3話 魔王の罠
「カイトっ!!!」
カイトが巨大な穴の下へと姿を消す。
彼の安否を確認しようとアカネは迂闊にも穴の淵に手を掛ける。その瞬間、ドンと背中に衝撃が走った。気が付いた時にはアカネも穴の中へと放り出されており、先程の自分の行動が迂闊なものだったとそこで気が付く。しかし、しばし地に足のつかない状況を退官した後に一気に重力によって穴の底へと落下していった。
誰かに背中を押されて、この穴へと突き落とされた。
落とされたのはかなり深い穴だった。咄嗟に何とか受け身を取ることが出来ていたカイトは、落ちてくるアカネを受け止めるために地面に体を擦るようにして彼女の体の真下へと滑り込む。アカネも状況を理解できてからは判断が早く、くるりと空中で身体をくねらせ態勢を整えると、いずれ訪れるであろう衝撃に備えていた。
落下してきたアカネを受け止めるようにしてカイトが腕を伸ばすと、どうにか地面との接触を免れたらしい彼女はそのまますっぽりとカイトの腕の中に納まる。
「わっ!!」
滑り込んだ所為でカイトはつよく体を地面に擦った。腕や腹が摩擦でヒリヒリと痛むのを感じながら起き上がると、アカネはカイトの腕の中から這い出るようにして地面に足を下ろした。
「いてて……アカネ、大丈夫?」
「あ、ありがと……けど、別によかったのに…………!?」
ガコン、と。頭上で何かとても嫌な音がした。
突如、目の前が暗闇に包まれる。カイトの尻尾の炎だけがぼんやりと暗闇を照らしていた。何故か穴に蓋を締められてしまったのであろう。アカネが穴の中へ突き飛ばされたことと言い、これは完全に罠である。しかも、おそらく二匹を狙っての犯行だ。
「閉じ込められた…………!」
ぼんやりと光る自らの尻尾を抱えて周囲をキョロキョロと見渡すカイトだけが、アカネの視界の中に存在する唯一のものだ。カイトの尻尾の炎も先の方を見通すことが出来る程強いわけではない。足元だけが明るく、そしてその先は闇が広がっている状態だ。
「アカネ、そこにいる?ちょっとこっちに来て。はぐれるといけない」
そう言って、カイトがアカネがいるであろう場所に手を伸ばした時である。
『クックック…………』
そんな微かな笑い声が聞こえると同時に、大勢のポケモンの気配。しかも、二匹を囲むようにしてゆっくりと息をひそめて近づいてくる、沢山の気配。
それを感じた瞬間、アカネは伸びてくるカイトの手を迷いなく掴むと、彼の背中の方へと周りぴったりと背中を預けるように戦闘態勢に入った。相手は何者かもわからない状態である。カイトの尾の炎は警戒により轟々と激しく燃え、アカネの頬からパチパチと電気が漏れる。
「誰かいるわね。一匹じゃないでしょ……闇に紛れてないで姿を見せたらどうなの?」
「フフフ……ようこそ、闇の世界へ。ぼ……このわたしが、悪の大魔王と呼ばれる者だ」
「…………あっ。…………はぁ」
謎の声が喋り出す。それを聞いたアカネは口から少し言葉を零すと、カイトの背中をこつんと叩いた。アカネの顔は何とも言えない呆れ顔で、アカネに背中を小突かれたカイトの表情もまた、それに似たような様子をしていた。
聞き覚えのある声である。成程、今日の朝から弟子たちをあまり見かけることがなかったのはそういうことか。『悪の大魔王』と名乗る謎のポケモンの声、一つだけ感じる異様な威圧感にすべてを理解し、アカネとカイトの緊張や危機感は若干解かれた。
ということは、である。この状況こそ、今回の『試験』の肝であるに違いない。
「大魔王だけではないぞ!」
「ワシ達、大魔王の子分もたくさん来ているんだぜ!」
「真っ暗で分からないかもしれないが、お前達は完全に包囲されているのだ!」
隠す気が……あるのだろう。というより、現在進行形で隠しきれていると思っている。謎の熱気とでもいえばいいのか。そのようなものが見渡す限りの場所から伝わってくる。そしてそれはいずれも覚えのあるものばかりだった。
それならば仕方がない、とアカネはため息をつくと、自分たちを完全に包囲しているという『何者か』達を睨みつけ、更に言葉を返した。
「『悪の大魔王』ってのはあんたのことなのね。でも随分とアンフェアなんじゃない?たった二匹にその数で、しかも暗闇の中だなんて」
「クククククッ……くーっクックック!!何とでも言うがいい!ここに来たら最後、生きては返さないよ!!
覚悟することだね!!!」
来る、と思った。
その言葉が合図のようなものだったのだろう。周囲のポケモン達は一斉に雄叫びを上げると、二匹に襲いかかるかのように一斉に動き始めた。アカネとカイトは薄暗い灯の中で目をぱちりと合わせると、カイトは素早く屈みこみ、アカネは尻尾をばねの様に地面に押し当てて自らを強く弾き飛ばした。ふわりと宙に浮くアカネの体は黄色とも水色とも取れる光を纏い一気に解放する。屈みこんだカイトだけを避けて、彼女の電撃は四方八方へと散らばる。
稲妻が走る。光が鋭い輝きを放ち、周囲を一瞬だけ照らした。しゃがみ込んだカイトからは見えないものが彼女には見える。やはり思った通りか、と考えながら、重力に従って地面へ着地すると、カイトの影に隠れるように次はアカネが屈みこむと、カイトがまるで周囲を薙ぎ払うかのように炎を轟々と高く燃え上がらせ、尻尾を振り回す。尻尾に微かな違和感。光は弱いながらも微かに何かを照らす。どうやら、何者かを尻尾で弾き飛ばしたらしい。さらに弾き飛ばした何者かが他の誰かに衝突でもしたのか、微かな悲鳴がそこら中から聞こえてくる。
その時である。『ガコン』という音が再び天井の方から微かに響いた。一瞬、その場の時が本当に停止してしまったかのような、そんな空気に包まれる。その直後、鋭い光が天井から差し込んできて穴の中を眩く照らした。光が戻って来た穴の中で二匹が見たものは、アカネの一メートルほど先で今にも翼を振り下ろさんと構えるペリー。そして、微かな汚れやかすり傷などを纏ったギルドメンバー達ほぼ全員の姿だった。
謎の黒いマントを羽織ったパトラスも目をぱちくりとさせながら後方部で佇んでいる。
「あっ……」
天井の方を見上げると、おろおろとした様子のビッパ……グーテが穴の縁からこちらを見下ろしている。
「こ、こらぁ!!!グーテッ!!!なぜ蓋を開けたのだ!!?」
ペリーが彼を見上げて怒号を上げる。彼の名前を読んでしまうという失態にも気づかない程の怒りっぷりである。グーテはびくっと肩を震わせると、また涙目になって言い訳を始めた。
「え、えぇ〜〜ッ……だ、だって、真っ暗だと見づらいかなと思ったんでゲス!も、もしかして余計な事しちゃったでゲスかねぇ……」
「だ・か・ら!!ここにいる全員は既に『目薬の種』を食べて!!暗闇でも見通しが良い状態になってるんだよ!!会議の時に説明しただろう!」
「えっ!?そうなんでゲスか……!?す、すまないでゲスぅ……」
頭を下げるグーテを尻目に、ペリーはハッと気が付いたように『まずい』という表情をして恐る恐ると言った様子でアカネとカイトに視線を向けた。呆れかえったアカネの顔と、何とも言えないようなカイトの苦々しい微笑が目に飛び込んでくる。しまった。目薬の種のことも、会議のこともつい口を滑らせてしまった。
「そんなことだとは思ったわ……」
「やりたいことは分かるんだけど。とりあえず、こうなったからには先に説明が必要だと思わない?パトラス……」
元々察しはついていたのであろう。アカネもカイトも特に動揺した様子はない。辛うじて言うのならば、突然光が戻って来たのに少々戸惑っている程度だった。憐れみを含んだ二匹の視線に居た堪れなくなり、ペリーは軽く視線を逸らしピュ〜、と口笛を吹いた。こうやって誤魔化せると思っているところがまた哀れなものである。アカネは腕を組み、そんなペリーを威圧的に見つめた。
「…………パトラスって、だれなんだい?」
「えっ」
パトラスはわざとやっているのではないかという程に目を泳がせながらそんなことを宣った。『わっかんないなぁ〜』とブツブツ呟きながら、手を頬に食い込むほどに当てて首を傾げる。顔が半分ペチャンコになっていた。パトラスもペリーも、とにかく無理のある誤魔化し方である。
しかし、だ。誤魔化すという事は、つまり『試験は続ける』ということだ。二匹が誤魔化し始めたのをまた合図とし、他のメンバー達も並べられた地雷の上を踏みつけていくような勢いで『フラーなんて知りませんわぁ!』『お、おれはヘクターじゃねぇぞ!ヘーイ!!』と誤魔化しという名の自白を繰り出し始める。あまりにもグダグダ過ぎて少し可哀そうになってくるような惨状だ。
「はぁ……つまり、あくまで赤の他人を貫くって訳ね」
「まぁ、そういうことなんだろうね」
開き直ったかのようにパトラスは変顔を辞め、手を腰に当てて胸を張ると、息をスッと吸い込む。
「クックック……ここに来たからには、生きては返さないよ!」
また最初と同じセリフを繰り返す。あくまで同じ設定でいくようだ。普通にギルドメンバーと卒業試験受験者として戦えれば彼らも楽なのであろうが、どうもあちらの事情的にそうはいかないようである。
「悪の大魔王の恐怖!!とくと味わうがいいよ!!!
たぁぁぁぁああぁぁぁあーーー!!!!!」
パトラスのいつものセリフも叫んでしまっている。
もういいんだろう、きっと。そう思いながら『クロッカス』の二匹は、再び戦闘態勢を整えた。