闇に包まれし未来‐142
* * *
何もかもが朽ち果て、美しいものなど一切存在しない暗がりで、何者かが低く唸り声を上げた。
それをどこからか見ていた影は思う。私の求める世界はここにある。それを壊す者はいずれ果てる運命にあるのだと。かつては神だったポケモンが、今は理性のない獣のような唸り声を上げ、ただただじっと佇んでいる。なんと哀れな、そして美しい。漆黒の体を揺らめかせ、その鋭い瞳を細めた。
一匹のダークライだった。獣のような神の姿を目に収め、ただただ美しい、美しいと頭の中で繰り返す。この世界は住み心地がとてもいい。にじみ出るような負のオーラだけで一生生きていけそうなほどだ。
もう邪魔者はいないだろう。居たとしても果てるまで。ダークライは、不気味なほどに小さな声で笑っていた。
「………………お待たせいたしました。ディアルガ様。少々時間はかかってしまいましたが、ようやく、捕まえることが出来ました。
……一つ、知らせておきたいことがあります。……“あの女”が……死んだはずのあの女が、戻って来たようです」
「…………グルルルルルルル…………」
「……ご存知でしたか。……あのモグラ女を受け入れろと?しかし、あの女の茶番の所為でここまで奴らの捕獲が長引いてしまったわけですが……」
「ガルルルルルルル…………」
「……は。申し訳ございません。……はい。十分、心得ております。歴史を変えようとする者は消すのみ……シャロットの件については、本当に申し訳ありませんでした。事を済ませ次第、再び抹殺にかかります。
奴に逃げる術はありませんので」
暗がりの中で唸る獣は、かつて『神』と呼ばれていた者、ディアルガだった。青い筈の体は所々変色し、禍々しい彩へと変化している。その目は完全に理性を捨てた者の瞳。そんなディアルガと会話を成立させているキースのみが、彼の唸り声から言葉を聞き取ることが出来た。
かつて神とよばれしポケモンは、ほんの少しの唸り声だけで易々と、残酷なる言葉をキースに放つのだった。
* * *
「…………んっ……」
トレジャータウンにて、時空ホールへキースに引きずり込まれた後。どれ程の時間がたったのかは分からない。そんな曖昧な気分だった。瞼の裏が黒い。ゆっくり目を開け、アカネはそっと横たわっていた体を起こした。嗚呼、頭が痛い。感覚が可笑しい。
アカネの隣にカイトが座り込み、思いつめた様子でアカネが起き上がるのを見ていた。カイトはゆっくりと立ち上がると、アカネに手を差し出し、起き上がる手伝いをする。
「アカネ、大丈夫?」
「……あたまが、いたい……」
「無理しないで」
鈍器で殴られたようなグァングァンとした痛みが、内側からじりじりと伝わって来た。しばらくしたら直るタイプのものだと思ったので、アカネは頭痛を感じながらもゆっくりと立ちあがり、周辺を見渡した。
「……なに、ここ……」
アカネの目に入ったのは、無機質な岩で回りを囲われ、唯一の出入り口と見える場所にごつい柵で出来た扉で通せんぼしているような……いわゆる『牢屋』の中に居るような光景だった。
「牢屋、だよね。どう見ても……。あの扉、開けようとはしたんだけど、頑張って頑張って、微かに軋むだけだった」
「むしろ、よく動いたもんね……」
アカネは眉間に皺をよせながら、警戒しつつ牢屋の扉へと近づいていく。見たことの無い質の扉だった。その扉にゆっくりと触れ、感触を確かめた後、試しにその物質に電気を流してみた。しかし、電気が通った感じはない。どうやっても出ることが出来そうにない状態。
おそらく、閉じ込められたのだ。では、誰に?
「……少し状況整理。私たちは目が覚める前……何してた?」
「確か……ルーファスが捕まったんだよね。それで、キースさんが広場で未来に帰るとかなんとか言ってて……。
急に……何故か急にリオンが暴れだして……その時キースさんに体を掴まれて……引きずられ……。
……ってことは、やっぱ未来ってことだよね……?」
「キースの行動もやっぱりおかしいわね。何であの時私たちを引きずり込むような真似を?」
「バランスを崩して咄嗟に、じゃないのかな。すごいいきなりだったし……」
「……事件の主導権を握って、一匹でルーファス捕まえて……そんな奴が、そんなミスすんのかしらね。それに、なんで私たちは牢屋に…………」
アカネが腕を組みながら、志向の膿に潜ろうとした時だった。突如何者かの気配が現れ、同時に閉ざされていた扉が鋭い音を立てて開いた。開かれた扉の向こう側から、四匹のヤミラミが目をギラギラと輝かせながら押し寄せてくる。思わずアカネとカイトは身構えるが、状況に対応することができず、一瞬で四匹のヤミラミに囲まれた。
カイトは腹部に鋭いパンチを入れられ、アカネは首の後ろを殴られたような衝撃を感じる。二匹の意識が遠のいていく中、黒い布のようなもので目隠しをされる際に擦れる布の音や、何かロープのような物が体に巻き付けられる感触を覚えた。
「準備はできた。そちらはどうだ?」
「すまない!目を離した隙に脱走された!」
「何!?キース様に直ぐに知らせろ!計画に変更はない!」
「大丈夫だ。奴がついている。それに、どちらにしてもこいつらは…………」
流暢に言語を話している。嗚呼、いったい何の話なのか。
それを考える前に、アカネとカイトは両方とも、暗い闇の中へと意識を沈めた。
一方、時空ホールを抜けた先の『未来』では、全てが灰色に包まれた場所をただただ、ひたすらに走っている二匹のポケモンが居た。
アカネとカイトがキースに連れ去られた後、時空ホールに流された二匹。リオンとステファニーである。二匹は、ヤミラミたちの目が少なかったことを良い事に隙を見て脱走を図っていたのだ。とにかくヤミラミやキースに捕まらない様、遠くへ遠くへと逃げまどっていた。
「ッ…………ハァッ……!」
「リオンッ!一体どういうことなの!?」
「ッ……とにかく走れっ!捕まったら間違いなく殺される!」
リオンは予想外の展開に戸惑いつつも、とにかく生き延びるための道を進み続けていた。自分も時空ホールに落とされる。その可能性はもちろん考えていたが、まさかステファニーが自分を追って飛び込んでくるとは思わなかったのだ。あの時、リオンがヤミラミ達に攻撃を仕掛けた主観から、ステファニーとは『お別れだ』と思っていたのだから。
脱走した時からずっと走りっぱなしで、リオンもステファニーも息が上がっていた。どこかで休憩を取らなければ、この後の回復が遅くなってしまう。疲れが溜まり、戦う力も全くでないだろう。
リオンは一旦休憩を取る為に、岩と岩の間に空いた微かな隙間に身を隠した。いざとなれば逃げ道もあり、簡単にはみつからないだろう。そう判断すると、緊張がほどけてその場に座り込んだ。
「はぁ、ぐ……ッ……休憩は感覚的に五分だ。そしたらまた逃げるぞ……ッ」
「リオン……はぁ、はぁ……どういうことなの?なんで、あの時あんなこと……」
ステファニーが言っているのは、おそらくあの広場での突然のリオンの暴走の事である。何も知らないポケモンから見れば、あの行動は本当に頭が可笑しいとしか思えない光景だっただろう。その行動の真意に、キースやヤミラミ、ルーファスのみが気づいていたに違いない。
(……ここまで来てしまったからには、こいつに話した方がいいのか……?どちみち、この世界の現状を知った時点でこいつは抹殺リストに入ってしまっている筈だ……信じてもらえるかどうか、それが問題……!)
リオンは座り込んだ状態で、こちらをのぞき込んでくるステファニーの顔をちらりと見た。彼女は多少頭でっかちなところがあるが、それでも何より素直なポケモンだ。信じるなら信じる、信じないなら信じないと、はっきり言ってくれる筈。
ステファニーも理解しているだろう。『未来の現状』について。キースはさも未来も平和であるかのように言っていたが、実際は暗闇に閉ざされた『暗黒の未来』だ。
頭の良いこいつなら……。リオンは悩んだ末、自分の胸の内を打ち明ける覚悟をした。
「……ステフィ。俺はいままで、ずっとお前に黙っていたことがある」
「黙って……いたこと?なぁに?」
ステファニーは呼吸を整えながら、首をかしげてリオンに尋ねた。嗚呼、やはり話すのは少し怖いな。と、結構なためらいもあった。しかし、口を動かしさえすればあとはどうにでもなる。
リオンは、小さく息を吸って、声を出した。
「……俺も未来の……未来で生まれたポケモンだ」
「……ほ、ほう?」
「……ごめん、真面目な話なんだ。
更に言えば、俺とルーファスは……お前と俺が出会う以前からの知り合いだった。俺はルーファスを捕獲しようなんて全く考えていなくて、実際は俺とルーファスは共犯だったんだ。だから、水晶の洞窟でルーファスを逃亡させたのは俺だったし、広場のあの騒動だって、ルーファスを……アカネとカイトを、助けようとしてたんだ。
信じてくれ、頼む。無理かもしれないが……キースは、あいつはさもヒーローのような立場を手に入れてるが、あいつは実際は全く善人じゃないんだよ。『時の歯車』をあるべき場所から盗ったからと言って、止まるのはその地域の時間だけだ。星の停止とは全く関係が無いんだよ……いきなりこんなこと言ってごめん……」
「うん。いいよ。信じる」
「そうだよな、信じてくれないよな……?信じるのか!?え!?」
「うん、信じるよ。私、キースさんよりリオンの方が大事だし。アカネとカイト引きずり込んじゃってたからね。あれは黒だよね〜」
「え、あ……うん、あ、ありがとう……」
実際に口に出してみたら、あっさりと受け入れてもらえた。リオンはこれはとても好都合だ、と感じているものの、一方でやはり違和感を感じていた。何故これだけあっさり受け入れられるのか。彼女はこの世界の状態が『星が停止』している状態に見えているに違いない。しかし、詳しく聞かずになぜそこまで信じられる?
不気味なほどに早く受け入れられてしまった事で、リオンは別の意味で混乱していた。
(俺が冷たいだけか……?仲間なら信じられるっていう、こいつの気持ちなのか……?それなら、すごい嬉しいんだが……)
「…………甘えて悪いんだが、もう一つカミングアウトすると、さ……アカネも、未来で俺達と共に活動していた仲間……かもしれない。そう考えれば、キースがアカネとカイトを連れ去った説明がつく」
「アカネも?そっかぁ、確かにあの子は謎が多いもんね〜」
「……お前、楽しんでないか?」
「え!?そんなことないよ〜!私、これでもすっごく焦ってるんだよ?」
「……そう、か。うん……。
……そろそろ行くぞ。キースに知られてる頃だ」
リオンとステファニーは腰を上げると、再び前へ前へと進み始めた。