パトラスの本音‐107
* * *
面倒な邪魔者、ドクローズをパトラスに投げ、霧の湖の探求へと進む一行。彼らは先ほどと同じ『湿地』を進み続けていた。
足元に生えた豊かな苔や草、見るからに清潔そうな水。カイトとシャロットは水っぽい場所が種族上苦手なため、少し微妙な気持ちで歩いていた。楽しみ、けれどなんだか嫌だ。でも楽しみ、でも足元が……という具合である。一方で、アカネは湿度が気になる。先行く度……霧の湖があるであろう場所へと近づいていく度に湿度が高くなっている気がするのは気のせいだろうか。と、顔を腕で軽くこすった。湿度が多くても体に影響はないが、おそらくこれは種族上の毛嫌いである。元々、『人間』という存在も、湿度が過剰なのは好まない。その逆もあるのだが、ともかくアカネは身体の周りに張り付く違和感が気になって仕方が無かった。
「……なんか、気持ちいいね。ここ」
「足元以外は割と、ですね……。なんか肌をパックされてるみたいな〜」
「…………熱いだけだろ!」
熱い……とまではいかないが、なんとなくモヤモヤとした湿度の高さである。気温も上がっており、これは環境の『変化』を表している。となると、この先にそれを発生させるような何かがあるということになる。
「パック……にしては、ちょっと肌に悪そうだね……」
「え?そうですか?」
「……特にあんたには大好物ね……特性『貰い火』だから」
「あ、そっか。じゃあこの先、私結構有利かもしれないってことですか!?」
「……………あっ!ねえ、なんかあったよ!」
カイトは何かを見つけたようで、手を前に突き出してとある場所を指さす。『霧の湖』があるであろう場所の根元付近である。一見巨大な山に見えるものは突出した岩であり、その根元には大きなが入っている。カイトはそこを指さしていた。
「これ……水蒸気出てるね。湿度たか〜……」
おそらく、湿度や気温が急に変化した理由はこれである。根元の大きな亀裂、洞窟の入口のようにも見えるが、その横には無数の小さな穴が開いており、そこから湯気のような水蒸気が多量に噴出していた。嫌な予感しかしない。
「……この中、すごい暑かったりするのかな?」
「でしょうね。湿度も相当高いわよ」
「躊躇してても始まらない。行くぞ」
「……あっ、うん」
リオンを先頭に、全員が洞窟の中へと進んでいく。
ステファニーはまたふと思った。こんなに積極的だったかと。先ほども何度か思ったことではあるが、どうも違和感がある。
…………この先に、私たちの求めている者とは違う……何かがあるのだろうか?
ステファニーは目の前に広がっているのがダンジョンだということに気づくと、思考の海から上がり、目の前に広がる光景を受け入れたのだった。
* * *
丁度、一行が『霧の湖』へと繋がるダンジョンへと足を踏み入れたころであった。
未だに、ドクローズとギルドの親方・パトラスは、グラードンの石像の前でにらめっこを続けていたのだが―――。
「あ……兄貴ー……どうしたんですか……?」
「こうしてにらめっこして……大分経ちますけど……」
ドクローズのリーダー、グロムの子分であるエターとクモロは、ひそひそ声で彼に語り掛けた。パトラスに足止めされ、クロッカス、ブレイヴとその他一匹が霧の湖の探索へ向かってから今に至るまで、グロムは一言も発さず、挑発をしているのか面白がっているだけなのか、やたら話しかけてくるパトラスをひたすらに睨み続けていた。
「はやいとこ、片付けちゃいましょうよー……」
「どうしたの?友達?さっきから怖い顔しちゃって〜。
あ、もしかしてこれってにらめっこ?もう、早く言ってよ〜!僕負けないからね!ベロベロ、ンドゥバー♪べろべろ、んどぅばぁ〜!」
この空気を表す言葉が、グロムの中ではどうしても思い浮かばず、また、エターやクモロもこの状況に対する気持ちが一気に限界へと近づいていった。辛すぎる。この空気の中じっとしているのが、どうしても苦しい。
尚ふざけるパトラスに対し、グロムはついに最終的な決断をした。
「おい!パトラス!」
「どわぁぬにぃ?」
「悪いが……貴様には、ここでくたばって貰う!」
グロムとクモロは横一列に並ぶと、準備満タンとなっていた『毒ガススペシャルコンボ』を発射した。今までの攻撃よりも何十倍も強い威力の筈だ。グロムは『上出来だ』と笑う。濁った色の空気に埋もれたパトラスは、彼らの視界から一時姿を消した。
嗚呼、勝った!勝った!全国的なギルドの中でもトップのギルドマスター!プクリンのパトラス!!なんだ、楽勝じゃねぇか!
無謀なほどに、グロムのその顔は快感に満ちていた。パトラスの戦意喪失した肉体を見る前に、彼は勝利を自ら確定していたのだ。エターとクモロの『ざまみろ』なんていう中途半端な笑みではない。心からの征服感。
「………………はぁ」
ドクローズがパトラスに対しての勝利の優越感に浸っていた刹那、汚染された空気がほどけはじめ、それと同時に小さな溜息のようなものがそこから漏れた。
徐々に桃色の体が見え始め、グロムは思わず思考停止……お世辞にも大きいとは言えない目を見開いた。
「なっ……」
征服感が焦りに変わっていく。倒れていない。その様子をはっきりと確認したからだ。パトラスは、彼は平然とドクローズの放った攻撃の中佇んでいた。その顔には苦痛が一つも浮かんではいない。ただただニコニコと上がっている口角、顔は笑っていても笑っていない大きな瞳が、二つ笑顔にくっついている。
彼に、この攻撃は全くと言っていいほど効いていないのだ。
「………………何も気づいていないのは君たちの方じゃないかな?
……あれほど言ったのに、まったく意味を考えようとしなかったんだね。残念だ。……ともだちっ♪」
パトラスがにっこりと微笑む。その瞬間に、ドクローズの三匹は、今までに感じたことの無い緊張感と恐怖心に襲われ、一帯に鋭い針の山があるかのような心理状態に傾く。全く動くことが出来なくなった。指先を微かに震わせ、見えない何かの存在におびえているようだ。
…………あいつ……聞いてやがったのか!?
グロムは、この状況になる以前にパトラスを思い切り侮辱するような発言をしたことを思い出す。ただの頭の悪い奴ら……そんな内容を含む発言であった。
「……どういう、ことだ……?」
恐る恐るパトラスに尋ねる。声をひねり出すのも一苦労だった。
「……君達はつい最近トレジャータウンで活発に活動するようになった探検隊かぶれの不審者だ。警察からは耳に入れとく程度、という感じでそう連絡を受けているよ。分かりやすくギルドにのこのこ来ちゃったもんだから、本当に驚いた。けど、ペリーは本当に気づかなかったみたいだけどね。
まだはっきりとした悪事は何も暴かれていない。しかしながら、不審な行動は何度か目撃されていたみたいだね。……実質種族的な差別で通報されていた所もあったみたいだけれど、それは本当に気の毒だ。窃盗や暴行、器物破損……それからメンバーたちへの度重なる迷惑行為?おそらく、これらの小さな犯罪に手を染めるようになったのもそれが大半の原因じゃないのかな?エターとクモロはまだいい。だが……グロム。君ならそれに当てはまるだろう?」
「そうじゃねぇ!ならっ!なら、なんで俺達を追い払わなかった!?遠征に参加したいと声を上げた直後に!どうせンなこと、今考えて適当に言ってるだけだろ!」
「嗚呼、君たちが悪事に手を染めるようになった理由?それは僕の憶測だよ。ちゃんと認識してほしいなら君達が進んでいってくれないとわかんないよ〜。
……というのは余計だったかな。君たちを追い払わなかった理由だっけ?
ひとーつ、報復を兼ねてギルドの評判を落とされる危険性!ふたーつ、弟子たちへの嫌がらせがヒートアップする可能性!みぃっつ。……少しでも協力してくれる意思がある。そう信じたから♪」
声は明るい。だが、普段のおちゃらけた時より数段低く、表情は決して笑っていなかった。彼は本気で話をしていた。まとめられた三つ目の理由に、思わずグロムは再び目を見開く。この状況の中、どうしても考えることが出来なかったことだったからである。
「細かく言えばまだまだある。まとめるとこれくらいかな?
……今回の遠征で、君たちが収穫を横取りしようとしているのは目に見えて分かっていた。だけど、僕は本当に悪いポケモンなんていないと思っている。だから、少しでも協力する意思があればそれを尊重していこうと決めていたんだ。君たちがクロッカス達と鉢合わせる前から、既に僕に尾行されていたことに気づかなかったかい?あの霧の中なら、僕は君たちに気づかれることなく戦闘不能にすることが出来た。でも、はっきりと君たちの行動が悪事に移行するまでは手を出すまいと考えていた。
……そんな矢先あれだよ?君たちとクロッカスの間で何か争いが起こっているのは、エターやクモロがギルドをふらついていた時から既に知り得ていたことだ。クロッカスは君たちに関わりたくないし、おそらく興味もないだろうけど。しかし、君たちは徹底的に彼らを潰すつもりらしいね?……ね♪」
「なっ……なっ……」
エターとクモロはすでに震えあがっている。辛うじて声が出るグロムさえ、考えていること、パトラスに聞きたい事、頭の中に浮かんできたすべてのことを質問する前にすべて答えられてしまった気がした。
『なぜあんな仲裁の仕方を?』口に出そうとしたが、考えてみれば愚問である。波風立てることなく、誰もいないところで静かに俺達を消すつもりだからだ!悪意に満たされた空気を吸って生きてきたつもりだった彼らには、所詮その程度しか浮かばなかった。
「セカイイチをコロコロさせるのはつらかったなぁ……ぅう……ほんとになくなっちゃったら、ぼくは、ぼくは……うりゅうりゅ……」
「お、おれたちは……お前は、本当に、悪いポケモンだと、俺達を認識したということか?」
「そんなわけないじゃないか♪言ったでしょ?本当に悪いポケモンなんていないって。
君たちは警察に変な目で見られる程度のすこーし悪いやつ。……君たちは、本当に悪いポケモンじゃない」
力を込めた目でパトラスはそういった。遠い昔に出会った、あのポケモンの表情を思い浮かべては、握っていた拳に力が入る。
…………本当に悪いポケモンなど、存在しない。
「そろそろ、覚悟はいいかな♪ともだちっ♪」
ドクローズの体が強張る……前に、すべては終わっていた。
パトラスはそのゆったりとした肉体からは想像もできないスピードでドクローズの後ろに素早く入り込むと、目にも止まらない速さで『急所』を見極め、ドクローズの体を拳で叩いていった。
呼吸を空回らせる暇もなく、彼らはその場にうずくまる。一か所打たれただけにも関わらないほどの痛み、指先すらも動かない、見た目は傷一つついていない体。
ダメージはすさまじい。それなのに、息が出来ていることがグロムは不思議でならなかった。殺されていない。そのことに驚く。
「半日から一日くらい?で動けるようになるはずだよ♪わかんないけど♪
……ようし!僕もがんばろっと〜♪」
何気ない言葉。その中に、『もう関わるな』という、パトラスの意思表示を感じ、グロムたちの固まっている筈の体をぶるりと震わせたのだった。