言の葉の焚火‐159
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ぱちぱち、ぱちぱちと、炎が慎ましく燃えた。ルーファスの話を聞き終えたリオンは、自らの膝を中途半端に抱え込んで顔を足の間に突っ込み、何もいう事は無いとばかりに顔を地面へと一直線に向けていた。そんな彼に、ルーファスは何も言葉をかけることが出来ずに焚き火が燃えるのを見つめていた。
アカネは座り込んだまま腕を組んで、地面へと視線を下げる。カイトも同様に、何と言えない顔つきで焚き火の方をじっと見つめていた。
明らかなステファニーとへケートの人格の違い。リオンは所々で何かを感じることはあっても、まさかまるっきり違うポケモンになっているとは思っていなかった。アカネとカイトは、違和感に気付きさえもしなかったのである。
何が悪いのか、誰が悪いのか。誰も責めることが叶わないこの状況は、四匹にとってどことなく気持ちの悪い空間となっていた。
そんな中、リオンが不安定な声色でルーファスに尋ねた。
「……ステフィと俺が初めて会った時、お前見てただろ?……なぁ、あいつ、なんか考えてたのかな。あの時から、俺を利用しようとか、そういうのさ」
なんとなく弱気になり、リオンは小さな弱音をぱちぱちと燃える焚き火へと投げ込んだ。ルーファスは考え込むように手を首へ寄せると、眉間に微かに皺を寄せた。
リオンの不安は分かる。最初から自分が利用されていた可能性。結果的には、利用される形となってしまった。ステファニーことへケートはおそらく、時空ホールへと突き落とされたリオンを追いかけるように自ら時空ホールに飛び込んだ。リオンと言う存在さえあれば、ステファニーが時空ホールへと思わず飛び込んでしまうというシナリオが出来上がる。まんまと利用されたのだ。
ステファニーは最初、純粋に『ステファニー』という少女だったはずだ。リオンにもそのことは分かっていたにしても、やはり不信感というのは募っていく。リオンがこの世界にやってきて唯一信じられた相手。その相手に裏切られた事によって、心臓が締め付けられるように痛む。リオンには知り様の無かった事実だった。しかし、感じることならできたはずだ。
不自然なところは思い返せば沢山あった。深く考えようとせず、良い方ばかりに考えようとした報いなのである。リオンはそう思っていた。
「…………いや。きっと、あの時はステファニーと言う少女だったんだろう。そもそも、お前はへケートを知らなかった。俺も気づくことが出来なかった。だからと言って、誰を責めるという訳でもない。へケートだって……あの時は、『ステファニー』だったはずだ。
……俺が、あの少女への対応を咄嗟にお前に押し付けなければ、こんなことにはならなかったのかもしれないとは思う。お前とあの少女が『探検隊』を結成しなければ、記憶が蘇った起因である『時の歯車』には干渉しなかったはずだ」
「……あんた達がどうしようと……遅かれ早かれそうなってたんじゃないかしら」
アカネは、なんとも言えないリオンとルーファスの自責の念のようなものをじりじりと感じながら、少しばかり会話に口をはさんだ。
カイトは、一瞬アカネの方を向くと、何やら悲しそうな顔つきで目を細め、再び焚き火の中心部を見つめた。
「……時の歯車なんて、きっかけに過ぎなかったんだと思う。霧の湖でのステファニーは、今思えば所々で何が何だかわかってないって感じだった。
最初はそこそこ小さな波紋だった筈よ。あのへケートって女はステファニーとは明らかに違う。ステファニーとはまるで真逆の人格。アレが底の方から這いあがって来たんだから、きっとその場をしのいだとしてどうにかなる存在じゃない。起因なんてどうにでもなった筈よ」
へケートの事を何も知らないこその憶測だった。それは見事に的を射ていて、どうにもこうにもルーファスとリオンは自らの悩み事がくだらなく、意味の分からないものに思えてくる。既に起こってしまった事なのだから、悩んでいても仕方がないところが大半を占めている。それでも、気にしないことは出来なかった。
「…………でも、誰も責めないっていうのは、難しいよね。
それがアカネだったら、僕が裏切られたら……消えたくなるかも」
「今のところ、裏切る予定はないわよ」
そんな二匹の発言に、ルーファスとリオンは苦笑いをした。カイトが言いたいことが全くと言っていいほどアカネに伝わっていない。何て不憫な。ルーファスとリオンは顔を見合わせると、また苦々しく口角を上げた。
「……そういえば、ステフィに触った時とか……『時空の叫び』が発動したことある?ステフィ以外にも、俺達にでも」
「……意識すれば使えたりするけど、関係ないトコかしらね。でも、未来の世界では全然使えなくて。時空の叫びについても、意味不明よ」
「そもそも、『時空の叫び』という能力は……信頼できる『パートナー』のような存在が居なければ発動しない。孤独心を感じず、心が満たされていることにより、初めて発動する能力なんだ」
「え……」
「『時空の叫び』というのは、時の歯車が存在する場所に反応して起こる。俺達は過去の世界で『時の歯車』がどこにあるのか探る為に、クロッカスの『時空の叫び』を積極的に使っていた」
そんなルーファスの言葉に、自分が知っている事実とは何点か異なっているのをアカネとカイトは感じた。すぐさま、その疑問を解くためにルーファスに疑問を打ち明ける。
「る、ルーファス?あの、時空の叫びの発動条件には『信頼できるパートナー』が必要っていうけど……。
僕達が出会って割と直ぐの頃から、発動してたような気がするんだけど、さ……」
「そんなの簡単だろ。それからお前達が初っ端から信頼し合っていたって事じゃないか?」
「…………そうなの?アカネ?」
「知らないわよ」
聞かれても困る、と言いたげにアカネは両手を軽く上げた。あの時の大喧嘩は何だったんだ、とカイトは肩を落とすが、なんとなく胸と腹の間のあたりにキュウキュウとした感覚を感じ、思わずそのあたりをグググ、と手で押さえた。顔が気持ち悪いレベルでニタ付いていた為、その場にいた全員が引いたような目つきでカイトを見つめる。
「ちょ、何その顔」
「ご、ごめん。なんかキューッとしてさ……嗚呼、うん。なんかもう、かわいーね!」
「あ、ああ……あっそう……」
ドン引き状態のアカネは、そういわれても苦々しい顔つきで返すしかなかった。そんな様子を見て、微かにルーファスは口をキュッと閉じる。哀れな者を見るかのような目をカイトに向けた。それは冗談半分な感情のこもったものではない。
そんなルーファスの表情に、ちらりと顔をあげたリオンのみが気づいていた。リオンも又、ルーファスの感情を汲み取って無意識に目を細める。
「……あ!ご、ごめん。話がちょっと変な方行っちゃった!
えっと……疑問あともう一つくらい……。時空の叫びは、時の歯車に反応して起こるって言ってたけど、割と関係無い所でも発動してたような……ね?」
「……時の歯車に関係の無い場所では、発動しない筈だが……」
「うーん……アカネ。マリ誘拐事件のザドクの件とか、あの温泉に繋がってた滝の事とか……歯車に関係あると思う?」
「無いとは思うけど……。ただ、そんな理由があるなら、『未来』で発動させたいという意志があっても微塵も反応を示さなかったのは、そういう事なのかしら。この世界では歯車に関係無い所もあって、もっと発動頻度が高かったけれど……」
アカネとカイトは首をひねった。ルーファスの話と二匹の話が食い違う。『アカネとカイトが信頼し合っていた?』という点なら、無理やりなっとくしようとすればできないことも無いが、こればかりは説明のしようがないのだ。
そんな風に三匹が悩んでいたところに、リオンが少し口をはさんだ。
「……この世界と未来では、『時空の叫び』という能力の性質が違うんじゃないかな。
今まで見てきた通り、『未来』という世界では、この世界に存在している殆どのエネルギーが枯渇状態にある。『時空の叫び』が、どういう原理で発動しているのかは知らないが……過去と未来、それぞれ反応の仕方が違うという事は、『能力自体』に影響を与えているものが変わっているって事じゃないかな……。
大体、考えてみれば『時の歯車に関係しているところだけ』なんてケチくさいしさぁ……本来は普通にサイコメトリーとして使える能力なんじゃないか?能力を支えてくれるものが減ったからケチになった。っていう……」
「確かに……まぁ、今実際そうなってるし。そう納得しとくのがいいかもね」
リオンの憶測だらけの説明によって、一時場は抑えられた。ルーファスも何も言わず、何とか納得したような顔をして三匹の方へと顔を上げた。
「……皆。これからどうするか、少し話をしたいんだが……。
まず、俺は前も言ったように、再び『時の歯車』を集めに行く。お前達はどうするんだ。……シリウスも」
「……お、おれは……
俺は、とりあえず……シャロットさんが心配だ。一応見て回ってはみたが、シャロットさんの姿は見つけられなかった……何か気づいた奴が対策を取ってくれてたらいいんだけどさ……」
そういって、リオンは再び深く視線を下に落としてしまう。アカネとカイトは顔を見合わせると、カイトの方が軽く手を挙げてルーファスに意見を投げる。
「……時の歯車を取ると、その地域の時間が止まるってのはちょっと気になるんだけど……時の歯車の本来の使用方法を考えれば、それは一時的な物なんだっけ?」
「そうだ。時限の塔に時の歯車を納めさえすれば、時間の流れは安定して元に戻る」
「じゃ、別にいいんじゃない?そこのポケモンには悪いけど、星の停止を考えるとそうも言ってらんない」
「僕もそう思う……かな。抵抗はあるけど、やるしかないのも分かるし」
アカネとカイトはそういって、ルーファスの計画に賛成した。リオンはどうも踏ん切りがつかず、もごもごと口を動かしているばかりである。計画には参加したい。一方で、シャロットの事が気がかりだった。殺されていなければいいのだが……と、本心では今すぐにでも彼女の無事を確認したい気持ちで溢れていた。しかし、それならばルーファスとて同じである。
ルーファスは、なかなか返事をしようとしないリオンを見てしばらく考えると、ゆっくりと彼の方へ目線を定めた。
「……今日はもう遅い。今まで逃げっ放しで疲労も相当溜まっている。とりあえず今日はしっかりと体を休めよう。
行動の実行は明日の朝だ。それまでなら……考える時間もある。
リオン、お前の事はお前自身に任せるよ。だから、今はとにかく……ゆっくり休め」
そう言うと、ルーファスは静かに焚き火の中に木の枝をくべた。
* * *
一方……『パトラスのギルド』の名声で彩を飾るこの大陸の隣に、もう一つの大陸があった。
カイトの故郷である、自然に満ちた豊かな大陸だ。そこまで面積は広く無いものの、様々な美しい風景や未開の地に溢れており、探検家のネットワークの中ではそこそこ探検し甲斐のある場所として知られていた。
その大陸を彩っているのは、伝説の救助隊チーム『ガーベラ』や、有名な『FLB』というチームの発生の地という名声だ、というポケモンが後を絶たない。数十年前、この二つのチームはとある大事件にかかわった。世界全てを破滅に追い込むような大事件を、一歩手前の事で阻止したのがチーム『ガーベラ』、諍いはあったものの、重要な働きをする結果となったのはチーム『FLB』である。
優秀な救助隊の発生率の高い地としても知られているこの大陸の隅に、そこそこ大きな建物が佇んでいた。玄関前に立った色物の旗には、『gerbera』という文字が刻まれ、穏やかな風になびいている。
チーム『ガーベラ』の救助隊基地だった。その中はいつも騒がしく、ポケモンたちの声が絶えない場所だった。半ば『救助隊養成所』と化している部分もあり、チームガーベラから独立したいポケモンや救助隊を志す者達が様々な指導を受けている場面もうかがえる。
しかし、ここ数日どこか様子が違った。がやがやとした基地の中の雰囲気は、いつもの活気のあるものではなく、どこか淀んで息苦しい雰囲気が広がる。
そんな中で、ある二匹のポケモンが向かい合って深刻な顔つきで会話をしていた。
「……サラ…………この場所の事は、いつも通り私に任せれば良い。何やら妙な話になっているようだし……」
「大丈夫。それに、この大陸だって余裕だって訳じゃないんだから」
カイトの母親であるメガニウムのサラと、一匹の雌のアブソル。その二匹が、向かい合って話をしていた。アブソルはしきりに何かをサラに進めているものの、彼女は小さく首を横に振るだけである。
「何故そんなに意地を張る。ここにはたくさんの救助隊とその見習いが居るんだ。でもカイトは一匹だけだろう。納得できないという顔をしてる。さっさと大陸を渡って、パトラスのギルドの方に話を聞いたらどうだ」
「ありがと、ソルア。でも、大丈夫だから。強がりだってことは自覚してるけど、もちろんそれだけじゃないのよ?」
「嘘だろう。それだけだ。お前はそんなに頭のいい奴じゃないって知ってるぞ」
「もう、酷いわねぇ……」
ソルアと呼ばれたアブソルは、そういうとサラの方を射るような目つきで睨みつけた。女性らしからぬ雄らしい目つきに、サラは多少のプレッシャーを感じつつも、自らの意見を貫いていた。
母親としてやるべきことは、おそらく大陸へと渡ることなのだと思う。しかし、それをカイトは果たして望んでいるのだろうか。
サラはただただ黙っていることにした。自らの感情を小さな箱の中に詰め込んでそっと鍵をかける。
カイトが帰って来たという連絡が届くのを、ただただ待っていた。