時の海を越えて‐177
*
嗚呼、暗い。
暗い闇の中で……ただ瞼の裏側を見ているだけの筈なのに。赤いのと、青いの、光のような物が二つ、ふわふわと浮かんで、混ざり合って。
一体、これは何かしら。
『……主は遂にここまで来られた。俺達はそろそろ、出て行くべきじゃないのか。彼女の目の前に』
『ディアルガと戦うとなれば、今のあの子の力では全く歯が立たないでしょう。私が主の体を操作するのは限界がある。あの子は、今や私たちの姿すら知らない。もはや主と呼んでよいのかも分からなくなりました』
『そんな冷たいこと、言うなよ』
『綺麗事など述べたところで仕方がないのです。とにかく今は、一刻も早く私達をうまく使えるようになっていただかなければならない。
…………主。私達が見えていますか?』
光が揺らめいて、赤と青がまた別れて、私の方にゆっくりと飛んで来る。ぼやけて良く見えない。顔のような物があるけれど、それがいったいどんなものなのか、よく見ようとすればするほどぼやけて行く。
何をしゃべってるのか分からない。
……嗚呼、ちょっと待って。行かないで、もう少しで思い出せそうなの。あなた達の事を、私、もう少しで……。
『今のあなたは、本気で私たちの事を必要としていませんね』
……あなた達って、何?私の力って事かしら?
『あなたは私が居なければ、おそらくこの戦いに勝つことは出来ません』
……何、言ってんの?
『ディアルガはそれほどの相手。あなたはこの力あってこそのディアルガの敵だった。今のあなたはただの電気ネズミ。あなたが私を必要としなければ、貴方はこの世界を枯らすことになるでしょう』
……あんたが、ゼルネアスってことね。なるほど、確かに積極的ね。破壊能力の方は全く出てきてくれないけど、あんたなら出てきてくれるって訳ね。
確かに、私はそこまで能力に頼ったことが無かった。能力という者が分からなかったからよ。本格的に使ったのだって一度や二度、だったかしら。
電気ショックの件では、世話になったわね。
『……私の声を覚えていらっしゃるのですね』
私、これ眠っているのかしら。初めてね、そっちがこんな形で干渉してきたのは。それとも、ただの夢?
……どちらだっていいけど。……今まで、能力を使うことを拒んできたわけじゃない。けど、その場でどうにかなることが多かったから使う機会が無かった。
『分かっています。しかしそれ以前に、能力を望んでいない』
確かに使ってはいなかった。けど、本当に……拒絶してたわけじゃないわ。必要だとも思ってる……何に怒ってるの?
……ルーファスがあんた達の存在を伝えたのにも関わらず、まだ私が能力を使えていないことかしら?
『…………そろそろ、時間です。“終わりの時”が来るまで、私はあなたを守ります。だからあなたも、私たちを受け入れて。少しでも、元のあなたに戻ってください』
光が消えて行く。結局、彼らがどんな姿をしているのか私には見えなかった。暗闇にぽつんと取り残されそうになって、なんとなくその光を掴もうとして手を伸ばすけれど、怒りはどんどん薄れて行く。本当に私は一匹になった。
昔の私は、いったい彼らの何を知っていたのかしら。彼らの姿も心の中も、きっと全部知ってたんじゃないの?
ルーファスもその化身のような物を見た事があると言う。私が彼らを拒んでいるわけじゃない。私が彼らに拒まれている。
……なんて、少し自分勝手な発想かしらね。
* * *
太陽が、何にも邪魔をされることなく海を照らしていた。青いベールを被せたような澄んだ空には、雲は一つも浮かんでいない。太陽が光を放ち、その空に存在感を示している。まさに絶好の『探検日和』だった。
「……皆さん。丁度あそこに小島があるのですが、休んでいきましょうか?」
「……大丈夫よ。それより、あんたの方が大丈夫なの?随分長い時間泳ぎ続けてるようだし、私たちが休憩するというよりは、あんたが休憩した方が……」
夜も明けて、今は丁度ギルドで朝礼をしているであろう時間帯だろうか。ラウル含め五匹は、未だに幻の大地を目指して海を横断している途中だった。最初から今に至るまで、少しも休まずに泳ぎ続けているラウルの身を案じ、アカネ彼の頭の上によじ登ると、顔を覗き込むように声を掛けた。カイトがムッとした顔つきになりながら耳を傾ける。
「大丈夫ですよ、アカネさん。お気遣いどうもありがとうございます。体力にはとても自信がありますからね。
とりあえず、休憩は挟まなくても大丈夫ですね?」
「嗚呼、一刻も早く幻の大地へ向かいたい。あとどれくらいで着くんだ?」
「休憩を挟むとは言いましたが、実はもうすぐ到着です……嗚呼、ほら。ここからだと少し遠いですが、見えてきました。
海の前方。少し周辺と違うところがありませんか?」
ラウルが首をゆっくり傾けて、その場所を示した。上に載っている四匹も、目を凝らしてラウルの指し示す先を良く見ると、波が不自然に捻じれている。他とは違う、いかにも『異空間』と言われるものだ。周辺とはどこか切り離されたような空間……そこが時の狭間の境目だという。ラウルはそれに乗って『幻の大地』へ向かうというのだ。ラウルがその異空間へ突入するという時だった。
「さあ、行きますよ!ちゃんと捕まっていてください!」
ラウルは一気に泳ぐ速度を加速させる。その勢いで四匹は足元をぐらつかせるが、ラウルの首元や背中の突起物に捕まって何とか持ちこたえた。リオンが突起物を掴み、そのまま水面へ目を向けた時、あり得ないような物を見た。
ラウルの体が、水面からどんどん離れて行くのだ。そして、ラウルは完全に『宙に浮いた』ような状態になった。
「お、お前飛んでるのか……?」
「いや、違うな……おそらくラウルの足元には、見えない『海』があるのだ。
時の海を渡っているという事か……!」
ルーファスがそう呟いた瞬間に、周辺の空間がぐにゃりとねじ曲がった。一瞬、ねじ曲がったその空間に飲み込まれてしまうような感覚を感じた後、一気に視界が開けた。紫色の稲妻な飲み込まれ、その光が消えた先には、理解を超越した世界が広がっている。
ラウルは本当に空を飛んでいるかのように、空を泳いで行く。四匹の視線の先には、空に浮かぶ巨大な大陸が存在した。
それこそが、『幻の大地』である。
「ラウルッ!あれが、あれが、幻の大地なの!?」
ついに見つけたのだ。ルーファス達が、未来でどれだけ探そうとも見つからなかった場所。それが今、目の前にある。ようやく到達したのだ。
「ええ、そうです!加速しますよ!」
宣言通り、進んで行くスピードを更に高めた。一気に『幻の大地』の入り口のような、開けたような場所へ向かって突撃していく。岩や緑が宙に浮かんだ不思議な空間が、すぐ目の前にまで来ていた。ラウルは引き寄せられるように幻の大地へと迫っていく。
ラウルが幻の大地の陸地へと到着したとき、言葉では言い表せないような不思議な雰囲気を感じた。ラウルの背中から陸地へと移った瞬間の感覚が違う。息を吸い込んだ時、空気が喉を通っていく感触も違う。やはりこの場所は普通ではない、『異空間』なのだ。おそらく皆がそう思った。
足元には土が敷き詰められ、草が生えている。花が咲いて、風に揺れている。太陽に照らしつけられているような明るさは無く、どこか暗がりにいるような場所だ。四匹は陸地に降り立つと、しばし周辺を見渡して沈黙した。ラウルがそんな様子を見守る中、その沈黙を引き裂いたのはルーファスだった。
「……ついに……ここまで、来たんだな……俺達は」
その声は震えていた。この先に待ち受けているものに対する感情が今になって暴れ始めたのか、夢にまでみた場所に行きつくことが出来た感動か。
「……皆さん。正面を見てください」
ラウルは、固まっている四匹を誘うかのようにそう言った。四匹はラウルの視線の先へ目を向け、またしばらく口を閉ざすことになる。
その沈黙を破ったのは、次はカイトだった。
「あれは……」
「『時限の塔』です」
ラウルの視線の先。正面から少し顔を上げた先。おそらく、ここより遥か上空。円状で所々崩れ落ちた建物のような物が、天井部分に黒ずんだ雲を巻いて威圧的に佇んでいた。
そこが『時限の塔』である。皆覚悟はしていたが、やはりかなり崩壊が進んでいるようだった。あの崩壊しかけた建物。そこに、ディアルガは居るのだ。
「あそこに時の歯車を納めればいいわけだな。
……けど、ラウル。あれ、よく見ると空中に浮かんでないか?」
リオンが眉間に皺をよせながらそう言う。ラウルは軽く頷くと、『今からそれについて説明させていただきます』といって、四匹の方へと向き直った。
「一見簡単には行けそうにないですが、あそこまで行くには『虹の石船』に乗って移動します。
この先はダンジョンへと繋がっています。そのダンジョンを進んで行くと、やがて『古代の遺跡』があるでしょう。そこ虹の石船が眠っているのです。それに乗れば、時限の塔へ向かうことが可能になります。
……僕が出来るのは、ここまでになりますが……皆さん、頑張ってください。
頑張って……時の崩壊を食い止めてください」
ラウルは力強い顔つきでそう言った。アカネ達はその言葉に頷くと、その先のダンジョンへと進み始める。
『幻の大地』に到着した。遺跡の欠片がある。時限の塔へ向かう手段も分かった。自分たちは運命を、歴史を変える『革命者』となるのだ、と。
地面を踏むいくつかの足音が聞こえる。刻一刻と革命の時へ近づいていく。この先に何が待っているかは誰にもわからない。恐怖も不安も抱えている。
しかし、遺跡へ続くダンジョンの間の前に来ても、振り返る者、躊躇する者は誰もいない。それは、彼らの『覚悟』の現れでもあったのだ。