ギルドの絆‐165
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日記の最後に書かれたページ。その端の方に、何やら染みのような物が出来ていた。水で濡らして、そのまま乾かしていたようなグチャグチャとした痕跡。
雫を垂らしたような痕。ステファニーはこの日記を書くとき、泣いていたのだろうか。
リオンはこの日記を全て読みたいと思った。しかし、手が動かない。ページをめくる勇気が無い。
「…………カイト達が言ってた、『へケート』という女性は……ステファニーの日記の中のこの人格なんですわね?」
「うん。たぶん……」
カイトは不安げに応えた。この中に登場する『へケート』が彼女なのかどうかよくわからない……という不安ではない。目の前で蹲ったまま、動かないリオンの身を案じていた。
リオンの表情を見る限り、日記を書いている事すら知らなかったはずだ。一番近い場所にいたのに、それにすら気づかなかったとなれば、リオンの内心はボロボロになってしまう。アカネとカイトは顔を見合わせた。
「……とにかく。
ペリー。あんた、これで信じてくれたわけ?」
アカネにいきなり話をふられ、ペリーは戸惑ったような態度を取りながら反論した。
「…………ん、な、な、何を言う!ステファニーの創作だという可能性だってあるじゃないか!それとも何か!?お前達、みんなカイト達のいう事を信じるというのかい!?」
息を荒くしながら、ペリーはそう言い切った。その瞬間に、しん、と場が静まり返る。ペリーは、何も答えが返ってこないことを期待していた。そんなはずはない。ステファニーは戻ってくるはずだし、キースさんは裏切ってなどいない。そう思い込みたくて、仕方がない。
しかし、帰って来たのは望んでいなかった言葉だった。
「…………あっしは…………信じるでゲス」
グーテが俯きつつも、そう言葉にした。
「……グーテも、ステファニーやキースさんが悪者だっていうのかい!?」
「違うでゲス!違うでゲス……けど。あっしもキースさんを尊敬してたんで、そういわれると辛いでゲスが……。でも、それ以上に、あっしにとっては……アカネ、カイト、リオン……その三匹の方が大切なんでゲス。
それに、ステファニーは悪者なんかじゃなくて、悪者に操られてるって話をさっき聞いたばかりでゲス。なら、助けてあげないと。日記を見ても分かる様に、すごく苦しんでるでゲス。なら……はやく、助け出さないと」
「ヘイ!オイラもそう思う!信じるぜ!」
「私も!何といっても、大切な仲間なんですから!」
グーテの宣言を受け、一匹、また一匹と声が上がっていった。ついには、ペリーとパトラスを残して全員が三匹の主張に信頼の意思を見せた。先ほどの妙な殺伐とした雰囲気が、嘘のように穏やかになり始めた。カイトはまた涙腺が崩壊しそうになり、慌てて目元を腕で覆い隠す。ありがとう。それ以外に言葉は無かった。
あとは、パトラスとペリーだった。
「…………ん?
あ、どうやら話はまとまったみたいだね♪」
「はい?」
と、思ったが、パトラスは身を乗り出して『自分も信じる』という意思を示す。少し拍子抜けではあったが、これでペリー一匹になってしまったわけである。
ペリーは目を大きく見開き、そのままフリーズしていた。
「みんな、友達を信じてくれてよかった♪絆最強♪
あ、あとリオン。シャロットの事だけどね、今彼女保安官に保護されてるから♪心配しないでね♪」
「……は?え?親方様、それどういう意味で……」
「ペリーだって納得してるもんね♪」
「へっ?」
「ペリーは、ホントは三匹のこと信じてたんだもんね♪ねー?ペリー♪」
実際、ペリーはガチ目に疑っていたのである。しかし、パトラスの妙な威圧感。まるで同意しなければ殺すと言わんばかりの不気味なオーラ。だれも逃げ切れるはずはない。長年パトラスを見てきたペリーならなおさらである。
ペリーは考えた。ここで、信じずに自らの信念を貫きとおし、パトラスのアレを受けて死ぬか。
ペリーは考えた。ここで自分が折れることで命を守り、更に三匹の事を信じてみんなの前へ立つか。
どちらがいいかは一目瞭然である。
「…………フフッ…………フフッ……
フハハハハハハハ!!あーーっはっはははっ!はははげほぉ」
ペリーは意を決した瞬間に、とにかくやけくそで笑い始めた。異様な光景。メンバーたちは皆、そんな彼の事を奇妙なものを見るような目で見つめた。
「な、なんだぁ……?」
「頭おかしくなったんじゃない?」
困惑するゴルディに、アカネの辛辣な言葉が続く。ペリーはその言葉にカチンとくるも、自らの生命を維持するためだと思って息を整えた。
「フフ……さすが親方様。仕方がない……。
私は最初から、アカネ達を信じていたのだ」
「あ、自分の命が惜しくなりましたわね」
「軸の無い奴だな…………」
「うっうるさい!そんなわけないではないか!
私は最初から、ホントに、アカネ達を信じていた!ただ、私が先に信じるって言っちゃうと……皆それにつられてついてきてしまうだろう?一番最初に行った奴が空気を作っちゃうんだから、私はあえて反抗した。しかし、私は確信していたのだ!きっと、みんなも自らの意思をもって仲間を信じるに違いない、と!」
「すっげぇ無理やり筋通してきたな」
「ケツの穴の小さい奴だ」
「そこ、悪口言うな!」
ヘクターとゴルディが口をつぐんで目を逸らした。実際は全くその通りであるが、ここで態度を変えたら確定しかねないと思い、ペリーはあくまで強気にふるまった。
兎にも角にも、これで全員の意見が一致したわけである。アカネ、カイト、リオンも一安心し、まずは最初に信じてくれたポケモン達、そしてフォローしてくれたパトラスに感謝した。
「……それで……さっき言ってた、シャロットさんの件なんだが……保護されているってどういう事だ?」
「それについて、今からちょっとだけ話すよ♪大丈夫、長くはならない」
リオンはパトラスに控えめに尋ねた。パトラスが述べた一言。『シャロットが保護されている』という事実。皆それは気になっていた。パトラスの補佐であるペリーでさえ知らなかったことである。いったいどういう事なのか、パトラスは少しずつ皆に説明を始めた。
「アカネ、カイト、リオン、ステファニー。この四匹が、あの時を境に一度この世界から姿を消した。しかし、時の歯車はルーファスから取り返した。だから、皆時の歯車が戻れば世界は平和になる。そう思っていた。けど、そうならなかった。
実は、キースさん……いや、キースが未来に帰る以前から、未来関係者以外……この世界のポケモンで、そんな風になることをあらかじめ予感していたポケモンが数名居たんだ。
まず、僕たちと一緒に捜査に当たってくれたドナート・ウィルシャン警部補。そして僕の友人……レイセニウス・マーロン氏だ」
「え?」
前者は良い。だが、最後の方で上がった名前に思わず声を上げる者がいた。カイトである。自分の幼馴染の名前が、ここで浮上するとは思わなかったからだ。
パトラスも、カイトとレイセニウスが顔見知りだという前提を理解して話をしていた。なので、一回腕をカイトの方に向け、カイトの言葉を遮る。分かっている、自分が話す。とばかりに。
「この二匹は、キースの証言や彼の話す未来、彼の目的。その全てに疑問と言うものを持っていた。実際に僕に話をしてくれたのはレイセニウス君の方だ。その後の経緯から、僕は再びレイセニウス君に報告を受けてシャロットの保護を要請したって訳。さすがにジゴイル保安官も不審がってね。僕が警察にコンタクトを取っておいたこともあり、すんなり受け入れてもらえた。
そして警察にコンタクトを取る際、対応してくれたのがドナート警部補だったって訳だよ」
「じゃあ、シャロットさんは……」
「嗚呼。シャロットはすっごい元気にしてるよ。ふかふかベッドと屋根在りの施設。そこで賄いさんからの三食のごはんとデザート付き生活。すごいぬっくぬくしてるって連絡来た。ちょっと太ったとも言ってたよ」
「三食のごはん……デザート付き……」
グーテは思わず涎を垂らす。そんな彼を、呆れるような目つきで皆見据えた。しかし、これでリオンの不安もとりあえず一つ解消である。シャロットは生きている。健康に、元気に。この世界に脅かされることなく、生き続けている。そのことを確認することが出来たのだから。
「……あのさ、パトラス。なんでレイ……レイセニウスはそんな事を?」
「うーん。多分、この大陸で何もやることが無かったんだと思うけどね……彼は『時の歯車事件』を至近距離から見た文章を書こうと思ってるらしい。所謂ライターってやつだね。
でも、色々と整理していくうちに妙な部分がたくさんあることに気付いて、それを原稿といっしょにまとめて僕に教えてくれたんだ」
「ヘイ!でも可笑しいぜ!一般のポケモンが、整理しただけで気づくことが出来ることだったらよぉ、警察の方が先に気付いてたって可笑しくねぇじゃねーか?ヘイヘイ!」
またまた、ヘクターの鋭い突っ込みが入った。そこまで頭は良くなさそうなのにも関わらず、彼の指摘はいつも的を射ている場合が多い。
「そう。そこなんだ。警察は早い段階から気づいていた。けど、隠蔽したらしいんだ。その事実を。
これはドナート警部補が僕に話してくれた内容なんだけどね。ルーファスが時の歯車を盗る随分前から、既に時の乱れと言うものが起こっていたんだ。よく考えればそうだった。ポケモンたちの狂暴化、不思議のダンジョンの急増……ずっと時の異変によるものだと言われていた。言い訳のように聞こえるかもしれないけど……記憶と意識が書き換えられていたんだ。さも、ルーファスの仕業だというように」
「それってさ……」
唖然とした様子で、カイトはパトラスの話に口をはさんだ。パトラスは軽く頷くと、次のように話をする。
「勿論、僕たちと捜査をしていたポケモンたちは知らなかったはずだ。ドナートさんだって、独自に調べて気づいたことらしいからね。
完全に警察のミスだった。キースさんを早い段階で安易に捜査に引き入れた事、世間のポケモンたちを欺いたこともね」
パトラスは小さく息を吐くと、それ以降少し黙り込んだ。彼には似合わぬ、妙に真剣な眼差しと声に、皆彼から目を離すことが出来ない。
「……その結果と言っていいのか分からないけど、この世界に危機が迫っているのは分かった。なら、何とかしなくちゃね♪ここはギルドの名にかけて、皆の力を合わせ、そして!幻の大地を探し出すよ!
頑張ろうね!みんな!」
明るい表情へと彩を変えたパトラスにつられ、たくさんの掛け声がギルドの中に響いた。皆が三匹の話に賛同してくれている。力を貸すと言っている。嗚呼、もっと早くこうすればよかった。リオンは、自らの浅はかさをわずかに嘆く。しかし、気持ちが沈みすぎないうちに、パトラスは再び喝を入れた。
「ペリー!」
「は、はい!」
パトラスにすっかり気圧され、いつも通り彼にひれ伏すペリーも、既に反論の意思は無いようである。
「皆!今からすべての仕事を、幻の大地の発見にシフトする!また、今この世界で起こっていることも皆に伝えておかなくてはならない!
忙しくなるが……皆、頑張ってくれ!」
「頑張るに決まってんだろ!」
「あっしは、トレジャータウンに行って皆に真実を伝えるでゲスよ!」
「ぼくもいっしょにいく!」
「アグノム達にも伝えないと!湖にいるようなら、ルーファスと戦いになってしまいますわ!」
「ヘイ!じゃあ、オイラもそっちに行くぜ!」
所々から、そんな声が上がっていた。アカネはどこか嬉しそうにほほ笑みながら、カイトと顔を合わせ、次に床に座り込んだままのリオンへと視線を映した。
彼も嬉しそうだ。嬉しそう……ではあるが、日記の事が引っかかってしまい、どこかスッキリしない表情をしていた。無理はない。今の状況がどうであれ、日記の内容がショッキングなものだったことに変わりはないのである。そんな彼を心配しつつも、アカネとカイトは再びパトラスとペリーへ目を向けた。
「では……他は皆、幻の大地の探索に当たってくれ。グーテやフラー達も、そちらの目的が終わったら幻の大地の情報を集めに行ってくれ」
「……よし!じゃあ、みんなで幻の大地を探すよ!!」
おぉ!と、元気の良い掛け声が再びギルドの中に響いた。やはり、パトラスの力は偉大だ。不安気だった空気が一瞬にして活気のあるものへと変わってしまった。パトラスは一旦集団から離れると、アカネ、カイト、リオンの方へと向かい、三匹の前へ立った。
「改めておかえり。アカネ、カイト、リオン。
幻の大地についてなんだけど、僕も全くと言っていいほど情報を持っていないんだ。不甲斐なくてごめんね。
でも、そういうのに詳しいポケモンを一匹知ってる。ジゴウ長老なら、知ってるかもしれない」
「ジゴウ……誰だそれ」
リオンは覚えのない名前に首を傾げ、アカネとカイトの方へと首をひねる。はて、誰だったか。二匹共、その名前に憶えはあったものの、どんなポケモンだったか、何処で出会ったか、思い出すことが出来ない。
カイトは真剣に悩み、名前的に爺さん臭いな。と、アカネはアカネで失礼な事を考えていた。
「トレジャータウンに住んでいる物知りな爺さんだ。温泉が好きで、いつもそこにいるから、温泉に行けば会えると思うぞ」
情報屋であるペリーが横から情報を投げてきた。爺さん。温泉。アカネは上がってきたキーワードを頭の中で巡らせ、それが一体誰なのか思い出そうとした。
そして、ふと頭の仲に一匹のポケモンが浮かんでくる。穏やかな表情で温泉を見つめる、一匹のコータスである。アカネとカイトがチーム結成して以来、初めて『探検隊らしい仕事』を行った際に出会ったポケモンである。
「あの時の爺さん?」
「あ、僕も思い出したかも。あれだよね、滝の調査の時の。温泉に押し流されたやつ。確か、温泉は滝壺の洞窟から行けたよね!行こうよ、温泉に!」
「まぁまぁちょっとまて。今日はもう日も暮れているし、お前達だって相当疲労がたまっている筈だ。
腹だって減っているだろう。今日はしっかり休んで、明日行けばいい」
ペリーはそういうと、羽を横に向けて食堂へと三匹を誘った。
いつも通りの変わり映えの無い食事。久しぶりの光景。三匹にとって、それがどことなく嬉しいのである。