第一章 さらば、日常
1話 クロッカスの今
 今日も、変わらず世界の時は流れ続ける。
 青い空を流れる雲は風の吹く方へと進み、太陽は世界を見守るかのように光を放ち続ける。海はさざめき、川はまたポケモン達や大地に命を吹き込みながら流れ続けている。

 『時の歯車事件』が終息し、時の運命により翻弄された英雄達が帰還してから約一年の時が経過した。
 
 アコーニー・ロードナイトこと、通称アカネ。ピカチュウという種族である彼女は、記憶を失い、そして元人間であるにも関わらず突如ピカチュウへと変貌してしまったとされるポケモンであることは知る人ぞ知る事実である。彼女は暗黒に包まれた未来へ対抗すべく、当時の仲間であったジュプトルのルーファス、そしてルカリオのシリウス(後のブレイヴリーダー・リオン)と共に、過去の世界へと舞い降りた。記憶を失った彼女を救ったのは彼女の現在の相棒・カイトであり、彼は数十年前に起こったとされる大事件『隕石落下事件』『英雄とキュウコン伝説』の当事者として広く知られている救助隊夫婦『ガーベラ』の実の息子である。彼と彼女が出会ったのは偶然か、はたまた必然か。
 そんな彼らが暗黒の未来を救い、約一年。
 全ての時の滞りは全て解消したわけではなく、まだ異常があると思われる場所はあるものの、その場所は最早警察や探検隊連盟によりリスト化できるほど少なくなってきている。増え続けていた不思議のダンジョンは、出来上がったものが『なくなる』ということは無かったものの、増えて行く速度は急激に低下している。着実に世界の状態は良くなりつつある中で、プクリンであるパトラスのギルドに属する探検隊『クロッカス』は、修行の日々に明け暮れている。
                       【-エイムルス新聞社‐】 朝刊より 
 
 そして今日もまた、修行に明け暮れる一日になる。
 ……筈だった。

「卒業試験を受けてもらいます」
「卒業試験」
 ギルドの地下二階。早朝、毎日のようにギルドメンバーの全員が集結し朝礼が行われようとしていた時だった。ピカチュウであるアカネは連日の仕事に疲れ、更に朝の弱さも加わって、まるで紙に書いたような顔をしながらペラップであるペリーの言葉を復唱した。そんなアカネに困ったような顔を浮かべるヒトカゲは、彼女がリーダーとして君臨する探検隊『クロッカス』の副リーダー、カイトである。
「卒業試験って事は……僕たちは、ギルドを卒業するっていうこと……?」
「そうなるな♪卒業すればギルドから出られるし、毎日の辛い修業とはおさらばだ。食事も自分達で勝手できるし、寝床だってべつにここじゃなくてもいい。ただし、試験に合格しなければそれは許されないがな!」
 以前から食事は割と勝手にしていたし、寝床が無くなるのは少し困る。アカネは朝の機嫌の悪さが加速したのか、元々皺が複数本寄っていた額を更に歪める。別にそんなもの受けなくてもいい、と言いたげな顔をして何か反抗的な事を口に出そうとしていた時だった。そんな彼女の意思を汲み取ったかのような様子をしたカイトが、アカネの耳元で囁くように言葉をかける。
「もし卒業出来たら、またサメハダの岩場で暮らそうよ。結構お金もあるし、そのうち家でも建てられればいいんじゃないかなぁ」
 あまり金銭を使わない部類のポケモンである彼らの口座は、常にかなりの潤いを持っている。頭の回っていないアカネは、そう言われて特に深くは考えず『それでもいいかもね』と口に出した。
 とんでもない会話をしていることに二匹が気づいていない状態で、周りのポケモン達が唖然と口を覆っていると、ペリーがゴホン、と大きな咳ばらいを一つ零す。ペリーの咳払いを聞き、思い出したかのように周りのポケモン達がざわざわと騒ぎ始めた。
「ヘイ!ペリー……先輩である俺達を差し置いて、どうしてクロッカスだけ卒業なんだ!?」
 そんなことはわかり切っているだろうに……などと批判的な目には気づくわけもない。ヘイガニであるヘクターはその大きな鋏を鋭く高々と掲げながらペリーとその後ろにいるパトラスに抗議した。ペリーはヘクターを小馬鹿にしたような目でため息をつくと、逆にそのカラフルな翼を指先の如くヘクターに突きつけた。
「何を言っているか。既にクロッカスはお前達とは実績が違うだろう。クロッカスは世界を救った……しかも、あの伝説のポケモンとの対峙を経て今ここにいるのだ。先輩であるお前達が教えてやれることなんてあると思うか?こいつらが試験を受ける資格があるのは当たり前だろう」
「私もそう思いますわ。去年はゴルディが試験を受けましたが、あっけなく落ちましたし。納得できないポケモンが居ても、実際に受かればそれは証明されますわ」
「う、うるさいっ!!どう考えてもあれは難易度が高すぎるだろ……!」
 憤慨するゴルディをよそに話は続く。『試験というのは何をすればいいのか』との質問をカイトが投げると、ペリーはわくわくとした表情を顔いっぱいに晒しながらにっこりと微笑んだ。その妙に気持ちの悪い笑みに、アカネの眠気は徐々に冷め始める。続きの説明を託すかのように、ペリーはその笑みをちらりとパトラスに向けた。パトラスの鼻の上で浮いていた鼻提灯がぱちんと音を立ててはじける。ハッとした後、まるで眠ってなどいなかったかのような振る舞いで『うん』と頷くと、その脅威の分析力で現在の状況を把握し、クロッカスに笑みを向けた。
「君達には、『神秘の森』の奥へ行ってもらうよ」
「神秘の森?」
「嗚呼。その奥には、『光の泉』という場所があるんだ。知っているかい?元々はポケモンの進化を助ける力を持つ場所だったんだけど、時が壊れた影響なのか、光を放つことは無くなってしまってね。今は進化できないみたいなんだけど」
「とにかく、お前たちはその『光の泉』へ行き、そこにある宝を取ってきてほしい。宝を無事持ち帰ることが出来れば合格だ。お前達は一人前の探検隊として認められ、晴れてこのギルドからは卒業!というわけだ」
 にわかにギルドの中が騒めく。アカネもやっと状況を把握し始めたのか、そっと口元に手をやる仕草をすると、少し考えるようにして首を斜めに傾けた。
「そう聞くと随分簡単そうに聞こえるけど。ゴルディの話を聞く限り簡単なわけではないようだし……まさかお尋ね者と対峙するわけでもないわよね。罠でも仕掛けられてる?とにかく、その宝を取ってくればいいのね」
「そうだね…………頑張ろう、アカネ」
 カイトはそう言って穏やかに笑うと、軽く拳を握ってアカネの前へと差し出した。彼女はまるでそれが当たり前だとでも言うように、特に何の動揺も見せることなく自らの拳と軽くぶつけ合わせる。そんなことが当然のようにできるようになった程に、彼らの関係は一年前、彼らが海岸で出会った頃よりも変わっていた。
「ただ……気を付けてほしいことが一つ」
 そんな彼らの微笑ましいやりとりに、パトラスがとても言いにくそうな表情を作りながら横槍を入れた。そこはかとなく不穏な雰囲気がパトラスのその一言から広がり、おそらく何か大切な事……例えば、この試験を受ける上で重大なヒントと成り得る事。それが今から宣言されるのであろうということをその場の全員が察し、しんとギルド内は再び静まり返った。
「あそこには、とても恐ろしい……悪の大魔王が住んでいるんだよ」
「…………あ、あ〜……。悪の大魔王」
 アカネが呆れたかのようにその名を復唱した。『悪の大魔王』……『悪の大魔王』である。確かにおどろおどろしい雰囲気の言葉だ。しかし、この場で使うには少し緊張感に欠けているような、そんな気がする。 
 アカネが目を細めて『ふーん』と鼻を鳴らしていると、『悪の大魔王』に少し驚いた様子だったカイトが、少し汗を垂らしながらパトラスに聞き返した。
「悪の大魔王って……えっと、どれくらい悪の大魔王してるの?」
「うん。悪の大魔王はとても凶悪で、流石の僕でさえも一切かかわり合いを持ちたくないような……兎に角、そういう相手だよ。
 けど、まぁ、がんばってね♪」
「え、えぇ〜」
 少しげっそりとした表情のカイトを楽しそうに一瞥すると、パトラスは朝礼の終了を宣言した。
 その後、クロッカスの二匹は『卒業試験』に関しての説明をペリーから受けた。
 試験には開始時刻があり、それは昼下がりに行われるらしい。それまでクロッカスの二匹は準備を整え待機をしていてほしいとのことだ。時間が来たら特に確認を取る必要もない。そのまま『神秘の森』へ行き、『光の湖』のお宝を取ってきてほしい、とのことだった。
 卒業試験だと言えど、内容が内容である。『悪の大魔王』がいるという話もあるにはあるが、『悪の大魔王』どころか、時を司るディアルガにさえ立ち向かった事のある二匹だ。あまりイメージは湧かなかったものの、そこまで難しい内容だとも思えなかった。
 ということで、早々に準備を済ませた二匹は、とある場所で時間まで待機をすることにした。ギルド前に佇む看板。そしてその下へとつながるひっそりとした階段。その先に広がる『パッチールのカフェ』である。

 カフェはいつも通りざわざわと騒がしい。入り口から中に入ろうと店内に足を踏み込むと、桃色のリボンを付けた可愛らしいポケモンが笑顔で二匹を出迎えた。カフェの看板娘であるレイチェルだ。『ニンフィア』というここらでは珍しい種族のポケモンであり、二匹の以前からの顔馴染みである。
「いらっしゃいませ!!只今手前の席が空いておりますので、ご自由にお座りください」
「レイチェル、ひさしぶりね」
 軽く手を挙げて穏やかに声をかける。
「お久しぶりです、アカネさん、カイトさん!朝刊読みましたよ〜。早いですね……あれから一年だなんて」
 レイチェルは綺麗な笑顔を浮かべながら、何処か懐かしむかのようにそう口にした。『朝刊?』と、イマイチ話が分かっていない二匹は逆に首を傾げる。レイチェルがカフェの片隅にあるマガジンラックにちらりと目を向けると、不思議そうな顔をして口を零した。
「あれ、新聞読まれていないんですか?短い文章ではありましたけれど、レイセニウスさんが初めて新聞の記事に載せてもらったってことで大喜びしてうちに配りに来ましたよ?」
 レイセニウス。カイトの幼馴染であるフローゼルだ。少しプレイボーイの毛があり、お調子者ではあるが、意外と頭が回り気は優しい青年である。幼馴染であるカイトはあまり良いようには思っていないが、それでもレイセニウスの話をする時の彼の瞳は、親しい者へ向ける穏やかさ帯びている。
「あ、あいつ…………はぁ、ごめんね」
「いえいえ!むしろよかったです、皆少しずつ前進できていると思うと、本当に良かった」
「そうね。あれから一年経った……か。確かに色々あったけど、なんだか早かったような……そんな気がする」
 レイチェルとの会話を交えながら席に着き、二匹とも各々の飲みたいドリンクの注文を終える。ドリンクを受け取った後、二匹はドリンクを飲みながら、思い出したかのように『卒業試験』の話をレイチェルに聞かせた。
 『神秘の泉』に行かなければならないという事。その先にある『光の泉』のこと。その場に待ち構えているであろう『悪の大魔王』のこと。情報収集も兼ねて彼女に尋ねてみると、うーん、と小さく唸った後にレイチェルは口を開いた。
「悪の大魔王?」
「そ。ヘンテコな呼び名でしょ」
「そ、そうですねぇ……確かに。だけど、私はそんな『大魔王』がいるなんて話、聞いたことが無いです。ノギクさん、ありますか?」
 レイチェルは自分の斜め後ろに話しかける。誰もいないと思っていたその場所には、お盆に桃色のプリンのようなものを乗せてゆっくりと近づいてくるコジョンド、ノギクの姿があった。鮮やかな緑色の葉の上に綺麗に飾り付けてある桃色のプリンをそっとアカネとカイトの前に出すと、ノギクは唇に手を当てて首を傾げるが、少しした後に申し訳なさそうな顔をして首を横に振る。
 ノギクは印象から既に物静かな雰囲気のある女性だが、それ以上に言葉を発することが物理的に不可能だ。だから会話をする時は筆談にて会話を進める。このカフェに努めているレイチェルやパッチールのエルフは、彼女に対してはイエスorノーで答えることが出来る様な質問をすることが多い。そんな時はこうして、少し悩んだ後に首を振るのである。
「これ、くれるのかい?今日はお金は持ってないんだけど……」
 カイトが桃色のプリンを指さしてそう言うと、ノギクは穏やかな目つきでにっこりと笑い、コクコクと頷いた。彼女が切実なポケモンであることは知っていた。二匹はお言葉に甘えて、とそのプリンに手を付け始める。
「そういえば」
 数十分経った頃、プリンを食べ終えても尚椅子に座ってくつろいでいる二匹の前を通りかかったレイチェルが不意に口を開いた。
「朝から、おふたり以外のギルドの方々を見かけてませんねぇ…………」
「…………そうなの?」
 アカネは目を細める。カイトが少し古びている簡易な時計を見遣ると、針は既に正午を通り越していた。


ミシャル ( 2019/07/09(火) 21:40 )