でちらりとカイトを見遣ると、また少し恥ずかしそうに顔を背ける。
「?」
 
 泉が一層強い輝きを放ち始める。フィミの体は強い輝きに包み込まれ、何だかとても神々しい。やがて先ほどと同じ声が響き渡りはじめ、声はフィミに問いかけた。
『目覚める 者達よ。
 ここは光の泉。汝、新たな進化を求めるか』
 どうすればいいのだろう、とフィミは一瞬困惑するが、『うん、お願い!』と光の泉の問いに答え返した。
『汝、道具は必要か?』
「いえ、必要じゃないです」
『…………承知した』
 流れる様な会話だった。フィミの体を覆い尽すほどに強い光が発生し、その中で俄かに見え隠れするフィミの姿は徐々に形状を変化させていく。小さいものから大きなものへ、細いものから太いものへ。
 やがて光が消えた時、フィミの体はヒメグマではなく、完全にリングマの形状と化していた。
 大きく茶色い体が現れる。そこには、先ほどのヒメグマの少女は存在しない。屈強な体をした……お姐さん、というべきだろうか。そんな姿をしたフィミが、にっこりと笑顔を浮かべながら佇んでいた。
「うーん、やっぱりちょっとごついのよね…………自分より小さなポケモンには、引かれちゃうかな?」
「そうでもないじゃないかしら。顔立ちには面影があるし」
「うん。でも、カイトさんみたいなかっこいいポケモンとは不釣り合いかも」
「…………ん?」
 照れたようにそう言って頭を掻いた。クラフトがその発言を聞き少々驚いたような顔をするが、なんとも言えない表情をして鼻をポリポリと掻いた。コメントしづらい状況だ。カイトは苦笑いをしアカネを見やると、先ほどまで確かにフィミに話しかけられていたアカネは興味深そうに泉へ近づいて行った。
「あ、アカネ!!待って!」
 カイトの唐突な制止。アカネは立ち止まると、カイトの方を振り向いて首を傾げた。カイトが急いで彼女の元に向かうと、少し焦ったように言葉をかける。
「た、確かアカネが進化するには『雷の石』が必要な筈だよ。そんなの、僕ら持ってないでしょ?」
「……それもそうね。じゃあ、カイトはできるのかしら?」 
 単純に進化に興味を持っているようだった。珍しく身を乗り出す様に泉を見つめている。
 アカネにはまだ変わってほしくない。内心そんな気持ちを持ちつつも、ライチュウに進化した彼女にも興味がある。彼女なら進化してもきっと綺麗なままなのだろうけど、まだ少し心の準備が……と、カイトの方がもだもだと悩んでいた。
「僕……は、多分できると思う」
「ふーん……」
 アカネの顔が、明らかに『やれ』と言っている。珍しく目がキラキラと輝いているのだ。まるで美しい宝石を目に映した時のようである。 
 しかし、カイトのレベルなら最終進化形の『リザードン』も夢ではない。そうすれば飛行タイプを同時に獲得できるし、場所の移動も楽になる。戦闘力も今までより確実に上昇するだろう。
 悪くは無いかもしれない。
「じゃあ、僕が進化してみるよ」
「わかったわ」
 じっとアカネに見つめられる。カイトは光の柱の中に立つと、ただただ泉の声が聞こえてくるのを待っていた。
『目覚める 者達よ。
 ここは光の泉。汝、新たな進化を求めるか』
「うん。進化したい」
『汝、道具は必要か?』
「いや、必要ないよ」
 自分の進化の仕方については良く知っている。先程のフィミと同じようにスムーズに答えると、光の泉はしばし黙り込み、そして言葉をつづけた。
『承知した。
 では、目覚める者達よ。始めるぞ…………』
 進化が始まる。そう思い、カイトを省く三匹は彼の事をじっと見つめていた。アカネは興味深そうにその様子を見つめていた。が、しかし。
 いつになっても激しい光はカイトを包み込むことはない。カイトの体自体にも、一切の変化が見られないのである。
 フィミとは全く違う展開だ。どうも様子がおかしい。

『…………いや、駄目だ。
 汝は、進化できない』
「…………え?」
 全員が言葉を失う。驚愕で声が出ない。カイトのレベルで、だ。進化が出来ないという事などあるのだろうか。他の場所に原因があるとも思わず、アカネは不意にそう思った。
 しかし、『光の泉』から返ってきた言葉は、予想だにしていなかったものである。

「……ど、どうしてだ?僕のレベルが足りない……?そんなはずはないんだけど……」
 最終進化だって夢ではないだろう。そう思っていたカイトは、まさかの返答に強い動揺を示していた。しかし、光の泉は淡々と、しかしどこか動揺を孕んだ口調で答える。

『いや、条件の話ではない…………おそらく、空間の歪みによる影響だと言えるだろう。
 汝の持つ空間の歪みが、この光が汝に影響を及ぼすことを拒んでいる…………。
 汝のみが……、いや、汝のみではない。汝の向かいに居る者もまた、進化することは難しい……』
 考えるまでもなく、アカネの事である。
『分かることは、ここまでだ。
 ここは光の泉。新たな進化を求める者は、また来るがよい…………』
 そうして、光の泉は眠りにつくようにその光を弱めた。
 フィミとクラフトはどこか気まずそうな顔をして二匹を見つめる。カイトは頭を掻きながら気まずそうに泉から抜け出すと、アカネの方へと歩み寄る。
「僕達……二匹とも、同じ理由で進化できないってことみたい……だね」
「………………心当たりあるから、なんとも言えないわ」
 心当たりはある。しかし。
 先ほど泉が言ったのは、『空間の歪み』である。決して『時間の歪み』とは言っていない。
 空間。時間。対局として存在するものである。アカネは考え込むように眉間に皺を寄せ、口元に手を当てた。カイトは困ったように笑うと、卒業試験の途中だという事を思い出す。不完全燃焼の部分はあるにせよ、とにかく試験はやり遂げたのだ。あとはパトラスの判断に任せなければ。
 そう思い、考え込みどこか沈み込んでいるアカネの方にそっと手を置いた。

「アカネ、帰ろう。これをギルドに持って帰らなきゃね」

 そう言われてカイトを見上げた彼女の瞳は、どこか不安気だった。 
 


ミシャル ( 2019/07/15(月) 22:21 )