へケート・ロべリア‐157
「…………へケート・ロべリアという一匹のエーフィは、とても美しい女だった」
ぽつり、ぽつりと話し始める俺の顔を、アカネ、カイト、シリウス。皆が真剣な顔つきをしてみている。頭の中で混乱している場所を整え、時には省き、妙な話にならないように、頭の仲で整理しながらゆっくりと話していた。
これから話すことは、シリウスでさえ知らない、彼女の未来での出来事である。
へケート・ロべリアという女は、かつて『星の停止調査団』のメンバーの一匹だった。常に冷静な視線を保っていながら、彼女そのものは穏やかで表情のコロコロと変わる、豊かな雰囲気を持った女性。いつもふとした時ににっこりと微笑み、その笑顔は暗闇の中に栄える光のようだった、と……他のメンバーたちは感じていた。
彼女の仕草、口調そのものにも品があり、明るくて容姿端麗で要領も良く、非の打ち所の無いポケモンだ。そんな彼女の事を、メンバーの皆が愛していた。……そう思う。
何故かシェリーに良く突っかかられていたが、時に仲が良かった。クロッカスとも他のポケモン達とも同じだったし、俺達は彼女の事は心から信頼していた。
彼女の仕事は基本的には外に出ることの無い、情報の集計や基地の見回り、時に古い文章の解析。いつも忙しそうにしてはいたが、時間を作っては他のポケモンたちを見に行っていたみたいだ。信憑性が高い存在で、疑う要素なんて無かった。
だから、失った時の衝動は大きかった。
調査団の中に、とある調査チームがいた。リラとエインと言う名前を持つポケモンのコンビだ。あいつらは今……俺達が行おうとしている作戦の土台となった資料をキース達の所から盗み出すため、奴らの方へと向かっていた。
盗み出す作戦の計画……その時点では、うまくいく確率が高かった。しかし、何故かキース達にそれが伝わっており、その資料が置いてある倉庫へは沢山のポケモンが見張りをしていたんだ。命からがら、資料は何とか取ってくることが出来た。だから今、作戦を実行に移すことができている。
しかし、どうして情報が漏れたのか。
キースへと情報を流していたのはへケートだった。へケートの役割は比較的一匹になる時間が多い。根拠はそれだけではなかったものの、俺はへケートを外へと呼び出して問い詰めた。最初ははぐらかしていたが、少し問い詰めるとあっさりと認めたのだ。
…………あの時の光景は……未だに、夢に見る。
……嗚呼、シリウス。そうだ、手紙に書いていた夢の話……その認識でいい。
あいつは自分から直ぐに話した。キースの息がかかった『スパイ』活動をしていたという事。『星の停止』を改善しようと言う意志自体、微塵も無いという事。お前達が見た、あのステファニーと言う少女の言動と仕草……まさに、へケートそのものだ。あいつは演技を終えると声がワントーン低くなる。品のある口調だって、徹底的に自分以外のポケモンを見下すような口調に変わるのだ。あのへケートは、全て演技をしていただけだった。
キース達が潜伏している各所と調査団の基地は離れた場所にある。どうやってキースと情報を取引していたか。エーフィという種族は、本当は『テレポート』という特殊な技を覚えることは出来ない。しかし、あいつは俺の前で実際に使ったのだ。あいつは『テレパシー』と『テレポート』を使ってキースとの接触、通信を図っていた。だから誰も、あいつの行動の裏側に気づくことが出来なかった。
すべてを薙ぎ払ったあいつの姿は、俺が知っている彼女では無かった。それまで一緒に過ごしてきた仲間の筈だった。だけど、あいつの笑顔を見ただけで身震いがする。あいつの言葉がずっしりと重しのように体の上にのっかってくる。
それに、彼女の戦闘能力が高いことはしっていたが、それ以外の事は全く知らなかったんだ。戦ってみて殆ど歯が立たなかった。あいつは自ら『時空ホール』を作り出して、離れた時代へと移動しようとしていた。あいつのそんな力は、一体どこから現れるのか……本当に、自分の力だけでその時を超える為の通路を作り出していたのだ。
素人が作り出した不安定な時空のトンネル。それでも、『時空ホール』は形を成していた。シェリーでさえ、あそこまでやれるかどうかわからないレベルの強力な力だった。俺には勝てない。そう思った。
だから、俺は卑怯な手に出た。
あいつがガリガリと体力を削りながら時空ホールを作っている。はっきり言って、その前の戦闘では俺があいつに近づく気力さえあったかどうかわからなかった。しかし、自然に体が動いた。
渾身の力でへケートの体を攻撃し、『時空ホール』へと投げ飛ばしたのだ。あいつは時の波に飲み込まれるその瞬間、憎悪に駆られた顔つきで俺を睨みつけていた。形成中の時空ホールに飲み込まれていったへケートを見て、俺は初めて気が付いた。とんでもないことをしてしまったと思った。
あいつが俺を憎んでいるかもしれない。あいつはきっと俺に恨みを抱いている。そう思えて仕方が無くて、しょっちゅう夢にも見ていた。あいつが俺達の存在を貶す姿。狂ったように笑いながら『無駄だ』と馬鹿し、愉快そうにしている光景。頭の仲が真っ白になっていく俺……。
夢に見るたびに、あいつが俺を責めているような気がしてならないんだ。怖いんだ。あいつが。俺があいつにやらかしたこと、全てが。怖いんだ。
…………嗚呼、ごめん。ちょっと待っててくれないかな。ごめん、トラウマになってるんだ。…………すまない。話を続けよう。
* * *
一匹のヤミラミは、フラフラと建物の中を徘徊していた。ヤミラミたちのリーダー格にある個体である。彼は『へケート』という女を、『星の調査団撲滅』作戦に導入したことが解せず、先ほどキースに抗議へと向かっていた。
そんなリーダー格のヤミラミ。彼に名は無い。処刑人には名前は必要が無い。彼は『リーダー』処刑人たちをまとめて呼べば『ヤミラミ』……処刑人に名は無い。
彼は何とも言えない感情に苛まれていた。『へケート』という一匹のイーブイのことである。彼らは昔々に彼女を知っていた。だからこそ、不満が募るのである。しかし、本人には言えない。それはなぜか。『異常』だからだ。
ヤミラミは『玩具』にされたくは無かった。
「…………ウィィー…………」
仲間たちと日々その言葉を交わしているせいで、もはや口癖ともなっている謎の言葉をヤミラミはため息をつくように発した。この先どんな『日々』が待っているのか……否。時が止まっているのだから、もはやその考えは通用しない。この先、どんな場面が待ち受けているのか、である。
ヤミラミは他の仲間の場所へ向かおうと、足を進めた。すると、どこからか誰かに見られているような視線に気が付く。このヤミラミも、長い間キースの部下として戦いに望んできたポケモンだ。それくらいは分かった。
「…………おい。太陽のリボンはまだか?」
「ウィィィ!?」
だが驚いた。真後ろに一匹のイーブイが、微かに笑いながら佇んでいたからである。近くにいることまでは予想していたが、その正体がへケートで、自分の真後ろに居たとは思っていなかった。ヤミラミは驚いて距離を取り、そのまま壁際においてある樽のような物に激突して転倒する。その様子を、へケートは呆れたような馬鹿にしているような、そんな顔つきで見下ろしていた。
「へ、へケート様ぁ……?え、えっと、お食事に行かれていたのでは?」
「…………太陽のリボンはまだかと聞いた」
「あ、え、は、はい!今、他のヤミラミが取りに向かっています!そのうち、へケート様の手に渡るかと」
「…………随分と調子が良いな?」
「は、はい……?」
反抗的な思考を持ちつつ、ヤミラミもへケートに恐怖を抱いていた。彼女はゆっくりと、威圧するかのようにヤミラミの方へと近づいていくと、ゆっくりと腰を下ろして目を細めた。その姿に、ヤミラミはかつての彼女の姿を思い出す。何とも言えず悔しい。結局、飛び入り参加してきた癖にキースをも逆らえない地位を一瞬で得た。本当に、ディアルガにすら敵意を覚える。彼はそんな気分だった。
「聞いてないとでも思っていたか」
「…………は?え……?あ、まさか……!」
脅しをかけるように微笑するへケートの表情を見て、ヤミラミは焦った。先ほどキースに打ち明けたことが全て漏れている。終わった。自分の『生』はここで終わった。そう言わんばかりに、ヤミラミは怯えつつも肩を落として、その場にへたり込んだ。
「ウィ……」
「恐怖を感じている半面でああいう行動に出るのか。キースのヘタレな腰巾着とばかり思っていたが……そうだな。嗚呼、いいだろう。面白い。気に入ったよ」
「え……ど、どういう……ウィィ!?」
へケートがゆっくりと腰をあげる。その瞬間、ドォン、とヤミラミの頭の真横を何かが横切った。シャドーボールである。壁にのめり込み、ヒビを入れていた。威嚇のつもりで放ったようで、へケートは攻撃を終えると再び腰を下ろし、眠たそうに小さな欠伸をした。
「どうしようか。殺そうか?お前のようなポケモンはちょっと面白い」
「ウィィ!?あ、え、へ、へケート様はっへケート様は過去の世界で十分幸せだったはずではなかったんですか!?少なくとも、記憶を取り戻すまではそうだったのでは!?何で戻って来たんでっ」
「いずれ消え行く世界に『幸せ』など無い。私は時の停止に興味は特に無い。ただ好いていた男を殺したいだけだ。殺して、私だけのものにしたい。しかし、奴は私の運命を左右しようとした。だから憎しみもある。憎いから殺す。私を止めていたステファニーは死んだ」
そういって、またじりじりとへケートはヤミラミに近づいてくる。こんな掟などまるで存在しないような狂気の世界で生まれ育ったとしても、ヤミラミにははっきりとわかった。へケートの言っていることは可笑しい。建前ならばまだ分かる。しかし、この女は至って真剣に、心のままにそれを言葉にしているのだ。だとしたら、やはり可笑しい。
「あ、へ、へケート様!私を殺す殺さないはお任せいたしますがっ……ハッキリ言って死にたくないです!
だとして、最後に聞きたいことがある!へ、へケート様は、何故、いつから……そんな風に考えるようになったのですか!?」
ヤミラミが体を守る様に手を前に出しながら、へケートに問うた。すると、それを聞いたへケートの歩みはぴたりと停止する。へケートはゆっくりと顔を斜めに傾け、何の質問をされているのかよくわからない、と言いたげな顔つきでヤミラミを見た。
また、その表情もヤミラミにとっては『恐怖』だった。
「…………いつから……?」
「ウィィ!そうです!」
「……いつから……何故……嗚呼……そうか……」
へケートは目をヤミラミから外し、頭の中で自分だけの世界を作り上げてその中に入って行ってしまった。何かブツブツと呟いているへケートを斜め下から見ながら、気味が悪い……そう思っていた。
しかし、下を向いてなにやら考えているへケートの顔立ちを見て思う。嗚呼、綺麗な顔をしている。ヤミラミはお世辞にも顔が整った部類とは言えないため、こんな状況にも関わらずに羨ましいと思った。こんなに綺麗な顔をしているのに、やり直す環境だってあった筈なのに。
本当に、どうして、この世界にどんな思いがあって……。この女は帰ってきてしまったのか。この暗黒の未来に。
そんな考えが、するすると頭の中を通過していく。
「…………嗚呼……いいだろう。お前には少し話してやろうか。別に知られて困る話ではない……へたり込んでいないで座りなおせ」
「え……あ、はぁ……」
お前がこうさせたんだろう!と、若干自分のミスも含んだ事実であるものの、ヤミラミはへケートに対してそんな感情を持った。これが上司でなければ吹っかけてやるのに。否、正しくはこんなに頭の可笑しい女ではなく、ヤミラミよりも明らかに高い戦闘能力を持っていなければ‥…だが。
そう考え、ヤミラミは再び落胆した。
へケートは先ほどヤミラミがぶつかって転んでしまった樽のようなものの上に飛び乗り、ゆっくりと腰を下ろして前足も伸ばし、伏せたような状態で座り込んだ。ヤミラミは床に座りなおすと、へケートの整った顔立ちをただただ見ていた。均一のとれた口元で、一体何を言い始めるつもりなのか。へケートの気まぐれは相当酷いので、背中に汗が伝うのを感じていた。
「……お前が聞きたいのは、私が『シリアルキラー』になった経緯か?」
「…………し、シリアルキラー……」
ヤミラミはへケートのその言葉を聞いて、微かな違和感を覚えた。しかし、その違和感の意味がよく分からず、また、はっきり言って『シリアルキラー』という言葉の意味を正確に理解できていない部分もあった。とにかく肯定しておこう。と、ヤミラミは軽く頭を縦に振る。そんなヤミラミの真意を、どこかで見透かしているかのようにへケートは目を細めると、言葉をぽつぽつと発し始めた。
「…………良いな。これを誰かに話したのは足先で数える程度かもしれない。
事の起源は、私の生立ちにまで遡る」
――――――とある、美醜な親子の物語だ。