加速する破滅-187
* * *
世界のどこか、窓の外。大きな空を徐々に浸食し、飲み込んでいく赤黒い雲を見て、誰かは目を大きく見開いて一歩、二歩と後ずさり、慄いた。
「……こ、これは…………どういうことだ!?」
トレジャータウンからは遠く離れた、静かな小さな集落で、いつもとは違った異常事態を目の前に、思わずポケモン達は家々から飛び出し、空を見上げた。赤黒い空が集落の上を、その先を覆っていく。赤い雲で包まれた感覚は心を乱し、ポケモンたちにピリピリとした緊張感を走らせた。雷のような物が細く落ちていく。その光の糸に当たった者は、体にびりびりとした痛みを覚えた。心地よく吹き抜けていた風が止んでいく。木や花はさざめき合うことを辞め、小さな池に張られた水の波紋はぴたりと止まった。
間違いない。時が徐々に止まってきている。小さな集落の中でも時の歯車事件のことはかなり知れ渡っており、世界の上を絶望が、ただゆっくりと、ゆっくりと舐り、飲み込んでいくようだった。
「…………ま、まり……マリーとエミはどこだ!?」
少し遅れて家から出てきた一匹のリングマは、先ほど森の方へ食料を調達に行った自分の妻と子の名を呼んだ。
マリーとエミなら、森へ木の実を取りに行くと言っていた。そして、赤い雲は森の方から沸くようにして集落の上へと現れた、と周辺のポケモンたちが話しているのを耳に入れると、二匹が森へ行くと知らなかったリングマは顔を真っ青にして勢い良く森の方へ駆けだした。周辺のポケモンたちが引き留めようと彼に駆け寄る中、持ち前のパワーとスピードで自分を止めるポケモン達を弾き飛ばし、迷いなく森の中を突き進む。下手な事はするんじゃない、と罵声も聞こえたが、そんなものは彼の耳には入らなかった。
「どこだ…………どこだ…………!」
血眼になり、嗅覚を限界まで働かせて二匹の足取りを追った。焦りのあまり木々にぶつかったり、石に躓きすっ転んでしまうため、体には小さな切り傷や打撲の痕が出来るが、そんなことを気にしている場合ではない。リングマは匂いを辿って二匹の歩いた場所を辿った結果、かなり森の奥の方へと足を踏み入れていた。頭の中で無事を唱えるあまり、口にも頭の中を巡る言葉がボロボロと零れ、舌を何度も噛んでは体中の痛みに気付く。やがて、二匹の親しい香りが近くなってくるにつれ、リングマの息は静かになっていく。目の前の耐えがたい現実から逃げようと体を震わせるが、その場で膝を折って地面へとへたり込んでしまった。
「………………あ…………嗚呼…………あああぁ…………」
自分に背を向けたまま、ピクリとも動かない二匹のポケモンの姿がそこにあった。リングマとヒメグマが、赤黒い空を見上げたまま立ち尽くしている。自らの亭主が、父親が、こんなにも息を乱して、近くにいるというのに、二匹は振り返りもせず、動きもせずに、声も出すことは無い。リングマは絶望し切ったように目を見開いたまま地面を見つめた。震える体の奥底からじわじわと湧き上がっていく怒りや、理不尽に対する悲しみが喉に昇り、理解した現実がそのまま頭の中で文字となって流れて行く。
時の停止に呑まれてしまった。
もう二匹は、動かないんだ。
リングマの、現実を拒絶しようともがき苦しむ絶叫と、その怪物の雄叫びのような形容しがたい声の中に微かに混じった悲しみと怒りが、森の中を流れて行き、集落にまで響き渡った。
* * *
ドナートは、焼け焦げた火事の現場でウロチョロと歩き回るレイセニウスを白い目で見ていた。本来ならば許すべきではないのだろうが、シャロットのかかわった事件ともなると彼が気になって仕方がないのも分った。普段から何かと危険な事に首を突っ込んできているような印象ではあるが、観察眼はかなり優れているようだし、使える者なら使ってやろうと考えている節もある。
「警部補、ちょっといいでしょうか?」
「あ?なんだなんだ」
先ほど、レイセニウスと揉めていた捜査官のグラエナがドナートに声をかけてきた。神妙な面持ちだった為、何か重要な事かと思い、ドナートは声を小さくして耳を傾ける。目はしっかりとレイセニウスを監視していたが、グラエナが声を潜めながらドナートの耳元で話し始めた。
「緊急で連絡が入りました。ここから相当遠く離れた場所ですが、とある集落で『時の停止』が新たに確認されたそうです」
「…………まじかよ」
「一般のポケモンが巻き込まれたようです。しかも、今回の時間の停止はかなり今までと様子が違います。大陸を越えた海の一部分から、赤黒い雲のような物が発生し、徐々に数個の大陸を飲み込んでいっているという事です。この大陸もその一つで……集落は海に近かったため、ほぼ完全に覆われたものと思われます。
そして、その雲がどうやら時間の停止と関係しているらしく、雲が覆った場所から次々と時の停止が起こっているようです」
「…………覚悟を決めなきゃならんかもな…………」
ドナートは空を見上げて息を巨大な雲に吹きかけた。ゆっくりと動くその白い雲を見て、まだ出来ることがあるのではないかと考える。
このままでは、あまりにも無力すぎるのである。
「後、もう一つ報告が……完全に時が停止した地に移動すれば、ポケモン事態の時間が止まるのは免れることが出来るようです。おそらく、未来の生き残ったポケモンたちはそうやってしのいできたのだと思われます。
とにかく、今調査班がそちらにも向かっていますので、追って報告を受けることになるかと」
「分かった、ありがとう」
そう言うと、グラエナは颯爽と捜査に戻っていった。ドナートはしばし考え込むように目を瞑り、そしてそのまま大あくびをした。こんな状況でも変わらないのはこの親父臭さだが、これからどう動くべきなのか……悩んでいた。
いずれ『赤黒い雲』は世界を覆い尽し、そして星の停止が起こってしまう。その前に、時限の塔へと旅立った者達が時の破壊を食い止めてくれさえすれば、まだ世界にチャンスはあるかもしれない。
目的を遂行したところで、本当に星の停止が食い止められるのか、既に時を停止してしまったポケモン達や地域は元に戻るのか……確証はない。しかし、本当に彼らに託すしか無いのだと思った。となれば、生き残ることが最優先だ。雲がここら周辺を覆い尽す前に、ここからもっと離れた場所へとポケモンたちを避難させるべきか。
世界の終わりは、直ぐそこまで近づいてきている。
「どうしたんすか?」
珍しく神妙な面持ちで佇んでいるようなドナートを見て不審に思ったのか、レイセニウスはまるで気味の悪いものを見るような目をしてドナートに声を掛けた。ドナートがレイセニウスに気付き、その手に持っているメモ帳の中身をちらりと盗み見ると、既にかなりの量の情報がそのメモの中に記されていた。事件に関する情報管理がまさにゆるゆるという奴である。これだから警察って批判されちゃうのかなァ。と、ドナートは面倒くさそうに片手を上げてポリポリともう片方の腕を掻いた。
「何だ。そこそこ分かったことでもあったか?」
「んー……多分なんすけど、ここで得られるものはもう無さそうだなってのが本音っつーか。やっぱハンニン会ってみたいっすよね」
「俺達もそれが出来たら苦労してねぇんだよなぁ」
レイセニウスは自分の書いたメモをドナートに見せながら、つまらなそうな顔をしてそう言った。実質、そんなことをしている場合ではないのだが。それを改めて認識すると、ドナートは一つ、二つと欠伸をしたのちにこう言った。
「俺は今から署に戻ろうと思う。どうやら各地の時が止まり始めたらしいんだ。今までみたいに部分的じゃなくて、片っ端から浸食してくみたいにさ。だから出来るだけそこからポケモンたちを遠ざけなきゃならん」
「遠ざけたとしても、あいつらが間に合わなかったら時の停止は世界を覆い尽すんじゃないっすか?」
「未来には生き延びているポケモン達が存在する。既に時が停止した後の場所へと移動すれば、ポケモンへの被害は抑えられるはずだ」
「時間はあるんすか?」
「…………分からん」
グラエナが言っていた『赤黒い雲』というのが、いったいどれ位の速度で進んでいるのか……どのようにして時が停止していっているのか。表面的な話しか聞いていないため、内容面は分からないことだらけだ。調査チームから報告が上がるのを待つしかないのも事実。ドナートの一存で、次の動きを決めることはできない。署で報告を待てば、いずれ上の偉い奴らから命令が出るだろう。ドナートはそう考え、署に向かう事を選択したのだ。
「へぇ、じゃあ俺も行って良いっすかね?」
「んまぁ、好きにしろ。あ、好き勝手色々吹聴するんじゃないぞお前」
「分かってますってぇ」
ふざけたようにケラケラと笑うレイセニウスを横目に、ドナートはため息をつく代わりに大きな欠伸をした。全く。と、いつも自分が部下から浴びせられている『呆れた視線』を、レイセニウスに浴びせながら、警察署への帰路を辿って行った。
無意識に探してしまう赤黒い雲は、まだこちらからは見えなかった。
* * *
空から不機嫌そうな音がゴロゴロと鳴り響く。あまりに近くでなっているものだから、大きな音がするとカイトの体はびくりと跳ねた。雷が相当近くでなっている。塔の頂上までやって来たアカネとカイトの二匹の目の中にまず飛び込んできたのは、真っ赤な雲に覆われた空だった。不気味な色の稲妻が何度も繰り返し轟く。
「うぅ、雷が凄いね…………」
「下手したら撃たれそうよね」
赤い雲が渦巻く異様な光景を二匹で見つめていた。塔の頂上は、やはりダンジョン内と変わらずかなり荒れていた。おそらく、ここまで荒れていなければとても神秘的に見える場所に違いない。しかし、塔の頂上にそびえたつ何本もの柱は根元からポッキリと折れて床に転がり、ボロボロになった地面は砂利や砂だらけだった。塔の頂上を囲む外壁も崩れ落ち、お世辞にも『神秘的』とはとても言えないような景色となっていた。おそらく、この塔から落ちてしまえばあとは奈落の底。落ちて行くだけで、最後は地面に激突して死ぬだろう。ポケモンは体が丈夫とは言えど、この塔はそれほどの高さがあった。ここから落ちてしまえば、命はない。
ゴロゴロと雷が鳴る中で、先ほどから何度も繰り返している揺れが二匹を襲った。流石に頂上というだけあって揺れは酷く、出来る限り塔の隅に寄らないようにして揺れに耐えていた。揺れが静まった頃に、また二匹はクラクラとした感覚に襲われる。地面属性の衝撃は、やはり慣れない。
「っ…………やっぱ、きついわね…………」
「…………!あ、アカネ!あそこに……あの小さな階段の上に、なんかある……」
カイトが指さした先には、確かに少し雰囲気の違った場所があった。見た限りだと、『祭壇』という言葉が最も当てはまりそうな場所である。二匹は足元に気を付けながらその場所に駆け寄ると、祭壇をじっと覗き込んだ。
小さな階段の上。その先の壁には、かなり出っ張った場所があり、その場所は五つの小さな穴が空いていた。その穴の細かな形状を、二匹は良く知っている。
「あそこに時の歯車を納めるのね…………数も一致する」
「よし、行こう」
あそこに歯車を嵌め込みさえすれば、全て終わる。二匹はそれを確認するために、祭壇の方へと近づこうとした。
しかし、それは何者かの雄叫びによって阻まれた。体にビリビリとした痛みや風圧がかかるほどの衝撃と、何とも言い難い、息が詰まるような威圧感。体が軋むほどの恐怖と不安に絡みつかれ、二匹はしばし体を動かすことも、息をすることすらも忘れてしまった。
その存在感は良く知っている。忘れられるわけが無かった。途端に周辺が暗くなり、二匹と祭壇の間の空間に、巨大な黒い穴のような物が出現した。
逃げなければ。咄嗟に思い出したその危機感に従い、二匹の体はその巨大な穴から離れた。その穴はまるで、巨大な時の歪みのようだ。その中から青で構成された体がゆっくりと這い出して来る。見える姿が大きくなってくるたびに存在感やプレッシャーも大きくなっていく。体にのしかかるような緊張感に耐えながら、その存在をアカネとカイトは睨みつけていた。
ディアルガである。塔の主であるディアルガが、侵入者の二匹の気配を感じ取り、排除しに来たのだ。焦点の定まっていない目や、荒い息遣い。もはや、『神』というよりも『獣』に近かった。青いはずの体は、未来で見たディアルガと同じように赤に包まれていた。
「お前達か……!この塔を、破壊、する者は!!」
地獄の底から響いてくるような、低くかすれた声が党の上に轟く。何か、とんでもない勘違いをしているようだった。しかし、まだ話が出来る状態だ。まずは言葉でぶつかってみようと、カイトは一歩前に踏み出した。
「ち、違う!僕たちは時の破壊を防ぐためにここにっ……」
カイトが説得にかかる。幻影のグラードンの件で、この手のポケモンは話をまるで聞いてくれないことは分かっていた。しかし、まだ言葉を発することが出来る。まだポケモンとしての自我を失っていないのが分かると、武力ではなく言葉でぶつかりたいと願ってしまうのは仕方が無かった。
しかし、ディアルガはその悪い想像通りの答えを示す。
「トキノ…………ハカイ……グォォォォォォォォォ!!!!
「っ……でぃ……ディアルガ……!」
ディアルガは威嚇するように雄叫びを上げると、焦点の合わない狂気的な瞳を二匹へと向けた。手加減の無い威圧感に慄き、カイトは歯を食いしばりながら一歩後退する。
「グォォォォォォォ!!!そうか!お前達、どうしてもこの塔を破壊するというのだな!?」
「そ、そんなわけないじゃないか!僕たちは、この塔が崩れるのを防ぐために……!」
「黙れ!!!ガルルルルルル………………!!!!」
やはり、話が出来るような状態ではなかった。ディアルガは二匹に対して殺意を垂れ流し、手加減なしにプレッシャーを与え続けていた。完全に、二匹を殺すつもりでいるのだ。
もう、覚悟を決めるしかない。二匹は目を合わせて頷き合うと、ディアルガを睨みつけたままで戦闘態勢に入った。
「時限の塔を……私の塔を……壊す者は………………許さんッ!!!」
ディアルガはそう言い切るや否や、背中の突起物のような物を大きく開き、口から巨大なエネルギー弾を発射した。『時の咆哮』……ディアルガが使用する特殊な技である。二匹は回避するためにディアルガの足元に滑り込み、『時の咆哮』によって更に塔が破壊されていくのを見ていた。己が己の塔を破壊してしまっていることに気付かない程、判断能力が衰えている。
ディアルガのすぐそばにいるのも危険だった。二匹の何倍もの体の大きさがあるディアルガは、二匹を踏みつけて圧死させてしまうことも出来るのだ。アカネはカイトの横に並んで走りながら、早口になりながら自分の考えを伝えた。
「あいつ暴走してるけど、未来で見た時よりは大分マシな状態よ!言葉も話せてるし、まだ完全には狂ってない筈!だからきっと、まだ正気に戻せるチャンスはあると思う!」
カイトはその言葉に頷くと、アカネから少し離れたところを走り始めた。そして再びディアルガの方へと体を向けると、強く強く息を吸って、渾身の『火炎放射』をディアルガに炸裂させる。
火炎放射はディアルガの足にヒットし、ディアルガは痛みに声を上げた。おそらく、感覚がかなり過敏になっているのだ。ここまで痛がるという事は、痛みを感じる神経がかなり敏感になっている。そして、『避ける』という選択肢はディアルガの頭の中に殆ど無いに違いない。
おそらく、我武者羅に攻撃を続けてくるはずだ。
今は『時の咆哮』を使った反動によって体の自由が利かなくなっている。アカネはカイトの尻尾を掴むと、そのまま体の毛を逆立てる。
「カイト!」
「了解!」
カイトは地面から一度足を離すと、力いっぱいに地面に足を突き、尻尾を勢い良く振りかぶった。アカネはカイトの尻尾を掴んだままだったために、カイトの尻尾が弧を描くと共に宙に放り投げられる。そしてディアルガの首元にしがみつくと、そのままよじ登ってディアルガの体についた突起物にしがみつき、腕に力を込めて体を固定した。
強く息を吸い込むと、体全体に力を込めて一気に解き放つ。『十万ボルト』を使い、ディアルガとの距離がゼロの場所から大量の電流をディアルガの体に流し込んだ。当然感覚が過敏になっているディアルガはその痛みに耐えることが出来ず、絶叫しながら体中を揺さぶりまくり、首をブンブンと振り回す。それでも尚、アカネはしがみついて話さず、電流を流し続けた。カイトも『火炎放射』をディアルガの首元目がけて狙い撃ち、それが命中したことを確認した。
しかし、その直後だった。ディアルガは天を向いて口を大きく開き、雄叫びを上げた。その瞬間にディアルガの足元から大量のエネルギーが生じ、爆発するように吹き出す。『大地の力』だった。ディアルガの上に居たアカネは当たることはなかったが、この技は避けるのが極めて困難な技だった。カイトは当たる寸前で一度、二度、三度と避け続けたが、四度目で何かに体が弾かれるような衝撃が走る。そして同時に激しい痛みが体を駆け抜け、地面へと叩きつけられた。
「ぐぁっ……!!」
『大地の力』は地面タイプの技だ。即ち、カイトにはとてつもなく不利な技だった。そのためダメージも相当大きく、カイトは地面の上で暫く倒れ込んでいた。やっとの思いで腕に力を入れて体を起こし、ディアルガを見る為に上を向くと、そこにはディアルガの巨大な足があった。カイトの真上にディアルガの足の裏がある。ディアルガは、カイトを叩きつぶそうとしていた。
「ッ!!!」
咄嗟に『火の粉』を繰り出し、ディアルガの足に攻撃を命中させる。突然の痛みにディアルガは怯み、足を宙で一瞬停止させた。その隙にカイトは何とかバッグを漁ると『俊足の種』を飲み込み、その場から脱出する。
『俊足の種』とは、その名の通りスピードや回避率が何倍にも上がる効果を持つ種のことだ。カイトはそれを飲み込み、かなりのダメージを負ってしまったこの状況でも戦闘についていける程のスピードをキープしていた。
『大地の力』で受けたダメージが大きすぎたと感じたカイトは、バッグの中に手を再び入れると、『オレンの実』を取り出して大口を開けて齧りつく。こんな状況の中、特別美味しいとも思わないが、オレンの実がもたらすエネルギーを体が欲していた。直ぐにオレンを全てのみ込むと、再び攻撃を開始する。アカネは尚もディアルガに電流を流し続け、麻痺させてしまおうと狙っていた。しかしディアルガもなかなか折れることは無く、電気を振り払おうと一心不乱に抵抗する。そして再び、ディアルガは背中にある突起物を大きく開いた。
『時の咆哮』を出す兆候である。アカネはその様子を見て不味い、と思い、直ぐにディアルガの体から降りようとした。ディアルガは『時の咆哮』を打つ前には必ず、その開いた突起物に自分のエネルギーを溜め込み放出する。つまり、そのエネルギーの貯蓄場所に極端に近い場所にいれば、ダメージを受けることは免れない。
「ッ……!」
アカネがディアルガから離れようと地面に体を投げた瞬間、ディアルガもまたエネルギーを一気に体から放出しようとしていた。ディアルガは口から巨大なエネルギー弾を放出し、体からも力を噴出していく。その衝撃に吹き飛ばされ、アカネは地面へと強く叩きつけられた。その様子を見ていたカイトはすぐさまアカネに駆け寄り、体を起こす。『時の咆哮』はまたも当たらずに済んだものの、時限の塔を更に破壊した。
「っぅ…………」
体中が痛かった。カイトに起こされると、目の前がくらりと歪み、誰かの声が頭の中に響いてくる。アカネは虚ろな目を開き、自分たちを睨みつけるディアルガを見つめた。そしてまた、再び聞こえてくる声に耳を傾ける。その声に手を伸ばしたくて、アカネはふとその名前を頭の中で呼んだ。
――――――――ゼルネアス。
『はい』と答えたのは、彼女だったのだろうか。アカネは体の痛みがひいていくのを感じ、自分で身体を支えて起こした。カイトは驚いたようにアカネの顔を見つめている。おそらく、目が真っ青になっているのだろう。
近くに居て、アカネの体に触っていたカイトの傷も又、徐々に癒えてきていた。アカネはゆっくりと立ち上がり、そのまま勢いに乗せてディアルガへと向かって行く。体が軽かった。風に乗っているように、まるで空を飛んでいるように、体が軽く、動きやすい。
ふんわりと青く光るアカネの姿を見ながら、カイトは唖然としていた。それがアカネではない『何か』に見えたからである。
「…………あれ…………」
ふとした想像から、カイトはポロリと言葉を口から零す。
アカネの体が駆け抜けて行くのに重なって、多くの美しい角を持つ青色の鹿が走っているように見えたからだ。軽やかに駆け抜けている青い鹿は、まるでアカネの体を誘導しているようだった。しかし、瞬きをして再び見て見れば、走っているのはアカネだけだった。しかし、カイトは自分の目を疑うことは無い。カイトは体制を整えると、アカネの後ろを走り始めた。傷も癒えたために、先ほどよりも体は動きやすくなっている。カイトは体中に力を籠めると、『竜の怒り』を放つために力を溜め始めた。ドラゴンタイプの技はディアルガには有利な筈だ。その間にアカネがどんどんとディアルガとの距離を詰めていく。ディアルガは地面を素早く走り回るアカネに『ドラゴンクロー』を繰り出すが、その技は地面を抉った。またも時限の塔に傷が出来る。ここから更に闘いが延長するとなると、アカネとカイト、ディアルガの体よりも先に時空の塔が崩壊してしまう恐れがある。
(ディアルガは倒さなくてもいい…………歯車をあそこに納めさえすれば……!)
カイトは鋭い視線を祭壇へと向けた。歯車を嵌め込むことに時間を費やしている間、あの状態のアカネがディアルガを引き留められれば、目的は達成することが出来る。今はまだディアルガが完全に祭壇の前を塞いでいるため、通ることは出来ない。時限の塔が崩壊しない程度に、と考えると、ここから短時間でディアルガの動きを封じ、時の歯車を嵌め込むしか方法はない。
カイトはバッグの中を弄り、球状の道具を手に取った。『不思議玉』である。それも、敵を硬直させるタイプの道具だった。カイトはそれを発動させると、持ち前の腕力でそれをディアルガの方へと投げつける。『縛り玉』は無事発動し、ディアルガの体を一時的に硬直させた。しかし、相手は『伝説』ともいわれるポケモンである。つまり、長く持たないのは目に見えていた。アカネはディアルガの体に素早く飛び乗ると、体の凹凸を伝ってディアルガの背中の上へと上り詰めていく。そして尻尾をディアルガの背中に叩きつけて飛び跳ねると、尻尾を大きく振り上げて『アイアンテール』をディアルガの首の後ろへと命中させた。
ディアルガの叫び声のようなものが轟く。再び時限の塔・頂上に衝撃が走った。ディアルガの方向によって時限の塔はまたも朽ちていく。時間はない。
首を叩かれたことによってディアルガは体制を崩し、片方の前足を折るが、その直後再び『時の咆哮』を繰り出す。背中の突起物が開くと同時に、アカネは素早くディアルガの背中から飛び降り、背後へと回り込み、素早く『十万ボルト』を撃ち放った。『時の咆哮』を撃つその寸前ではあるが、ディアルガの体には多量の電流が流れ込んだ。ディアルガはまたも苦しみもがくと、顔を上へと持ち上げて『時の咆哮』を口から放つ。何とか塔からは逸れた所に撃たせることが出来たが、その衝撃はすさまじかった。カイトは、足元が軋む音に気付き、かなり焦り始める。
「アカネ!ちょっとこっちに……」
一旦アカネを呼び戻そうと、カイトは声を上げた。青い瞳がちらりとだけカイトを見るが、カイトの声を無視してアカネは再びディアルガの体にしがみつき、体の上へと昇っていく。そんな彼女に、カイトは困惑するが、『来てほしい』という意図を察してもらえなかったのかもしれないと思い、もう一度『アカネ!』と、彼女の名を呼んだ。
彼女は反応すらせず、ディアルガの体の上にまで再びよじ登ると、『エレキボール』を作り出してディアルガの背中にある突起物へと命中させた。『時の咆哮』を使う時にエネルギーを溜める場所である。ディアルガは前足を折って、次は体半分地面に座り込むような形になったが、アカネは攻撃を止めなかった。片腕を上げてそこに電撃を溜めると、勢いよくその掌をディアルガの背中へと押し付けて電流を流し込む。
完全に、カイトの声に応える気が無いのだ。カイトはショックを受けたと同時に、底知れぬ違和感を抱いた。しかし、そんな違和感の事を考える前に、ディアルガが動き始めた。一度折った足を延ばし、一気に立ち上がると、ディアルガは宙へと浮き上がる。そして体を揺さぶりはじめ、アカネを振り落とそうとしていた。アカネも揺れに耐えながら、再び電流をディアルガへ流し込むが、カイトはその様子を見て更に目を大きく見開く。ディアルガの体の赤色が、更に濃くなっているように感じたのだ。暴走と共に精神がどんどん不安定になり、闇が心を侵しているのか。
カイトはずっと溜めていた『竜の怒り』のエネルギーを、ここでディアルガへと放った。宙を飛んでもがいているだけのディアルガの腹部に、この技は命中した。効果はかなり高いはずだった。案の定ディアルガは苦しみもがくと、悲鳴のような叫び声をあげてゆっくりと塔の上へと落下してくる。ディアルガが塔の頂上に落下するとともに、地面には亀裂が入った。頂上は相当頑丈に作られているようだが、本当にこれ以上は……!
ディアルガは、そんなカイトに顔を向けた状態になって倒れ込む。時限の塔のこの惨状に目を向けていたカイトは、ふとそんなディアルガと目が合った。赤く輝く、狂気と闇に侵された獣の瞳だ。次の瞬間、ディアルガは大きく口を開き、カイトの方へと技を繰り出す。
『竜の息吹』だった。青色の炎がカイトの目の前に迫ってくる。避けようにも、あまりにも突然すぎてよけきれなかった。ディアルガは判断能力などが抜け落ちてしまっているものの、いくら攻撃されたところで身体の中に蓄える生命力やエネルギーはアカネやカイトとは比にならないものだ。アカネがあの状態でかかっても、まだエネルギーは十分に体の中に蓄えてあるようだ。
カイトは青い竜の炎の中に飲み込まれた。『炎タイプ』の技ならばどれだけ良かったか。『ドラゴンタイプ』の技によって飲み込まれたカイトは、炎に引きずられるままに倒れた柱へと激突し、体を岩の柱の中に埋めた。ディアルガの攻撃が止むと、カイトの体は傷だらけの状態で地面へと倒れ込む。
「ッ……が…………」
背中には柱への衝突による大きな切り傷や打ち付けた後、そして腹側は『竜の息吹』によってかなり傷つけられていた。本当にギリギリ耐えた、という具合にカイトはダメージを受け、その場に倒れ込んでいる。次にディアルガの攻撃が当たれば、カイトの命は無いかもしれない。
相手の判断能力などが抜け落ちているようで忘れていたが、相手は本当に『伝説』のポケモンだった。本気でやり合えば、まず死ぬと言われているような相手だ。カイトが油断した……その一言に尽きる。
「あ…………アカネ…………」
動けない。体が、動かない。カイトはアカネに助けを求めた。
しかし、アカネはカイトの方など見向きもせず、ディアルガをひたすらに攻撃し続けている。アイアンテール、エレキボール、十万ボルト。ディアルガはその度に抵抗し、アカネに攻撃を仕掛ける。
青い目が不気味だった。カイトが目だけでアカネを追うと、その青く輝く目は無機質で、アカネの顔には何も浮かんではいない。『時の歯車を時限の塔に収める』……その当初の目的は、まるで忘れているようだった。カイトのことも見えていない。見えているのはディアルガだけで、まるで、相手を倒すことだけを考えているようだった。
『時の歯車』は、カイトの手元にある。アカネが反応してくれなければ、ここで行き詰ってしまう。アカネとディアルガの闘いは全くと言っていいほどに決着がつきそうになかった。塔が崩壊してしまう。ここで自分たちが争うことによって、時限の塔がついに完全崩壊に近づいている。
カイトはどうにか腕を地面に付くと、筋肉に力を込めた。自分は馬鹿力だ。こんな体位易々持ち上げられる……と。思いこませるように頭の中で何度も唱え、何とか体を地面から浮かせる。しかし、ディアルガがアカネに『時の咆哮』を放ったことによって地面に衝撃が走り、またもカイトは地面へと叩きつけられた。
「ッぐぁ……!」
胸板を地面に強打し、体に走った痛みにもがいた。否、もがこうとしても、もう体が動かない。さっきの努力でエネルギーを使い果たしてしまったようだった。アカネは所々でディアルガの攻撃を受けながらも、彼女自身の特殊な『能力』である回復力によって何度も起き上がり、ディアルガを攻めに向かって行く。
思えば、『霧の湖』の時もそうだった。幻影のグラードンに攻撃している最中のアカネは、グラードン以外の何も見えていなくて、カイトの声にも他の出来事にもまるで無反応。グラードンを倒し終わり、カイトが近づいて声を掛けた時、初めて自分でこちら側へと戻って来たのだ。
(……………ディアルガを倒さなきゃ………………終わらないのか…………?)
巨大な衝撃と共に、また塔が揺れた。