ちぐはぐな議論‐171
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―――――天井にぶら下がる、尖った岩から落ちた透明な水滴が、ぽつりと海へ流れた。
一体ここがどこなのか。名も分らない海岸。一匹のポケモンが、海と接する岩場に腰を下ろし、まだかまだかと来る筈の者を待ち構えていた。待ち遠しい気持ちからぶらぶらと足を揺さぶる。惹きつけられるような、美しい月の出ている夜であった。月光の下、白く輝く海をゆっくりと横切る影が、ポケモンの目に飛び込んでくる。嗚呼、来た。待ち望んでいたその姿に、ポケモンはにっこりと微笑んだ。
ザブザブと泳いで向かってくる音が聞こえる。ポケモンは、先ほどまで座り込んでいた岩場からゆっくり腰を上げると、その影に向かって大きく手を振った。その影は真っすぐに、ポケモンめがけて泳いでくる。
「……ラウル。久しぶり♪」
海の表面を滑る様に泳ぐ影を待っていたポケモン、プクリンのパトラスは、そう言ってにっこりと笑う。ラウルと呼ばれた影、ラプラスはそんな彼に微笑み返し、『ご無沙汰しています。パトラスさん』と、丁寧に返事をした。パトラスは満足そうに小さく頷く。
「本当にお久しぶりですね、パトラスさん。ペリーさんもお元気ですか?」
ラプラスのラウルは、不意にパトラスの補佐、ペリーの名前を口にした。それさえも当たり前だというように、パトラスは『元気だよ♪』と、明るく返事を返す。それを聞いて、ラウルはどこか安心したような顔をして品のある穏やかな笑みを浮かべた。
「それはよかったです。……パトラスさん。あれから本当に何年経ったのでしょうね。
あの時、約束していただいたこと。本当に、感謝しています」
「君があの時してくれたことを考えれば、そんな事全然大したこと無いよ。
それよりも……その約束の事なんだけどね。守ったとか守らないとか……そうはいっていられない事態になったんだ。
事情は勿論説明する。だから、君も話してもらえないかな?
…………あの時の、不思議な『模様』について」
パトラスは鋭い視線で、ラウルにそう告げた。その瞬間、ラウルも穏やかな笑みを解き、貫くような目で同じようにパトラスを見つめ返す。
緊張した空気が、月光の下で広がった。
*
テーブルの上に、それぞれ紅茶の入ったカップが並ぶ。目の前にいる方々は、お世辞にもティーカップの取っ手を器用に持って、ゆっくりとお茶を啜ってくださるタイプの方々ではなかった。お客様たちはあたしと同性ではないけれど、それでも嬉しかった。あたしの為にわざわざここに来てくれる。あたしのことを覚えていてくれる。
嬉しかった。
「あのイケメンリオル、さっそくシャロットちゃんのとこに来たのか。あー。なんか妙に引っ付いてるなーって思ってたけどさ、そういう事ね。納得した」
「……納得……できますか?」
目の前に居るフローゼルこと、レイセニウス・マーロンさん。彼は丁寧にティーカップの取っ手に指を通しつつ、ちびちびと紅茶を啜っていた。なかなか器用な物である。が、品があるようにはあまり見えない。奥の方でノギクさんが苦笑いをしているのが見えた。それでも彼女もどこか嬉しそうだし、良いかな。
『黒幕キース』説が、世間で濃厚になりつつある今、あたしの警備は更に厳重な物へとなっていた。監視のポケモンが二匹だったが、あと二匹増えて四匹になった。建物の入り口と真後ろ側も見張っている状態だ。追加で来た監視のポケモン達もそこそこ気前が良いので、上手く交流はしていたものの、やはり囲われているとなると少し息苦しくなるものである。
レイセニウスさんの胡散臭さが、少しあたしの気分を解いてくれた。彼と一緒に居ると、他のポケモンが集いに集ってワチャワチャやっているカフェにいるような気持ちになるのだ。最近、パッチールの地下カフェにはいっていない。きっと、レイチェルさんやエルフさんは最近あたしが来ないことを不審に思っているのではないだろうか。でもきっとそのうち、それが当たり前になってしまうのだろうな。
来客はレイセニウスさんだけではない。あたしの元相棒、コリンクのセオも一緒だった。時間は七時半を回っている。あまり時間が遅くなると、監視が訝し気な顔をするのだが、この二匹は先ほど来たばかりだ。あたしがリオンさんと話したことをそのまま二匹に伝えてから、まだ十五分ほどしかたっていなかった。
十分前、ノギクさんが作って出してくれていた『マカロン』と言われる外の大陸のお菓子は、既にセオによって三分の一ほどの量に激減していた。これ知ってる。作る際に、成功させることが割と難しいのだ。それを味わいもせずバクバク食って、なんてノンデリカシー野郎。
だけど、食べている時の彼を見ているノギクさんの顔つきは優しい。だからま、いっか。
「その顔……シャロットちゃんは納得できてない感じなん?未来から来たリオンと、未来の進化したシャロットちゃんは結びついていて……リオンはシャロットちゃんを守る為に張り付いていた。そういう話だろ?」
「話の筋は理解できてるつもりなんですけども……やっぱり、自分じゃない感覚が強いというか、何というか。
リオンさんは未来のあたしをすごい慕ってるみたいで。でも、それはあたしじゃなくて未来のあたしで……うーん。捻くれた考えは特にないんですけど、もやっとします」
「別に納得しなくてもいいんじゃないの?いいじゃんそれで。他人事でもさ」
「口の周り汚したまま喋られても説得力ないっての」
レイセニウスさんは呆れたように、口の周りをマカロンの食べカスで汚しているセオに布巾を差し出した。セオは顔をそれに近づけると、軽くそれで口の周りを擦る。彼は四足歩行なので、前足を使う訳にもいかない。何とか拭き取ると、息を止めていたかのように『ふぅー』と息を吐き出した。
「まぁ、俺もセオの言う事は分かる。それがベストな解決法だと思うし」
「でしょ?まぁ、僕の考え方とレイセニウスさんの考え方が同じってのは納得いかないけどねー」
「うん。ちょっと黙ってなガキんちょ」
レイセニウスさんはじっとりとした目でセオの額をぱちんと指ではじいた。セオは気に食わない様子で彼を睨みつけると、ぬるくなってしまった紅茶に手を付け始める。あ、これに関しては中々器用。この子、カフェとか小洒落たもの好きだからな……。
「……けど、シャロットちゃんもそこまで聞いてんだな。そういう裏事情みたいなやつ?アカネちゃんとかステファニーちゃんの話も」
「はい。あらかた聞きました。
アカネさんのことは勿論驚いたけれど、驚いた……ってより、ショックが大きかったのはやっぱりステファニーさんの事です。レイセニウスさんは、ステファニーさんの話に関してはあまり知らなかったんですか?」
「まぁね。そもそも想像つかないっしょ、普通。ステファニーちゃんの中身が全然違うポケモンだったって。そこら辺は詳しい事しってる奴しかちゃんと理解できないと思うし。
でも、そのこととかもひっくるめて俺は一応納得したね」
そう言葉にすると、レイセニウスさんは自らの鞄の中を弄り、一冊のメモ帳と、少しくたびれた様子の茶色い封筒を取り出した。その中には何枚か紙が入っているようである。
レイセニウスさんは記者の仕事に興味があると言っていたが、おそらくそれに乗り出したのであろう。突然文学的な香りが漂ってくる。
「シャロットちゃん、外の情報あんま入ってこないっしょ?俺なりに最近出回ってる噂をまとめてみたんだよ」
「まとめるって程複雑なもんでもないと思うんだけどねー」
「だから黙っとけって」
レイセニウスさんとセオはすっかり慣れ合っている様子である。またレイセニウスさんはセオの額を指でパチンと弾いた。セオは特に悪びれる様子も無く、フン、と鼻を鳴らしてマカロンにかぶりつく。やばい、あと二つしかなくなってる。
「まず、俺の情報が正しければ……アカネちゃん、カイト、リオン。この三匹が未来へ飛んでいたことは確実みたいだ。その三匹は三日前、ひょっこりとギルドに帰って来た。その翌日、リオンはここに訪れたということになってるが、それ以前に何回かアカネちゃん達を目撃した話がちょいちょいあることから、それより少し前には帰ってきてたんじゃねぇかな。多分ルーファスが一緒だったから下手に動けなかったんだと思う。その時、まだ俺達はルーファスが味方だという事を知らなかったわけだから。
三匹によって伝えられた事実は、簡潔に言えば『世界は星の停止に向かっている』という事だった。キースは星の停止を自ら促すため、それを遮ろうとするアカネちゃんやリオン、ルーファスを暗殺しようとした未来よりの刺客。それを操っている巨大な者も存在する。
チームクロッカスのリーダー、アカネの正体とか……パトラスのギルドの新星、ブレイヴの副リーダーステファニーの裏切りの事に関しても、世の中では様々な憶測が飛び交ってるってこった。
ステファニーちゃんが裏切ったこととかも、情報源はさ……やっぱり三匹がギルド内で話してそれを聞いた奴が外で喋っちゃった、みたいな感じだろうし……まだ世間の認識は不安定だ。とにかく、ルーファスは味方、キースは敵。そんな認識だけが、順調に根付いてる感じかね」
ぱらぱらとメモ帳をめくりながら話す姿は、なんだか妙にそれっぽかった。分かりやすくまとめてあるかは分からないが、少なくともあたしは理解できた。セオはというと、レイセニウスさんの話を目を細めながらきいていた。多分理解はできているだろうけど、反応する気がイマイチないのだろうと推測する。
「……それでも良かったと思います。ルーファスさんの誤解が解けるだけでも、状況は随分良くなるんだから。けど、ステファニーさん達の話があまりにショッキング過ぎて、どっちかというとみんなの意識はそっちに行きそうですよね」
「まぁなー。それに、アカネちゃんのことだって。アカネちゃんのパートナーは、『自称・元人間』の息子、カイトだ。アカネちゃんまで元人間なんて言い出したら、世間の一部が大騒ぎするだろうな。多分、数十年前の『英雄伝説』……ジェファーズ夫妻の偉業も、捏造だ偽造だと騒がれるだろうと思う。アカネちゃんが大なり小なり嘘つき呼ばわりされるのも避けられないし」
「……というか、『世界の危機』って言ってるのに、一々そんな事気にしてられないんじゃないの?チームクロッカスも相当忙しいだろうし、時間がいつ止まってしまうか分かんないから焦ってるわけだろう?
なんでそんな事周りは気にしちゃうのかなー……」
「でも、セオ。あなただって半ば関係者みたいな立場じゃなきゃ、同じような事考えたと思うよ。世界の終わりなんて、それを『変える』なんて、どう足掻いてもなかなかできそうにないから。だから、手が届きそうなところまで退くんだとおもう。それがステファニーさんやアカネさんの件。言う方からすれば、個別の考え方を提供しているような気分だろうけど、ただ情報をかき回してるだけっていうことに気付いてないだけだと思うな」
「そうそう。そういう変な正義感が、かえって情報を拗らせちゃうんだ。最近は電話機や通信用の不思議玉なんてあるから、そういうの伝わりやすいんだよなー」
レイセニウスさんは、再び紅茶をズズズ、と吸い込んだ。気が付けばテーブルの上に置いてあったマカロンはすべてなくなっている。こいつ、全部食べたな……と、恨めしく思いながらセオを睨みつけた。どこか勝ち誇った表情の彼に対して、炎を吹き付けてやりたい思いである。
「……まぁ、でも。俺はさ。俺は、アカネちゃんが元人間だって聞いて……なんとなく『嗚呼』って思ったんだ。
なんていうか、不思議な雰囲気持ってるとこあるよなーって思うし、神秘的で興味を惹きつけられるっていうか……ね?
……てか、そう思えるのも『元人間』っていう事に俺は多少慣れてるからかな。カイトのお袋もそうだったから。俺は割とチビのころからあのポケモンと知り合いだったし、だから特に珍しくも無くて、色眼鏡で見ようなんて思わなかった。割と大人になってもそんな感じだしさ。だからアカネちゃんが元人間でも特におかしいとは思わない」
「僕はちょっとおかしいと思う。……けど。
カイトさんのお母さんが元々そういう境遇を持ってて、カイトさんが選んだパートナーもたまたま『元人間』だったっていう事なら。
なんていうか、ロマンがあると思う。本当に運命的だと思うし……まぁ、そんな二匹なら、周りに何言われたって何とかやっていくんじゃないかな、とかさ」
「あれ。貴方らしく無い事言うね、セオ」
「うるっさいなぁー」
アカネさんの話題は、ここで一旦途切れた。話題はアカネさんの話からステファニーさんの話に移り変わる。
ステファニーさんに関することは、大体リオンさんがあたしに直接くれた情報や、レイセニウスさんが持ち込んだ巷で流れている噂を取り上げたものだった。アカネさんが元人間と言うのは、元々そういう事例があるのは本当だし、『絶対にあり得ない』という話ではない。
しかし、ステファニーさんは……あまりにも、あたしが思っていたものとはかけ離れていたから、本当の事を言ってしまえば、まだ全く受け入れられていないのだ。
リオンさんは、このことを打ち明けたその場で、あたしが受け入れてくれることを期待したのかもしれない。でも結局、あたしの気分は沈み込んだままだったし、そのことについて考えてみたけれども、妙に難しくて、ショックで。他の考えようがありそうな情報に逃げてしまう。
リオンさんにもまだ、『あなたの話を信じます』と、ちゃんと言えていないのだ。
「これ、前にも話したかもしれないけどさ……ここに良く来る警官いるじゃん?あのポッタイシ」
「ラルクさんですね」
「誰それ?」
セオの疑問は軽くスルーし、更に話は続いていく。
「あの警官と一緒に、聞き込みがてらステファニーちゃんの実家に行ったんだ。それは話したと思うけど、俺自身はこの過程を前提とすると……ステファニーちゃんの裏切りっていうか、豹変っていうのは……無理やりすぎる話にも聞こえねーんだわ」
「でもさー。はっきり言って、胡散臭すぎない?未来の話だけでも相当だけど、ここらへんが一番無理やりな感じあるのは周知の事実なわけだし。
大体、相方のリオンがルーファスの仲間だったんでしょ?まさか、偶然出会ってコンビを結成していたステファニーさんまで未来関係者なんて……作り話感すごすぎでしょ」
「なら逆に、なんでリオンはそんなウソをつくんだ?奴だけじゃない。アカネちゃんもカイトも、誰も否定してないんだし」
セオの言う事にも一理ある。結局のところ、あたしとしてはステファニーさんと付き合いがあったからこそ信じたくないのもあるし、あまりにも話が出来すぎているところも疑ってかかってしまう原因なのだ。
だけど一方で、リオンさんやアカネさんたちがそれを事実として話す理由がわからない。それに、レイセニウスさんの持ってきた情報によれば、ステファニーさんの手記らしきものがギルドの個室で発見されているそうだ。ステファニーさんを乗っ取った『第二の人格』というものも、『第二の人格』らしきものが書いた手記が存在することにより事実として認識されているらしい。
「……帰ってきていないのはステファニーさんだけ、だし……世界が凄いことになってるのは勿論事実だし、彼女ならきっと、星の停止を防ぐ方に付くはずです。
でも、他の誰かにそうさせられていて、体の自由もきかなくて……って。本当にそうだとしたら、そうなんだと思ったら……」
なんだか、すごく悲しい気持ちになる