明白の罠‐70
アカネにやんわりと掴まれた腕の感触を感じながら、僕はグロムがそれ以降の言葉を発するのを待っているしかなかった。
悔しい、悔しい、悔しい。
もしかして、と。少し考えたこともあったが、やはり僕の両親の話はドクローズの耳にも入っていたようだ。
両親の事を言われるだけで、それを僕と重ねられるだけで、こんなにも苦しい。いつかの記憶がよみがえったようで、息がしづらかった。
「おっと。お気に召さない言葉だったかな、これはこれは、申し訳ない。ククッ……」
「なんか、人間の血も入ってんだろ?あいつ、意味分かんねぇ」
「てかマジで人間っているのかよ?そんなん言うだけなら簡単だろ」
口々に好き勝手なことを言っている三匹を見て、奥の歯をギリギリと擦り合わせた。
嗚呼、もう、限界だ。
僕の目の前で、アカネの目の前でそんな事を言わないでくれ。
目の奥が熱くなって、何かがピン、と、糸を張っているような、ちぎれそうな、そんな感覚がした。
「……で?その落ちたセカイイチ、どうさせてくれるわけ?」
微かにアカネの手が震えているのを腕を伝ってくる振動で感じた。声はこんなにも凛としているのに、怒りとも悲しみとも、あるいは憐みともとれるこの手の震えは、一体何なのだろう。
ちらりとアカネの顔を見ると、目の奥で小さな赤い光が揺らめいていた。いままでふとした時に見ていたものだったが、今やっと、その「赤色」の意味が少しだけ理解できたような気がしたのだ。
「そうだったな。
ほら、セカイイチは俺達と同じ地の上だ。拾って早くギルドに戻るがいい」
そう言ってまた嘲笑するようにククッ、と喉を鳴らした。収まらない感情の濁流が、既にダムを崩壊させて溢れている筈なのに、アカネの手を振り払おうと思うことはなかった。
「……そんな事言ったって、どうせまた何か企んでんだろ……。
それ拾おうとして油断してる所を総攻撃する気?それとも、罠でもしかけてあるのか?木の下に」
「うっわ……驚いた!全然騙されねェ!」
「なんだよ。つまんねぇ」
「で?結局何する気だったのよ」
「……あいつが言ったことは、半分正解で半分不正解だ。
罠は俺達が引っかかっちゃ格好つかねぇしな。お前らがしっかり背中を向けてくれた場合、攻撃するさ。そりゃな」
「それだけかしら」
「せっかくここまで来たのによ、お前らごときにそんな大がかりな罠仕掛けてる暇があったらセカイイチ食ってら。ククッ」
「…………」
アカネは納得していない様子で、直もグロムを睨みつけている。
嘘だ。絶対にもう一つ、何か仕掛けている筈だ。
襲いかかるだけならいつだってできる。相手は僕達の事を自分達の足元にもおけない実力だと思っているだろう。
アカネがグロムの悪臭のする毒ガスを受けた時、アカネは戦闘不能にはならなかった。
彼らがあの毒ガスを使わないということはあるのか?
「それで、お前らはこれからどうすると言うのだ?」
「……お前達を倒す。それ以外ないよ」
「ほう。やけに威勢がいいこった。親の事を持ちだされて焼き餅やいたか?ククッ
いいだろう。こちらも本気で相手してやる」
そう言うと、グロムはゆっくりと僕達に背中を向け、尻尾を逆立てた。そのそばにクモロも寄って行く。
「お前らに耐えられるかな?俺達の攻撃が!」
「カイト!火の粉を!!」
「え!?」
アカネは尚掴んでいた僕の手を離すと、顔を伏せてそう僕に指示を出した。
僕は一瞬何を言っているのか分からず戸惑ったが、その瞬間にグロムとクモロの声が耳を貫く。
「毒ガススペシャルコンボ!!」
一瞬なんだそれ、と思った。それと同時に、アカネが「カイト!」と僕の名前を叫んだ。ついさっきアカネに言われた事を思い出し、がむしゃらに大口を開けてグロムに向かって火の粉を繰り出した。
嗅いだ瞬間に持っていかれそうになるほどの悪臭が鼻をかすめた瞬間に、微かに開いていた目の中に小さな火の粉が大きく膨らんでいくような、そんな現象が不思議なことにスローモーションで目の中に飛び込んできた。
それを見た瞬間、一体何が起こったのか察する。
引火したのだ。高濃度な可燃性ガスに。
「アカネ!!!」
逃げる隙もない一瞬のことで、アカネは顔を腕で覆い身を伏せている。
アカネに向かって飛びこむと、一回りほど小さい体を抱え込んだ。
ドン、と、大きな爆発音がするとともに体が熱くなる。地を叩くような音と共に、ドクローズの悲鳴が微かに聞こえたような気がした。強い爆風と熱気に体が強張り、腕の中にいるアカネを押しつぶしそうになり、腕を緩めようと体を斜めに傾ける。
「っう……!」
「カイト、腕、緩めて!」
アカネが腕の中でもがいている。腕を緩め地面に手をつけると、アカネがそこから何かを放り投げる。
自分の後ろで炎では無い何かが光った。不思議玉が作動した時の光だと気付いた時、空からぽつり、と何かが降ってきたような、そんな感触が肌を叩く。
それは直に本領を発揮し始め、空から無数に降り注ぐ雨粒が熱風に晒されていた体を冷やして行く。
アカネが投げたのは『雨玉』という不思議玉で、一時的な雨を降らせることができる。爆発で所々に散った炎を消化し、熱を冷ますには十分だった。
「アカネ、」
「……あいつらは?」
振りかえると、少し離れた所にあるセカイイチの木は一応無事だったが、その下にいたドクローズがいつの間にかいなくなっている。
恐らくあちらも不思議玉でも使って何とか脱出したのだろう。三匹ともいないと思っていたが、良く見れば木の下に何かが蹲っているのを見つけた。
「あいつ、エター?」
「……ん?ん、ん?……あ、ちくしょ、逃げ遅れた!!!!」
蹲っていたのはドクローズの一匹であるエターだったが、逃げ足が速いらしく、いきなり飛び起きると光の速さで何処かへ飛び去って行った。
「……リンゴは?」
「まだ……いくつかのこってるね」
突然の爆発に、相手も拾っておく余裕が無かった筈だ。風で吹き飛ばされたのか、元々落ちていたセカイイチは木の向こう側に飛ばされていた。
更に、何個か木から新しく落ちている物がある。恐らくこれも風に気が煽られた時に落ちたのだろう。
「傷とか焦げ跡が付いてる奴あるけど……無事なのもありそう。思ってたより収穫は少ないけど、大丈夫だね。
少し片付けしてからもどろっか、アカネ」
一時的な雨は既に収まり掛けており、時折肌に感触を覚える程度だった。
アカネは何となく申し訳なさそうな、不安そうな表情を微かに見せる。気まずい空気の中で、無事だったセカイイチを僕のバッグに入れて、少し傷が付いていたりするものはアカネのバッグの中に入れた。
一通り片付けると、ギルドへの帰路へ向かった。