2話 卒業試験、神秘の森へ
「ここが『神秘の森』…………」
現在アカネとカイトがいるのは、卒業試験において指定された不思議のダンジョン。『神秘の森』と言われているだけあるな、と二匹は中を覗き込んだ。一見すると鬱蒼とした森だが、青々と生い茂る木々には底知れぬエネルギーを感じる。地面を踏みしめるごとに、自分が何かに満たされていくような、そんな気さえしていた。変に体が軽くなる。この森自体がポケモンの体に何かしらの影響を与えているのだろう。となれば、その森に住み着き生きてきたポケモン達も当然それらを体に吸収している筈だ。準備はいつも通りしてきたものの、アカネは少し不安に思う気持ちを引き締めるように耳に結んである桃色のリボンをキュッと結び直した。
「どうしたの?」
「いや……何が起こるかわからないような感じね。卒業試験に使うくらいだし、一応考えてくれてるとは思うけど。あのギルドだし」
「大丈夫だよ。僕達だって……強くなったんだから。一緒なんだから、きっと大丈夫。
必ず試験に受かって卒業しよう、アカネ!」
「……そうね」
こつん、とお互いの拳を軽くぶつけ合わせる。いつからこんなことをするようになったのか、最早覚えてはいない程にそれは自然な行動だった。二匹は森の中へと足を踏み込むと、どのようなポケモンが多いのか、と観察をしながらゆっくりと階段を目指して進んで行く。
『神秘の森』は、『濃霧の森』ほどでは無いにしても少し霧がかかっていた。パチパチとアカネの体にたまっている電気が唸る。彼女は心地が悪そうに自分の頬を押さえると、パチッと音を立てて発散するように電気を地面に逃がした。
霧が出ているとどうも体調が悪い。軽く痛み始めた頭を軽く押さえながら、アカネはカイトの斜め横をゆっくりと歩いていた。カイトはそんな様子もなく、通常のヒトカゲよりも少し高い等身でダンジョンの中を見渡していた。
一見すると、やはり草タイプやノーマルタイプのポケモンが多いように見受けられた。どちらかと言えばカイトの得意分野である。少し体調が悪そうにしているアカネを気遣い、彼女を後ろへ庇うように先頭を歩くカイトは、敵のポケモンの出現に即座に反応できるように目を光らせていた。
「アカネ、伏せて!」
カイトの言葉に反応し、アカネはすっと体を屈める。彼女の体の上でカイトの手が何かを牽制するかのように浮いていた。数回葉っぱカッターのような攻撃が空を切るような音が聞こえた。アカネが体を起こすと、カイトと背中を合わせるように戦闘態勢に入る。なるほど、と状況を理解した。木の上に二匹、地上に三匹。群れを成したコノハナ達が憎しみの籠った目でこちらを睨みつけている。特にこちらがなにをしたという訳ではなく、ただただ縄張りに入って来たのが目障りだったのだろう。
こんなことはダンジョンを探検していれば日常茶飯事だ。アカネはバチバチと赤い頬から電気を発生させると、フッと体の毛を逆立てるように電撃を放った。『十万ボルト』は木の上でこちらを見下ろしていたコノハナ二匹に命中し、シュウという音を立てながらコノハナたちが木から落ちてくる。
それが幕開けだ。カイトは勢いよくコノハナ三匹の方へ突っ込んでいくと、轟々と尻尾の炎を強く燃え上がらせ、大きな動きでその尻尾を振るった。その炎は『本物』とは違うにしても、つい反射的に避けていくコノハナたちは散り散りに走り去っていく。カイトは口から大きく息を吸いこみ青い炎を吹き出す。それはやがて竜の形を成し、そのうちの一匹の追跡を始めた。コノハナは木々に飛び移りながら攻撃から逃れようとするが、まるで意思を持つようなその炎はコノハナの行く先に先回りするようにしてコノハナに喰らい付いた。
散っていくコノハナたちはアカネの攻撃を見切ることができず、彼女の放つエレキボールにあえなく陥落した。
「大丈夫?」
「本調子じゃないけど……仕方ないわ。先を急ぎましょ」
二匹は倒れているコノハナたちを一瞥すると、直に階段を捜すために先を急いだ。このダンジョンに住んでいるポケモン達は比較的二匹でも対応できるくらいのレベルだった為、アカネの体調不良のこともあり、ぎこちなくはあるものの着実に階段を見つけていった。
『神秘の森』は静かな森だ。以前に訪れた『キザキの森』などとは違う、どこか崇高な雰囲気に満ちていた。ポケモンたちもスイッチが入れば荒々しくはあるが、敵意自体を向けてくる者は少ない。
「ねぇ、アカネ」
道中、カイトが林檎を拾い上げバッグに押し込みながらアカネに声をかけた。アカネは気力の回復に、と黄色いグミを小さな口で齧っていたが、カイトの言葉に短く返事を返すとそっと見遣る。
「アカネは、卒業できたら何がしたい?」
「卒業したら……とりあえず強制労働は無くなるだろうから、週に一日くらいは休みが欲しいわね。最近は環境問題も落ち着いてきて妙な依頼も少しずつ減ってるでしょ?」
「そうだね。たまには探検隊としてじゃくて、こう……のんびり旅行でも出来たら……なぁ」
「…………?」
徐々に声が小さくなっていくカイトの様子を、アカネは不思議そうな顔をしながら眺めていた。カイトは小さくなってしまいつつ最後まで言い切ると、にっこりと笑って何でもないように装う。『行こう』と、少し歩幅を広げると、アカネがまた不思議そうな顔をしたまま同じように足を速める。
カイトはただ、アカネとの『約束』を思い出していた。世界を救う為にディアルガに挑む前、アカネと交わした二匹の約束である。戦いが終わったら、一緒にカイトの故郷へ行ってくれないか、という約束。
忘れていたわけではない。ただ、結局カイトが『幻の大地』から帰還した際、アカネはその場にはいなかったこと。アカネが帰ってくるまでにも、かなりの時間を積んでいたことなどが積み重なり、結局あったような無かったような、そんな約束になってしまった。
ふとその約束が頭を過ったが、特に故郷へ向かう分には不都合があるわけではない。ただ、その約束の事を口に出すのをカイト自身の心がどこかで拒んだ。それがどうしてなのかは本人が一番良く分かっていて、きっとアカネには思い当たりもしないことなのだ。
* * *
霧以外には特に差し障りはなく、二匹は着実に『神秘の森』を突き進んでいた。相変わらず薄い霧がアカネの体調を害してはいるものの、アカネも今までに相当な経験を積んでいる『探検家』である。最初のような動揺した様子は見せない。辛うじて言うとすれば、少々溜息が多い程度か。カイトの足手纏いになるような事も無く、二匹は足並みを揃えて次の階へとつながる階段を通過していった。
「わ…………」
「……たぶんだけど、ここが奥地みたいね」
視界が一瞬明るくなったかと思うと、先ほどまでかかっていた薄い霧は全て消え去り、不思議のダンジョンの中とは少し違う開けた場所に出た。野生のポケモン達の気配は感じない。そのことからおそらくこの場所が奥地だろうと予想したアカネは、周囲を観察するようにしてその場所を少しだけ歩き回る。
「ん?…………なに」
カサ、と足先に何かが触れる。ふとそれを見下げると、大量の落ち葉が広範囲にわたって広がるようにして落ちていた。よく見るとどこか様子がおかしい。この場所の木々は一か所に密集しているわけではなく、連なる様にして生えている筈なのに、不自然に通路の中央部分にだけ落ち葉が密集しているのだ。まるで何かを覆い隠す様にして広がるその落ち葉は、以前カイトが『サメハダの岩場』への入り口を隠すために行っていたものとどこか似ている気がした。
「アカネ、どうかした?」
「いや……」
実は、とアカネが零した瞬間だった。何者かがザカザカと足音を立てながらこちらへ歩み寄ってくるような音が微かに響く。ハッとしたように二匹してそちらへ見遣ると、大きな影が一つ、そして小さな影がその後をもう一つ付いてきているのが見えた。
「あ、アカネさんにカイトさん!」
無邪気な少女の声がした。そしてテフテフとこちらへ駆け寄ってくるのは、可愛らしい顔をしたヒメグマだった。彼女はトレジャータウンの住民の一匹である。カフェの常連でもあるので度々顔を合わせることがある。となると、後ろからノソノソと歩いてくる大きな影は一匹の雄々しい顔立ちをしたリングマだった。二匹はいつも一緒にいることが多いので、当然彼とも認識がある。
「フィミとクラフト?君達どうしてここに……」
「ここへはよく遊びに来るからな。ところで、『悪の大魔王』とやらは見つかったのか?」
雄のリングマ……クラフトは、二匹をからかうような口調でそう言い、軽く爪で鼻を掻いた。仮にも不思議のダンジョンであるこの場所に『よく遊びに来る』とはまた、意外な話である。
「全然。見かけてすらいないわね……てか、なんであんたがその事知ってるわけ?」
「そりゃ、カフェに行ったらレイチェルちゃんが世間話がてらそんなこと言ってたからさ。あんた達が『卒業試験』でここに来るっていうのは、それ以外にも割と広まってる話だぜ」
田舎特有の直に噂が広まる、というやつか。アカネとカイトは顔を見合わせると苦笑いした。ヒメグマのフィミが口に爪を咥えると、不思議そうな顔をして首を傾げた。
「卒業試験で何をするの?もしかして、その『悪の大魔王』を倒さなきゃとか?」
「いや、違うよ。僕たちはここにあるっていう『光の泉』を捜しに来たんだ」
カイトがそう言うと、フィミはつぶらな瞳をキラキラと輝かせて、パチン、と両手を叩く。
「光の泉ね!それなら、この先にあるわよ。私達もね、これから行こうとしていたところなの。いっしょにいく?」
「ほんとうに?それなら、喜んで」
カイトがそう返事をすると、フィミとクラフトは二匹を避けるように大きく回ってから光の泉があるであろう方へと歩いていった。カイトもそんな二匹について行こうと一歩、二歩と踏み出した……その時である。
「!!?カイト、まっ……」
「え」
突如、カイトの足元が揺らいだ。揺らぐどころではなく、そのまますぽりと彼の足は本来地面がある筈の場所へと飲み込まれる。突如として地面が抜けたのである。カイトは予想もしていなかった足の軽さに驚き、それに気づいた時には悲鳴にも近い叫び声を腹の底から上げていた。
目の前から一瞬にして姿を消したカイトが一緒に引き連れていくかのように、ザザザと大量の落ち葉が地面に引きずり込まれていく。そして、踏み止まっていたアカネの目の前には巨大な穴が出現した。
「カイトッ!!」
彼の名前を叫んだ時、既に彼は巨大な穴の底へと姿を消していた。