逃亡者達‐143
* * *
目の前が暗い。目隠しは外されたようだけれど、まだまだ視界がぼやけている。首の後ろを殴られた所為か、頭に鈍い痛み。何かで締め付けられるような感触と、それに伴った痛み。一体ここはどこだ?
「……ッ……苦し……」
アカネはゆっくりと目を開いた。妙に薄暗い。人工的な光がやんわりとその冷え切ったような空気を照らしていた。カイトは先に目が覚めていたようで、体の熱で自分自身を柱に縛り付けているロープを焼き切ろうとしていた。
アカネもまた、首から下をグルグル巻きにロープで柱に縛り付けられており、カイトも同じような状態である。また、アカネはカイト、そしてルーファスを縛り付けている柱に挟まれている状態だった。
ルーファスもまた、二匹と同じような状態で柱にグルグル巻きに縛られていた。体温を上げまくりながらロープを焼き切ろうとしているカイトを見て、アカネは半ばあきれているような様子だった。
しかし、ルーファスは微かに期待していた。カイトの『猛火』の威力を知っているからである。地面すら焦がす温度。近づくことさえもままならない熱気。焼き切れるかもしれない、そう思っていた。
「ぐぅっ……ウゥゥゥ……」
唸り声を上げながら焼き切ろうと頑張ってみるものの、特にロープがちぎれた感じはない。どうやら相当頑丈らしい。カイトは思い切って自分のロープに『火の粉』を吹きかけてみた。しかし、表面が多少焦げ臭くなる程度、何も起こらない。
普通はこれほどやれば緩んだりちぎれたりするはずである。なんでだろう?カイトは目を細め、眉間に皺を寄せた。
「はぁぁ〜……あ。アカネッ!起きたんだね。無事?」
「無事……か。これからどうなるかも分からないのに……呑気なものだ」
ルーファスはそんな風に嫌味を言うと、はぁ、とため息をついた。そんな彼に対して、カイトは腹が立ったのかかなりいらだちのこもった顔つきを見せるが、そんなカイトに対してまた、ルーファスはため息を零した。
「お前達。ここが何処だかわかっているのか?処刑場だぞ。俺達はこれから殺される」
「……でしょうね」
「処刑場……?お前が処刑されるのは理解できる。けど、何で僕たちが殺されなきゃいけないんだ!?」
「俺の知ったことか。どうせロクでも無い事やらかしたんだろ」
「ッ……お前と一緒にするな!僕たちは何も悪い事なんてしてないから!」
「……フン。どちらでもいい。ほら、そんな無駄口叩いてる間に……お出ましだ」
広くて暗い、気味の悪い空間。アカネ達が縛り付けられた三本の柱の向かい側にある鉄なのか何なのか、巨大な扉がギギギ、と不気味な音を立てて開き始めた。
そこからヤミラミたちが次々と飛び出し、三本の柱を扉側から囲む。計六匹のヤミラミが、扉側を向いて何やら『合図』のような動きを全員で行った。
「こいつら……あんたを囲んでたヤミラミじゃない」
「ご名答だ。ほら、こいつらの親分も来たぞ」
ルーファスはいたって落ち着いた、まるですべてを見透かすような瞳で扉の向こう側を見つめる。ふらり、と扉から影のような物が落ち、そこからは体格の良いポケモンが姿を現した。
少し体の大きめなヨノワール。それは、キースだった。
「キースさん!?なんでっ……!?」
思わずカイトは彼の名を叫ぶが、キースはまるで他人事のように、あざ笑うかのようにカイトに一度目を向け、その後すぐにそらした。
カイトは体を巨大な岩石で押しつぶされたようなショックを感じた。彼は、あくまでキースを信じていたからである。
「キース様。三匹を柱へ縛り上げました」
「……良いだろう」
「キースさん……キースさん!僕だよ!カイトッ……何でっ……!なんで!?ッ……!!」
カイトは狂ったようにキースに助けを求め、反面それが無駄だとわかっている。アカネはただただキースを睨みつけ、突破口を考えていた。アカネと同じような考えをルーファスも持っていたが、一方でまた感じたことがあった。カイトから発せられた『狂気』によく似た感情と雰囲気。特に関係があることではないにしても、ルーファスはなんとなく気になって仕方が無かった。
(…………あいつ……少し反応がおかしいな……ん?……焦げ臭い……)
ルーファスは、微かな鼻につく臭いに気付いた。カイトの方から微かながら焦げ臭い香りがする。尻尾はロープから飛び出ているが、尻尾の炎がロープを焼かないように何か蓋のようなものがかぶせられていた。となると、尻尾ではない。
微かにロープが燃えているのではないか?そう推測された。しかし、だからどうするというわけでもない。今のカイトは冷静さを欠いている。
「……これから三匹の処刑を開始する。……処刑準備、用意!」
「ウィィィ!!」
ヤミラミたちは一斉に三匹の方を向き、その手についた鋭い爪をとぎ始めた。カイトはその様子を見て、自分たちを殺す気なのだ、と完全に認識した。
「キースさん!なんで、なんで僕たちこんなことになってるの!?一体どうしたんだよ!!」
「今のあいつには何を言っても無駄だ!演技モードはここまでらしいな……。
……それより、そこのピカチュウも聞け……ここからはあいつらに気付かれないように、出来るだけ口を動かさず、小声で話せ……」
「……了解」
「……ッ……わかった……」
「……お前達。もしも生き残りたいと願うのなら……俺に協力してくれ」
「ルーファスに協力……?なんで僕たちが……」
「このままだと、死ぬときは目にも当てられない状態だぞ。いいのか」
「いいわ。協力する。私は……カイトの炎が突破口だと思ってる」
「奇遇だな。俺もそう思っていたところだ……。
いいか。俺は都合の良いことに今、口を縛られていない。出来るかは運だが……お前の尻尾の炎を抑えている蓋を破壊する。お前の体熱では無理だったが、火の粉とは比べ物にならない……燃え上がる炎ならロープも耐えられぬ筈だ。さらに、奴らが使ってくるのは『邪悪な爪』という特殊な……いわば、処刑にとても適している爪だ。
……縛られていない上半身を狙って『乱れ引っ掻き』で攻撃してくるだろう。しかし、それに耐え、少しでもロープに攻撃がヒットすれば……ロープが緩み、力づくにロープを解くことが出来るかもしれない」
「考えている時間はない。頼んだよ、カイト」
「……分かった。協力するよ」
極力小声で喋っていた。もしも相手に聞こえてしまっていれば、即作戦は敗れるだろう。ルーファスの言う通り、ヤミラミたちは『邪悪な爪』を三匹に向けてきた。それ相応の痛みは覚悟し、三匹は体に力を入れ、ヤミラミ達を睨みつける。
「処刑準備、完了です!」
「……最後まで油断はするな。特にルーファスはな」
キースにとって、カイトは非常に困惑しているように見え、アカネはやっかいではあるものの『ウロボロス』という能力……目の変色と共に身体能力を変化させる力を使いこなせることができないということで、警戒するべき相手をルーファスに絞った。ルーファスは今までキース達の手を免れてきたポケモン。記憶の無いアカネよりもよっぽど警戒すべき相手だった。
「…………では。処刑を………
始めッ!!!」
キースが腕を振り上げ、号令をかけた途端に、ヤミラミたちは三匹へ襲い掛かり、その爪を振りかざした。
ルーファスは瞬時に口から『種マシンガン』を繰り出し、カイトの尻尾の炎を抑えている器具へと攻撃を仕掛けた。ヤミラミたちは一瞬ひるんだものの、容赦なく『乱れ引っ掻き』を繰り出してくる。
ダネマシンガンを浴びた炎を抑えている危惧は砂埃が舞うと共に砕け、今まで抑えられていたであろう巨大な炎が姿を現した。カイトは体に精いっぱいの力を入れ、『殺される!!』と、頭の中で何度も繰り返し考えた。
大きく燃え上がった炎はカイトのロープへ燃え移り、音を立ててロープを焼いた。カイトのロープが一部焼きちぎられ、カイトは体を大きく乗り出すと同時に『火炎放射』を繰り出し、周辺のヤミラミを威嚇した。
数発の『乱れ引っ掻き』を喰らっていたアカネとルーファスだったが、直ぐさま二匹のロープに自らの炎を燃えうつし、二匹をロープから解き放つ。アカネは電撃を、カイトは炎を振りまくようにヤミラミを攻撃し、ダメージを与えつつこちらに近づけまいとしていた。それに気が付いたキースが暴挙を止め、処刑を成功させるために三匹の方へと手を伸ばそうとした、その時だった。
ルーファスが隠し持っていた何かを取り出す。『光の玉』である。その球を発動させ、自らの腕で大きく掲げた。
薄暗い空間が一瞬で光に包まれる。ルーファスはその光をうまく使い、アカネとカイトの体の部位を掴むと、穴を掘るを使って三匹で土のなかへともぐりこんだ。『穴を掘る』は、居場所を隠す効果も在る為、三匹の居場所はパッと見ではキースにばれない。
「ッ……光の玉か!!シリウスと同じ手を使ったなッ!まだ遠くへは行っていない筈だ!探すぞ!
クソッ……この際だ!逃亡者全員を追う!」
(……シリウス……?)
ポケモンたちが遠ざかっていく気配がする。
土の中で聞いた微かな言葉に、アカネは多少の疑問を持った。しかし、酸素の薄い状況。土の中でずっと、という訳にはいかないため、早いうちにこの空間からポケモンたちの気配が無くなったことは幸いだった。
「ッ……ゲホッゲホッ……土はッ……辛いっ……というか、不味いぃ……」
「ホント心地悪かったわ……ちょ、砂、すごいついてるじゃない」
「あ、ありがと……」
土を思い切り突き破り、アカネとカイトは顔を出してその中から地上へと這い上がった。ルーファスは慣れた顔つきで土の中から出てくると、まだまだ緊張を解くことはできない。と、そんな顔つきで処刑場の出入り口を見つめる。
「文句言うな。命があるだけ奇跡だ。準備をするだけの時間を稼いでくれて助かった。
しかし、しのいだだけだ。危険が去ったわけではない……さっさとこの建物から脱出するぞ!ルートは知っている。急げ!」
ルーファスは二匹を先導するように処刑場の外を目指して、一目散に走った。アカネはルーファスの後姿を見ながら、こうしてみるととてもリーダー性のあるポケモンだと思った。この時点で、アカネの信頼度という形の気持ちはかなりキースからルーファスへと傾いていたが、どうしても認めたくはなさそうな相棒……カイトは、そうでもないだろう。
「おい、こっちだっ!出口まで一気に走るぞ!
……おい、そこのヒトカゲ!お前、もっと速く走れないのか!?全力で走れ!」
「ルーファスが速いんだよ!一々命令しないでくれない!?」
「俺はお前の為を思って言っているんだ!いいから早く走れ!死ぬぞ!」
「プレッシャー与えないでよ!」
「あんたら、お互い悪態ついてても仕方ないでしょうが!」
アカネに一喝され、とにかく三匹は後ろを振り向くことは無く、前を見て。とにかく、前を見て駆け抜けた。
幸いにも逃亡中にヤミラミやキースに出くわすことは無く、三匹は何とか処刑場と言う建物の中から外へと脱出できそうだ……と言う時だった。
「ルーファス!あんたに……聞きたいことがある!」
「……手短に!」
「ここは私達の居た世界の……未来ってことでいいのね!?」
「そうだっ!よくわかっているじゃないか!」
アカネとルーファスの会話を聞きながら走っていたカイトの瞳に影が落ちた。嗚呼、本当に未来なんだ、と嘆き、そして『この世界で一生過ごさなければならないかもしれない可能性』を考えた。
僕たちは、元の世界へ帰ることが出来るのだろうか。確かに移動する方法はあるらしい。しかし、それが安易に出来る者なのかと言えば……そうでもないだろう。
「おい、またスピードが落ちてるぞ!考え事をするな!とにかく前を向いて走れ!」
「…………ッ……」
「……もう少しッ……!出口が見えてきたぞ!」
『出口』と称された出入り口のような場所には、微塵の光も感じられない。しかし、カイトはその時、その向こう側に『光』があると信じて疑わなかった。
「よしっ!やっと外……だ……」
「…………」
アカネもカイトも、思わず言葉を失った。その世界に光など存在しなかった。夜でもない、ましてや昼でもない……妙な薄暗さ。青色にそのまま半透明な灰色を被せたような空。古びた棒のような、灰色の塊はよく見れば『木』。岩石はなぜか浮き上がり、宙で固まっていた。道も道とは言えない。所々に亀裂が走り、崩壊しかけていた。そのまま絵に描いたように固まっている。
「……ここが未来?風も吹いてない……妙に薄暗い……かといって空に光は無いし……。
岩が浮いてるって、どういう……」
「……これで証明されたわね。キースは私たちに……私達の世界のすべてのポケモンに偽りを語っていた。
ねえ、ルーファス。これは『星の停止』……なのよね?」
「嗚呼、その通りだ…………ッ……その話はあとだ!今は逃げるぞ!」
建物の通路の方から『ウィィ!』というヤミラミたちの奇声が聞こえていた。近くまで来ている。それを悟ると、早々に三匹はその場を離れ、更に前へ、前へと駆け抜ける。
やるべきことは、キースから逃亡することだった。少なくとも、アカネにとっては。アカネは既に『キースを説得する』という選択肢を捨て、ルーファスと手を組む覚悟を決めていた。
問題はカイト。カイトは今の今まで、どこか状況と空気に流されているようなところが有る。自分の意思で行っている……という行動は少ない。
先ほどから走りっぱなしだった為、体力のある方だったはずのカイトもさすがに息が切れてきた。『時が停止』しているといっても、酸素はあるらしい。ルーファスやキースはこの世界でずっと生活してきたわけだから、当然食料もあり、水もある。
妙な世界だ。アカネはそう思いつつ、息絶え絶えになりながら走っていた。
「……ッ……俺もさすがに疲れてきた……。
これ以上体に負荷をかけると、この後の逃亡に影響が出る……どこか、奴らから見えにくい場所を探すぞ」
ルーファスはそういいつつも、しばらくは走ったままだった。彼は大きな岩を見付け、その岩陰へと身を隠し、二匹を誘導した。
「ここは岩陰になっている。奴らも発見しにくいだろう」
そういって、ルーファスは一旦警戒を解く。アカネとカイトも、乱れた息を整えながら周囲を見渡していた。
見れば見る程不思議な世界だ。何故か太陽も無い。月も無い。時が停止したのは確かなのだろうが、『時が停止した』という概念を取り払って見てみれば、この世界は宇宙から隔離され、見捨てられたような世界に見える。決して『周囲が見えない』と言うほど暗くはなく、ポケモンが生息しているということは、食料もある。そして、ルーファスの事だ。時が停止しているといっても、ポケモンなどの体の成長や加齢はあるのかも知れない。生物たちにわずかな希望を与えているという面もある。
「……少し休んだら行くぞ」
「……ルーファス……ちょっと待って。
僕は処刑場から脱出するときは仕方なく協力した。でも……その後もお前と一緒に行動するとは一言も言ってない!
第一、お前みたいな悪党は信用できないよ。現に……殺しかけたよね?僕たちを」
「…………カイト」
「フン!というと何だ?俺が悪い奴で、キースが良い奴なのか?俺はお前たちとの戦闘を望んでいなかった。しかし、あいつはお前と戦うどころか、殺しにかかったんだぞ?それも『処刑』と称した残虐な殺し方を選んだ。……それでも、お前はキースを信じられるのか?」
ルーファスのいう事は最もだった。アカネはもとよりそう思っていたし、カイトだって本当は分かっていたのだ。
しかし、カイトには『裏切ること』と『裏切られること』への異常な恐怖心があった。キースが万が一自分の味方だとして、カイト自身がルーファス側へ付けばキースを裏切ることになる。しかし、キースが敵だとしたら、カイトはキースから裏切られたということになるのだ。
『裏切る』『裏切られた』という問題ではない。真実は一目瞭然だったはずなのに、その妙な『恐怖症』のような物が、カイトの思考にストップをかけていた。
「……私はあんたが私達を取り込むために助けたって訳じゃないと思ってる。あの状況の中、あんたに二度も敗れているような弱っちい奴らと一緒に行動するだけで相当なリスクだった筈。
それに、キースのあの様子から見て……処刑に躊躇いは見られなかった。あんたとは随分違うのね。あそこまで『歯車』への執着が強いにも関わらず、顔を見られても殺さないんだから」
「……ということは、お前は俺を信用すると?」
「……アカネ、僕は嫌だよ。信用が出来ない」
「まともに話して早々に信用するとかしないとか、そんな軽々しい話じゃない。ただ、今私たちに必要なのは『ガイド』だってことは理解してる。あの妙な穴、時空ホールだったかしら?今私たちが知ってる過去への通路はそれだけよ。あんた無しで、この原型をとどめてない世界を迷走してどうにかなるとは思えない。
今、この世界で一緒に行動して損が無いのはあんただと思ってる」
「……アカネ、と言ったか。お前の相棒はどうも俺のことが心底嫌いらしい。俺はこんなことで心を折ることは無い。しかし、お前たちのようなこの世界の空気になれていないポケモンは違う。この世界は危険だ。少しの孤独や恐怖心が『狂気』を生むような世界。
……一つ、教えておこう。お前たちの探険隊仲間、リオンと言うリオルが居るだろう。
そいつは、この世界で生まれ育った俺の仲間だ。とあるアクシデントの所為で別行動していた。ヤミラミたちの話を聞く限り、あいつもキースの手によってこの世界に再び戻っている可能性が高い。おそらく、というかはほぼ確実に逃亡者とはあいつだろう。
……じゃあな。一応、検討を祈るよ」
そういうと、ルーファスはこの先へと続いている洞窟のような場所へと入っていき、姿を消した。
ルーファスの言葉に、カイト、そしてアカネさえも唖然とする。
「……リオンが……あいつの、なかま……?」
カイトは、魂が抜けていくかのような声でそうつぶやいた。