森の中‐167
「こちらです。リオンさん」
一匹のポッタイシに連れられ、俺はシャロットさんの元へと向かっていた。クロッカスの二匹によって、背中を押されたのである。ジゴイル保安官にアポを取る為、パトラスから電話を貸してもらい直々に対応してもらった。その際、いっそのことと言わんばかりに警察を訪ねるように言われたのである。あちらもあちらで大変なのだろう。
保安官から連絡が入っていたらしく、警察署を訪ねた後はスムーズだった。まだ若い警官のポッタイシが案内するようにと偉そうなポケモンに指示され、軽く頷いて俺にここまで付き添ってくれたのである。彼とは一度、合同捜査の場面で顔を合わせたことがあるような無いような。
シャロットさんは保護されている。つまり、警察の目がある程度届く場所に隔離されていると考えられる。俺達は今、警察署の裏の森を進んでいた。
「……俺が時空ホールに落ちた直後、シャロットさんが襲われたんだったな。怪我とかしなかったのか?」
「はい。僕の上司や周辺のポケモンが協力してくれたおかげで無傷でした。それに、彼女意外とタフですから、そのショックを引きずるという事は無かったみたいです」
「そうか。昔から変わってないんだな」
「…………広場で出回ってる噂は本当みたいですね。リオンさんもまた、未来からやって来たポケモンだったっていう話。未来のくだりは未だに解せない部分がありますが……何個か疑問は解けたかも。
……という事は、多分ステファニーさんの噂も本当なんでしょうね。天使が悪魔へ失墜……そんなことを囁く輩もいるようです。やはり、情報が広まってしまうと妙な噂も出てくるものですね」
「……悪魔に失墜か。どうなんだろうな」
リオンは小さくため息をつくと、視線を地面に向けて黙々と歩き続けていた。そんな彼の様子を見て、こんな話をするのはまだ早かったかもしれない。ポッタイシことラルクはそんな風に思い、目を瞑った。
ラルクは殆どの事情を大体は把握している。リオンやルーファスから見たシャロットの存在、ステファニーの未来を交えた経緯。リオンやアカネの情報が全くと言っていいほど出てこなかった理由……それを考えていると、どうも聞きたいことが沸いて出てくる。不謹慎かもしれない。それでも、それは彼の仕事でもあるのだ。
「僕は、ずっとリオンさんと話がしてみたかったんです。ステファニーさんの実家を訪ねました。そして、あなたの話も聞いたんです。
ステファニーさんとあなたは『偶然』に出会ったという話でしたけど、ジュリアさん……ステファニーさんのお母さんは、あなたの身なりが旅人のようだったと言っていました。
あなたは一体、どうしてステファニーさんとこんな関係に?」
「この話が理解できるか、わかんないが……ルーファスと俺は、タイムスリップした後『東の森』という場所で気を失っていた。俺が先に目を覚まして、ルーファスを揺さぶって起こしたんだ。
だが、あいつは俺の姿を見てひどく驚いた。俺は未来へ居た時、とっくにリオルからルカリオへと進化している個体だったんだ。それなのに、この世界に着た途端に種族が後退していた。多分移動中の事故の所為だろうな。
ルーファスは驚いていたが、直ぐに俺だという事を察してくれた。兎にも角にもこの世界へ到着することが出来た。さて、行動を起こそうか、と。そう話していた時、草むらからあいつ……ステフィが姿を現した。
俺は咄嗟にルーファスの体を押して草むらへと隠した。俺は種族が後退している。つまり、追っ手に簡単に気づかれることは無い。時の歯車を手に入れる目的が有ったことから、顔が見られると不味いからな。本当は二匹で行動するはずだったが、ステフィと俺が接触してしまった事を理由に、俺はこの世界の社会へ溶け込んで情報を収集し、ルーファスは『時の歯車』を手に入れるという役割が生まれた。
ステフィの奴、俺を見つけた時妙に嬉しそうで。とりあえずこの世界のポケモンだという事は分かっていたから、流されるままにあいつの家に入り込んだってわけだ」
ステファニーと出会った時の事を思い出していた。思い出して、口に出して、リオンはとてつもなく皮肉に思う。あの時俺も一緒に身を隠していれば、ステファニーについていかなければ、今回のような事は起きなかったのかもしれないのに。
「そこからまた成り行きで、探険隊のギルドに加入したという訳ですか?」
「嗚呼。あいつが一緒にやりたいといいだしたんだ。驚きはしたが、チャンスだとも思った。探検家という職業は『誰かを探す』という目的に適している。案の定、直ぐにシャロットさんは見つけることが出来た」
「……広場の噂が殆ど本当だとするなら、不思議ですね。そのギルドにたまたまアカネさんも加入してきて、シャロットさんとクロッカスが知り合い、そこにキースさんが現れ……ルーファスを追うことになる。全部繋がっているみたいです」
「…………」
地面に敷き詰められるように生えていた短めの草がどんどんと薄くなり、土色が見え始めて足の裏にぬちゃりとした感覚を覚えた。森が開けてきて、白い小さな建物のような物が見えてくる。パトラスのギルド、そのテント位の大きさである。あの中でシャロットは生活しているようだった。
建物の入り口付近では、二匹のポケモンが見張りをしているようである。特に誰も来るはずのない森の中で、ひたすらに警備を続けるというのはかなり神経をすり減らすのだろう。二匹ともどこか眠たそうな顔をして周辺を見渡していた。
二匹のうちの一匹のポケモン、モウカザルという種族のポケモンがラルクに気が付き、『おはようございます』と、慌ててぼさぼさになっている頭の毛をいじり、身なりを正して挨拶をする。もう一匹のアサナンという種族のポケモンも軽く頭を下げた。
「中の様子はどうですか?」
「いや、もうシャロットさん元気すぎます。夜中に交代でカードゲームしたりしてるんで俺達も楽しいっすよ」
「仕事してくださいよ……」
警備を担当しているであろうモウカザルは、照れたようにそう言いながら笑った。警察関係者でありながら性格は穏やかなようである。アサナンの方は気づいているのかいないのかよくわからない、微妙な反応をした後なぜか瞑想を始めた。そんなアサナンを見て、ラルクは顔をしかめるも、仕方なくと言うように目を瞑る。
「シャロットさんは……広場の噂はもう耳にしているんですか?」
「いや、まだだと思います。今日はここから外には出ていませんから。賄いさんの新メニューの開発を手伝ってるらしいんすよね」
モウカザルに話を聞きつつ、瞑想しっぱなしのアサナンを置いて三匹でシャロットの元へと向かう。建物の扉をゆっくり開き、中に入っていくモウカザルの後ろにひっついてラルクとリオンも部屋の中へと足を踏み入れた。
最初に玄関から見えたのは少し大き目の円卓である。高さは大体リオンの胸のあたりまであり、この高さの円卓でシャロットが食事をとれるとも思えない。しかし、部屋は少なく多少狭そうである。
「えーと……調理場はこっちでしたっけ」
「そうっす。あっちの部屋は勝手に入るなって言われてんで、まずそっちから行きましょう」
モウカザルは二匹の先を歩くと、玄関前の部屋の壁に張り付いている薄い木の板のような扉を軽くスライドする。扉が開き、その先には玄関前の部屋のその三分の一ほどの大きさの部屋が姿を現す。調理器具などがテーブルなどにおいてあるため、確かにその場所は調理場のようだ。
奥の方で誰かの声がする。少し高めで幼さの残る、女性の声だ。
「うーん。ここはお茶のフレーバーの方が良いと思います!モモンは紅茶とよく合うし!お茶はタルト生地に練り込んでも美味しいですし、上からトロッとしたモーモーミルクを掛けるのは!?
……え?ううん、そうですねぇ。好き嫌いが別れやすいかぁ……じゃあ、ハチミツはどうですか?健康にもいいし、モモンにもよく合いますよ!」
シャロットの声だ。リオンは咄嗟にそう思い、モウカザルを押しのけると調理場へと足を踏み込んだ。突然入って来たポケモンの存在に驚き、シャロットと『賄いさん』であろうポケモンは慌てて扉の方を向く。集中しすぎていて今まで気が付いていなかったようだ。扉を開けても気づかないなんて、危ういな。などと考えつつ、ラルクは腰に手をやった。
「…………え?」
「シャロットさん、お久しぶりです」
あまりに久しぶりなので、思わずリオンはシャロットに対してバリバリの敬語で話しかけてしまう。シャロットは思わず一時停止してリオンの方を見つめた。この建物に隔離されて以降、一度も顔を合わせていなかった相手だ。『時空ホール』という得体の知れない穴に落下し、消息を絶っていた相手が目の前にいるのだから、思わず思考が停止してしまったのは可笑しいではない。
「……リオンさん?あれ?リオンさん……え?」
「アカネもカイトもこっちに帰ってきてる。俺達は皆無事だ」
シャロットが目の前で生きている。リオンはそれを素直にうれしいと感じた。彼女の存在を目にして歓声を上げるわけでもなく、涙を流すわけでもなく、ただリオンは彼女に向かって微笑みかける。シャロットはゆっくりリオンの方へと近づいてくると、まだ整理し切れない感情を抑え込み、ふと思った疑問を口にした。
「…………ステファニーさんは……?」
「あ……」
ラルクは、はっとした顔つきでリオンの方へ顔を向けた。先ほど、ステファニーの名前だけが上がってこなかったことにシャロットは疑問を抱いた。
ステファニーは生きている。しかし、中身はステファニーじゃない。ステファニーはどこに居るかも分からない存在になった。
そんなことを、一体どんな風に説明すればいいのか。ギルドへ帰った時のようにはいかない。うまく説明を考えることが出来ない。しかし、シャロットもいつまでもここに居るわけではない。トレジャータウンに戻れば、必ずと言っていいほど噂が耳に入ってくるはずだ。特にシャロットは『関係者』と言っても過言ではないのだから。
しかし、今の何も知らないシャロットからすれば、ステファニーが別のポケモンに乗っ取られているだの何だのと言うのは、時の歯車の事件とは何ら関係ない。ただの『胡散臭い話』にしか聞こえないのではないか。否定されるのではないか。そういう怖さがあった。
そんな風に怖がって、リオンは一度失敗している。
リオンは思わず目を泳がせて、ラルクと視線を合わせる。ラルクは話してみればいいじゃないか、と言うように軽く頭を縦に揺らした。彼のしぐさを見たリオンは、はっとしたように再びシャロットの方へと目を向ける。
何も知らないからこそ言わなければならない。もう、自分たちだけの問題ではないのだ。
リオンは、閉ざしていた口を開いた。
* * *
「…………これで良し……か」
――――ルーファス・レッドフィールドより。
便箋の下の方にそう綴ったルーファスは、小さなため息をつきつつ、憂いた表情で自らの記した文章を読み直していた。
彼は差出者の名を手紙に明記できることを嬉しく思う。トレジャータウンから少し離れている森の中で、彼は手紙を書いていた。すでにギルドのポケモンたちが公表したであろう情報が各地に行き届いている。それを聞いたポケモンたちは皆、少しずつ少しずつルーファスが味方だと信じ始めている。悪党というイメージがどんどんと薄れていく。
もちろん、完全に信用されたわけではない。すでにルーファスを敵だと認識していないポケモンが居たとて、ルーファスが目の前に急に現れたら驚くに決まっている。まだ『世界を救いに来たルーファス』というのは、意識の中だけの存在なのだ。
既に必要な『時の歯車』の内の一つを手の中に収めたルーファスは、休憩を取る為に木の洞穴の壁に寄りかかっていた。バッグの中から何枚かの紙切れや便箋、ペンを取り出して足形文字で手紙を書き始める。二つに分けた便箋に、それぞれ少しだけ違う内容のものを書いて見直しを何度も何度も行っていた。
誤字脱字が無いか、それを見ているわけではなく、ただただ内容面に目を滑らせる。そう何度も何度も確認したとして、特に変わることは無い。が、それは彼の『不安』の現れだったのかもしれない。
本当に、これを読ませるべきなのか?
ルーファスは憂いを帯びた表情で、二つに分けた手紙をそれぞれ見つめていた。片方は問題ない。手紙を出すという事に特に躊躇は無い。
しかし、もう片方が問題だった。ルーファスはその片方の手紙の文面に再び視線を滑らせる。これを差し出された相手の気持ちになって考えてみると、気持ちが曇ってしまってどうしようもない。どうすればいいというのだ。彼は壁にべったりと背中を付けて脱力した。
嗚呼、そうだ。忘れていたと言わんばかりに体を起こすと、その手紙の分の最初の方に宛先をつけたしておく。
――――――カイトへ。
その相手の名前を書いてみて、また一層頭が重くなった。この手紙の内容はどこまでも残酷である。少なくとも、彼にとっては。
作戦の足を引っ張ることになろうとも、こればかりはかくして置くことは出来ない。首を折ると、ルーファスは大きなため息を零した。
本当に、こんなものを読ませていいのだろうか。
また同じような事を考えては、自らの意思を彷徨った。