革命の代償‐180
* * *
アカネ、カイト、リオン、ルーファス。四匹がキースに攻撃を仕掛けようとしていた。キースの体の自由が効いていない今、一斉攻撃を仕掛ければ倒すことが出来る確率は高かった。それぞれが警戒心をより強め、かつキースへと集中していた。
「…………ック……クックック……」
「……おい、何がそんなに可笑しい?」
ルーファスはリーフブレードを構えながら、キースを睨みつけた。リオンはまたへケートの方をちらりと見たが、依然としてその場から動かぬまま、この状況を監視していた。ひどくつまらなそうな顔をしている。それに気づいていないキースは、へケートを無視して数十メートル先にバラバラになって倒れ込んでいるヤミラミ達を見て、また笑った。
小馬鹿にしたような、不快な笑い声だった。
「……お前達が私を倒す……だと?フン……冗談を抜かすのも大概にしたらどうだ?」
「何?」
ルーファスの眉間には更に皺が寄る。この状況で、今度は一体何を仕掛けてくるつもりだ?アカネ、カイト、リオンもまた、何か仕掛けてくるつもりではないかと踏んで防御態勢に入る。キースは無言で身体を揺らすと、腹部にある巨大な『口』を大きく開いた。その口のすぐ目の前に急速に黒いエネルギーが集中して、丸い形が形成されていく。しかも並みの大きさではない。キースが攻撃技を準備している今この時が絶好のチャンスではあるが、黒いエネルギーの『圧力』が強すぎて、キースに近寄るのもままならない状況だった。四匹は危険を感じてキースから離れるが、腹部の口で形成されていく『シャドーボール』は、どんどん大きさが増す一方だ。このままではまずい、しかし近づくことが出来ない。カイトは焦ったように皆に声を掛けた。
「あれを喰らったらやばいんじゃない!?」
「嗚呼……とにかく当たるんじゃないぞ!」
ルーファスも冷や汗を垂らしながらそう叫ぶが、キース程のポケモンがこんな風に技を使うとなると、余裕ぶっていながらも実際は相当追い詰められていると見た。シャドーボールはルーファスの体を丸々包み込める程度には膨れ上がり、それを喰らってはまず『無事』では済まない。
あれを放った後なら、大分キースもエネルギーを使っている筈だ。動きや攻撃力も少しは低くなるのでは。と、ルーファスやリオンは思ったが、その横からアカネが別の意見をぶつけた。
「あのシャドーボールを跳ね返して、あの口の中にぶつけるわよ!
あいつ、防御力は相当高いけど、内部からなら話も違うはずよ!逆に利用できないかしら!?」
「そんなこと出来るのかよ!?」
「ッ……確かに、俺達があれの勢いに耐えられさえすれば……!とにかくやってみるぞ!」
『ほう』と、へケートは感心したように声を漏らした。彼女はキースに一切手を貸す気はなかった。ルーファスにしか興味が無いからである。そしておそらく、キースもルーファス達もそのことを分かっている。皆へケートの事を警戒してはいるものの、一番の危険とは感じていなかった。キースとルーファス達の戦闘が続いている限り、へケートは手を出すつもりはない。
殺すことができるのなら、どうでもいい。
キースは、自分すらも隠れて見えなくなる巨大なシャドーボールを完成させた。嗚呼、撃ってくる!四匹はそれぞれ、シャドーボールを跳ね返すために技を構えた。キースは馬鹿にするように笑うと、シャドーボールを押し出す様に叫び声のような物を響かせながら、四匹へとシャドーボールを打ち放す。
「来るぞ!!」
目前まで迫って来た。ルーファスは『リーフブレード』、アカネは『アイアンテール』カイトは『炎のパンチ』リオンは『守る』を使ってシャドーボールを押し返す。
「ッ……やば……ッ!!」
リオンの『守る』に、巨大シャドーボールは徐々にヒビを入れていく。それぞれ肌の部分がシャドーボールと接触し、まるで何かに体を浸食され、溶かされているかのような、そんな不気味な感覚に陥る。四匹はとにかくシャドーボールを跳ね返そうと必死に耐えた。ルーファスやカイトは唸り声を出しながらシャドーボールを押し返し、アカネは奥歯をギリギリと噛みしめながら堪える。とにかくシャドーボールへと力を集中し使い続けた。
「……ッハァ……!!」
四匹の体は急に楽になる。努力は報われ、シャドーボールは方向転換してキースの方へと逆に進み始めた。キースはシャドーボールを形成するのに夢中でアカネ達の会話に気付いておらず、腹部の巨大な口も全開にしていたことでうまく閉じることが出来なくなっており、巨大シャドーボールはキースの開いたままの腹部へと衝突した。何が起きたのか分かっておらず、一つだけ存在する巨大な目を大きく見開くと、腹を抱えてその場へと前のめりになって倒れ込む。やはり内部が相当傷ついたようで、苦し気に唸り声を上げた。
「やった……キースを倒したみたいだ……!」
「いってぇ……」
疲れ切った様子でカイトがそう言った。リオンはシャドーボールと接触していた自らの手を見た。かなり切り傷や火傷のような痕があり、モロに受けていたら本当に不味かったと思われる。嫌な汗をかいたな、と四匹は深くため息をついた。
キースは自分が倒されたというこの状況に抗うことも出来ず、ただ腹を抑えて唸り、蹲っていた。
「……キース様が、倒された……!?」
ヤミラミ達も目を見張った。これまで尊敬し、不敵な存在と讃えてきた彼らの第二のボス的存在が、腹を抱えて蹲り、苦し気に呻いているのだから。
「……ひ、ヒィィィ!!!」
「逃げろォ!!!」
キースが叶わなかったポケモンたちに、自分たちが敵う訳が無かった。一度アカネとカイトに木っ端微塵にされている中で、もはや『勝てる』と感じる材料はどこにも無い。へケートがまだ残っていることも忘れ、ヤミラミ達六匹は次々に『時空ホール』へと身を投じた。
へケートはそれを見て、心底呆れたような、軽蔑したような顔つきで奥歯をかみしめた。キースをあれほど慕っておきながら、やはり最後は置いて逃げる。生き物本来の在り方で、それは当然だと思った。キースが蹲りながらも、その事実に多少のショックを受けているのが伝わってくる。哀れなものだとばかりに笑った。
「……フン。ヤミラミ達は皆逃げちまったみたいだぞ。お前、なかなか良い仲間に恵まれたみたいだな?」
ルーファスはキースにそう言って、どこか清々し気に笑った。キースは心底悔しそうに大きな目をゆがめると、地獄の底から響くような唸り声をルーファスへと向けた。しばらく動けそうには無いようである。
「……さて、あとは……」
ルーファスは後ろを警戒しつつへケートの方へと目を向けた。やっとルーファスの視線が自分と合ったことに満足したのか、へケートは機嫌が良さそうににっこりと笑い、立ち上がった。その笑顔は表面的に見れば、まるでステファニーの生き写しである。しかし、それは彼女の笑みではない。へケートの笑みには、これから殺してやる、いたぶってやろうという悪意と殺意が込められていた。ドロドロとしたそんな感情が遺跡の上から滴る。
「待たせたな」
へケートにそう話しかけると、更に機嫌を良くして遺跡の上からトン、と飛び降りてきた。かなり高い位置から飛び降りてきたにも関わらず、体制を一切崩すことなく着地する。へケートの水色がかった宝石のような瞳は、まっすぐにルーファスを見つめていた。
「……カイト」
「何?」
「お前は遺跡の上に行って、『虹の石船』を動かす準備をするんだ。ここを片付けたらすぐに行く。うまく起動しているか確かめてくれ」
「……分かったよ」
へケートが遺跡から離れた事を確認し、ルーファスはカイトを遺跡の上へと行かせた。この革命計画は、『虹の石船』が上手く起動し、無事に時限の塔まで運んでくれることで成立する。そこがまず駄目だったならば、ここで頑張っていても意味が無かった。
カイトはバッグの中に『遺跡の欠片』があることを確認すると、遺跡の頂上へつながる階段を駆け上った。もう迂闊にバッグから欠片を出したりせず、周辺を警戒、確認してから欠片に手を付け始める。
「…………ッ……ぐぅ……」
「動かないで」
背後に倒れてこんでいたキースが動いた。巨大な目をアカネ達の方へ向けている。アカネは電撃を撃つことを警告するかのように指先をキースの方に向けて睨みつけた。
「……ッ……ハァ…………おい、クロッカス……アカネ…………お前は……お前は、本当に……これでいいのか?」
「ッおい……キース!」
「何だ。まだ知らされていなかったのか?意外と不誠実な奴だな、お前は」
へケートはそう言ってルーファスに笑いかけた。ルーファスは奥歯を噛みしめ、キースを睨みつける。リオンは居心地の悪そうな顔をして黙り込み、へケートも特に話の腰を折る気はなさそうに、その場に再びゆっくりと座り込む。話をさせてやる、ということなのだろう。妙に自信たっぷりで、どことなく気味が悪かった。
「どういう、ことよ?」
「…………どういうことも、何も。歴史を変えれば……もし、歴史を変えてしまえば、お前達……私達も。未来の者達は、存在が消えてしまうんだぞ…………」
「……え?」
存在が、消える?
その言葉を聞いた瞬間に、アカネの頭の中でとある言葉が組み立っていった。『タイムパラドックス』だ。
時間における矛盾。消えてしまう未来の者達の存在。そこから考えられるものは複雑な、しかし実にシンプルな真実だった。
世界の時は一直線につながっている。過去、現在、そして未来。一本の線でつながっているそれらは、『同じ世界』としては、決して交わることの無いものだ。しかし、アカネ達が実行したように、未来から過去へと『タイムスリップ』で向かい、過去で既に起こった筈の起こった出来事を書き換える。暗黒の世界となっている筈の未来を、平和な未来へと書き換えるのだ。『暗黒の未来』にだって、歴史は存在する。ルーファスやリオンも、その『暗黒の未来』で生まれて育ったポケモンだ。しかし、それを平和な世界になるように書き換えてしまうのであれば、『暗黒の未来』という世界は、過去で出来事を書き換えてしまった瞬間に世界から切り離される。即ち、今アカネ達が居る世界から消え去ってしまうのだ。
それが所謂『存在が消える』という意味なのだろう。
そして、アカネやルーファス達もまた『暗黒の未来』にて生まれた者達。言うなれば世界の一部である。『暗黒の未来』が消えるというのならば、当然暗黒の未来で生まれたアカネ達は『生まれなかった』『存在していない』という事になるのだ。
アカネがそれを理解するのに、時間はかからなかった。それどころか、何故もっと早く気が付かなかったのだろう、と思ったほどである。ちゃんと考えていれば気づいていた筈なのだ。
そしてそれを理解した瞬間、アカネの心の中に巨大な『迷い』が生じた。
「……消える?……未来を変えたら…………?」
「嗚呼、そうだ。早々に理解できたようだな……間違いないだろう?」
「…………嗚呼。……本当だ。
………………隠していて、申し訳なかった」
「……それを分かって、あんた達は……私も……」
リオンは気まずそうに顔を背けた。ずっと一緒に居たのにもかかわらず、打ち明けることが出来なかったのがとてつもなく情けなかった。アカネは責めているような顔つきではなかったが、ショックを受けているような、考え込んでいるような……心から、純粋に尋ねているかのような。そんな顔つきで、二匹に尋ねた。
「……覚悟してたの?……私は……」
自分が消えてなくなることを。
「嗚呼……お前は覚悟していた。お前だけではなく、この『計画』に関わる者達すべてが、それを承知だった。シャロットさんも……シェリーもな」
「シャロットと、シェリーも……」
――――『もし、星の停止を食い止めることが出来て、この暗黒の世界が変わるのならば……私も命を懸けて、ルーファスさんに協力します』
シェリーが放ったこの言葉には、そんなに強い覚悟が込められていたのか、と。今更ながらアカネは気が付いた。
――――『絶対に……星の停止を食い止めて!この世界に光を取り戻して!』
アカネ達を過去へ送り出す際、彼女が口にしたこの言葉も、ここまではっきりと、力強く言えたのは、おそらく自らの行く先を受け入れているからだ。自らの命の存続よりも、世界が放つ光を求めた。その覚悟と執念に、アカネは思わずくらりとよろめく。
アカネは、それほどまでの、狂おしいほどの覚悟があってここに来たわけではなかったのだ。
…………自分が消えて、そして世界が救われる。何て素晴らしい自己犠牲なのだろう。
しかし、自己犠牲だけで済むのなら。アカネはここで迷いなど抱かなかったはずだった。それをルーファスやリオンは悟っていた。いつかこの日が来るとわかっていたのだ。
「……お前には記憶が無い。だから、初めてこのことを言われたも同然なんだ。いきなりこんな話になって戸惑ったと思う。こんなところで打ち明けてほしくなかっただろうということも分かってる。
しかし、どのみち俺達に選択肢はないんだ。いずれ、この世界も『時の停止』を迎えることになる。このまま放っておけば時は破壊され、その先には同じ未来が待っている。俺達がやらなければどうにもならないんだ、分かって欲しい。そして……本当に、ごめん」
「酷なものだな。クロッカスとアカネはもはや別人格だ。以前決断をしたからと言って、今回もそれを選ぶとは限らないだろう。こんなことは気を使って決めるようなことではない。友情だのなんだので決めることでもない。アカネ、お前がどうしたいか言え」
「ッ……口を挟むな!!」
「ここで降りてしまえば、お前は命を失うことは無い。平和ではないにしても、生きながらうことは出来る筈なのだ。革命など行ってしまっては未来も何もあったものではない。そんなものの為に何故自らを犠牲にするという?」
自称・シリアルキラーはそう語った。彼女もまた、レジスタンスに反抗する一方で、歴史の改変により存在が消えてしまうことを恐れている者の一匹だった。存在が消える。自分の存在が無かったことになり、自分が今まで手にかけてきたポケモンたちもまた、存在しなかったことになる。自らの功績も、今までポケモンを殺した回数やスリルと言う名のコレクションも、全てが無くなってしまう。それを知る者はいなくなってしまう。それならば、普通に『死』を遂げた方がましだと考えていた。
その理由は至極異様で、自分勝手だっただろう。しかし言葉をそのまま読み取れば、それは『正論』なのかもしれない。記憶喪失になって、事の直前にそんな重大な事を知らされる。この場で直ぐに決断しなければならない。以前と同じ決断をするとは限らない。『友情』があるから、と称して決めるようなことでもない。
未来の者たちの命までも秤にかけ、更に自分の命までも犠牲になると言われている。そんな中で、何故『決断』などしなければならないのか。
『とある決断』をして、革命が失敗すれば『死』が待っており、成功しても『存在の消滅』が待っている。生きるためには、今アカネがここで降り、キースらに加勢するか、少しでも自分のいないところで革命が失敗することに掛けるしかない。
生きていたければ、そう考えるのが自然だった。
「アカネ……頼む」
――――しかし、アカネの『迷い』は、そうなるまでには至らなかった。
未来の世界を見てきた。全てが暗くて、温もりの無い光のみが点々と灯る世界。冷たい空気と狂気、殺意が渦巻き、ポケモンをポケモンと認識できなくなる。凍てつくように冷たく、暗く沈み込んだ、どこまで手を伸ばしたとしても何も見えぬ、闇夜の世界。
秩序が破綻し、ポケモンを殺す、食すという行為自体がもはやありふれた事で、世界に『光』を描こうという思想さえもかき消され、それぞれの瞳から希望が消えた、暗い深海のような場所。
今やらなければ、待っているのは紛れも無いあの世界だ。今生きながらえたとして、もし革命が失敗したとして。『闇』がすべてを覆い尽し、希望を持つことも許されない未来で、あの時どうしてあんな決断をしたのかと、後悔し、懺悔し、涙しているのは一体誰なのか。
沢山の、現在を生きる者達の希望や未来を背負ってこの場所に立っている。ここまで来るのに、今までどれだけのポケモンが犠牲になったことだろう。過去のアカネはそれを知っていた。それを見てきたのだろう。そして、決断した。自らが消えた後に続いていく、平和な世界を信じて。
(…………それを覚悟して、今まで生きてきたのね……あんた達も)
迷っていたことが何故か少し恥ずかしくなった。ルーファスもリオンも、未来を変えるという意志に迷いはない。『記憶が無い』など、考え直せば言い訳にしかなっていなかった。
答えが出た。ルーファスとリオンに向かって柔らかく笑うと、アカネは小さく頷いた。
「……ありがとう、アカネ。本当に済まなかった。本当は折を見て言うつもりだったんだ。けれど、お前達のことを知れば知るほど言えなくなった。……ごめん。
……アカネ。もう一つ言っておきたいことがある。……お前がこの世界に来て、記憶を失ったことで……変わってしまった事がある。
確かに、俺達の覚悟は決まっていた。この世界へタイムスリップするとき、俺達には失う者なんて何一つなかった。
……けど、今のお前は違うんだ。今のお前には、カイトが居る。お前は気づいているのか分からないが、あいつはお前を慕っている。お前が消えるとなれば、あいつはきっと悲しむだろう。今のお前の相棒はあいつだ。あいつはお前のことが心の底から好きなんだろう。あいつは良い奴だ。良い奴だし、強いとも思う。
けれど、あいつの強さはお前と言う柱があってこそなのかもしれない。あいつにはギルドやトレジャータウンに沢山の仲間がいる。けれど、アカネ。お前を失った時……あいつは本当の意味ではきっと、独りぼっちになる。それをお前は理解しなきゃいけないんだ」
また、アカネの中で、心地の悪い感覚がトクンと揺れた。
歴史を変え、アカネが消えるという事は、カイトとの『永別』を意味している。アカネはこの時、なんとなく分かったような気がした。アカネが消えることに『迷い』を抱いていたのは、それが怖いという話だけではない。カイトを一匹置いていくのがどこか怖かったのだ……と。
アカネとカイト、二匹のチーム『クロッカス』。ずっと一緒に探検してきた。時には他のポケモンも織り交ぜて探検してきたけれど、本質は変わらなかった。カイトがアカネを海岸で見つけたあの時から、『クロッカス』始まっていたのだ。
所謂アカネの気まぐれで作ったチームで、確執もあった。それでも続いてきた。隣で一緒に歩いてきたはずだった。あの時のチーム『クロッカス』は、ずっと続くのではないか、と。どこかでそう思っていたのかもしれない。
……それも、きっとこの冒険で終わってしまう。
考えた途端に、目の奥がじんわりと熱くなってきた。先ほどまでここまで感情は高ぶらなかったのに、いきなり息が上手くできなくて、驚いた。
まだ成功するかも分からないような段階なのに、何故こんな風になってしまうのか。アカネは俯いて目を手の平で二、三回ぐりぐりと拭うと、改めてルーファス達の方を見上げた。
「……愚かな」
「へケート。お前が言ってたことは確かに間違いじゃないよ。けどアカネはアカネだった。それだけだ」
「黙れ。もっともらしいことを言うが、私はお前が一番嫌いだ。お前はこの中で一番つまらない存在だ。ルーファスのように吐き気を催すほどの執念も無ければ、アカネのような不可思議な特徴や力も無い。カイトのような狂気も無く、頭も弱いし特別強い訳でもない。殺したところで一番価値のない存在だ。お前は私の中にステファニーしか見えていない。私にステファニーが戻ることを期待しているだろう。つまらないことに固執し続けるからお前は誰の目にも入らんのだ」
へケートは不満そうな顔つきで、リオンに罵声を浴びせた。リオンはそんな言葉に奥歯を噛みしめて耐えていた。本当は、リオン自身が一番に気にしていたようなことだった。何の役に立つことも出来なかった。そんな自責の念がどこかにあって、そこにはステファニーを助けることが出来なかった情けなさも複雑に絡み合っている。リオンは俯き、それを見たルーファスは『そんなことはない』と反論したが、それを聞くと更に自分がみじめになる。リオンは軽く耳を塞いだ。
「ッおまえ……お前が言える立場か!?」
「私がお前に向けているのは復讐心だ。こいつの持つような形の分からないような物ではない。
そろそろいくぞ」
へケートはルーファスに向かって真っすぐに『シャドーボール』を放った。ルーファスは避ける為に足に力を入れたが、体が動かない。『サイコキネシス』で身体の動きを封じられていた。アカネもリオンも同様だったが、アカネは体が動かない状態のまま『十万ボルト』をへケートに放つ。へケートも動かなければ攻撃が当たってしまう。素早く避けたが、その瞬間にサイコキネシスが緩んだ。隙を狙ってルーファスは『リーフブレード』を構えると、目の前まで迫ったシャドーボールを真っ二つに切り裂いた。すかさずサイケ光線を追い打ちをかけるようにしてルーファスに放つ。そのスピードはかなり速い。が、ルーファスが昔戦った彼女と比べればかなり劣化しているように思えた。おそらく、進化したばかりであるために使いこなせていないのだ。
サイコキネシスを使おうとするたびにアカネが電撃を撃って邪魔をしてくる。ルーファスはキースとの闘いの時の傷が痛んでおり、へケートにうまく反撃できずにいた。
へケートは軽く舌打ちをすると、アカネとリオンの間を『電光石火』ですり抜け、ルーファスに急激に接近した。やはり早い。ルーファスが対応する暇も無く、へケートはルーファスの首元を前足で突くとそのまま地面へと押し倒す。後ろ向きになって倒れ込んだルーファスの顔を狙って『サイケ光線』を放つために額の宝石をギラギラと輝かせた。やられてばかりではいかないとばかりにルーファスは体を思い切り捩ると、足でへケートの背中を蹴り飛ばした。しかしへケートは一度蹴られたと感じると瞬時にサイコキネシスで拘束し、止めを刺そうとした。
アカネとリオンは野放しである為、ルーファスを巻き込むのを承知でアカネはへケートに電撃を放つ。それを見越していたへケートは一瞬サイコキネシスの力を強め、電撃をはじき返した。アカネ達は今までにもサイコキネシスを使うポケモンには遭遇したことがあったが、この技は通常の技に比べかなりやっかいな部類に入るという事を知っていた。その代わり、少しでも使用者の気がそれれば直ぐに力がほどけてしまう事も分っていた。アカネはひたすらに電撃を打ち続け、リオンは『電光石火』でルーファスとへケートに近づいていく。『影分身』を使ってへケートの視界へ入っていくと、注意を拡散するために『真空波』を繰り出す。
「!」
へケートの視線が微かにリオンの方へと動いた。それをルーファスは見逃さず、リーブブレードを使って腕を思い切り振り上げる。サイコキネシスが作用しているためにそこまでのダメージではないが、微かにへケートの胴体の横側にヒットした。しかしそんなことにはひるまず、ルーファスの首元にかぶりついた。その状態で首をひねり、サイケ光線でルーファスの顔面を狙ってくる。顔を逸らすことも出来ず、ルーファスは一瞬死を覚悟した。
しかし、アカネもリオンも妨害をあきらめてはいない。電撃ははじき返されてしまうが、アカネはへケートの体を狙って『アイアンテール』を叩きつけようと跳ね上がる。彼女の中に、『これはステファニーだから』という躊躇いはなかった。それどころか、彼女の体ならばなおさらルーファスを殺らせてはいけないとばかりに直接的な攻撃を仕掛ける。一方リオンは、直前になってつい手を抜いてしまい、何度も何度も弾かれていた。
「ッぐ!!」
へケートは大きく目を見開く。背後から来たアカネを、凄まじい念動力で弾き飛ばした。アカネの体は宙を舞って遺跡の壁に叩きつけられる。じりじりとした痛みが体を襲った。へケートはルーファスの喉元にかみついたまま『サイケ光線』をルーファスの顔に向けて放つ。ルーファスは強く目を瞑り、体が壊れる程の力を入れて顔を捩る。へケートの歯が皮膚に食い込むが、顔をサイケ光線の焦点から逸らすことが出来た。サイケ光線はルーファスの顔面ではなく、頭部に直撃する。鋭い痛みがルーファスの左側の頭部を襲った。もげてしまったのではないか、と錯覚するほどの痛みである。細かい傷がいくつも入り、そこからタラリと血が流れ出たが、意識を失うまでにはいかなかった。痛みに耐えてへケートの拘束が緩んだのを感じると、すぐさまへケートの顔がすぐ近くにある中で『種マシンガン』を放つ。
へケートは軽く舌打ちをしてそれを避けると、アカネが再び放った電撃をサイコキネシスで相殺した。
「おい、大丈夫か!?」
「ッ……嗚呼……大丈夫だ」
ルーファスは自らのバッグから薄い布切れを出すと、頭部に当てて止血を始める。へケートは冷静な表情でそれを見つめていた。そんな彼女の表情とは裏腹に、腹の奥ではかなり苛立っていた。何故殺せないのか。まだ二匹の戦闘は始まったばかりだというのに、早くもそんな疑問がへケートの頭の中をよぎっていく。
「……あ、え!?」
「おい、どうした!?」
「キースが居なくなってんだけど……!」
へケートとの戦闘で気が付いていなかった。キースは先ほど倒れていた場所から忽然と姿を消していた。
そして、同時に遺跡の上から火炎放射が囂々と音を立てて放たれた。