革命への入口‐173
* * *
「……クソ……」
ルーファスは手元にある『時の歯車』の数を数えながら嘆いていた。必要な時の歯車は五つ。しかし、手元にあるものはどう見ても四つであった。
それぞれキザキの森、霧の湖、地底の湖、水晶の湖……主の存在する場所では、その主の手から直接渡してもらった正真正銘の『時の歯車』である。しかし、あと一つ足りない。
この一つが厄介だ。火山の奥深く、そして鍾乳洞や大陸を超えた土地……調べはついている。今ルーファスがいる地点から一番近いのが火山。しかし、ルーファスのレベルでさえもかなり時間を有す場所であった。技のバリエーションは豊富であろうと、ルーファスは草タイプ一色。炎タイプで覆い尽くされているその場所には、今までのようにすんなりとたどりつけはしない。とすると、二番目に近い場所である鍾乳洞。だが、あそこは難易度は低いものの道のりが長い。宿主が居ることも確認済みだ。前回は鍾乳洞で手に入れはしたものの、ギルドともそこまで面識のなさそうなあの場所のポケモンたちがルーファスの事情を理解しているとは思えなかった。
何はともあれ、行動しなければ意味はない。
……というちょっとした経緯もあり、ルーファスは最後の時の歯車を手に入れるべく鍾乳洞の方へと向かっていた。そこまで辿り着くにはジャングルがあったりチンピラが居たり、なんとも言えない展開が続いていたが、それらのことは流石に覚えている。前回の経験を活かし、前回よりも早く到達できると考えた。
ダンジョンの前に佇むガルーラ像の近くで腰を下ろし、道端で拾った林檎を齧る。程よい酸味に強い甘味。なにをどうしたらここまで美味くなるのか。ルーファスは林檎を片手に鼻で小さく笑った。
「ねぇねぇ、そんなにおいしいの?」
「……誰だ?」
後ろの草むらで声が響き、何かが揺れた。ルーファスは林檎をもう一口齧ると、バッグの中へと投げ込んで視線を向かわせる。声の主は逃げも隠れもせず、ニコニコとしながらその場に佇んでいた。
「やあ。こうやって顔を合わせて話すのは……初めてかな?」
「……お前は……」
桃色の、どこかふっくらしたからだと顔つき。翡翠色の瞳に、何処か油断できないふてぶてしさ。種族はプクリン。声からして男性だが、頭の上でルーファスが齧っていたリンゴの何倍もの大きさの林檎を転がしながら、にこにこと微笑んでいた。
種族や佇まいに覚えがある。ルーファスはすぐさま、思いついたその名を声に出した。
「…………パトラス、か?」
「やっぱりアカネ達から聞いてたみたいだね。そう、僕はパトラス♪この大陸一を誇る探険隊ギルドの親方さ♪」
「…………本当にパトラスか?キースの周辺のポケモンなんじゃないか?」
ルーファスは訝し気な目でパトラスを見つめた。無理はない。この先には『時の歯車』が存在する。ここに居る筈も無いポケモンと、あろうことかこの場所で遭遇するというのはいささか調子が良すぎるのである。信じ切ってはいけない。ルーファスは片腕を構えると、パトラスをじっと見つめた。
ルーファスのそんな様子に、正真正銘本物であるパトラスは再びにこりと微笑みかけた。おそらく、これを見てくれれば直ぐに納得するであろう。そう思い、彼は自らのバッグの中に手を突っ込むと、おもむろに目的の物を探り始める。
何か仕掛けてくるのか?そんな行動さえも、ルーファスにとっては疑いの的。更に警戒態勢を強めたが、そんなルーファスの考えはすぐさま崩れ落ちることとなった。
「…………はい、コレ♪お探しの物♪」
「……ッ……これは…………」
パトラスがルーファスに差し出してきたもの。それは『時の歯車』だった。容易に偽物を作れるような物ではない。ルーファスが見る限り、間違いなく本物である。何故これを?ルーファスは思わずパトラスに尋ねた。
「君の仕事だという事は重々承知してたんだけど、ちょっと時間が無さそうなんだ。安心してほしい。これは、正真正銘、間違いなく本物の時の歯車。こんな時に君をだますなんてことは絶対しない」
「ここで待ち伏せていたということか!?何故、俺が今日ここに来ると……」
まさかずっと前から待っていたのでは?ルーファスの頭の中に一つの仮説が浮かぶが、それもパトラスによって打ち砕かれることになる。
「アグノム、ユクシー、エムリット。彼らから、とあるルートで君に時の歯車が渡ったという連絡が入っていたんだ。もちろん、そのルートっていうのは悪いものじゃないから安心してほしい。
アカネ達の話からすでに『キザキの森』の歯車は入手していることを確認している。となると、後は鍾乳洞かなと思った。残念ながら僕はその他に時の歯車が存在する場所は知らないからね。実は以前、たまたま鍾乳洞の『時の歯車』を発見しちゃったことがあって。時の歯車までそう手間はかからなかったよ。鍾乳洞に向かうにあたってここは必ず通ることになるだろうし、となるとここで待ってるのが手っ取り早いかと思ってさ」
「待っていたとしたら、何故背後から現れるようなことになるんだ?」
「僕のセカイイチが逃げ出しちゃってちょっと大変だったんだ……ウゥ……」
パトラスはルーファスに時の歯車を渡すと、頭の上で転がしていた世界一を手に持ち直すと、ウルウルと目を潤ませ始めた。ルーファスはそんな様子をどこか呆れた表情で見ていたが、パトラスから手渡された時の歯車の感触に、妙な安心感を覚えた。五つの時の歯車がそろったのである。
「…………あ!うん、とにかくね。僕が直々に来たのは、本当に時間無いと判断したからなんだ。今すぐ、君をとある場所に連れて行きたいんだよ。事情は途中で話す。だから、とにかく急いでほしい」
「何だ……どういうことだ?」
「いいから、早く。アカネ達と合流するんだ。
まとめていうなら、そうだね…………幻の大地へ向かう方法が分かった」
パトラスのその言葉に、ルーファスは大きく目を見開いた。
* * *
「…………皆、聞いてくれ。
ここが『磯の洞窟』の入口だ」
すぐ傍には海がある。ゴツゴツとした岩で構成された洞窟が、大きな口をぽかんと開けながら佇んでいた。いかにも、奥に何が潜んでいるか怪しい洞窟である。
ヘクターが好奇心から洞窟の中をぐっとのぞき込むと、一見岩タイプや水タイプのポケモンが多そうなダンジョンが広がっていた。随分と湿っているが特にむんむんとした嫌な湿気は無く、すっきりとした空気を感じた。
「このダンジョンの一番奥に、カイトが持っていた『遺跡の欠片』と同じ模様がある。しかし、その付近には強敵が潜んでいる」
ペリーが洞窟の方を羽の先で指示しながら説明を行うが、ペリーの足はどこか震えているようだった。皆それに気づいてはいたが、誰も何も言わずに黙ってペリーの説明に耳を傾ける。ちらほらと『怖い』『おっかない』という言葉が飛び交っているが、いつもなら喝を入れる筈のペリーがそれらの発言を否定することは無かった。
「ペリーは、この洞窟を探検したことがあるんだよな?」
「嗚呼、ある。大分昔の事だが……親方様と共にな。その際、この洞窟の奥で不思議な模様を目撃したのだ。しかし、そのときあいつらが……あの、手強いポケモンたちが現れて……」
「そ、そいつらはどんな相手だったんだよ?」
ゴルディは珍しく、持ち前の大きな声を縮こまらせながらペリーに質問した。ペリーは必死に思い出すようにくちばしの下に羽先を当てるが、考える姿は少し苦しげだった。相当なトラウマがあるのだろうと、なんとなくではあるが皆察していた。
「……す、すまん。記憶が混濁して、よく覚えていないのだ……。
奴らは現れるなりいきなり襲い掛かってきて、私はあっという間に倒れてしまった。気が付くと親方様に解放されていたのだが、それまでの記憶がほとんどないので、奴らがどんな身なりをしていたかも全く分からないのだ……」
自信なさげに申し訳ない、と繰り返すペリーだったが、リオンがペリーに数歩近づいて声を上げた。
「……けど、この話だけでも意外と分かることは多いかもしれないな。例えば、ペリーは先ほどから敵の事を『奴ら』と言っているし……敵は一匹じゃないってことだろ?」
「……あ。そういえば、そうだったかもしれないな……複数匹いたような……」
リオンの指摘に、皆が頷いて納得する。ペリーの新しい証言を引き出すことに成功した。続いて声を上げたのはアカネだった。
「視覚的には覚えてないかもしれないけど、感覚はどう?倒されたって事は攻撃されたって事だし、痛みや痺れ、息苦しさ、冷たいとか熱いとか、もしくは無痛……。そういう感覚とか、何かしら覚えてない?タイプを絞り込めるかもしれないわ」
「……そうだ!その時……そいつらに一斉攻撃を仕掛けられて、なんかもうずぶ濡れーー!!って感じだったような……」
「ずぶ濡れーって……表現はともかく、水タイプの技だな。岩タイプも多そうだし、そこらに強い種族の奴らが先を行った方がいいかもしれんな」
ゴルディがそういうと、皆騒めき始めた。敵は複数匹。そして、水タイプの可能性が非常に高い。それが判明しただけでも大きな進歩で、フラーやベルなどは自分たちが率先して向かうとまで言っていた。それらのタイプに弱いアドレーやトランは多少震えあがり、同理由でカイトもまた、多少苦々しい顔つきで洞窟の方を見ていた。
「あんたはドラゴン技使えるし、大丈夫じゃない?防御スカーフ付けときなさいよ」
「俺は格闘技、アカネは電気技、ペリーは飛行技使えるし、そこまで不利にはならないじゃないかな」
「はは……ま、まぁ、頑張っていこうね……」
ギルドメンバーの中には、かなりタイプの相性などにばらつきがある。パトラス自身もこのダンジョンには苦戦したと語っていた。難を極めるという程では無いにせよ、簡単なダンジョンでないことは確かである。一匹で行動するのは危険だという事から、遠征の時のようにいくつかのグループに分けて探索するという方針が取られた。
それぞれ弱点を補うかのようにグループが立ち上がっていく中、ペリーはパタパタと羽を広げて飛び上がり、少しとんだところでひらりと地面へ降りる。丁度アカネ達の目の前までくると、なんだか面倒な物でも見るような目つきで三匹に声を掛けた。
「おい、お前達。親方様は昨日、お前達三匹は私と一緒に行動するよう申し付けられた。だからお前達は今回、私と一緒にこの洞窟を探索することになる。
いいか?あんまり私の足を引っ張るんじゃないぞ。あと、私を頼りすぎないように。自分の事は自分でやれよ?」
ハイハイ、とでもいうかのように、三匹はそれぞれ苦笑いしたり不貞腐れたりしながらペリーの言いつけを聞いていた。
「……それから、リオン。お前は本来、チームブレイヴ所属の筈だが……その、現在単独の為、チームは半ば停止状態にある。
お前、アカネ、カイトの事を共にクロッカスと一括りに呼ぶこともあるだろう。そこを了承してもらいたいのだが……」
「……実は、ちょっとムズ痒いなとは感じていた。
……けど、異議はない。それで結構だ」
その言葉は、現在ステファニーがチームから完全離脱中だという事を再度リオン達に知らしめるものだった。今までに何度かクロッカスと一括りにされてきてはいたが、すっきりした顔をしつつも本当は気にしていたのである。アカネとカイトは顔を見合わせつつ、キュッと口をつぐんだ。
ギルドメンバーたちは次々と探索チームを作り、ダンジョンの中へと入って行く。ペリーも洞窟の中を確認すべく、入り口付近へと移動した。『お前達、早くいくぞ』と言いながら、洞窟の中をのぞき込んでいる。ギルドメンバー達の声が洞窟の中で小さく反響していた。リオンは一度自分のバッグの中をのぞき込むと、ペリーの元へと駆け寄っていく。
「……じゃ、僕たちも行こっか。アカネ」
「……そうね」
ペリーとリオンの元へ駆け寄り、二匹もまた『磯の洞窟』奥地を目指し始めた。
この時は考えもしていなかった。
この洞窟こそが、後戻りの許されない長い長い道のりの本当の入口であったことを。運命の行く先が、既にそれぞれの者を誘い始めているのだという事を。
「……ヘヘッ。アニキー、奴ら出発したみたいですぜ」
誰も居なくなった『磯の洞窟』の入口付近。ただただ唸る波が岩にぶつかって砕ける音が響く。そんな巨大な岩が連なる場所で、ギルドメンバー達が洞窟へ入っていくのを見届けると、下衆な男の声がその波の音に乗り、砕けた。
「ケッ。俺達もそろそろ、後を追いますかい?」
「ククッ……そうだな。見つからんよう、奴らに隠れて行動しよう」
巨大な体が岩陰から姿を見せる。途端に、周辺には妙な異臭が立ち込めた。それすらも気にせず、巨大な体と異臭の持ち主の周りをうろちょろとしている下っ端の二匹は、これから実行する計画に心躍らせていた。
ドクローズの三匹である。『磯の洞窟』へギルドメンバーたちが向かうことは既にサーチ済みだった。メンバーたちがギルドから出発するのを見計らい、後ろからついてきていたのである。
彼らの目的。それは、自らが『幻の大地』へと足を踏み入れることだった。
「……洞窟の中で頃合いを見計らい、カイトの持つ『遺跡の欠片』を奪う!
その後は一気に洞窟の奥だ。謎なんて解いたもん勝ちだよ」
グロムはそう言って、また不気味に笑いながら異臭の濃度を更に高める。クモロやエターからは称賛の声が響いた。
本気で幻の大地へと向かうつもりだった。彼らがそこへ行って、いったい何をしたかったのか。アカネやカイトへの復讐か。自分達のプライドからか。
どんな目的にしても、愚かなことに変わりはない。
彼らはこの作戦を実行することによって、自ら『破滅』を選んでしまったのだから。