湖の守護者‐110
* * *
洞窟を抜け、霧の湖があるであろう突出した岩の頂上らしき場所へと訪れた一行。この先にいったい何があるのか、前に進もうとした矢先、待ち構えている者がいた。
大きな足音、叫び声を上げ、その巨大かつ強大な姿を一行の目の前に表す。頑丈そうで、赤く大きな体。鋭い目つきに、なんでも入ってしまいそうな大きな口、鋭い牙。その外見は一般のポケモンとはどこか違う、神々しい形である。
カイトはそのポケモンを見た瞬間に息が止まるかと思った。その姿は石像の……まさに『グラードン』だったからである。
「グオォォォォォォォ!!!」
威嚇するように一行に向かって咆哮を放つ。地面は軋み、体は吹き飛ばされてしまうかのような錯覚に襲われた。
「ぐ……らーどん……?」
「本の中でしか……これ、本物……!?」
グラードンらしきポケモンは、大きく鋭い瞳で全員をくまなく睨みつける。追い払う気満々。しかし、引き下がらなければ殺される危険性も考えられる。彼は凄まじい殺気を放っていた。
「……お前達!ここを荒らしに来たのか!?」
「え?」
理性の無いポケモンだとばかり思っていたが、その印象が一瞬で覆った。言葉を話せる。意思がある。カイトの両親が出くわしたグラードンのように、暴走しているわけではない……理解する力も有るはずだ。
これならば、多少話は通じるかもしれないと思い、カイトは頭の中を廻り続けるグラードンについての情報を抑えながら、一歩前へ出た。
「帰れ!!!」
「僕たちは……霧の湖を探しているんだ。ただ、この先に何があるか知りたいだけだ!」
「何……!?霧の湖!?我が名はグラードン!霧の湖の番人だ!侵入者は生きては帰さん!!」
「あんた、話を聞く気はさらさら無いみたいね!」
「侵入者の話に耳を傾けるなど言語道断!帰る気が無いのなら、我が葬り去るのみだ!」
グラードンが攻撃を放とうと腕を大きく開き、わざとらしく唸ってアカネやカイトを威嚇する。どうあっても、この先に行くには戦いは逃れることが出来ない。
苦戦を覚悟し、アカネ達が戦う覚悟を固めた瞬間だった。グラードンを冷めたような目で見つめていたリオンは、いきなり弾かれたように走り出し、巨大なグラードンの体の横をするりとすり抜けた。そして、一行が向かおうとしていた場所へと一直線に向かっていく。
「っえ!?あ、リオン!?」
「何ッ!!?」
リオンは一直線に先へ先へと進む。後ろを振り返ることなど一度もなかった。
「り、リオン……!?どうしたの!?」
ステファニーが不安気な声を上げた。この状況の中、こちら側で戦うポケモンは多い方が断然良い。しかし、それ以上に彼の行動が不審だった。ここまで自分勝手に動く彼は、彼女が知る限り見たことが無い。どれだけステファニーが大量に本を買い込んで、リオンがそれを咎めようとも、彼は一度も彼女の書物を勝手に動かしたり下手に触ったりした事は無い。仕事の依頼も自分勝手に決めて決行しようとしたことは無い。
こんな状況ならば尚更である。一匹でも多くの力が必要だとわかっている今、どうして……!?
ステファニーは不安だった。というよりかは……ショックな気持ちに沈み込む。
「ッ……リオンの事は後回し!こいつ倒さなきゃ先に行けない!……殺されるわよ」
アカネは多少戸惑いながらも、目の前の敵に集中する。実際、殺されるかもしれない危機の中にある。他に気を取られていては……殺される。
「確か地面タイプが主だった筈……リオンが一番有利なのにっ」
「不意を突いて逃げるという手もない訳じゃありません……!現にグラードンはリオンさんを追ってないし、気が立っている今、思考回路はかなり単純なものになってるはずです!不意を突くのは可能かと!」
シャロットがステファニーを落ち着かせようとフォローする。元々は大陸を作り出したと言われるポケモンである。
カイトはふと思った。自分の知識の中にあるグラードン……。確かに相手からはプレッシャーと殺気を感じるが、先に行ってしまったリオンに対して施すような仕草を何もしない。
あえてしていないのか、それとも気づかれないように実行しているのか……。
あるいは、何か理由があって、大地を動かすことができるような力を使うことが不可能なのか?
完全にグラードンはアカネ達を敵とみなし、ただただ唸るだけである。話をまともに聞いていない。
戦わなければ分からない……。ついさっきたどり着いたばかりの頂上は、一瞬で完全に戦場へと変貌した。
* * *
一方で、ヘクターの証言からクロッカス一行の足取りをたどっているギルドの遠征メンバー達。彼らもグラードンの咆哮を聞いた直後からあの洞窟を見つけ出し、現在その洞窟を駆け抜けているところであった。
「はぁ、はぁ……うぅ、熱いですわっ!」
草タイプのキマワリにとっては地獄の暑さである。彼女やほかのポケモンの足取りは重いが、それでも先ほどの咆哮を聞いてしまっては休んではいられない。メンバーたちはひたすらに足を動かし、経験を積みかさねてきた戦闘力で出てくる敵を蹴散らしていた。
「ヘイ!ペリー、走りながら聞きたいんだがよ……!ペリーは知ってるかい!?グラードンってポケモンのことを!」
「馬鹿にするな!私は情報屋だぞ!
グラードンは……神話の世界に語り継がれた伝説のポケモンだ!」
「伝説のポケモン!?」
メンバー達の中には『英雄伝説』を知っており、カイトの両親であるサラとガリュウが実際にその『グラードン』と対峙したという記述があることを知っている者もいた。しかし、それが真実かどうかは、カイトが言っていたのを直接聞いたヘクター以外は確定した事実として信じていない者がほとんどである。
「そうだ!言い伝えによれば、大地を盛り上げて大陸を作ったポケモン……と知られている!」
「ヘイ!カイトの母ちゃんや父ちゃんが戦ったって、あいつがいってたの直接聞いたんだがよ……!もしも、もしもだぜ!?俺達みたいなのがグラードンと戦ったら……どうなるんだい?」
「馬鹿を言うんじゃない!とんでもないことだ……サラさんやガリュウさんの才能や力ならば、それを打ち破ることが出来たかもしれないが!もしもグラードンと戦ったとしたら……!
そのポケモンの命は無いと思った方がいい!それほど強いのだ……伝説のポケモンは!」
ペリーが苦し気にヘクターの質問に答えていく。ペリーの回答は……場面を変えてみてみれば、クロッカス一行が現在『命の危機』に晒されていることを明確に表しているのだ。
* * *
頂上では、グラードンと正面から戦うことを決心したアカネ、カイト、ステファニー、シャロットが、それぞれ体を強張らせ、こちらにも戦う意思があることをグラードンに示していた。
リオンの安否は未だに不明ではあるが、それに構っていられない。仲間の安否や真意も気になるが、真っ先に目の前の敵を倒さなければ、自分たちに未来はない……。勝てる見込みは薄いものの、絶対に勝てると。そう腹をくくり、グラードンを睨みつける真剣な顔つきが面々に見られた。
そんな彼らに、苛立った様子が増したグラードンは、勢いよく腕を振り上げ、彼らを叩き潰そうとギラギラとした爪を叩きつけるように下した。そんな攻撃は予想の範囲内だったため、全員が体制を崩すことなくその攻撃を避け切る。電気技がほとんど効果なしと見たアカネは、物理で攻めていくことを決めるとグラードンに向かって走り出す。一方、カイトは『竜の波導』を体に巡らせると同時にアカネのフォローをしようと体を強張らせた。アカネが『電光石火』でグラードンに突っ込んだのを確認し、彼女の体がグラードンの体から離れたのを見計らって『竜の怒り』をグラードンに向かって放つ。竜の怒りの衝突でグラードンの体が揺らいだ隙に、アカネはグラードンの体から極力離れる。
攻撃は効いていた。全く効果が無いなどということは無く、むしろ予想以上のダメージになっていると見た。体がかなり硬いであろうグラードンに真正面から衝突しても、アカネ自身はあまり反動を受けていない。
……本当に伝説?
その様子を見ていたステファニーは疑問に思うも、アカネとカイトが真剣に倒すつもりで真正面からぶつかっているのを見て、すかさずシャドーボールを放つ為に体にエネルギーを巡らせる。シャロットは喉の奥に『炎』を溜め込むと、火炎放射ばりの威力である火の粉を発射した。火炎放射のそれには多少劣っていようとも、彼女の攻撃は確実にグラードンに命中する。グラードンは『切り裂く』を繰り出し、その『火の粉』をかき消すと、『マッドショット』をすかさずシャロットに向けて発射した。
間一髪で避けたものの、グラードンが発射した巨大な泥の塊に、彼女の全身の神経が逆立つ。もしもアレに当たったら……運が悪ければ死ぬ!相手の防御力は高いとは言えないが、攻撃力は別である。それを計るために当たってみる自信は無い。目の前で砂埃を上げながら弾けた『マッドショット』を見て、シャロットはそう思った。
マッドショットを打ち終わったグラードンの横顔に、すぐさまステファニーは『シャドーボール』を打ち込む。数個飛ばしていたため、そのうちの何個かは確実に当たっていた。 グラードンが動きを止めた一瞬を見て、アカネはグラードンの後ろ側に回り込む。グラグラと大きく揺れる巨大な赤い尻尾を避けながら、自らの尻尾でトントンと床を叩き、一気に尻尾をバネにすると、そまま尻尾を鋼鉄のように固くする。グラードンの背中めがけて『アイアンテール』を叩きつけた。
「グゥゥゥ……!」
「ふ、はぁっ……!?」
アイアンテールを叩きつけた瞬間に、動きを止めていたはずのグラードンがいきなり腕を大きく振り回しはじめる。アカネが地面に着地する前に、その腕は空中で動きが取れない彼女を勢いよく叩き上げる。弾かれた彼女の体は、一直線に地面へと激突した。
「ぐぁっ……」
地面にぶつかった衝撃で、体内の空気が口から絞り出される。アカネは体の痛みで動くことが出来ず、そのまま地面に伏している。そんな彼女を見て、全員目を見張った。
「アカネ!」
カイトはアカネの方に向かおうと、グラードンの無茶苦茶に動いている巨大な尻尾を避けながら走り始めるが、一方でステファニーやシャロットはとあることに気づく。
グラードンの腕が動かなくなっているのだ。
「腕が動いてない?」
「もしかして……麻痺してる!?」
アカネが自信の特性である『静電気』を、アイアンテールを打ち込むと同時に背中側から流していたのだ。アカネ自身はダメ元でやっていたが、意外にもグラードンの体は麻痺して一部動かなくなっている。全身とまではいかないが、これで少し戦い易くなった。
カイトはアカネの体を背負うと、グラードンから死角の岩陰に彼女を下ろした。バッグの中からオレンの実を漁り、力いっぱい握りしめ、オレンから垂れた汁をアカネの口の中に流し込んだ。
「…………」
「アカネ、ここで少し休んで。オレンの効果が出る筈だから!」
「………………」
そう言ってアカネにオレンの実をもう一つ握らせると、カイトは再び戦場へと戻っていく。そんなカイトの後姿を見ながら悔しそうな顔をしつつ、辛うじて動かすことが出来る手でオレンの実を握りしめると、アカネはそれを口に運んだ。
「…………まだ……」
――――――――まだ、私だってやれる。
彼女の、無謀で固い意志が影響したのだろうか。
ふ、と体が軽くなったような気がして、アカネは何回か齧っただけのオレンの実を床に置く。先ほどまで痛みで全く動かなかった筈の体が、不思議と軽く動いていた。
いつもよりも軽い。普段生活しているときよりも、軽くて動きやすい。どうしてだろうか?痛すぎて、もはや痛覚が麻痺しているのか?死の直前は体が非常に楽な状態になると言う。いや、それだとやはり動かない筈だ。
視野が明るい。地面を踏みしめている感覚が繊細に伝わってくる。にもかかわらず踏みつけるときの衝撃は全く感じない。極端に言って、地面を踏みしめるたびに体がふわりと浮かんでいるようだ。
グラードンに向かってひたすら走る彼女の感覚は変貌していた。麻痺の所為でうまく体を動かせず、無茶苦茶に体を振り回すグラードンに向かって『アイアンテール』を振りかざそうと、尻尾のバネ無しで地面から跳ね上がる。
攻撃を仕掛ける。そのために、グラードンの背後を鋭く睨みつけた彼女の目は……。
轟々と燃え上がる青い炎のように鋭く輝く。その瞳と同色の青い光が、彼女の体を一瞬で包み込んだ。
『その力』は、その時初めて明確な姿を現したのだ。