霧の湖の真実‐112
* * *
「……何が起こったのか、分からない」
ユクシーに『霧の湖』へ案内されている最中、目の前を歩いているステファニー、リオン、シャロットに気づかれないよう、アカネは小さな声で呟いた。ただ一匹、カイトだけに聞こえるように。
何が起こったのか分からない。グラードンにやられて起き上がった後、何故だか体が誘導されていたようだった。気が付いた時にはグラードンは地に伏していた。しかし、それをやったのはほとんどが『自分』である事が、不思議で不思議でならなかった。
自分には、あの『眩暈』以上に可笑しな能力がある。それは前々から知っていたことだった。彼女がそれをなんとなく確認したのは、クロッカス結成、カイトとの初依頼……『湿った岩場』での本格的なダンジョンでのことだった。
今では既に、カイトにしてみれば言われなければ思い出せないほどの記憶になっているだろう。『湿った岩場』での出来事。アカネとカイトのチームワークは見事にデコボコで、全くお互いを知りえなかった頃だ。
アカネは『電気技』の出し方が全くと言っていいほどわかっていなかった。当然である。元々人間なのだから、そもそもポケモンの使う『技』の出し方など知っている筈もなかった。
しかし、いきなり使えるようになったのだ。……それを客観的に見ていたカイトからは。
『さっきの電気ショックだよね?でもアカネ、使えない筈じゃ』
『私にも分かんないわ。ただ、急に………まぁ言ったって信じてくれるわけじゃないわね』
『え?何なの、教え……』
『先を急ぐよ。ここのポケモン達は怯えてる。長居するとやっかいとしかいえない』
過去のこんな会話。カイトは、アカネが電気ショックをいきなり使い始めた理由が気になり、この直後には『依頼が終わったら聞き出す』つもりであった。
しかし、その後の『湿った岩場』に潜伏していたお尋ね者との先頭にて、新たな問題が発生する。アカネの目が『赤く』輝いたのだ。
それを直接確認したカイトからは、『電気ショック』のことなど吹き飛び、依頼後も『赤い目』の話しかしていなかった。
結局、その真相を知る者は、現在アカネしかいない。薄々ながら、何かを自覚していたのだ。
「……同じようなことは今まで何度かあったよ」
「…………声が聞こえてきたの」
「声?」
アカネが言っていることが『謎の電気ショック』の事だということを、カイトは分かっていなかったが、慎重に進むユクシーを先頭にしたゆったりとしたペースの中で、霧の湖に出るのは少しだけ先に思える。なので、アカネにぐっと近寄り、頭を下げると彼女の声に聞き入った。
「湿った岩場で……初めて電気ショックを撃ったあの時、同じようなことが起こってた……かもしれない」
「……あっ。そういえば……」
周りに聞こえないよう、かなりの小声で話す。アカネからしてみれば、自分のことをあまり周りに知られるのは好ましくなかった。
「……あんたと違って、私は至近距離でしか攻撃できず、タイプの相性も悪かったあの時、正直私は真っ向から戦ってたら勝てないと思った。私は目を付けられる前に、一時先頭から離脱するつもりであそこから離れた。あんたがひきつけてるのを良いことに」
「……そ、そうだったんだね」
アカネのそんなカミングアウトを聞いて、カイトは多少ショックではあった。半ば、自分は囮にされていたのだということである。しかし、重要なのはその後、アカネが言いたいのは電気ショックの件だった。
「……勿論私が離脱したままじゃ駄目な事は分ってた。もう少し言えば、焦った。
……けど、声が聞こえたのよ。なんて言ったかは覚えてないけど……どんな声だったかは、印象で覚えてる」
『温かみがあり、品のある女性のような、美しい声質。頭の中に響く。多少ぼやけて、じわじわと体の奥へと入っていく、謎の声』
技の出し方をその時に直接教わった。何と言われたかは分からなかったし、教えられても技出しのテストをしてる暇はなかった。なのでアカネは、自分が本当に電撃技を使えているのが分かって少々驚いていたと言う。
「……体が勝手に動くような感覚。やってることは違ったけど、今回はあの感覚によく似てた」
これ以上のことは彼女には分からない。また謎が増えた。しかし、引きずり出された疑問を彼女によって打ち明けてもらったことで、カイトは少しすっきりした気分になっていた。
「あの後、お尋ね者と戦った時には目がすごい赤かった。あれは?」
「…………知らない」
心当たりはあった。しかし、分からないふりをする。否、心当たりがあるだけであって、それとこれと、頭の中でうまく結びつかなかったのだ。カイトに言うのは先延ばしに、と思い、アカネは口をつぐんだ。
「……そっか。話してくれてありがとう。なんか新鮮だね!」
「ちょっと、声でかい」
アカネはいつもの冷ややかな視線をカイトに浴びせた。そういえば、それすらも懐かしいように感じる。現在遠征中。しかも、かなり重要なところだということを思い出す。
「ごめん。でも、アカネさ。自分は可笑しいとか、そういう変なことは思わないでほしいんだ。思ってなかったら、すごく失礼だけど。
確かに変わってるよ。でも、それで誰かに迷惑掛けてるわけじゃないんだから」
「……そうね」
アカネは微かに微笑する。彼女はカイトが言ったようなくだらないことを考えていた。それすらも、あっさりカイトによって埃のように払われてしまったのだから、笑うしかない。
ごつごつとした岩壁に囲まれる道をしばらく歩くと、ユクシーが「ここです」と、ストップをかける。
気が付けば、すっかり辺りは暗くなっていた。あれから大分時間がたったのだろうか。眠っているような遅い時間ではないと思うが、どうも時間の感覚が狂う。それもまた、この不思議な地の神秘なのだろうか。
「辺りがすっかり暗くなってますね……」
「時間が経ったって事だね〜」
シャロットとステファニーはそう言って辺りを見渡す。よく見えない、ということもないが、多少見えづらくはあった。
しかし、少し先は湖。湖の中心部分にバルビートやイルミーゼが集い、光を放ちながら舞い踊る。その光のみで湖は照らされ、光も水面に映り込む。幻想的な光景とは、まさにこのことを言うのだ。
「もう夜になっているので、少し見づらいですが。
ご覧ください。ここが、霧の湖です」
『霧によって隠された湖』。確かに、幻とされる場所は存在した。それを知っていたリオン以外は、感情が心からあふれてくるのを感じる。皆、目の中に美しい『光』を映した。
「……すごい。こんな高台に、こんなにも大きな湖があるなんてさ……」
「イルミーゼやバルビートが飛んでて、光が飛び交って……なんて綺麗なの……」
カイトとステファニーは、その美しさに驚嘆する。シャロットはもはや無言でそれを見つめ、ただただ目に焼き付ける。
アカネはというと、そんなに大きなリアクションはしないが、彼女の目の中にはしっかりと輝く湖と無数の光が映り込む。それが、現在彼女がずっと見つめている光景だった。
「ここは、地下から水が絶えず湧き出ることで、大きな湖になっているのです」
「だからあの湿度か……」
リオンはぼやいた。ここに来るために通ってきた『洞窟』の異常な湿度。おそらく地下から湧き出る水が影響しているのだ。苦労させられたため、それを一緒に聞いたステファニーは冷や汗を垂らした。
「湖の中央に……光っている物が見えますでしょうか?」
「……あ、見えるよ。湖の底から伸びてる、あの青緑色っぽい光のこと?」
「はい。それです。
どうぞ、前に行ってよくご確認ください」
ユクシーはそう言って、湖に近づくことを促す。警戒しているリオン以外は遠慮しつつも、湖のすぐ傍へと寄った。
青緑色の光に包まれ、その姿は時折輝く。特徴的な凹凸があり、誰も見たことが無いようなものだった。光を透かして見れば、青色をしている。それは輝きに満ち、力強い生命力を感じる。全員その目で、それをしっかりと確認した。
アカネも前に出て確認すると、『ベースキャンプ』で感じたような、妙な感覚に襲われた。
(……何?あれ。わかんないけど……変な感じ。
胸騒ぎがするわね……心音が、意識していないのに自分でも聞こえる)
アカネは首を傾げた。一体あれは何なのか。何故、あれを見ると妙な感覚に襲われるのか……当たり前ではあるが、分からない。
「す、すごい綺麗だ……」
「………………時の歯車」
「……えっ!?」
「え!?あれがですか!?」
ステファニーは、その不思議な物体を見つめながらポロリとそう言い零した。『時の歯車』と。
その言葉に、カイトやシャロットは目を大きく見開き、驚愕する。誰も『見たことが無い』と言われる『時の歯車』、それが、あの美しく神秘的な物体だというのだ。
「そうなのか?ユクシー」
リオンがユクシーの口から言わせようと、ユクシーに確認する。ユクシーは小さく頷くと、「そうです」と短く回答した。
「あそこにある時の歯車を守る為に、私はここにいるのです。これまでにもここに侵入してきた者が居ましたが、その都度グラードンの幻影で追い払っていたのです」
ユクシーは、あの『グラードン』が、自らの力で作り出した幻影であることを告白した。驚いた顔をしたものの、皆多少疑問には思っていたらしく、かなりすんなりと受け入れられるような空気になった。
「グラードン……あれは幻影だった。私たちの攻撃の圧力に耐えられなくなって消滅したと?」
と、ほぼ大半を一匹で倒してしまった本人のアカネはユクシーに確認した。またもユクシーは小さく頷くと、手を全員がいる場所に重ならないように上げた。
「私の念力で作り出した幻です。こんな風に……」
ユクシーはイメージを頭脳に集中させ、一気に上げた指先から放った。一瞬にして、彼らが先ほど戦っていたグラードンの巨大な姿が浮き上がる。「わっ!」と、カイトは驚いて一歩か二歩退いた。
「自我と実体のある幻……もはや創造に近いかもしれないな」
「いえ、私が行うこれを創造と呼ぶなど、身の程知らずにも程がありましょう。
先ほども言いましたが、これはあくまで私の作り出した『幻』です。
そして、あなた方のように幻影に打ち勝ち、ここに到達する者もいましたが、そう言った者たちには、今度が私が『記憶を消す』ことによって、私はここを守り続けてきたのです」
「…………そう、なんだね」
「私たちも例外じゃないってことですね……」
『記憶を消す』……その言葉に、アカネとカイトは顔を見合わせた。アカネは周囲に知られることを望んでいない。とすれば、ユクシーにこっそりと聞き出すしかなかった。
「時の歯車見られるのはこれが最初で最後かもしれないわね。よく見ときなさいよ」
アカネがそういうと、シャロットは「はい!」と、元気良く返事をして食い入るように時の歯車を見つめた。しかし、こんな時に返事をしそうな筈のステファニーは、ただボーっと『時の歯車』の方を向き、以前口や体を動かすことは無い。それほどまでに感動的なのだろう、と思い、誰も気にすることは無かった。
他の意識が霧の湖に集中しているうちに、カイトはユクシーに小声で話しかけた。「尋ねたいことがある」と言って、ユクシーが霧の湖を監視でき、かつ声の届かないような場所へアカネも連れて移動した。
「なんでしょうか?聞きたい事とは」
「単刀直入に言うけど、ここにいるピカチュウ……アカネは、現在はポケモンの姿だけど、もとは……人間だったんだ」
「えっ!?にっ……」
ユクシーは、驚きのあまり、少し大きい声を出しそうになる。カイトが慌てて指を自らの口に当てて静止した。小声で話しているため、シャロットやステファニー、リオンは気づかない。セーフである。
「……あまり周りには知られたくないから」
「し、失礼しました」
「……アカネは、人間だった時の記憶を失くしてる。だから、こういう仮説を立てたんだ。ここに以前アカネは訪れ、ユクシーに出会って記憶を消されてしまったのかもしれない、と。
犯人扱いして申し訳ないけど、どうかな?そんな人間がここに来たとか、ユクシーは何か覚えてない?」
ベースキャンプにて『犯人をボコボコにする』宣言をしていたカイトだったが、さすがにそこまではやらなかった。しかし、この状況下で心臓が唸っている。早く答えを出してほしい、そう思った。
「……いえ、ここに人間が来たことは一度もありません。
それに、私が記憶を消すのは、この湖に来た記憶のみ。すべてを消し去る程の力は、私にはありません。
ですので、そこの方が記憶を失くされ、ポケモンになってしまったのは、また別の原因があるのではないでしょうか?」
その回答を聞いて、カイトは浅く息を吐いた。結局、進展するどころか謎は深まるばかりである。アカネも、「そう」と、短く返事をしているものの、その表情はどこか期待はずれ、という気持ちがダダ漏れで、残念そうである。
「アカネは来てなかったみたいだね……」
「……わかってるわよ」
アカネは唇を尖らせ、すねたような目をした。そんな彼女の反応に、カイトは心臓を鷲掴みにされるような感覚に襲われるが、何とかニコニコポーカーフェイスである。
「お?」と、ユクシーは柄にも無くその様子を観察していた。
真相やその他がひと段落したところで、全員の視線は時の歯車に向けられる。ユクシーは迷っていた。この者達の記憶を消すか否か。本来ならば消すべきなのだが、なぜか『消さなくても……』という考えに揺らいでいた。
「ステフィ、お前大丈夫か?」
「…………ぇ?あ、うん。大丈夫。綺麗だからつい………………」
輝きを映している目には見えないが。リオンは、そう思ったが、一々突っ込んでいてもどうしようもないと、黙って時の歯車を見つめる。今すぐ掌を突き出し、それを自らの手に収めたいという衝動を抑え込みながら。
「……まぁ、いい。そんな簡単に分かるわけないから……仕方ない」
「そうかもしれないね。……うん。そう、だね」
表情の無い顔で、瞳だけに輝きを映し込みながら時の歯車を見つめる彼女を、カイトは目を細め、横顔を見つめた。
「アカネ、綺麗だね」
「そう?……かもね」
嗚呼、やっぱ分かんないか。カイトはがっくりと肩を落としたが、意味は違えど言葉は変わらない。目の前の光景が美しい。静かな湖に舞う光達に、中央に光る世界の心臓。
胸が高鳴るほどに、美し……
「時の歯車かぁぁぁ〜〜〜残念♪」
完全にムードぶち壊しの声が、静寂の湖に響き渡った。その声に全員が一斉に振り向くと、そこには楽しそうに散歩しているような顔つきのパトラスが、相変わらずの読めない表情で佇んでいた。
「時の歯車は、さすがに持って帰っちゃだめだもんね♪参った参った♪」
「ぱ、パトラス!?」
いきなりの乱入者に、思わずカイトは彼の名前を呼んだ。しかし、パトラスは自分の名前を呼んだ声を無視しているのかしていないのか、『わぁー♪すごーーい♪』とはしゃぎながら湖の光景を乗り出すようにしてみていた。
彼の明らかな浮き具合に、思わずユクシーもドン引きである。少し考えれば直ぐにわかったはずなのだが、とっさにユクシーは「この方は?」と尋ねる。
「あー……僕たちのギルドの親方だよ。言ったよね?彼がギルドマスターのパトラス」
ユクシーは唖然とした。想像していたタイプとは少し……違ったらしい。
「初めまして〜♪友達友達♪」
パトラスはユクシーにテンション高めで声をかけると、更にうろちょろし始める。
「わーい♪君すごいね!友達友達!」
と、グラードンの幻影にまであいさつし始めた。
「一段とテンションが高いですね……」
「…………そう、だね」
うろちょろするパトラスは、最終的に結局は霧の湖の奥を食い入るような形でまとまった。
「それにしても素晴らしい景色だよね〜♪来てよかったよ♪ルンルン〜」
一匹でルンルンしているパトラスを見て、ムードが完全にぶち壊しになった……などと言ったら、おそらく霧の湖がどうとかどころではなくなるため、皆無言で冷や汗を垂らし、パトラスの動向を眺めていた。
一方で、その他のギルドメンバー達は、洞窟を抜けた先に『グラードン』がいないことから、着実に霧の湖へと近づいていた。霧の湖の一歩手前。すでにアカネ等がグラードンと戦った地点は通り過ぎ、既に霧の湖はもう少し!というところだった。
「……ふぅっ!やっとついたですわ!」
「一息ついてなんかいられないぞ!急ぐのだ!」
やっと道の切れ目が見えてきたころ、フラーは一安心して足を止めた。それに合わせるようにメンバーたちは足を止め、周りの状況を確認する。そんな彼らに対し、アドレーが足を進めるように促す。
「ヘイ!あっちに誰かいるみたいだぜ!行ってみよう!」
ヘクターは出口を自慢の鋏で指示す。その場所には何匹かのポケモンが確認された。それを希望にするかのように、メンバーたちは一層足を速めて走り続けた。
やっとこさ湖に出た……と思い、メンバーたちが一息つこうとして一番に目に入ったのは、巨大なポケモンだった。全員がこの形を見たことがある。色などついていなかったが、この特徴的な姿、今日の今日、とっくに見ていたものだ。
「ぎょぇぇぇーーーーーー!!?」
「グッ……グ、グググ、グゥ…………」
「ハッキリ言ってよ!グラードンってぇ!!」
「キャーー!!」
ユクシーが幻影を作り、そのまま置きっぱなしにしていたグラードンに、ペリーはナイスリアクションで絶叫し、ゴルディは腰を抜かし、フラーは事実に驚きつつ、そんなゴルディに苛立ち叱咤する。ベルは『怪物系』は苦手なのか、その女性らしい清楚な声とは裏腹に、怪談に出てきそうな見事な叫び声を上げる。
「へ、ヘイ!オイラ食べても不味いぞ!!喰わないでくれぇぇぇ!!」
「まぁ、一番食べられそうなのはヘクターでゲスけどぉ!!」
「まぁそうだな。ヘェェェーーーーイ!?」
グーテの発言に全員が首を上下させる。一番食べられそうなのは確かにヘクターである。
「やぁ♪みんな、どうしたの?」
「お、親方様ぁ!!なんですかコレェ!?」
グラードンが幻影だということをしっているアカネ達はひたすらにペリーに対して呆れた表情を見せていた。自分たちでもここまでナイスなリアクションはしなかった。と、冷たい目でペリーを見ると、すぐに視線を湖の中央部分へ向けた。
「そんなことより、見てごらんよ♪今、丁度吹き出し始めたんだ。すごくきれいだよ〜」
ペリーをスルーすると、それよりも〜。と、パトラスは湖の方を見ることを全員に促す。隅の方に置きっぱなしにされた状態のグラードンにびくつきながらも、メンバーたちは霧の湖の中央部分が見える場所へと詰め寄った。
「うわ〜。綺麗……」
「綺麗でゲスね……」
その光景に、またもメンバーは驚嘆の声を上げる。
先ほどまで平面だった湖の中心から、水が大量に吹き出し、噴水のように景色を彩っている。光と光が混ざり合い、景色と湖の中に溶ける。噴水が沸きだすと、その周りを舞うかのように飛び回るバルビートやイルミーゼは、先ほどの平面の湖以上に魅力的で美しい景色である。
「この湖は、時間によって間欠泉が吹き出すのです。まるで噴水のように。
そして、水中からは時の歯車が、また、空中からはバルビートやイルミーゼ達が噴水をライトアップし、あのような美しい光景になるのです」
ユクシーがゆっくりと解説した。これは自然の力……誰かが手を加えたわけでもないのだろう。自然によって作り出された美しい光景だ。
「きっと、霧の湖の宝って、この景色の事だったんだね」
パトラスは、湖から放たれる光に照らされ、柔らかくほほ笑む。皆、その光景の美しさに取りつかれたかのように、目を細め、頬を紅潮させ……。様々な仕草を見せる中で、面々はいったい何を思うのか。
噴水によって光の範囲は増し、それに照らされたカイトは、目を細めながら言った。
「……ねぇ、アカネ。見てるかい?」
「見てる」
「ホント、綺麗だよね。本当に知りたかった事が分からなかったのは残念だけど、でも、僕ここに来れて……君と、みんなと一緒にこんなに綺麗なものを見れて、よかった。本当にうれしいよ」
「……そうね」
そんな言葉に、アカネは短い言葉で返した。この気分を何と言っていいのか分からない。でも、自分がここにきて全く後悔していないのだと、そう思っていることはわかっていた。
(来て損はなかった、と思う。まぁ、考えるべきことが増えたけど。
ユクシーは私のことを知らないと言った。それが真実かは分かんないけど、ユクシーのあの反応は、たぶん嘘ではないのでしょうね。
私がどうしてこの場所を知っているのか……いや、知っているような気がしたのか。それは分からないけど、気のせいでは片付けたくはない。
それに、あの時の歯車……あれを見てるとなんか、モヤモヤとする。気持ちが燻る……)
複雑な気持ちに浸りつつも、目の前の光景をいつまでも覚えておきたいと思った。これが遠征の収穫。形あるものは何も持っていない。けれども、形が無いと言って得たものを零してしまうには、とても惜しい。そんな経験、そんな出来事だった。
「ねぇ、ありがと」
「あ、え?ど、どうしたの?」
「……お疲れって意味」
「そっか。じゃ、アカネ。お疲れさまでした!」
カイトは柔らかく笑うと、彼女に返事を返す。一方、柄にも無くそんなことを言って、アカネは顔を伏せた。
これから立ち向かうべき疑問も増えてしまって、これから先も頭を悩ませることになるだろう。
しかし、失った物は何もない。それに対して、きっと得た物は大きい。必ずあるのだ。
「色々とお騒がせしました♪そして、本当に楽しかったよ。友達友達〜♪」
「……私は、あなた達の記憶は消しません。あなた達を信頼しているからです。ですので、このことはくれぐれも、漏らすことが無いよう。秘密にしていただけませんか?」
「うん、ありがとう。わかってるよ♪最近、時の歯車を盗まれる事件もあって物騒だしね♪
ここのことは、絶対に誰にも言わないよ♪……ギルドの名に懸けて、ね」
パトラスは強い意志を持った目でユクシーにそう答えると、ゆっくりとほほ笑んだ。メンバーたちも『一切口外しない』と誓う。
「よろしくお願いします」
「それじゃ、僕たちはそろそろお暇するね♪
……ペリー!」
「はいっ!親方様!
それでは、みんな……ギルドに帰るよーーー!!」
おぉー!!という掛け声が、霧の湖に響き渡る。ギルドで『出発』の際に張り上げた、霧の湖への思いは、この場所へとしっかり届いていたのだろうか。
こうして、長かった遠征も終わり、パトラスと、その弟子達は、ギルドへ帰るために、霧の湖に別れを告げ、身を翻したのである。
「……何故、記憶を消さないと決めた?」
「……疑い続けるだけの年月でした。ここに訪れたのが皆さんだけでは、記憶を消さない……と、明確に決意しなかったでしょう。
しかし、パトラスさん。彼は……特別です。また、彼の弟子達も……彼の特殊な正義感を受け継いでいるのかもしない。ただの希望論に聞こえるかもしれないですが……ずっと、誰かを信じたかった。
あなたもその一匹です。くれぐれも、約束をお守りください」
霧の湖の真実を知ったギルドのメンバーが、もと来た道を帰っていく。それを見送るユクシーは、問いに対してそう回答した。過去の出来事が現在と繋がっている……。それを確認すると、疑問を問うた者は、ユクシーに対して肯定するように頷き、微かに口角を上げた。
「……少し喋りすぎてしまいました。夜中には夜行性のポケモンたちが騒ぎます。どうぞ、お気をつけて」
ユクシーはそういうと、身を翻してギルドメンバーの方へと戻ろうとする者に、別れを告げた。
「ステフィ!置いてくぞ!」
「あ、ごめんごめん!今行くねー!」
無垢で美しい、天使のような笑みを浮かべた彼女は相棒の声に応えると、ごつごつとした帰路を、月光に照らされながら、軽やかに駆け抜けた。
――――――――景色が、変わっていく