裏切り者‐152
* * *
『高台の森』にて、アカネ、カイト、ルーファス、シェリー、そして別行動ではあるものの、同ダンジョンでステファニー、リオンもまた、『時の回廊』の存在する場所へと順調に向かっていた。
リオンとステファニーは、自分たちではそれは分かっていなくても、先を歩いている四匹に近づきつつあった。そして、同時に『時の回廊』の存在する場所へと、ぐんぐん距離を縮めていた。
シェリーは小さく声を上げると、道の先を指差す。後の三匹はシェリーの行動に反応し、彼女が指さす先を見た。
「あそこです。見えてきました!」
ダンジョンを抜け、少し開けた場所に出る。やはりその場も灰色だったが、足元がかなり平たい岩石で出来ており、あまりざらついた感じが無い。風景も不気味ではあるものの、何処か整っているような印象を受ける場所だった。
何より、その空間の奥に存在している『青い光』。それは、光の一本一本が輪のように連なり、まるで『扉』のように見えた。この世界の中で見る、神秘的な光。それは砂漠の中のオアシスのようにも見える。
「あの光の輪……あれが時の回廊?」
「そうだ。時の回廊だ。あそこを通って、俺達は過去へと移動した。時の回廊の扉を開き、行先を設定することが出来るのは管理者であるシェリーのみ。
……シェリー、頼む」
「分かりました」
一方、リオンとステファニーはどうにかこうにか四匹に追いついたところだった。ダンジョンの出入り口付近で佇む、何やらカラフルな集団。ルーファスやアカネ、カイト、そしてシェリーである。リオンはその姿を見止めると、何かを求めるように手を前へと突き出した。
「ッ……ステフィ!追いついたみたいだ!」
「そっかっ!よかったっ……!」
二匹はとにかく走ると、都合の良い事にその場にとどまり、何か話している四匹の方へと向かう。ある程度、声を出せば届くような範囲までくると、リオンは軽くルーファスの名を呼んだ。
「ッ……ハッ……ルーファス!」
「!」
突如、知っている声に自分の名を呼ばれた。ルーファスは反射的に、戦闘の構えをすると、声がした方へと振り返る。そこには、傷だらけのリオンと、そうでは無いものの、息を切らしながら走ってくるステファニーの姿があった。ルーファスは思わず「無事だったか」と、安堵し、歓喜の声を小さく漏らした。
「ステファニー!?」
「…………ホントにリオルだわ……」
カイトは、ステファニーがこの世界に居ることに驚いていた。ステファニーが未来へと向かったのは、アカネとカイトの後である。知らないのも、驚くのも当たり前だった。
一方、シェリーはリオンの姿に驚いているようだったが、そのことに気付くものは居なかった。
「皆、無事だったんだ!よかったー!」
「……シリウスさん。そちらの方は?」
シェリーはシリウスの名を呼ぶ。それは紛れもなく、リオンの方を向いて発した名前だった。嗚呼、やっぱり。アカネとカイトは、確実にそのことを認識する。リオンの本名は、シリウスと言う名前なのだと。
「シェリー、驚かせて悪い。まぁ、とりあえず俺はシリウスだ。
こっちはステファニーと言う。俺があちらで出会った仲間だ」
「シェリーっていう子だよね?妖精みたい。よろしく!」
「……ステファニーさん?…………そう、なのね?よろしく」
シェリーは一瞬戸惑った顔つきで彼女を見たものの、直ぐに切り替えを効かせて挨拶を交わした。ステファニーはいつも通り、笑顔だった。
「……回廊を通るのは、この五名で大丈夫ですか?」
「嗚呼、大丈夫だ」
「………………わかりました。扉を開きます」
そう言って、シェリーが『時の回廊』のある場所へと飛ぼうとした、その時だった。
「――――感動の再会を邪魔して悪いが……そこまでだ!!お前達ッ!!」
鋭く、重々しい、しかし喜々とした感情があふれている声。その声の正体に、ルーファスはいち早く気づき、その鋭い瞳を大きく見開いた。シェリーもその声の正体に気付き、咄嗟に下がってルーファスと背中を合わせる。
アカネ、カイトもまた、その声に覚えがあった。声の調子がまるで違う。口調も全く違う。しかし、分かった。
これは、キースの声だということに。
「ッ……やっぱり待ち伏せてやがったか……!」
「キースさんの声だ……」
カイトは沈んでいく感情を抑え、とにかく『真実』を見極めようと、周辺を見渡した。アカネは頬袋に電気を溜め、戦闘の構えを見せるとそこら中を睨みつける。リオンは、軽くステファニーを庇うような形で身構えた。
「……ッ!来た!」
キースは、深い闇の中から姿を現した。彼は『時の回廊』と六匹の間に立ち、まるで時の回廊を塞ぐかのように佇んでいた。その顔つきは嗤っている。ルーファスは、なんとも言えない憎しみや怒りの入り混じった感情を押し殺し、キースをただただ睨みつけた。
「…………大分逃げ回ったようだが……もう鬼ごっこはおしまいだ。残念だったな」
キースが嘲笑するかのように、目の下が大きく歪んだ。すると同時に、気配を殺していたであろうヤミラミ達が岩陰から姿を現し、一気に六匹を囲い込む。
しかし、ルーファスの表情に憎しみはあっても、『焦り』は無かった。冷や汗をかくことも無く、ただただ余裕の雰囲気を持ちながらキースを睨みつける。
「今までシェリーを捕えようとおもえば追うこともできたはずだ。泳がせたのはこの為か……キース」
「要するに、私達……後付けられてたって事ね?趣味悪」
アカネはルーファスの言葉に付け足す様に、そう吐き捨てた。そんなアカネの様子を見て、カイトは微かに困惑する。目の前に居るキースはもう、自分の知っているキースではない。あれはただの演者だった。
割り切らなければいけない。割り切らなければ……戦えない。しかし、まだ迷っていた。
「ッ……アカネ……」
「……多分、大丈夫……。ルーファス。強行突破するのね?」
「……当たり前だ!!あいつらを蹴散らし、時の回廊に飛び込め!!」
ルーファス、アカネ、カイト、シェリー、リオン、ステファニー。数では多少負けているが、一匹一匹の戦闘力は非常に高い。蹴散らすだけならば、勝利する確率は相当高かった。ルーファスの言葉が合図のように、その場にいる六匹全員が戦闘態勢に入り、身構える。
しかし、キースはその言葉を聞いた瞬間、彼らを嘲笑するかのように、腹の口を大きく開き、下衆な高笑いをした。
「フフ……無駄な事は止めろ。お前達に勝ち目など無い」
「やっても居ないのに否定はできない。キース、お前が相手だろうがな!!」
ルーファスは威勢良くキースに食って掛かる。しかし、キースの顔つきは変わらない。何故か、『勝利』を確信した表情を維持し続けていた。
六匹全員が、とにかくこの状態を脱出する意思がある。しかしその中で一匹、シェリーは戦闘態勢に入りつつも、先ほどから巨大な違和感に襲われていた。
思えば、アカネに対しても違和感があった。しかし、今感じている違和感がそんなものではない。
そんな違和感は、気の所為であって欲しいと、どこかで感じていた。
気のせいであって、欲しかった。
「…………ルーファスよ。愚かな物だな、『熱血漢』か……くだらない。
…………おい、『モグラ女』。
いい加減、男心を振り回すのは止めてやったらどうだろうか?舞台は閉幕だ。正直…………その男が、哀れに見えて仕方がない」
「…………ッ!皆、避けて!!」
キースの意味深な言葉に、シェリーはいち早く反応した。嗚呼、やはり、そうなんだ。こうなることはなんとなくわかっていたのかもしれない。あまり状況がつかめていないルーファスたちは、とにかくシェリーの指示で反射的に体をそれぞれ逸らした。シェリーは自分の斜め後ろに向かって、多数の『マジカルリーフ』をぶっ放す。しかし、どれもこれも一切手ごたえは無しである。
「…………ステフィ……?」
リオンは、シェリーがマジカルリーフを放った場所を目にして気付く。ステファニーが居ない。別の場所に逃げただけかと思い、周囲を見渡した。
居た。集団の輪を抜けた所で、座り込み、何やらくつろいでいる。驚いている一行を見つめて、小さな欠伸を一つ。そして、いつものようににっこりと微笑んだ。
アカネ、カイト、ルーファス、リオン。誰も状況を掴めていない。どういう意味か、全くと言っていいほど理解できない。しかし、たった一匹。シェリーだけが、彼女を、ステファニーの事を、敵意のこもった瞳で見つめていた。
キースは、その状況を面白そうに見つめていた。状況を理解して、パニックになるまではこのまま。そう思い、少しの間見張りながらも放置を続ける。ステファニーはそんなキースを、まるで見下す様にちらりと見ると、フン、と鼻で笑った。
「…………何かおもしろいことでもあったか?『モグラ女』」
「……モグラ女というネーミングは響きが悪いな。気分が良くない。もう少しましなあだ名をつけてほしかったよ」
ステファニーは、瞳を細めて柔らかに笑いながらそう言った。その瞬間、アカネ、カイト、ルーファス、リオン、シェリー、その全員が、体に何かぞっとするような物が走る感覚を覚えた。ルーファスは大きく目を見開き、ステファニーを凝視する。まるで、『信じられない』と言いたげに、彼女の事を舐めるように見つめていた。
「……フン。貴様のような頭の可笑しい女は、そんなことは気にならないと思っていた。別人格を殺してまで這い上がってくるとは、もはや化け物だ」
「頭が可笑しい?それはお互いさまじゃないか。お前は実に自らの欲望に忠実だ。私もそうなだけ。なぁ、個性だと思わないか?それと、これは別人格ではない。この世界へ来たのは、全て悟ったステファニーの意思だ」
別人格?ステファニーの意思?待て、いったい何を言っているのだろう?酷く怪しげな態度で喋り続けるステファニーは声の色を変え、まるで中身が入れ替わったかのようにッキースと会話をしていた。顔つきも変わっている。仕草も普段の彼女とは全く違う。微かにその予兆を感じ取っていたリオン、シェリー以外の三匹は、もはや何が何だかわからなかった。
しかし、ルーファスもまた、その『正体』に気付き始めていた。
「……まだなのか?お前に思い出してもらえないと意味がない。
………………とんだ腑抜け共だ」
「………………へケート…………?」
「…………よし。よし、よしよしよしよし!!」
ステファニーは勢いよく腰を上げると、ルーファスの元へと歩き始めた。ルーファスの周辺にはアカネやカイト達も居たが、そんなことは構わずにどんどんルーファスの方へと進んでいく。ルーファスはどうすればいいのか分からなかった。驚きのあまり、足が震えている。アカネはそれを見て、心底驚いた。
「どういう事……?どういう事なの!?」
カイトは説明を求める為に声を上げるが、返してくれる者は誰もいない。ただただ、怪しげな表情で向かってくるステファニーが……一見、ただのイーブイの筈の彼女が、とてつもない『化け物』に見えた。何故そう思うのか。ただただ『恐怖』だ。
「嗚呼、嗚呼ルーファス!やっと思い出したか!お前の記憶に残ることができてうれしいよ。しかし、覚えていても忘れていてもどちらにしても殺していたが、私は今非常に気分が良い。もっと思い出してみろ。お前は私にいったい何をした?私の何を知っている?」
歩きながら話をしているだけなのに、何故こんなにも怖いのか。ステファニーはやたら饒舌に言葉を紡ぎながら、低い声色でルーファスに迫った。その様子はどこか狂気的で、誰も何も言うことが出来ない。周囲を囲んでいるヤミラミさえ、その様子には少し慄いているようだった。
「まってくれ…………お前は、本当に……あのへケートか……?」
「物分かりの悪い男は嫌いだ」
「ッ…………!」
ステファニーの顔から笑顔がふっと消えた。ルーファスは、思わず慄いて足を後ろへと逸らす。
へケート。どこかで聞いたことのある名前だ。アカネは混乱しつつも、必死に考えていた。へケートという名前。どこで聞いただろうか?一体、誰だっただろうか?
「……ルーファスに殺害された、キースの仲間……?」
キースが初めて、『自らが未来からきたポケモンである』と、大衆の場で晒したあの日。確か、キースはそんな名前を口にしていなかっただろうか?フルネームで言っていた気がするが、そこら辺ははっきりしない。しかし、確かに覚えのある響きの名前だった。
『へケート』……アカネはその女性を知らない。知らないからこそ、思ってしまう。
どうして、“ステファニー”が、“へケート”ということになってしまうのか。
それ以前に、どうして……ここまで、ルーファスが怯えているのか。
「ステフィ?……おい、どういうことだ……?」
「嗚呼、そうだ、シェリー。相変わらずの勘の良さだ」
「…………それは、どうも」
リオンの言葉を無視し、ステファニーはシェリーに対してにっこりと微笑んだ。そんな笑顔が、シェリーにとっては心底心地悪く、気味が悪い。
「…………どういう事だ……シリウスの時と同じか……?種族が後退している……?へケートは生きていた……」
「おい!ルーファス、テメェ、どういう事なんだよ!!」
ステファニーに声をかけても、全く相手にされない。リオンの発言を徹底的にはねのけるステファニーに対し、混乱や動揺、嫌悪感が入り混じったような感情が、リオンの中に渦巻いていた。事情はなんとなく知っているようだが、はっきりと言おうとしないルーファスに痺れを切らし、ついつい八つ当たりのように彼に吠えかかる。そんなリオンの姿は珍しく、アカネとカイトはそちらの方でも少々驚いていた。
ルーファスとシェリーは理解しているところが有るようだ。しかし、アカネ、カイト、リオンは何も知らない。何も理解できていない。この状況は、彼らにとって手探りの状態だった。
「………………事情は後で話す!とにかく、今は過去へ向かうことが先決だ!!」
「おいルーファス!どういうことか説明しろ!」
「分かっている!しかし、それには時間と覚悟を有すのだ!とにかく今はこいつらを蹴散らして、時の回廊へ飛び込むぞ!」
ルーファスはどうにかこうにか思考をまとめ、とにかくこの場から脱することが最優先だと考えた。一方、リオンは腑に落ちず、歯がゆい気持ちで溢れかえっていた。
「ちょっと待って、こいつらを蹴散らす!?つまり、ステファニーはおいていくって事!?」
「今はそれ以外に選択肢は無い!意味不明で理解不能なのは分かっているつもりだ!心配しなくとも、ステファニー……この女は殺されたりはしない!」
ルーファスはそう言い放つと、『時の回廊』のある方向へと足を一歩進めた。アカネは、とにかくルーファスの方向性に従う事に決め、カイトも時間が無いことを察すると、アカネと同じようにルーファスの意見に渋々同意する。
シェリーは『時の回廊』を開く準備を再開し、リオンはやるせない感情があるものの、歯を食いしめながらヤミラミたちの方へ攻撃を仕掛ける為に、戦闘態勢に入りなおす。
しかし、一向に敵側は怯むような表情を見せない。ステファニーは一度欠伸をしつつ、五匹を馬鹿にするように目を細めた。
「…………長い間待たせたな。そろそろカミングアウトしてやれ」
「……フン。指図をするな……一度は堕落した者が。
ルーファス。結局、私たちとやり合う意志は変わらないのだな?」
「ッ当たり前だろ!」
「…………ルーファス。ここに来たのが、本当に私達だけだと思っているのか?」
「……何だと?」
「……………………随分、長い間茶番にお付き合いさせてしまったようです。申し訳ない……。
お待たせいたしました。ディアルガ様」
獣の怒るような咆哮が、高台の上から雨のように降り注いだ。