憎しみの身代わり‐184
* * *
古代遺跡にて。
リオンの腹を、勢いよく黒い球体が突き上げた。リオンはその勢いに吹き飛ばされ、腹部に痛みを感じながら更に背中を遺跡へと続く階段へ叩きつけられる。止むことの無い攻撃はさらに続いた。へケートの『サイケ光線』がリオンの体に命中し、苦し気に呻き声を上げる。リオンにとっては効果が抜群の技だった。へケートは勝敗などまるで気にしていないかのような顔をしながら、猛攻をリオンに浴びせた。体が吹き飛んだ衝撃で、探検用のバッグがリオンの体から離れ、音を立てて地面に落ちる。何を思ったのか、へケートはそのバッグに向かって『サイケ光線』を放った。バッグは宙を舞い、再び地面に叩きつけられると同時に蓋が開く。中からバラバラと道具が転がり落ちた。
探検隊バッグは、基本的に如何なる攻撃を受けてもある程度壊れないように作られている。へケートの攻撃でバッグ自体が破損するようなことは無かったが、蓋についていたボタンが弾けた。
「あ…………」
バッグの蓋から中途半端に転がり出たものがあった。一冊の本のような物だ。その本は中途半端に開きかけながらバッグから飛び出していた。へケートは不審げにそれに近づくと、その本の正体を確認する。そして、その本へと手を伸ばした。
「あ、ぃっ………さ、触るな!!」
「嗚呼、ステファニーの日記か。気色悪い」
リオンは、ステファニーの日記をバッグに入れて持ち歩いていた。日記の存在を知った時からずっとバッグの中に入れていたのだ。へケートはそのことに気付くと、まるで汚いものでも見るような顔をして日記を前足で弾き飛ばし、宙に舞っているところを『サイケ光線』で破壊しようとした。
リオンは絶叫する体の痛みを抑え、余った力を振り絞って走り出すと、間一髪で日記をその腕の中に収めた。『サイケ光線』に撃たれたのは、日記を抱きかかえたリオンだった。そのまま勢いよく地面に叩きつけられ、日記の固い部分が腹に食い込んで咳き込んだ。
「………………ステファニーとの会話を見たのか?」
「…………あぁ……そうだ」
本を抱きかかえるようにしてリオンは再びゆっくりと立ち上がる。怪我の痛みや体力の限界ゆえに足元がふらついていた。へケートはそれを眺めながら、口をゆっくりと引きあげる。
「おまえ……おまえ、なんでそうなったんだ?」
「なんで、とは?」
「俺は、未来でスパイしてたお前のことをしらない。だから、お前がどうしてそんな風になったのかも知らない。どうして、そんな風になったんだ」
「親や育ちが悪かっただけだ」
そう言ってへケートはリオンの目の前まで近づくと、リオンの胸をとん、と前足で押した。リオンの体は揺らめき、背中側から地面へと叩きつけられる。立っているのもやっとな状態だった。
へケートは仰向けになったリオンの顔をのぞき込むと、彼の顔をペロリと舐めた。一体なんだ!?と、一瞬パニックになったリオンは腕を思い切り突き上げ、へケートの体を突き飛ばした。
特にその行動に意味は無かったのだろう。ただ思いついたからやってみただけなのだろう。リオンを馬鹿にするように自らの腕の毛をゆっくりと舐める。その仕草に、リオンは思わず目を細めた。この女の頭の中は、おそらく子供のままで止まっているのだ。口調や態度でいくら年齢相応に表そうとしても、見ていればなんとなくそれは分かった。どこか頭の中で浮つく衝動を抑えきれないような、未発達な心がある。
リオンは、自分とよく似ていると思った。
「これから、どうするつもりだ」
「さっきから良く喋るな、お前」
へケートは前足で力いっぱいにリオンの喉を踏みつけた。喉がふさがったことで、息が出来なくなる。生命の危機を感じて無意識に手足をばたつかせる体の叫びは、へケートには届かなかった。へケートが足を退かした後も喉を掴み上げられているような感覚が残る。おそらく、『サイコキネシス』で喉を圧迫しているのだ。苦し気に歯を食いしばるリオンを見て、へケートは楽しそうに笑った。
目的を失ったへケートは、何を考えるわけでもなくリオンを痛めつけることへと目的変更をしたようだった。爪を立ててリオンの腹に食い込ませ、リオンが歯を食いしばるのを観察していた。今リオンを殺してしまえば、へケートは一匹の退屈な時間を過ごすことになる。この先どうするか決めるまでの暇つぶしだ。
リオンの体から滑り落ちた日記を咥えると、宙へと投げた。リオンは身を捩らせて日記を取りに行こうとするが、サイコキネシスで拘束されているが故に動くことが出来なかった。動けば動く程に首の拘束が苦しくなっていく。へケートが放った日記は宙を舞うと、二匹から少し離れた所へぱたんと落ちた。へケートはその日記を恨めしそうに睨みつけると、『シャドーボール』を放つ。
その日記は、ステファニーの痕跡だった。
「や、やめっ……………」
シャドーボールは日記に直撃し、シュウシュウと音を立てて散った。日記本体には焦げたような状態で中央辺りに穴が開き、敗れた紙がぱらぱらと砂埃と共に散らばる。へケートは日記に近づくと、足で再び日記を蹴り上げた。その衝撃で本らしき面影が消え、焦げたような紙がバラバラになって散らばって行く。殆ど文字が読めない程に壊れていた。
「ステファニーは消えた。もう必要ないだろう。あんな物」
「おまえ………………お前!!!」
リオンは自らの首を抑えて『守る』をサイコキネシスと接触させた。サイコキネシスはリオンの首を捕えているため、『守る』を強く押し付ける程に首への圧迫は増していく。リオンは強く首を捩り、サイコキネシスがかかっている焦点をずらすと、力強くそこからエネルギーを噴出した。
パリン、と耳に何かが割れるような音がした。いや、感覚的に感じ取ったのだろうか。サイコキネシスの効力にひびが入ったのを感じたリオンは、更に力を入れて首をひねった。そして足を地面につけると、力一杯に地面を蹴りつける。
「ッ!!」
首が押し付けられて、一気にはじけた。サイコキネシスの効力が消え、何とかリオンは腕で地面を押して立ち上がる。前の前には、散らばって黒く焦げた日記の紙片が舞っていた。へケートは残った大きな塊を手先でもてあそぶと、勢いよく踏みつける。更に日記は崩れた。
リオンは転がったバッグの所まで駆けると、その中から零れ落ちていたオレンの実を拾って齧りついた。へケートはそれを見ながら冷たく笑い、リオンの探検用バッグに向かって『サイケ光線』を撃ち込む。バッグは壊れないが、中の物がシュウシュウと音を立てて崩れた。
「おまえ、ホント、何なんだよ!!!」
オレンの実の欠片を噛み砕きながら、リオンは殺意を込めた目でそう口に出した。彼は最後の一口を口に入れてガリッと噛み砕くと、へケートに向かって『ブレイズキック』を繰り出した。オレン一個で回復し切れてはいないが、疲労は少しマシになったようだった。へケートは足元に落ちている日記の残りの塊をリオンへと放り投げる。それも構わずにリオンはへケートに『ブレイズキック』を撃ち込んだ。
「ッ……!」
痛い。と感じたが、へケートは尻尾を振り被るとリオンの顔を叩き上げる。しかしリオンも負けじとへケートの尻尾を掴み、両手で地面へと叩きつけた。先ほどまで全く歯が立たなかったのにもかかわらず、この変わり様は一体なんだ。一瞬へケートは疑問に思ったが、直ぐに答えは出た。怒りによってリオンの中に、パワーやスピード、彼自身が出来ることへの容量を超越したものが生まれたのだ。その様子は、へケートがレジスタンスにもぐりこんでいた時も何度か目にしたことがあった。感情を力に変える、というものである。
「下らん」
咄嗟に吐き出したその言葉は更にリオンの怒りを煽った。ステファニー自身のことを馬鹿にされたように感じたリオンは、『はっけい』を繰り出した後に足でへケートを蹴りつける。へケートは一度離れると『スピードスター』をリオンに放つ。間一髪でかわし、懐にもぐりこむように身を屈めて『影分身』を使った。少しぶれたリオンの影がいくつもへケートに向かって接近していく。へケートは体中に力を籠めると、大きく目を見開いた。『サイコキネシス』で周辺の影分身を弾き飛ばしていく。ある程度本物が絞れたところで『サイケ光線』を一部の分身に当てた。それに当たった分身ははじけて消えていくが、本物は居ない。
「!!」
背後からリオンが腕を突き出していた。『はっけい』である。体が衝撃はによって吹き飛ばされ、リオンは次に『真空波』でへケートに更に衝撃を与える。へケートの体は吹き飛ばされ、地面に叩きつけられそうになる。間一髪自分の周辺に『サイコキネシス』を放つことで地面への衝撃を弱め、体が地面に叩きつけられるということは無く、直ぐに体制を立て直した。
「………………先程とはまるで別個体のようだ」
感心した面持ちでリオンへと向き直った。息切れして体中が痛みを訴えている状態のリオンは見るにも絶えない程に痛々しいが、それでもまだ食いついてくる気が十分にあるという事は分かった。
へケート自身、これからどうするかなどまるで分からなかった。何故なら、ルーファスへの復讐心で表世界へと這い上がってきたような女である。この世界にルーファスは居ない。未来へ行くにも力が足りない。そして、時間が経てば……極僅かな可能性ではあるが、アカネとカイトが革命を成功させてしまう可能性がある。その時、へケートもリオンも、ルーファスも『消滅』を迎える。黄泉の国で復讐できるというのならば、へケートは消滅を選ぶが、そんな不明確な事を目標にするような女ではない。
(……さて、どうするか…………)
このままリオンと遊んでいるのも良い、と思い始めていた。ステファニーの中へ居る時の凄まじいほどの執念が、シュウシュウと音を立てて少しずつ蒸発していくのを感じる。ルーファスはおそらく未来で死ぬだろう。あちらには圧倒的に敵が多い。かなり手負いの状態で、しかも近くにはキースが居る。二匹ともあちらに着いた時には動くこともままならない筈だ。ならば、直ぐにでもルーファスは処刑されるだろう。
へケートは、未来であの時……ルーファスと対峙した際『時空ホール』の作成に失敗したことを悔やんでいた。あれで記憶を失くすことなく過去の世界に行くことが出来ていれば、おそらく復讐は成功していた。
(…………そもそも、こいつがルーファスを隠して私の目の前に現れなければ…………)
リオンと初めて会ったあの瞬間にステファニーにルーファスの姿を見せていれば、もっと早くに記憶をこじ開けることが出来たかもしれなかった。ステファニーとへケートは、違ったようで同じだった。へケートの中に『ステファニーだった』という時期があっただけの話で、それを呼び起こすのはルーファスの姿を見た瞬間だけでも十分だったはずだ。
それを意図的に拒み、目の前に現れたのは全く見覚えのない、リオル。
(…………こいつも、私が失敗した原因か?)
へケートの目は段々と鋭いものへと変わってくる。リオンはそんな彼女の目を見て、様子がおかしいことに気付いた。へケートのあの目は、先ほどまでルーファスに向けられていたものだったはずだ。
この時、へケートのリオンへの認識は変わった。アカネもいない、ルーファスもいない。それならば、誰が復讐対象なのか。
ルーファスと自分との接触を遮った、リオンだった。
「殺す」
「!!!」
へケートはリオンの目の前に駆け寄ると、首に思い切りかぶりついた。首を食いちぎられそうになりながらリオンはへケートと共に倒れ込み、彼女はリオンに覆いかぶさるようにして首に圧を掛けていく。ちぎれてしまいそうな程の痛みだった。リオンは大きく腕を振り被るとへケートの横顔を殴りつける。女性に対して、という概念は無かった。そんなことを言っていたら本気で殺されてしまう。ギシギシと音を立てる体に鞭打ってリオンはへケートを全力で引き剥がし、『はっけい』で彼女の体を吹き飛ばそうと腕から衝撃波を放つ。しかしへケートは大きく跳ね上がって避けると、空中で身体をくねらせながらリオンに『シャドーボール』を放つ。
上から来る。そう思ったリオンは咄嗟によけようとしたが、足に刃物で刺されたような痛みが走った。ずっと続いていた戦闘でのダメージの名残がここで現れたのである。足に痛みを感じたリオンは咄嗟に動くことが出来ず、体を無理やりねじることによってシャドーボールを間一髪で避ける。しかしシャドーボールが足を掠り、焼けるような痛みが体に響いた。
「ッ!!」
正面からへケートが再び襲撃してくる。リオンは腕を大きく振りかぶると『真空波』をへケートに放った。しかし『シャドーボール』で相殺され、へケートは『サイケ光線』を再び放つ。
リオンはバッグの中に手を突っ込むと、不思議玉のような形状のものをあてずっぽうに手に取り、起動させてへケートの方へ向かって投げる。
「!!」
へケートの動きが止まった。そして尚動かずにいることを考えると、リオンが投げたのは『縛り玉』だった。モンスターハウスなどに遭遇した時にかなり役に立つ道具だ。広い範囲に効力がある為、少し遠くに板へケートも金縛り状態にあっていた。
「はぁ……」
「…………!!…………ッ……!!」
縛り玉の効果は、ダメージを与えない限りは長時間持続する。リオンはへケートを目の前にオレンの実を齧り、『復活の種』を飲み込んだ。みるみる体の疲労が解けていくのを感じ、リオンはもう一度大きなため息を漏らす。
へケートは喉の奥からグルグルと唸り声を上げる。金縛りの為に完全にしゃべることはできない。恨めしそうな顔でリオンを睨みながら、その目の中にはルーファスが映っていた。
リオンをルーファスと重ねている。結局、この女にはルーファスしか見えていない。冷静になってみて、そんな彼女が、どことなく可哀そうで、寂しそうに思えた。
「………………お前は、何かを悲しいって思ったことはあるのか?」
「……………………」
「なんか、お前の口ぶりから、生まれた時からお前、そんなんだったわけじゃなかったんだろうなって思った。なんか理由があってそうなったんだろうなとも思うよ」
「…………ッ…………」
「この勝負で俺が殺されようと、最後ならそれを…………」
「ッがぁ!!!」
「!!?」
バチッ、と。何かが弾けるような音がした。へケートの体がぎこちなく動き始めたかと思うと、一瞬でリオンは地面に叩きつけられ、首に爪を立てられる。嘘だろ、と。頭の中で警鐘が響いた。
「なっ……」
「さっきからペラペラ喋りすぎだ!!!お前に私は分からない、分かられたくも無い!!もう一度言う、私はお前が嫌いだ!!お前は本当に、私の中にステファニーしか見えていない!私がステファニーだから知ろうと思うんだろう!!ステファニーじゃなかったら悪党としか思わないだろう!!」
「おま、えだって!俺の中にルーファスしか見えてないだろうが!俺はルーファスの代わりだろ!復讐に失敗したからって平然と身代わりに使いやがって!!言っとくが、今のお前じゃ例え妨害が無かったとしてもルーファスには勝てねぇよ絶対!!」
「煩い黙れ死ね!!!!」
へケートはサイコキネシスでリオンの体を地面に押し付ける。背中が圧迫され、リオンは苦し気にもがいた。目はしっかりとへケートを捕えていたが、次の瞬間へケートは鋭く爪を立ててリオンの顔に振り下ろした。
リオンは咄嗟に目を閉じる。しかし、瞼に何かが突き刺さった。爪を折る様にして瞼の傷から引き抜かれ、そして遅れてやってきた鋭い痛みに声を上げ、もがく。
(目……傷入れやがった!!見えねぇ……!!!)
片目だけだったが、もう片方もいつやられるか分からない。リオンがルカリオだったならば、目をつぶされても『波導』を読むことが出来る。戦闘に殆ど支障は生じない。しかし、へケートはもう片方をつぶすことなく、再び首に噛みついた。別の場所から襲ってくる痛みに耐えながら、リオンはどこか動かせる場所は無いかと体に強く力を入れた。汗が目の傷に触れて酷い痛みを感じる。牙が食い込み、リオンの首には徐々に血が滲んでいく。へケートの大勢だと、顔を横に向けて首をつぶす様に噛みついている。そして、リオンの目の前にはへケートの大きな耳があった。片目でどうにか狙いを定めると、リオンは首に力を込めて顔を上げ、へケートの耳に喰いついた。痛みを感じたへケートは口を首から離すのではなく、更に牙を食い込ませていく。それに耐えているリオンもまた、力がこもりへケートの耳に穴を開けんばかりに食いついていく。
「ッ……ぐ!!」
先に口を離したのはへケートの方だった。目をキッと吊り上げると、片手を上げてリオンの顔を叩き上げた。爪を立てていた為、リオンの横顔には爪の痕がびっしりと残り、血が流れ始める。拘束が微かに弱まったと感じたリオンは、右腕に力を集中させ、へケートに向かって振り上げた。
「!!」
へケートがリオンの体から離れ、数メートル先へと退避する。サイコキネシスの拘束が解け、リオンは手をついて立ち上がった。傷つけられた方の目が明かなくなってしまったために、この先片目で戦闘を行わなければならない。はっきり言って、こんな戦い方をしていたらキリが無かった。首や顔から血が流れているのを感じ、双方を腕で拭き取ると、へケートを睨みつける。首を噛むのが好きな奴だな、と。恨めしそうな目でもう一度首についた血を拭う。
へケートに傷つけられた片目がジンジンと熱く、痛みを体全体に広げていった。