濃霧の森‐104
* * *
「うーん…………」
『濃霧の森』を進むにつれ、だんだんと目が慣れてきてそこまで気にならなくなったが、それでも視界が不透明なために目が疲れてしまう。ステファニーは『本』で鍛えられたはずの強靭な目をあっさりと瞬きさせた。
「なんか目が疲れたね……」
「珍しいな、お前……。一日中本読んでたって飽きないだろ。俺はあんな大量の書物を一気に読むと吐き気がする」
「本とは根本が違うよ〜。例えるならば本を読んでいるときは私という物体がバターのようにどろっと溶けて文字列を包み込み、ぐりぐりっと絡みつくようなものであって、更にわかりやすく言うならジュースを飲んだ時に子供がよくやる『グチュグチュ』により唾液とジュース混ざりまくる感じで……」
「やめろその表現は!!」
「じょ、女子にあるまじき言動ですよステファニーさん!ここは現実!」
「あっごめんね」
普段華やかで女性らしいステファニーの一面に、半ばシャロットやアカネはショックを受けているようだった。リオンはよくこのような言動を聞いているのか、発言に対しては待ったをかけるが、動揺はしていない。カイトは生まれたころからもっと壮絶なポケモン(伝説になってたり結婚**年にして恋人気分の両親)を見てきたためにあまり驚かない。しかし、意外だとは思っていた。
「ダンジョンのポケモン、大分減ったかな……?大丈夫?」
「大丈夫。目も体もだんだん慣れてきた。ただやっぱり電撃は弱い……痛いわね」
「遠距離戦が難しい時には僕の後ろにいれば大丈夫だから、安心してよ!」
「日照り玉使っても効果あるのは一部だけみたいだしね……」
カイトの『僕が守る!』宣言を華麗にスルー(?)したアカネは、バッグに手を突っ込んでなにやらガサガサと探し始めるが、目当てのものは見つからなかったようだ。手をバッグから出すと、軽くため息をついた。
先ほど、一度だけバッグに入っていた『日照り玉』の使用を試みたが、やはり天候を変えられるのは『一部だけ』らしく、特に状況は改善しなかった。
「ここまで鈍感は初めて見た」
「……言わないでくれるかな」
ステファニーがカイトの近くによってきて囁くものの、彼はいじけたような顔をする。ステファニーの言葉に低い声で返事をすると、肩を落とした。自分に全てを任せるというのはさすがに無理なのか……。と、濃霧の森出発前の出来事で少しテンションが上がっていたカイトも、やっとすこし熱が冷めたような気がした。
「アカネ……」
「黙って」
アカネは霧の中をのぞき込む。目が慣れて見える、と言っても周辺だけであって、遠いところはなかなか見えない。
が、アカネが見ているものは訳が違った。一直線に『光』のようなものがこちらに急激に距離を縮めて向かってくる。アカネはそのポケモンのシルエットと技に覚えがあった。ポケモンの大きな翼に、青い光をまとった……。
「皆分かれて!」
五匹が全員密集しているが故に狙いやすいと思ったのか、その光は一直線に五匹が集まっている中心へと向かってきた。アカネの指示で咄嗟に全員が四方に散ると、ちょうどその瞬間に五匹がいた場所の中心部に『ゴットバード』をまとったヨルノズクが激突する。当然その場に五匹はいないので、ヨルノズクはスピードを制御することが出来ず地に落ちた。元々反動が強い技の為、ヨルノズクはその場に埋まって目を回していた。
「戦わずに済んだか……」
「ここでノロノロしてるのはまずいんじゃ……先行きましょ!」
現在階段を九、十個ほど移動している。もう少しで出口の筈だ。先ほどのようなことが無いよう、周りに十分な警戒を払いながら先へ先へと進む。
進んでも進んでも、あたりまえだが一向に霧は晴れることはない。アカネは思う。ユクシーの伝説以前に、この何をやっても効果のなさそうな霧がある限り、探検隊たちは迷い続けただろう、と。自分たちがこうやっているように。
多くの探検隊がこの場に挑んできた。しかし、ユクシーに出会って記憶を消された者がいたとしても、それは一握りにもならないのだろう。
「階段!」
シャロットが周囲に伝えるように声を上げる。目を凝らすと、確かにそこには先に進むための階段があった。周囲に敵がいないことを確認すると、足早に階段に向かって進んでいく。
移動しても霧が晴れることはない。が、代わりに少し開けたような場所に出てきた。湿り気が多く、水が勢いよく落ちていくような音がそこら中から聞こえていた。霧はかかっているものの、目の前に広がる風景を見て、思わずシャロットとカイトは声を上げた。
「わ、すごい!」
「水が所々から滝のように……上の方から沸いてるのかな?あれ……」
足元の苔は若干湿っている。そこら中から滝のように水が流れ落ち、いくつもの大きな池のようなものを作っていた。どうやら、この場所が『濃霧の森』の最奥部のようである。滝が所々で流れているというのはとても神秘的なものを感じるが、霧が深いためにどちらに進めばよいのかまったくと言っていいほどわからない。
「けっこー広そうだね……。これじゃどっちに行っていいんだかわかんないなぁ……うぅん」
「他の奴らは俺達よりも先に出て行った筈だ。何匹かは既に到着してたりするんじゃないか?」
「いったん引き返したかもしれないわね。無理ないけど……」
全員が辺りを見回して困り果てていた。リオンは霧の先の先を食い入るように見ているものの、その先には何も見えてこない。何故かリオンは大きくため息をつき、足を地面に叩きつける。
「あの、リオンさんって種族的に『波導』とか使えたりは……?」
「……普通のリオルならできるけど、俺には何もわいてくるものが感じられませ……ない」
「リオン、言葉がおかしいよ」
読書家のステファニーは言葉の序列がおかしい相棒を冷ややかな目で見る。すまんすまん。と、リオンは軽く手をステファニーに向かって挙げた。
本来のリオルは、自身の持つ『波導』を『波導弾』と言うような技に応用することはできないが、うっすらとならば場所の構造や敵の気配、相手の感情などはわかるのだ。しかし、彼にはその能力を使うのが難しいのか、それとも欠如しているのか……。彼が波導を使う気配は見られない。
この先どうすればいいのか、本当に詰まっていた時だった。
……………ーィ………………
「……なんか聞こえない?というか、聞き覚えあるような気が……」
カイトが微かに何かが聞こえたことを全員に知らせる。感覚を耳に全集中させると、その声ははっきりと聞こえてくる。そして何より、近づいてくる。
「……これは」
…………ーイ!!……ヘーイヘーイ!!……
何かが靄の中を徘徊しているのが全員の目に飛び込んでくる。赤い体に大きな手?のようなものを振り回しているポケモン。そのポケモンに見覚えがあった。
「ヘクター?」
「ヘェイ!!みんな、そこか!?」
靄の中からゆっくりと現れたのはヘイガニのヘクターだった。自分の名を呼ぶカイトの声が明確に聞こえたのか、確実にこちらに向かって近づき、ふらりと姿を現した。
相当頑張って叫んでいたのか、汗が出ており、若干息切れもしている。しかし、彼一匹でここまでたどり着いたというのは、大したものである。
「よくここまで来たもんね……」
アカネは首をかしげる。言い方は悪いが、ヘクター……彼に大きな実力があるとは思えなかった。しかし、彼は実際にここまでたどり着いているわけである。謎だ。
「ヘイヘイ!隅の方に隠れながら進んでてさぁ!って、まぁそれはいいんだ!
お前ら、何か手がかりとかあったかい?ヘイ!」
ヘクターは単刀直入に手がかりの収穫の話を持ち出してきた。と言っても、どういえばいいのかわからない。霧を晴らす手立てもなければ、この先をどう進んでいいのかも分からず……要するに、霧の湖の有無などと言っていられる段階ではなかった。カイトはなんとなく状況報告をするのに抵抗があった。
「……ま、まぁ……今のとこ、無しかな。ヘクターはどう?」
「……オイラもさっぱり!こりゃ詰んだな!ヘーイ!」
嗚呼、やっぱり……と、ステファニーやシャロットは露骨に落ち込み、カイトやアカネは頭を悩ませる。情報ゼロはお互い同じ。この場所にいる全員が探索に行き詰っているのだ。
「あ……でもさ。
ちょっと気になるものがあってよ……ヘーイ」
ヘクターが思い出したかのように『気になるもの』の話を切り出す。待っていました!と言わんばかりに、シャロットとステファニーは先ほどのがっかり顔を撤回すると、喰いつくかのようにヘクターに詰め寄った。
「気になるものですか!?」
「それって、進展フラグなんじゃ……!?」
ステファニーがまた創作用語を使い始めるが、それはさておき、二匹の食いつき方にたじたじになりながらも、ヘクターは『気になるもの』の存在を示すために、先ほど来た道であろう方向に向きかえった。
「とりあえず実際に見てくれればわかると思うんだ!ここからまっすぐだから、オイラについてきてくれ!ヘーイヘイ!」
ヘクターが行先を指さす中、クロッカスとブレイヴ、そしてシャロットはそれぞれ顔を見合わせて頷き合う。そしてヘクターの後ろに続く中、ヘクターは密かに思っていることがあった。
(……ヘイッ!?……俺、もしかして今メッチャ先輩っぽい!?)
彼は、普段からよく先輩面をすることに定評があるのだが、今回最もそれを快感に思っていた。
歩きながら不気味な笑い声をちらつかせるヘクターを全員が訝し気な目で見ていたことは言うまでもない。