最後の冒険‐183
* * *
―――遺跡が離れていくのが見えた。
アカネ、カイト。二匹は今、虹の石船の中央部に立っていた。ゆっくりなのか速いのか、それすらも分からないような不思議な感覚。石船が通った後には七色の虹がかかる。どんな原理かは分からないが、薄くかかった虹は今まで辿って来た道を彩っていた。時限の塔が近づいてくる。そして、遺跡がどんどん離れていく。
「………………」
「……ついに、ここまで来たね」
カイトは感情が強くこもったような声でそう言った。アカネはゆっくりとカイトの方に顔を向け、小さく頷く。本当なら、ルーファスもリオンも一緒に居たはずだった。ルーファスは未来へ帰ってしまった。もう会う事は二度とできないだろう。リオンも同じだ。きっと、もう。会うことは出来ない。
そして、全てを終えた時。おそらく、ここから先の出来事が全て上手く行ったとすれば、次はカイトともお別れだ。カイトだけではない。この世界の全てと、永遠にかかわることも無い。消滅を遂げた後、未来の者であるアカネの存在の記憶がカイトに残っているかもわからない。
アカネは自分が考えていることを少し不謹慎だと思った。しかし、彼女が考えていることは紛れも無い本当の気持ちだった。
「……あんたが一緒で、良かった」
隣に聞こえるようにそう口にした。いつかどこかで、カイトにも言われた気がするようなこの言葉。その言葉にカイトはアカネの顔を見て、『あの時と逆だね』と柔らかく笑った。アカネはその言葉を聞く前に俯き、小さくしゃくり上げる。その拍子に、ボロボロと涙が赤い頬を伝ってこぼれた。泣くのはまだよせ。と、黒い穴の底へ消えて行ったパートナーがどこかでアカネにそう言った気がした。そんなことを言われても、無理な物は無理だった。両手で一生懸命に目を拭っても、後から後からと涙が頬を伝って、真珠のように石船の上にポトポトと落ちていく。床にできた水玉のような涙の後が歪んで不細工だった。
頭に暖かいものがふわりと暖かいものがかぶさってくる。ゆっくりと頭を撫でられ、アカネは再び正常な呼吸を取り戻そうと息を吸いこんだ。
「だいじょうぶ」
安心させるようにカイトはアカネの片手をやんわり握って、そのままゆっくりと下に下ろした。
妙な安心感が片手からじわじわと体中に広がってくる。アカネは自分の呼吸が落ち着いて、涙が冷たくなっていくのを感じる中で、手を離されてしまわないように手に力を込めた。一秒も立たないうちに握り返されたのが悲しみと辛さの中で妙に嬉しくて、膨らんでくる罪悪感がちりりと心臓を焼いた。
カイトは、未来の者が消えることを知らない。アカネはカイトには未来の者達が消滅することを言わなかった。その真実を知る唯一の存在になってみて初めて分かる、ルーファスやリオン達の辛さ。真実を伝えたくとも、伝える事が出来ない気持ち。
いざ、言わなければならないと思うと、たくさんの想像が頭の中をよぎっていった。カイトがアカネを大切に思っていることは、彼女自身だってよく分かっていることだった。この真実を今告げてしまえば、カイトは間違いなく驚き、悲しむだろう。もしかすれば怒るかもしれない。
成功しようが失敗に終わろうが、アカネにこの先は無い。成功すれば消滅、失敗すれば死……。そして確実にこれは『最後の冒険』という事になる。チームクロッカスとしての、最後の冒険。
消滅する、などという事実は、カイトに伝えてしまえば足を引っ張ることでしかなかった。そんな理由で伝えないのは、カイトに対してあまりに失礼かもしれない。しかし、この長い冒険の最終目的は時限の塔。時の歯車を納めること……この先、ルーファスもリオンもいない。二匹でやるしかないのだ。この先の苦労は想像もできない程大きいものになる。迷いがあってはいけない。
「……ねぇ。ルーファスが言ってた、別れは辛いけど後は頼んだ、っていう言葉。なんとなく僕分かるんだ。ルーファスはアカネとずっとコンビを組んできたんだもんね。
すごく、辛かったんだと思う」
「……うん」
違う、そういう事じゃない。そういう事じゃないのよ!
アカネはそう泣き叫びたかった。アカネは、全てが終わるまでこのことは隠し通しておくと決めた。だから、そんなことは言えなかった。全てを聞いていなかったカイトには、そう思えて当然だった。しかし、ルーファスが言っていたことすべてを合わせてその言葉の意味を考えるのなら、あれはアカネとルーファスのことではない。
アカネとカイトのことを言っていたのだ。いずれ来るであろう別れの辛さ、それでも成し遂げてほしいという思い。それがすべてだった。
あれは、アカネとカイトの背中を押すための言葉だったのだ。
「落ち着いた?」
「……ええ」
有り余った悲しみと痛みを喉の奥に飲み込んで、アカネは小さく頷いた。まだ目が潤んで、また悲しみがこぼれていきそうだった。自由な片手で目を拭うと、鋭い目つきで時限の塔を睨みつける。
「…………時限の塔が近づいてきた」
「カイト。絶対、勝つよ」
赤い雲がかかった時限の塔。あの崩れかけた塔の上で、ディアルガがアカネ達を待ち構えている。未来を変えさせまいと喰らい付いてくるはずだ。
絶対に負けない。負けてはいけない。未来は変えなければならない。
お互い、繋ぎ合った手にギュッと力を込めて、その意志を強く握りしめた。
* * *
虹の石船が、島の淵にぶつかって止まった。ぐらりとした小さな衝撃で足元が揺らぐ。カイトは宙に浮遊する島にゆっくりと足を付け、安全を確認すると、そのまま島に降りてアカネの手を引く。虹の石船が止まった所から細い道が塔の方まで続いており、その少し手前でガルーラ像が佇んでいた。そして、時限の塔がぽっかりと口を開いて二匹を誘っているようだった。おそらく、時限の塔の中は不思議のダンジョンになっているのだろう。塔に上る最中でさえも、試練はあるという事だ。不気味な赤い雲が塔の頂上に渦巻く。時空の塔は崩壊しかけていた。塔の中も酷いことになっている可能性があった。たった二匹でこの先に進むのか、と思うと、いまさらであるが身震いがする。ルーファスやリオンの存在は、やはり大きかった。
「ついた……」
二匹は塔を見上げた。深みのある青を基調とした、普通の建物とは明らかに違う造りの建物である。塔の表面には何本もの線のような物が走っており、その線は上から下へ、赤い光を纏って降りてきていた。
二匹が塔へと繋がる階段を登ろうとした時だった。カイトが一歩足を掛けた瞬間、大きな地響きが二匹を襲った。カイトの体がぐらつきそうになったのを、アカネは何とか支える。二匹とも地面タイプの『地震』という技には弱い。従って自然現象であっても、ダメージを受けていないので平気、という訳ではなかった。
「あ、ありがとう……頭クラクラするね……」
「さっきの地響きは……時限の塔が崩壊していってるのかもしれない……急ぎましょ」
「うん」
二匹は体制を整え、階段に足を付けて塔の方へと進み始めた。ぽっかりと口を開けた党の入り口の隣には、ガルーラ像が佇んでいる。選ばれた者へのせめてもの手助けだろうか。この先には二匹だけで昇って行かなければならない。アカネとカイトはお互い拳を握ると、軽くその片手ずつの拳をぶつけ合った。そして、バッグを肩に掛け直し、真剣な顔つきで塔の中に足を踏み入れる。トクン、トクンと、鼓動のような物が何処からともなくゆっくりと聞こえてきていた。まるで、巨大な時計の秒針の音のように聞こえた。まだ時は刻まれている。この秒針が止まらないうちに、時の歯車を頂上に納めなければ。
進んで行くと、早速一階から上に上がる手前でポケモンと遭遇した。ルナトーンだ。ダンジョンでは珍しい事ではないが、明らかに二匹を敵視していた。ディアルガの手下なのか、それとも時の崩壊の影響によって心が歪んでいるのか。
唐突にサイケウェーブを仕掛けてくるルナトーンを見て、ふとアカネの頭の中にへケートとリオンのことが過った。今頃、どうしているだろう。もう会うことは出来ないが、つい考えてしまう。サイコウェーブを避けて、そのまま体を捩るとカイトは『火炎放射』を放った。炎がルナトーンの体を焦がしている途中に横から入り込み、アカネは『電気ショック』でルナトーンにダメージを与える。カイトが火炎放射を放つのを辞めた頃、ルナトーンは地面に横たわり目を回していた。
「……よし、階段行こう」
敵を戦闘不能にしたことを確認すると、周りに注意を向けながら二匹は階段を通過する。歩いている途中に、ふとカイトはアカネの方に振り返った。
「そう言えば、アカネ……何だっけ、『ウロボロス』は、割と思い通りに使えるようになった……の?」
「まだ分かんないわ。けど、なんとなく分かってきたような気がするの。治癒は傷がそこまで深く無いうちからすればきっと大丈夫……。これがディアルガと向かい合った時、役立てばいいんだけど……」
アカネはカイトにそう言いつつ、自分に語り掛けるように言葉を発した。すると、トクンと一度、鼓動が一際大きく響いたように感じられた。中で誰かが返事をしたのかもしれない。じわじわと、自らの中にもう二つの命があるんだという事を実感してきていた。今になってそう感じるなんて、あまりにも遅すぎだ。彼女自身も、いつか青鹿が言っていたことと同じことを考える。アカネは、誰かがどこかで柔らかに笑った……気がした。気がしただけであった。
更に二匹は塔の上へ、上へと進んで、上り詰めて行く。塔の中に響く秒針は、未だに鳴りやむことは無く時を刻んでいた。上へと昇ってくると、やはりレベルの高いポケモンが増えてくる。最初はそこまで苦労はしていなかったものの、二匹はかなり周りを警戒していた。エスパータイプのポケモンが比較的多いこのダンジョンは、二匹にとっては可もなく不可もない。しかし、だからこそ神経を削った。
壁に張り付いていたドーミラーが突如接近してきて『サイコキネシス』で身体の自由を奪おうとして来る。腕に痛みが走ることを承知で、カイトはドーミラーの顔を腕で叩き上げた。ジンとした痛みが走るが、ドーミラーは壁側まで吹き飛ばされる。そこをアカネが『アイアンテール』で更に壁に埋め込んでいった。
尚も起きだしてくるドーミラーに対し、アカネは一つ試してみたいことがあった。ドーミラーは打たれ強く、二度攻撃されて尚サイコキネシスで二匹の体を縛ろうと狙ってくるが、アカネはそれを避けながら、体から電力を大量に放ち、一点に集中させていた。目の前に巨大な電気の塊が構成されていく。アカネはそれを、尻尾を使ってドーミラーへと直撃させた。
ドーミラーはそれを受けた瞬間、麻痺やダメージで目を回して倒れ込んだ。電気ショックとも十万ボルトとも違う、電気タイプの技である。
「この技…………」
「多分、『エレキボール』じゃないかな。アカネはスピードに優れてるから、かなり有利なんじゃない!?エレキボールは、攻撃対象のスピードと使用者のスピードの比率で威力が変わるんだ」
「そうなの……詳しいわね」
「まぁ、ちょっと気になって図鑑で調べたりとか……したからね。うん」
少し照れたように頭を掻くカイトに対して、『まじめだな』と思いつつ、アカネは何度かコクコクと頷いていた。ディアルガは巨体。体重が重い分、そこまで動くスピードも速くはないだろう。場所だってこの塔の上の筈だ。もしも戦闘になった際、この技は確かに有利だった。
二匹は更に先に進む。手強い敵はわんさかいたが、大きな怪我を負う事も無く中間地点らしき場所まで辿り着いた。やはり、ダンジョンを通るとなると日々の経験が生かされる。中間地点には入り口と同じようにガルーラ像が佇んでいた。触ってみた所、当たり前ではあるが倉庫との通信は出来ない。あくまで中間地点の目安だった。二匹はガルーラ像の近くにバッグを下ろすと、オレンの実を齧り始める。おそらく休憩が出来るのもこれっきりだろう。この先は、本気で生と死をかけた戦いが待っている。オレンのほろ苦い味が口の中に広がると共に、疲労が回復していくのを感じていた。
「…………ねぇ、アカネ」
「何?」
アカネよりも一足先に最後のオレンの欠片を口に放り込んだカイトは、地面に置いたバッグを肩にかけると、まだオレンを頬張っているアカネに向かって声を掛けた。口の中でオレンが騒いでいて、返事し辛そうにアカネはカイトの方へ顔を向ける。
「……なんでもないや。食べきれる?」
「何とか」
アカネはどうにかオレンの実を体の中にすべておさめ、カイト同様に床に置いていたバッグを体に掛ける。休憩は終わりだ。
時限の塔の奥底までも轟く時の鼓動が重たく響く。まだ時は止まっていない。頂上に佇むディアルガはきっと、この鼓動が鳴り止む瞬間を、塔の上から待っているのだろう。
それを止めようと言う意志など、ディアルガには存在しない。