未来の現状‐144
* * *
―――一方、過去の世界では。
一匹のフローゼル、レイセニウス・マーロンは、両腕で何枚か紙の入った封筒を抱えながら、とある一匹のポケモンと向き合って会談を行っていた。相手はトレジャータウン付近のギルドの親方、大陸において最も功績を残していると称されている探検家、パトラスだった。
パトラスはとある事が記された原稿を、のんびりとした様子で読んでいた。しかし、途中からそのボーっとした顔つきは段々と険しいものへと変わっていく。
原稿を一旦机の上へはらりと置くと、一拍おいてパトラスは小さくため息をつき、レイセニウスの目をじっと見つめながら言葉を発した。
「……この記述、いったいどういう事かな?」
「出過ぎた真似だってことは分かってんすよ。ただ、やっぱり気がかりなことが多いっつーか……キースってやつは。
親方さんは、本当にキースを信頼してたんすか?疑念を持ったことは無いのか……?」
「……この原稿に書いてあることは、君の仮説に過ぎない。僕は、この原稿を公表することに反感は無いよ。ただ、時期が早い」
パトラスはレイセニウスの質問には答えず、自らの意見だけを言い放つ。その様子を見て、嗚呼。このポケモンは純粋無垢な子供のような者かと思っていたが、本当は裏側があるのかもしれない。そう思っていた。
「いろいろと矛盾が多いんすよ。しっかりと細かいことまでまとめてみれば分かる。キースは何個も俺達に嘘をついている可能性がある……。全てが逆だったのかもしれない。そうとまで思えてくるんすよね。
キースは『時が停止した世界』の事を、異様に細かく知っていた。それは、時の歯車を盗むことで起きるということも話していた。時が停止した世界の事を知っている……と言うことは、僅かながら思うと思うんすよ。もしかしたら、キースの住む未来の世界は、既に時が停止しているのではないか?と。
けど、一方でキースは、つい最近『星の停止』を食い止める為、やっとルーファスを捕獲した。んで、歯車は元の場所へ戻された。この事実で推理すれば、キースの住んでいる未来は少なくとも『時の停止』が起きていない。
最近話題になっている記事もあるんで、見てください」
レイセニウスは封筒の中から一枚の週刊誌記事の切れ端を取り出した。題は『なぜ止まらない!?時の異変!』である。
あの後、アグノム、ユクシー、エムリット達によって『時の歯車』はあるべき場所へ返されたとしっかり報告され、それは証明されていることだった。それなのに、時の異変は止まらない。それどころか、どんどんと可笑しくなっていっているのである。
「キースは『時の歯車』を元の場所に返せば時の異変は止まる、みたいなこと言ってたんすけど……何だこれ?可笑しいっすよね?」
「…………警察にコンタクトを取ってみる。警察は……もっと早くに気付いていたかもしれないね」
とりあえず、話に区切りをつけると、レイセニウスは原稿をもってパトラスの部屋を出た。キースが未来へ帰り、そして何故か一緒に行ってしまったアカネ、カイト、ステファニー、リオン。四匹が居なくなってから、ギルドの空気はなにやら落ち込み続けていた。
いつもその場にいないレイセニウスさえ、なんだか覇気がないな、と思うことが多い。既に数日経過していた為、四匹が帰ってくる望みは薄かった。
グーテ、と呼ばれているビッパは、時折涙と鼻水を垂らしながら隅っこのようで蹲っている事多い。特に知り合いでもないが、そんな彼の傍に行って、さわやかな笑顔で背中をたたいてやる。そういう日々が続いていた。
(……あと……そうだ。シャロットちゃんの事だ。アカネちゃんとカイトは多分、キースが引きずり込んだんだろう。リオンはヤミラミに突き落とされていた。ステファニーちゃんは自分から飛び込んだ……。
シャロットちゃんは……ヤミラミに襲われた。しかも複数……あの子の事も連れて行く気だったのか?何故?)
シャロットは、前々からストーカーのような存在に悩まされていた。それがもしもあのヤミラミ達だとしたら、彼らにはシャロットを狙うだけの理由があるはずだ。躊躇なくあの不気味な穴にポケモンを突き落とすような連中である。だとすれば、シャロットが危険かもしれない。
レイセニウスはそれを訴えたかったが、誰に訴えていいのか分からなかった。シャロット自身には忠告して置くつもりではあったものの、他に誰に言えばいいのかわからない。パトラス?セオ?その辺りは言って損は無いと思っていた。
(……そうだ。あのおっさん……)
ヤミラミにシャロットが襲われた際、遠吠えを使って助けてくれたウインディである。確か、警察のちょっと偉いポケモンだったか。レイセニウスは思い出してみる。ヤミラミはキースの部下だ。しかし、迷わずシャロットを救出した。
彼なら、話を聞いてくれるかもしれない。そうおもった。
レイセニウスは荷物をまとめると、警察署の方へと足を向けた。
* * *
「……ごめんよ、アカネ」
ルーファスが去って行った後、カイトはしょぼくれたような顔つきでアカネに頭を軽く下げた。カイトだってわかっているのだ。未来では星の停止が起こっているという真実から導き出される結論を。しかし、一方でルーファスと言う存在を認めたくはない。
「……星の停止は時の歯車を奪われることで起こる筈なのに、なんでこの世界では時が止まってるんだろう……ルーファスを食い止めていた筈なのに、なんで……」
「……キースが嘘ついてたってこと。……でも、あんたはそれを認められないんでしょ?先に進みながらでも、とにかく考え直してみたら?」
アカネがそう返事をした瞬間に、後方から微かに『ウィィ!』というヤミラミたちの泣き声が聞こえる。奴らが身を隠しながら探す気ゼロなのは非常に幸運である。
とにかく、二匹の逃亡はまだまだ続いている。早急にここを立ち去らなければ、また処刑場行きで今度こそ完全に殺害されるかもしれない。恐怖と焦りが二匹を奮い立たせ、二匹は前方にある洞窟の中へと進んでいった。
キースは嘘をつき、カイトやアカネを殺害しようとした。一方で、ルーファスは時の歯車を盗んではいたものの、たくさんのポケモンの命を利益の有無関係なく生かしていた。しかし、ルーファスは悪党……。
カイトの頭のなかで、ルーファスのそのイメージはどうしても拭い去るのが難しいものとなっていた。ルーファスが悪ではないという証明はどこにもないのだから。
もう、いったい何を信じていいのか分からない。カイトの心境は、アカネと出会う前の彼そのものだった。
「……まだ決めらんない。頭がごちゃごちゃしてるんだ、ごめん」
「何度も言うようだけど、私はルーファスを追った方が良いと思ってる。後からそうしたいって言っても遅いかもしれないから、決断は早い方が良い。
……でも…………いや。まぁ、いい」
一方で、アカネもカイトと違う部分でとあることを『理解』していた。カイトがキースとルーファスの間で大きく揺らめいている事である。カイトも、この未来の世界を見て何も考えない程馬鹿ではない。キースから聞いた話が全て本当だとしたら、この世界は本来平和な世界であるはずだった。しかし違った。つまり、キースの話には矛盾がある。キースは……嘘をついていたことになる。
それに気づいている。気づいているからこそ、辛いのだと思った。キースの裏切りが確定してしまう。それをとてつもない恐怖に感じている。カイトはアカネがここまで察しているとは思っていなかったが、アカネ自身もそうだった。いつの間にここまで考えが及ぶようになったのか。彼女自身でも少し驚いていたのである。
「…………ごめん」
「あいつも言ってたでしょ……気が滅入ると直ぐに病むような世界だって。とりあえず、ヤミラミを引き剥がす事だけ考えて」
カイトの気持ちはなんとなくわかる。しかし、どう言葉をかけていいのか分からない。考えを重ねてみても、結局素っ気ない、なにやら怒っているような口調に変わってしまった。不器用すぎるな。と、アカネは自分自身を蔑んだ。
二匹が入った洞窟は、『空間の洞窟』と言われている場所だった。不思議のダンジョンである。これまた妙な場所で、ダンジョン内の時は停止しているにもかかわらず、やたらゴーストタイプや悪タイプのポケモンが多い。おそらく、住み心地が良い場所……否、世界なのだろう。
しかも、道端にタネやリンゴが数個落ちているような状態の場面もあった。一体このリンゴはどこから?謎は深まるばかりだったが、二匹が考えるべきはそこではない。もちろん食糧確保は大切だが、それ以上に死ぬか生きるかの瀬戸際である。どんなに危険な場所を通ることになっても、後ろから伸びてくる手よりはずっとマシ。アカネははっきりとそう感じており、カイトも微かにだがそう思っていた。
しかし、実際にはダンジョンも恐ろしい。理性が飛んでいるようなポケモンも何匹か存在しており、さらにゴーストタイプは壁をすり抜けてくるような奴が居るのである。よって、物理技は殆ど効かない。しかし、アカネやカイトは一応特殊技に長けている部分がある為、遠距離からでもどうにかこうにかダンジョンを進んでいくことが出来ていた。
まだ少し先はありそうだ、とアカネやカイトが思っていた時である。突如、天井からなにやらボソボソとした気味の悪い声が聞こえ、ゆっくりと顔を上げて周辺を見渡した。
一匹のドンカラス、そして複数のヤミカラスが、ぎらぎらとした目つきで二匹の方をのぞき込んでいた。上からなにやらねばっこい水のような物がどろりと垂れてきたと思い、その出所をよく見ると、一匹のヤミカラスの口から零れ落ちているものだ。
「獲物だ。獲物来た」
「食いもんだ、食いもんだ」
「健康そうで美味そう、うまそう」
上から降ってくるぼそぼそとした言葉が、ゆっくりと原型をとどめながらおちてきた。二匹は思わず身震いをする。彼らは自分たちを『食物』だと認識しているのである。襲ってくる様子はない。ただただ、ドンガラスと複数のヤミカラスはよだれを垂らしながら舌を向き、アカネとカイトにギラギラとした目を向けていた。完全に頭が狂っている。しかし、襲ってこないということはギリギリで踏みとどまっているのだろうか。この世界には食物は存在するが、それはやはり少量なのだということを知った。
アカネはいざという時の為に電撃を放つため、頬の電気袋に電気をためながらその場を通過した。カイトも警戒しつつその場を離れ、そのポケモンたちの声が聞こえなくなり、姿も見えなくなったころ、ようやく肩の力を解いたのである。
「…………ッ……はぁっ」
アカネは電気袋から漏れた電気が、再び自分の体をめぐっていくのを感じていた。微かに涙目になってしまうほど、その光景は異様で、思わず両腕で自分の体を抱いてみる。
「アカネ、大丈夫?……さっきのは一体……」
「……こっちまで頭おかしくなる。この先、きっとあんなポケモンは山ほど出てくるんでしょうね……」
カイトは俯きながら、アカネをリードして更に先へと進み始める。出口までそう遠くはなかった。洞窟から抜け出すと、少し開けたような場所に出る。とりあえず、ヤミラミは引き話したようだった為、二匹はいったんその場で休憩を取ることにした。
その場所には滝のような物が上から流れてきており、カイトはそれにいち早く気づいた。水分補給をしようと思い多岐に近づくと、とあることに気付く。
「……これも固まってる。水滴もほら、跳ね上がったまま止まってるし……」
やはり、滝の水も時が停止した影響を受けていた。カイトはやんわりとその滝に触ってみたが、妙な感触だった。とてつもなく固い、と言うことは無い。まるで封じ込められているような、そんな不思議な感覚が指先から伝わる。
その時、ふと思った。アカネの持つ能力、『時空の叫び』を使えば、この世界の全貌が明らかになるかもしれない。その為にはアカネに協力してもらうしかないが、大乗うぶだろうか。カイトはアカネに提案してみることにした。
「アカネ、提案があるんだけど……」
「何?」
「この滝、時が停止した所為で固まってるみたい。アカネの能力で、過去や未来が見えないかなって」
「……分かった。やる」
アカネはそういうと、その滝に近づいて両手で触れてみた。カイトが感じた事と同じく、妙な気分である。時空の叫びを呼び起こすことに意識を集中させ、しっかりと指先でその感触を捕えようとした。
しかし、いつまでたってもあの眩暈は起きない。意図的に起こそうと思えば、今まで何度か成功していたのに。一体どういうことだろう。
アカネはしばらく触れ続けていたが、諦めてそっと首を横に振った。
「……特にこれには何の意味も無いって事かしらね」
「そうかもね……大丈夫。アカネ、ありがとう」
カイトは、そうやってまた落ち込んだように軽く笑って見せた。
そんな作り笑顔は、どうも痛々しく見えて仕方ない。アカネは、また密かに思った。