キザキの森の『時間』‐161
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巨大な森林……鬱蒼と茂る木々は、暖かく大地を照らしているであろう太陽の光のほとんどを日傘のように遮っていた。視界ははっきりとしているが、どこか薄暗い森の中を、ルーファスは先を食い入るように睨みつけた。その背後で待機中のアカネは、自らの首にしっかりと『防御スカーフ』を結びなおし、大きく伸びをする。そんな彼女に、カイトは『これも付けて〜』と言いながらひらひらとスペシャルリボンをちらつかせた。しかし、全く興味なしと言うように無視を決め込む。
一方で、どこか乗り気ではない様子のリオンはゴソゴソとバッグの中の整理をしていた。『サメハダ岩』から、この場所……『キザキの森』は、そこそこ距離があるが、ここまで来て尚、彼には迷いがあった。
『キザキの森』は、ルーファスが一番最初に時の歯車を手に入れるために足を運んだダンジョンである。『サメハダ岩』から一番近いのは流砂の砂漠から繋がっている『地底の湖』だったものの、この『キザキの森』に関してはアグノム、ユクシー、エムリットのような歯車の番人が存在しない。だからこそ、成功率は非常に高い。手始めにここを狙おう、という話になっていた。
まずは状況を確認するため、ルーファスがダンジョンの入り口付近をフラフラとしながら森の中を観察していたのだが……。
「………………?…………?」
「……ルーファス、どしたんだい?」
カイトが後ろからのぞき込むように声を掛けた。少し困ったような顔つきで彼の方を見ると、指先を自分の顎に当てながら何か考えるように返事をする。
「……いや……なんか、前来たときと雰囲気が違うような気がしてな……いや……未来の世界の空気を吸いすぎた所為かな。気のせいだ。
……それで、シリウス。お前、結局どうするんだ。今トレジャータウンに帰るなら、そう遅くはならない筈だが。ちゃんと考えたのか?」
「……いや…………俺は……」
リオンはシャロットの事が心配だった。今帰ればさっさと彼女の安否確認が出来るかもしれない。その後付き添って守ることだってできる筈だ。しかし、今四匹は慣れない方が良いのも分っているし、時の歯車だって十分大切だという事も理解している。
しかし、シャロットが心配なのはルーファスだって同じだった。しかし、時間が無いからこそ更なる最善を尽くそうとしている。リオンは迷っていた。
「…………行くよ。
……多分、大丈夫だ。一緒に行く」
「よし、決まりだな。一つ目を手に居れたら、いったん帰って会議をしよう。この先どうするかはそこで決める」
「……わかった。……ごめんな、すまない。一々足引っ張っちまって」
ルーファスは何も返事することなく、自分のバッグを肩にかけると、三匹にアイコンタクトを取った。全員と目線が合うと、ルーファスは『行くぞ!』と声をかけて、戦闘を進みダンジョンの中へと入っていった。
ルーファスが言うには、このダンジョンはかなり長いらしい。そして、野生のポケモンはそこそこレベルが高い。やはり、番人が居ないだけあってかダンジョン事態が難関のようである。しかし、『水晶の湖』や『地底の湖』『霧の湖』などの隠し場所と違い、手のこんだ仕掛けのようなものはなく、ダンジョンさえ突破すれば時間を取られることは無いそうだ。
「……しかし……シリウス。やはり、戦闘能力が落ちているな。一対一で戦ったら多分俺勝つぞ」
「俺もそう思う。レベルも下がってるみたいだしな……」
リオンはその場で軽く素振りをした。ルーファスはその様子を見て困ったように軽く息を吐くと、『まぁ仕方ないだろう』と、リオンに伝える。
ダンジョンに入って早々に対峙したチェリンボによって、ダンジョン内の陽ざしが強くなっていた。木々で頭上は殆どが覆われているものの、ダンジョン内に作用している『日本晴れ』によって、かなりギラギラとした暑さを皆が感じていた。
暑さに特別弱いというポケモンは四匹の中に居ないため、四匹は更に奥へ、奥へと進んで行く。
「ルーファス。アカネは未来の世界で……主に何してたの?」
「ん?あー、クロッカスはな……あいつは、色々やってたよ。人間だってこともあって出来ることが限られてる……って、最初は思ってたけど。あいつは強かった。『ウロボロス』によって、事実上では命を与えることも奪うことも出来たからな。身体能力も高かったし、肝も据わっていた」
「そうなんだ」
話をしている間も常に警戒の姿勢を崩さないルーファスは、よほど戦闘慣れしていると見えた。探検隊になって、数え切れぬほどのダンジョンを行き来してきた『チーム・クロッカス』であったが、やはりルーファスのその姿勢は自分たちとは何か違うものを感じる。
かく言うアカネも、もとはルーファスと同じ環境で生活していた為か、警戒心は強い方である。
「……ッ!」
ルーファスは背後で微かに揺れた草むらに反応し、その場からテンポよく離れると『リーブレード』を構えた。刹那、ヘルガーがその草むらの中から勢い世付けて飛び掛かってくる。獲物を狙うかのようなその視線は、まるで未来の世界で見た『ポケモンを食すポケモン』と重なる部分がある。ヘルガーは『火炎放射』をルーファスやその周辺に向けて放つが、ルーファスは攻撃を綺麗に避ける。ヘルガーの背後へと『電光石火』を使って回り込み、背中からガッツリと『リーフブレード』でダメージを負わせた。
種族的にタイプの相性が悪いが、そんなことも気にせずにルーファスは続けて『エナジーボール』をヘルガーへとぶつける。
効果はいまいちだ。しかし、そもそもの攻撃力が高い為にヘルガーはあっけなく地に伏した。
「……気性が荒いな……種族故なのか…………」
ルーファスはそういうと、少し周辺を見渡してから後の三匹に先へ進む合図をした。小走りでルーファスの後をついていくアカネとリオンを見ながら、不意にカイトは思う。
ルーファスはやはり強い。今まで散々やられてきたが、やはり悔いも残らない程の強さだ。未来という世界から過去にまで来て、現状を食い止めようとするこの執念。キース……彼さえも、ルーファスには一目置いている節がある。
果たしてこの状況に、自分は必要なのだろうか。カイトはふとそう思ってしまったが、現在、この世界でのルーファスに対しての理解者はアカネ、リオン、そしてカイトだけだった。
いずれ、ルーファスは真実を世界に伝えるだろう。そして、抵抗されつつもそれは世間に浸透していくのかもしれない。それを伝えて行けるのは、数少ないルーファスの理解者たちの中の一匹に含まれるカイトも同じだった。
……その後は?
「…………ちょっと、カイト!今道空いてるから、さっさと行くよ!」
「あ、ごめん!すぐ行く!」
アカネ、カイト、リオン、ルーファス。四匹で進むダンジョンへの道のりは、四匹の戦闘能力の高さによってスムーズに進むことが出来ていた。長いダンジョンの終わりが見え始めた頃に、ルーファスはふと足を止める。
そんな彼につられて、アカネ、カイト、リオンもまた足を止め、周辺を見渡した。
「…………なぁ……ここ、なんかおかしいと思わないか?」
ルーファスはそういって、近くに生えている気の根元に触れた。固い。固くて黒ずんでいる。何かが付着しているわけではない。その光景に、ルーファスが眉を顰める。
アカネも、ルーファスの真似をするように軽く周辺に生えている草に触れた。ふにゃふにゃ、としている筈ののんびりとした草が、今はなにやらプラスチックのように固く感じた。
「…………ッ……!」
アカネがその草に触れた数十秒後、突如頭痛が襲ってくる。アカネは額と鼻筋の中間のあたりを抑えると、体の軸や視界が揺らめいているのをかんじた。
『時空の叫び』だ。
「……アカネ?」
異変に気付いたカイトが、駆け足でアカネの元へと急ぐ。また、カイトの声に反応したルーファスやリオンもアカネの方へと向かった。
アカネは酷い体の不調の後に、目を開いているにも関わらず視界がいきなり暗くなるのを確認する。その瞬間に、目の前を閃光が横切った。
立っていられず、思わず膝をついて飛び込んでくる『映像』に、ひたすらに意識を集中させる。何者かに支えられている感覚があった。それも気にならない。
木漏れ日の差す『キザキの森』が、目に飛び込んできた。そしてこの先には『時の歯車』がある。
しかし、時の歯車の光を省いたすべてが灰色のフィルターを被せたかのように変色していき、風に揺れている草も木も花も、息をして動いているポケモンたちをも飲み込んでいく。
何らかの力に呑まれたそれらは、全て黒ずみ、変色していく。風はその瞬間吹き抜けるのを止め、揺れていた草や木や花もピタッと動かなくなった。
苦し気に動けなくなっていくポケモン達。森の変貌は、今アカネ自身が立っている場所でぴたりと収まった。
『キザキの森』が、『時の停止』に浸食されていく映像である。
ただただ寂しく光を放ち、佇んでいる『時の歯車』の姿を目に留めると、そこで『時空の叫び』は終了した。
アカネはゆっくりと瞳を閉じ、再度開く。しっかりと周りの景色が見えた。『時空の叫び』で見たものと同じ風景が広がっている。
しかし、『時の歯車』は映像の中に存在していた。ということは、つまり。
『時の歯車』は、時間が止まった状態であってもこの場所に存在しているという事になる。
「…………何か見えたのか?」
「……あ。ごめん、ありがとう」
体を中途半端ではあるが支えられていることに気付き、アカネはルーファスの問に答える前に一旦体勢を立て直した。肩から腰のあたりにかけて支えていたカイトは、にっこりと笑うとアカネの体から手を放す。
リオンは興味ありげにアカネの方をのぞき込み、アカネの口の動きを見ていた。なにやら期待されている。
アカネは腕を組んでしばらく考えるようなそぶりを見せると、結論的に『結果を見た方が早い』という考えに行った。
「見た方が多分早いわ。説明の仕方もよくわかんないし……。
この先に進みましょ」
「……嗚呼、そうだな」
アカネ達はスタスタと先の方へと進み始めた。ここから先はすべての『時間』が、停止している。ポケモンたちの気配も消え、静寂な森と化していた。
ルーファスは既にはっきりと気づいているため、眉を潜ませつつも先へ先へと進む。
「……もう少し……この先だ」
ルーファスは、近くなってきた目的地を指さす。小さくカーブした場所をゆっくりと曲がると、そこにはアカネ以外のポケモンたちが皆、目を見張る光景が広がっていた。
「……こ、これは……?」
ルーファスは、『時が止まっている』という状況に気付いていた。そのため、何者かがこの場所の時の歯車を持ち去った……もしくは、ルーファスから奪い返した時の歯車が元の場所へと返されていない可能性を考えていた。
しかし、いずれも違う。『時の歯車』は、確かにその場所に存在していた。柔らかな青緑色の美しい光を放ち、自らの周りの一部だけを淡く照らしている。
『時の歯車』は存在している。それなのにもかかわらず、キザキの森最奥部付近の時間は全て停止していた。
「……時の歯車が存在しているのにも関わらず……?え?
そんな状況ってあり得るの……?時の歯車があって時間が進んでる、もしくは時の歯車が無くて時間が止まる……それしか覚えが……」
「私が見たのはまさにこれよ。……『時の歯車』の周辺だけを避け、時の停止がここらを浸食していく映像だった。
『時の歯車』が予め存在している状態で、この場所の時は停止したってことになるけど……」
「おい、ルーファス!不味いんじゃないか……?『時の歯車』があるにも関わらずに時が止まってるってことは、それ以外の場所も相当侵されているかもしれないぞ」
アカネの『時空の叫び』の状態を聞き、リオンの警告も耳に入れたルーファスは、『ふむ……』と、目を瞑って何かを考え始めた。
状況が悪化の一途をたどっていることは明らか。しかし、まだ完全な『星の停止』という状態には至っていない。
……時が完全に停止した状態のままのこの場所に、いつまでも歯車を放置していれば……いずれ朽ちてしまうかもしれない。
そう思うと、ルーファスは反射的に歯車に近づき腕を伸ばし、力強くそこから歯車を掴みあげ、自分の元へと運んだ。
その瞬間に、歯車の光も消滅し、森の中に灯っていた光は無くなった。
その場を照らしているのは、カイトの尻尾で燃え上がる赤い炎のみとなったのである。
「お、おいルーファス!いきなりなにして……!」
「大丈夫だ。ここの時間は既に停止している。今更取ろうが取らまいがあまり変わりはないだろう。
……それよりも、気になることがある。とにかく、時の歯車は手に入れた。一旦『サメハダ岩』に引き上げよう。
……それで、カイト。ちょっとお前に頼みがあるんだが」
「え、僕?」
カイトは困ったような顔をしつつも、渋々首を軽く上下へ動かす。ルーファスはそれを見止めると、少しばかりの頼みだ、と再度伝えて調べ事をカイトに頼み込んだ。
「…………そういうことだから、サメハダ岩に戻る前に、少しトレジャータウンで情報を得てきてほしいんだ。
いま、この世界で何が起こっているのかという事を」
「うーん。おっけー。探ってくる」
「みんな、お前達は未来に行ったと思い込んでいる筈だ。見つかれば騒ぎが大きくなる。難しいかもしれないが、出来るだけポケモンたちの目に着かないようにな」
「分かってるって!」
カイトはそういうと、力強く頷いた。