0話 儚
”それ”は、少女の枕元にそっと寄り添うようにして、確かにそこに存在していた。
「わたし、いつかこの世界を旅するのよ」
少女は青白く輝く月を見つめながらそう言って笑った。少女の顔もまた、青白く輝く月に溶かされてしまう程に儚げなものだった。”それ”も、その言葉に小首をかしげた後に、つられて笑うように目を細める。
”それ”は自分が誰なのか知らなかった。
しかし、”それ”は確かに自分が其処に存在していることを知っていた。
”それ”は、自分が何をできるのかを分かっているようだった。
そして、何もできないことを知っていた。
「きっと世界は美しいんだと思う。わたしは、窓からの太陽と月しか見たことないけど、こんなに狭い場所で見るものでさえ、こんなにも美しいんだから。だから、ねえ。きっと、この世界はもっと美しいんでしょうね」
”それ”はその言葉を否定するように首を横に振ったが、少女はクスクスと笑う。少し、困ったような顔をしていた。そんな彼女に困惑してしまって、申し訳ないような顔をして肩と呼ばれるであろう体の部位をすぼめた。
「あなたは世界がきらいなの?」
世界を見てみたい、と宣う少女にこんなことを言ってもよいものか。そんな躊躇は一瞬湧き出ては直に沈み、”それ”は刻々と小さく首を縦に揺らす。悲しそうな少女の目が尚彼を見ていたが、彼は知っている。自分が何を言ったところで、少女の向かう先には何も待ってはいないのだ。
「あなたは世界が美しいって、そう思わないの?」
ああ、そうだ。思わない。
そう言葉にするように、再び首を縦に振る。
「じゃあ、わたしと勝負をしましょうよ。わたしが世界が美しいことをいつかあなたに教えてあげる。だから、あなたはわたしにそうではないことを証明するのよ。今じゃなくてもいいの、いつか……。
いつか、わたしと二人で旅をしましょう」