決意‐145
この世界には、本当に彩が無い。
今までほんの短期間ではあるが、鮮やかな世界を見てきた。俺達が生まれる前の過去の世界で、なんて美しいのだろうとか、なんてもったいないのだろう。と、喜び、嘆き、苦しんだものだ。
こんな世界は見飽きたはずだった。見飽きて、見飽きすぎて、嫌で嫌で仕方なくて、自分の生きる価値も分からない。だからこそ、この『計画』に参加したのだ。
灰色で代わり映えが無くて、立っているだけで心底悲しくなった。
「まだ誰かに付けられてるような気配はないね。ね?リオン」
「……ん。あ、まぁな……とにかく、今は俺についてきてくれ。目的地があるんだ」
「そうなんだ。ね、ね。リオン、あれ見て」
ステフィがやたら声をかけてくるので、ステフィが『見て』と言った方向に視線を向けた。特に何もないが、ステフィは岩の隙間から何か見ているようだ。俺も覗き込んでみると、二体のポチエナが向かい合い、互いに食いつき合っている。縄張り争いだろうか。こんな世界のどこにも良い環境など無いのに。俺は色々な事を苦く思いながら、その二匹の戦闘を見ていた。
一匹がもう一匹の首筋に喰らい付く。嗚呼、死ぬかもしれない。お互い理性がほとんど飛んでいるような状態だった。元は仲間だったのかもしれない。理性が吹き飛んだポケモンとは、それほどまでに見境無いのだ。
「……あんま見るな。先急ぐぞ」
「……はぁい〜」
……今のふざけた返事は何だ?
ステフィの顔を軽く覗き込んだ。無表情で二匹の殺し合いを見ている。それなのに、口の端の方が微かに強張っていた。
おい、何なんだ。何で笑っている?
「お前、さっきから一々返事の仕方がねちっこいし、笑うタイミング可笑しいし、どうした?気分でも悪いのか?」
「えぇ?ひどいなぁ、私は全然大丈夫!まぁ、この世界よくわかんないから緊張してるけど……リオンが居るから大丈夫だよ!」
「……嗚呼、もういいや。じゃ、先急ぐぞ」
この時、気が付くべきだったのだろうと思う。もっと深く疑問に思うべきだったとも思う。
だけど、俺の中に妙なフィルターのような物があって、今までの思い出とかもあって、切り捨てると割り切った筈のものは、実際何も切り捨てられていなかった。
こいつは少しハイになってふざけているだけ。その程度にしか考えられていなかったのは、中途半端に一緒に居た故か。こいつの事をわかっているようでわかっていなかった所為か。
そもそも、理解する気などなかったのかもしれない。
* * *
一方、チーム・クロッカスは、『暗闇の丘』という名のついたダンジョンをひたすらに進んでいた。アカネは所々で『時空の叫び』を発動させようとしていたが、どれも不発に終わり、本当に手がかり無しの状態が続いていた。
そういえば、とアカネはふと思う。『時空の叫び』という能力を私やカイトに教えてくれたのは、キースだった。キースから『時空の叫び』というものを教えられて以降、時空の叫びという能力は特に体に害のないものだと思っていたのである。しかし、キースには不信感が募るばかりだ。はっきり言って、あの能力の事も怪しいものだった。
アカネ、カイトは食料や道具を収集しつつ、ダンジョンの中をとにかく進む。先ほどのダンジョンで出現したポケモン達と特に変わり映えの無い種族のポケモンが生息していた。ゴーストポケモンや悪タイプのポケモン。やはり、この暗黒の世界は彼らに有利なようである。
一匹のグライオンが、カイトに向かって覆いかぶさるように飛び掛かって来た。目が明らかに可笑しい。先ほどからこのようなポケモンばかりと出現していた。言語を喋ることすら出来ない、本能に支配された者達が襲い掛かってくる。カイトはグライオンに『火炎放射』を放ち、地面へと落とした。
それでも襲い掛かってくるグライオンに、アカネがアイアンテールを力いっぱいに振り下ろす。しっかりと頭上に入ったのか、グライオンは息はしているものの動かなくなった。
「……さっきからこういうポケモンばっかりだ。大丈夫かな……」
「……敵はヤミラミ達だけじゃないって事ね。気を抜かず、かしら」
油断すれば本気で食われるかもしれない。現に、先ほどのグライオンも明らかに食物として二匹の事を見ていたようだ。体が小さめな上、元は平和な世界で暮らしていたこともあったやはり健康。弱いかつ美味しそうに見えたのだろうか。
何にしてもロクな奴はいないと思った。
意味不明な世界ではあるが、それでもダンジョンの原理は変わらない。二匹は階段を発見すると、後ろから追ってくる者達から逃げる為に速足で階段を通過する。すると、ダンジョン外へと出られたようだ。高台のようなところに出るが、やはりそこも薄暗く、何も無かった。
「……結構上って来たみたいだね。疲れてない?」
「気持ち的にちょっと疲れてるけど、そうは言ってらんないわよね……」
「……やっぱり、自然な光は何もないんだね。この世界って。
アカネ、みて。ここから点々と光が見える。すっごいきれいなんだけど……たぶんあれ、処刑場とかだろうなぁ……」
高台の上からは、今まで自分たちが通って来た道のりが一望できた。下の方はその場から見れば更に暗い為、ポケモンたちの姿は確認できない。
しかし、星のような点々とした光が、所々に灯っているのは確認できた。おそらく、ランプや電気仕掛けのライトのような物だろう。
点々と灯る光。どう考えても異常な世界ではあるのに、それだけを見ていれば、この状況はただの『夜』にしか見えなかった。
光が無い世界。この先どうすればいいのか。逃げると言ったところでどこに逃げればいいのか。野生のポケモンは理性を失っているような者ばかり。涎をまき散らしながら襲い掛かってくるポケモンもいる。
犯罪者は多かったが、安定していた『過去』の世界に比べれば、この未来にはとてつもないストレスがあった。
「……ねえ、アカネ。僕さ、ちょっと考えてたんだ」
「……何?」
「キースさんは、さ……今まで僕たちの命を救ってくれたこともあって、色々なことも教えてくれた。そこだけ思い出せば、やっぱり僕にとってキースさんはすごく良いポケモンなんだ。
……けど。思い出してみれば、ちゃんと考えれば……やっぱりキースさんは僕たちをだましてたってことになる。アカネやルーファスが言ってたことは、結構正しいんだとも思うんだ。
でも、まだキースさんにしがみついちゃうね。駄目だね、依存心が強すぎる。分かってるんだけどね、自分でも。やっぱり、ショックで、さ」
カイトの信頼度も、実際はだんだんとキースからルーファスへと傾き始めていた。一方で、それはキースを裏切るということになる。そんな自分がどこかでは許せない。そして、裏切られたという事実を認めつつあることで、キースに対してもどこか『怒り』のような感情を感じていた。
正反対の感情がごちゃ混ぜになって、よくわからなくなっていた。アカネは、それでもカイトは強い方だと思った。いきなり未来などという場所に連れてこられても、涙一つ見せない。ただただ自分の頭のなかをほじくり返し、真実を見極めようとしている。強がりなんて出来るような状況ではないのだ。ただただ、カイトは葛藤している。それだけである。
「僕たち、さ。これからどうすればいいんだろうね。……ギルドのみんなは元気かな。あっちではもう、どれくらいの時間が経ったんだろう。でも、僕たちが喋ったり歩いたりするだけで、何分何秒と……一応『時間』は進んでるんだよね。景色が変わらないだけ。変な世界だね、ほんとに」
虚ろな目で、再びカイトは点々と灯る光達を見下ろした。やるべきことは分かっていた。しかし、まだ葛藤している。それを口に出すことが出来ずにいた。強がりなどではない。ただただ、勇気が出ず、真実を知るのが怖い。
けれど、進まなければならない。
「…………もう、いっそのことルーファス追っかければいいじゃない。今までほぼ一方通行だったわけだし、この先に居るかもしんないわよ」
「……けど」
「キースが正しい正しくないは関係ない。うろうろしながら迷走するよりは絶対その方が良いと思う。あんたも私もなんだかんだ言って、キースにおびえてる。それなら、ルーファスをとりあえず追っかけた方が良いじゃない。ルーファスだって追われる身。私たちをどうのこうのってことは無い筈よ」
アカネは、勢いに任せてそのことを言い放つ。カイトは面食らったような顔をしていたが、俯いて暫く何かを考えている様だった。時折不自然に頭を揺らしながら、必死に思考回路を巡らせているようである。
特に口は出さない。答えをせかさない。アカネはただただ、カイトが顔を上げて話を始めるのを待っていた。
しばらくして、カイトがゆっくりと顔を上げる。アカネの方を見据えると、少し緊張がほどけたような顔をして向き直った。
「……やっぱり、僕は嫌だ。嫌……だけど。
今は、そうするしかないのも……分かるんだ。キースさんは、なぜか僕たちを狙って殺しに来てる。一方で、ルーファスは僕たちを助けてくれた。お荷物なのにも関わらず……。
そう考えると……頼れるのはルーファスしかいない、とも思う。
…………良いよ。僕もルーファスを追う。ルーファスを追って……過去へ帰る方法を見つけ出すよ」
「良く決断した。決まりね。この先に居るかは分からないけど、とにかく今は探すしかない」
アカネは、微かに笑いながらカイトの決断を歓迎した。はっきり言うと、この先に本当に居るかは分からない。ほぼ運のようなものだが、目標ができただけでも大きな進歩である。
早速アカネが先へ進もうと、何歩か足を前へ進めると、カイトに不意に腕をひかれた。
「……何?」
「……アカネ、ごめん。もっと早く決断出来てたらよかった。
僕がしょぼくれてるから、背中押してくれたんだよね。アカネだって不安なのに、僕だけ被害者ぶってて……なんか、ごめん。ちゃんと言えばよかった」
「別に……そういうつもりは無かったけど」
「……多分、僕さ、半ばあきらめてたんだよね。ここで死ぬのかなって。でも、一匹じゃなかったのに。アカネがいるのに、うじうじして。
……アカネがいるから、頑張ってみようって思えるよ。僕、いろんなことから逃げてきたけどさ……。
なんか、不謹慎に思うかもしれないけど……一緒でよかった」
その時、カイトの目からポロリと一筋の涙が零れた。それは溢れることなく、その一筋の涙のみで、今まで見えていた景色すべてが変わったかのように、今まで暗闇に閉ざされていたこの先へ続く道に、小さな光が差したような。
二匹はお互いに隠しつつも、密かにそんな感情が湧き出るのを感じていた。