波の行く先‐163
* * *
暗くて静かな世界があった。
全ての時間が停止し、風も吹かなければ雲も出ない。もちろん、雨も降らず晴れにもなない。世界が灰色の布切れにくるまれてしまったかのような現状。
その中でポツポツと明るい光が輝いていた。人工的な光である。いくつもの光は、この世界で大きな権力を持つ者達の溜まり場だった。
ゴーストタイプ特有の姿をしたポケモン……キースは、少し濁った水を口に運びながら、苦々しく目の下をゆがめた。嗚呼、不味い。口に出さずとも、その顔つきを見るだけで誰もが分かる。そんな水の味。
キースも過去の食料を口に入れていたのだ。未来の物よりも明らかに豊かで味も濃厚、風味も強い。過去の者達を、世界もろとも貶めるつもりでいたのにも関わらず……どことなくその味が恋しくなってしまう自分に気付き、愚かな物だと首を横に無意識に振った。
「この世界の飯はどれも不味い。食えたもんじゃない」
「……では、何故貴様はこの世界に肯定する」
キースは、背後から聞こえた声に対し軽く返事をした。すると、その声の主から鼻で笑っているような反応が聞こえてくる。どこまでも、いけ好かない女だ。キースはゆっくりと振り返り、巨大な口の中に濁った水を押し流した。
「確かに不味いとは感じる。だが、私はあまりグルメという訳じゃないんだ。あくまで生命を維持するために食と言う行為を行っているに過ぎない。それに、別に暗黒の世界だろうが何だろうがどうでも良いんだ。
レジスタンスの企てにただ反抗したい。それだけだ」
キースの問に淡々と答えるその女……へケートは、何やらつまらなそうな顔をしている。彼女は、まるでレジスタンスに反抗するためだけに生きている人形のようである。目的を失った時、彼女は一体どうするというのだろう。
もはや、過去の自分には戻れないというのに。
キースは、ふと思ったことがあった。特になんでもない質問のようなものである。ヤミラミ達ならば、こんな質問を易々とすることはできないであろう。しかし、へケートはキースに対し一目置いているような節がある。
思ったことを、キースはころりとその巨大な口から零した。
「……もしも、この世界が過去の彩を取り戻したとすれば……お前は、何がしたい?」
「陽だまりでみんなと本を読みたいかな」
「…………は?」
「……なんだ?」
声のトーンが、明らかに違った。質問に対して答えた、次の瞬間にはすでに毒々しい雰囲気を醸し出す女へと戻っていた。
キースは思わず目を見開き、その姿をまじまじと見つめた。菫色のポケモンが訝し気に目を細め、上品にその場に腰かけている。額には艶やかに光る赤い石。目は水色が多少混じったような深い紫色。美しい。
「……もう、進化したのか。早いな。
……未練はないのか。イーブイだった頃の自分に」
「もうステファニーだったころは忘れた。この世界で私はずっとこの姿で生きてきた。今更未練も何もない」
嘘をつけ。密かにキースはそう思った。
へケート自身は完全に忘れた気でいる。それは分かる。今の彼女は完全に『へケート』という人格の女だ。
姿形が変わり、声も多少違えど、何とも思わない女だ。
『陽だまりでみんなと本を読みたい』と願った少女は、そこにはいない。
* * *
「…………見つかんなかった…………」
―――リオンを『サメハダ岩』の外に送り出してから三十分後。リオンは息絶え絶えになりつつも、サメハダ岩の階段をゆっくりと降りてきて、アカネとカイトにそう告げた。
どうやらかなり走り回ったらしいが、シャロットは見つからなかったようだ。リオンの顔に焦りのような物が見える。リオンの報告を受けて、アカネはゆっくりと腕を組み、考え事を始めた。
リオンがシャロットを探しに行っている間、アカネとカイトは残って話し合いを行っていた。『幻の大地』という名称から考えられる場所や、そのような伝説の残される書物の話。しかし、全くと言っていいほど手がかりが弾きだせないままでいた。
「けど、誰々が行方不明になったとか言う話も全然聞かないし……俺よくわからん……」
「……無事だと思いましょ。この時代のあの子だってそんなにヤワじゃないだろうし」
「うん。……とりあえず、三匹揃ったことだし…………海を渡る手段から考えてみようか。結構遠い所からのスタートだけど……。
…………とりあえず……浜辺にでも行ってみよっか……」
海を渡る方法を考える。だからとりあえず、海の近くへ行ってみる。カイトの提案は、そんな単純なものだった。しかし、アカネとカイトが三十分間この『サメハダ岩』に居座りながら考えても何も浮かばなかったのだから、この場所をまずは移動するところから始める。
まぁ、そこらへんを考えればそこそこ良い案だと、アカネは密かに思った。
トレジャータウンを通らないわけにはいかないので、ばれないように建物や木々の影に身を隠しながら海の方へと向かっていく。トレジャータウンでまたリオンがシャロットをきょろきょろと探すが、依然見つからない様子で落ち込んでいた。
ここまで外に出ていないと、本当に殺害、誘拐されてしまっているのではないかと不安になってくる。アカネやカイトが知る限り、シャロットは外出好きでよくカフェにも足を運んでいた。無事ならいいのだが。二匹も密かにそう感じていた。
移動するのにいちいち苦労してしまうが、三匹はトレジャータウンを抜けると、浜辺へと続く道に足を踏み入れる。その道に幸いポケモンは少なく、後ろ指をさされることも無いまま浜辺へとたどりつくことが出来た。
一安心、とばかりにカイトは砂浜の上に腰をおろす。
「ちょっと、誰か来ないとも限らないのよ」
アカネの呆れたようなその声は、並みの音によって静かに消されていく。明るく輝く太陽の元、三匹は日光に照らされキラキラとひかる海を見つめていた。
リオンも、ゆっくりとその場に腰を下ろして、波の音に耳を傾ける。しかし、この音を聞いていると、彼は妙に切なくなってしまうのである。
「……やっぱ、難しいよな。幻の大地ってったってさ」
「そうだね。海を渡る手段だって、船とかならとっくに誰かに見つかってるはずだし。時間とか、そういうのを超越した問題なんだから、僕たちの考えがぴったり合うわけないか……」
男二匹は、そういうとゆっくりとため息をついた。その様子を真ん中で観察しているアカネは腕を組み、自らの思考の海へともぐりこんでいく。
確かにとりとめのない問題だ。どこから手を付けていいか全くわからない。『幻の大地』というものの原型が浮かんでこない。しかし、一方でどんどんと時間は過ぎていく。時間が過ぎて、『時限の塔』の状態は悪化していくばかりだ。
そして、待ち受けているのはすべてが灰色と黒で塗りつぶされたような世界。殆どの飢えたポケモンが、ポケモンを簡単に捕食してしまうような世界。ここで悩んでいるままならば、いずれ訪れるであろう未来がまさにそれだ。
あまりに広大な『幻の大地を探す』という目的。ちっぽけなポケモンが三匹集まって探し回った程度では、到底辿り着くことが出来ない現実。言い出せはしなくとも、アカネ以外の二匹も、それを分っている筈だった。
「…………ギルドに帰るよ」
「……え?アカネ、え?ギルド……って!?」
カイトがアカネの顔を見て、思わず大きな声で叫ぶ。リオンは驚いた顔で二匹を見つめ、話を聞きたそうにしていた。
「ここでウジウジしてたってなんも変わんない。仲間の数も、知識も、力も……全部足りない」
「それは分かるよ!?で、でも……僕達、いきなり失踪したことになってるんだよ!?そりゃ、皆すごい心配してると思うし、僕だって……皆に会いたい。
けど、僕たちが今まで見てきたこと……例えば、ルーファスのことやキースの事……それに、ステファニーのことだって……アカネの過去のことも……。
その事実に直面した僕も、全然信じられなかったのにさ……それをギルドの皆に話したとして……皆は、信じてくれるのかな……」
「……キースに信頼を寄せてるポケモンは、きっと減ってるどころか増えてるかもしれない。だから、私たちがルーファスの味方についたとわかれば……手の平を返したとさえ思われるかもしれないわ。
けど、本当にこのままじゃ何も変わんない。三匹で背負いこんでたってどうしようもない。私達以外の、この世界のポケモンすべてが……誰も何も知らないまま、時間が進んでやがて止まる。私たちは結局何もできていない……それが一番後悔することだと思う」
「……アカネ…………」
アカネは鋭い目つきで、カイトの説得にかかっていた。依然不安そうな顔つきでアカネの話を聞いているカイトだったが、その『本気』を形にした瞳に、ぐらぐらと感情を揺さぶられた。
「…………あのさ。
俺のこの世界での一番の失敗は、そこだったんだと思う。この世界のポケモンは、『時の歯車』に対する警戒意識がすっげぇ強くて……だから、俺も歯車を狙ってることを知られたら、もう絶対に俺の話を聞いてくれる奴なんて現れないと思った。
だから、ホントに誰にも言わなかった。ステフィに、何度か話していいかなと思ったことはあったけど……けど、この世界に居る間だけの仲だから。世界が違うから、関係を変えたらだめだと思ってた。
アカネの正体があのクロッカスだってわかった時もそうだった。話そうと思った。何度も。
でもお前にはカイトがいるから。お前は『クロッカス』じゃなくて、カイトのパートナーのアカネだから。信じてもらえないのも怖くて……結局話さないままだった。
けど、だから。俺は自分の中だけで必死に考えて、キースと戦おうとしたんだよ。でも、あいつやっぱ頭いいから、俺一匹で止めようとしたって無理だった。辺りを見回したらルーファスは捕まってて、味方は誰もいなかった。
ステフィのことだってさ、遠征終わってから妙な事が色々起こってたみたいなこと言ってたけど、俺には一言もそんなこと言ってなかったし。当たり前なんだけどな、俺は両手じゃ収まり切らんほどの隠し事してたわけだし。そんな風に全部隠してるやつに、安心して自分の事話せるわけないんだ。普通だと思ってた距離が意外と離れてたことに……今更気づいた。
だから、ギルドに行くのは良いと思う。信じてくれる奴がこの先一匹でもいれば……不安になった時、近くに誰かしらいてくれる筈だから」
リオンがぽつぽつとそう話した。ステファニーの話をするあたりから、だんだんと涙声に変わってくる。実際にそうだったときは、そこまであふれだすような感情は沸いていなかったというのに、思い出せばどれもこれも孤独で仕方なかった。ステファニーとは、いつも当たり障りのない言葉を交わしていた。触れられたくないような、触れたら気分に靄がかかるような、そんな深い部分には強く踏み込まないようにしてきた。だから、何も気づくことが出来なかったのだ。
情けなくて悔しくて、今までの自分の行動すべてが馬鹿に思える。リオンは話し終わると、ギリギリと奥歯をかみしめながら後悔の念に浸っていた。
今はもう、自分があの時できなかったことをやればいい。彼ははっきりとそう思う。
「…………そっか。
……そうだよね。ごめん、ちょっと臆病になってたかも。きっと大丈夫だ。皆信じてくれる。そう思おう」
「……だな。ステフィの事、どう言うかなー……」
「……じゃ、行く?ギルド。いい加減、トレジャータウンこそこそすんのも嫌だしね」
様々な思いを抱きつつも、カイトとリオンは砂浜から腰をゆっくりと上げ、海へと背を向けるアカネの背中を追いかけた。