朝日が照らす大地‐160
――――少し冷たい風が、体の上を駆け抜けて行った。
目の前には燃え残った薪。水を掛けた所為か、未だ多少湿っている。俺は吹き抜けていった風に撫でられて体を起こした。眠気がある所為か、少し視界がぼやけている。燃え残った薪から目を逸らすと、薪をはさんだ反対側で一匹のピカチュウが毛布を体に巻き付けながら深く眠っていた。リオンも同様に、軽く寝息のようなものを立てながら眠っている。起きる気配はない。外を見ると、まだ暗い空だった。しかし、俺の隣のベッドで寝ていた筈のカイトが居なくなっている。
毛布がベッドの上にちょこんと乗っかっていた。自発的にどこかへ行ったようだ。外に居るのだろうと思い、二匹を起こさぬようそっと階段の方へと足を運んだ。
澄んだ空気が鼻から入ってくる。すぅ、と息を吸うと、どことなく爽やかな味のする空気だった。美味い。
ゆっくりと階段を上り、階段と地面のつなぎ目から顔を出した。やはり、カイトがいる。俺はそれを確認すると、ゆっくりと『サメハダ岩』の洞窟の中から脱した。
『サメハダ岩』の、崖になっている場所の手前に座り込み、その先に見える風景を眺めている。その先には海が広がり、絶えることなく波の音が耳をかすめる。どんな時であっても止まることの無いその波の音は、時間が動いていることを確認させる。俺に気付いているのだろうか?近づいても反応を見せないカイトに対し、思い切って声を掛けた。
「…………どうした?眠れないのか」
「……うん。まぁ、ね」
そういって、カイトは驚きもせずにゆっくりと顔をこちらへ向けた。気づいていたようだが、あえて反応しなかっただけのようである。俺と会話を交わしつつも、何かをまだ考えている様子だ。
「……キースや、へケートの事を考えていたのか?」
「……それも少しあるかな。会話は一応纏まっては居るみたいだけど、まだ理解し切ってないことは多い。
裏切られたのは辛かったけど、さ。ルーファスの話を聞いてから、なんとなく……、未来キースが言ってたことは本当だったんだなとか、今まで僕たちが見てきたステファニーって何だったんだろうな、とか……。
アカネは……アカネは、本当に人間で、未来から来たんだなって……そんなことばっかかな」
そういいながら、カイトは再び海の方を向いた。澄んだ瞳の奥に、どこか毒々しい何かが見える。俺の意識の所為でそう見えてしまうのか、もしくは本当にそうなのか。なんとなく、心の中の闇のようなものは感じる。キースに裏切られたときのカイトの混乱っぷりは、ある意味普通かもしれないが……近くで見ていて、少し異常だとは思った。
俺が、こいつ相手にそれを口に出す日は来るのだろうか。
「……ん?あ……ルーファス、見て。朝日が出てきたかも」
カイトはゆっくりと立ち上がると、先ほど自分が向いていた方とは反対の、俺の方を向いて指をさした。俺も同じように、カイトの向いている方へと顔を向ける。
徐々に空が明るくなってくる。ぶれた光のような物が、山々から顔を出し、遥遠い空ゆっくりと上っていくのがゆっくりとではあるが見ることが出来た。完全に登り切るにはまだ時間がかかりそうだったが、空に昇っていく光を見て、俺は思わず腹の中の息を細く吐き出す。
「……やっぱ、綺麗だね。アカネにも見せたかったなぁ……」
「あいつは爆睡中だったぞ。
…………俺は、今まで暗黒の世界しか知らなかったから、実は最初は……『光の世界』というのは漠然とした願望のような物だった。
だが、この世界に来て……初めて太陽を目にしたとき……衝撃を受けた。思い描いていたものよりも遥かに美しい、幻想を超えた世界がそこには広がっていた。
だからこそ、暗黒の未来を変えたいと思った。これを見ることが出来ずに逝ってしまった、たくさんの仲間たちの為にも……絶対に。
…………カイト。お前に聞きたいことがある。
あの時……未来で、ディアルガ達に囲まれ、キースどころかステファニーにまで裏切られ……あんな絶望的な状況の中、どうしてお前は諦めなかったのだ?
……俺でさえ諦めかけたあの状況で、どうして立ち上がることが出来たのか……不思議だった。何故……あそこまで、気持ちを強く持つことが出来たのだ?」
頭の中に、ゆらゆらとあの時の光景が揺らめく。勝ち誇った顔つきのキース、刃を向くヤミラミ達、プレッシャーを放つディアルガ……嗤うへケート。
へケートが現れた時の衝撃。実際は、俺よりもカイトの方がずっとダメージを受けたはずだった。しかし、カイトは挫けなかった。諦めなかった。俺自身、執念が凄まじいことは自覚している。しかし、カイトの気持ちは俺よりも強かった。
「…………アカネが一緒に居てくれたからかな、とは思う」
「アカネが?」
あの時の彼女の事を思い出してみる。自身が俺の相棒である元人間、未来より出生した存在である事をしったアカネは、俺が今まで見る限りでは一番戸惑っていた。カイトの方がそれまで冷静さを欠いていた分、アカネは至極冷静に見えていたから、相棒だったことの事実と重なって一層驚いたのを覚えている。
「アカネは未来に行ってから、僕に比べてすごく冷静だったけどあの時……アカネは足がすくむくらい混乱してたと思う。
あの時同時に、僕の中で完全にキースは『悪党』になった。ルーファス、君を信じようと決断した。アカネがいなきゃ、多分そんな事考えなかったと思う。あの時……あの子がいなければ、僕はきっと自暴自棄になってたはずだ。守りたいものがなかったら、僕は命を絶つことをそれほど苦には思わなかったんだ」
ぽつぽつと語るカイトの言葉に、思わず目を見開いた。そんなことを考えていたのか、という驚きもあった。
そして……なんとなく、気づいてしまった。
「…………お前があいつを大切なように、あいつだってきっとお前の事が大切なんだろうな。あいつは……幸せなんだな。お前のような相棒が居て」
見ていて甘酸っぱくなり、苦しくなる。これが恋情と愛情、というのだろうか。そんな風に言えばきっとカイトは照れたように笑うのだろう。
……きっと、お前も一緒なんだろうな。クロッカス。
「……そこそこ明るくなったな。そろそろ行くか」
「……ルーファス、僕からも少し言いたいことがあるんだけど、いい?」
朝日が昇り、空が割と明るくなってきた頃、俺は話に区切りをつけたつもりで階段を下ろうと足を一歩踏み出した。
そこをカイトに制止され、踏み出したはずの足をゆっくりと下ろす。
「……何だ?」
「…………ルーファス。へケートの事好きだったんじゃない?」
「……どうしてそう思うんだ?」
「話してるとき、そういう顔してたから」
「…………ノーコメントだ。想像に任せるよ」
階段へと、一歩踏み出した。
(―――――――――――――――もしも俺が主に言葉を掛けることができるなら……これから先の事を、もっとよく考えてほしいかもしれない)
(仕方がない事でしょう。ルーファスは『全て』を話す気はないようですから。とんだ愚か者です)
(主もそうだし……何より、これじゃカイトが可哀そうだよ。だって、さ……)
(同情したとて、どうしようも無いではありませんか。
あの者の抱く感情は、実ることの無い恋情です。
人間は、ポケモンに恋などできないのですから)
(……かもしれない、けど。
俺はなんていうか……主に奇跡が起こることを期待したいかな)
(……随分、甘ったれたものですね。
しかし、奇跡が起こるというのならば……見てみたいものです)
暗がりに佇む蒼き鹿と赤色の鳥は、自らの『宿主』の寝息を感じながら、お互いに背を向け、目を閉じた。