水晶の湖‐135
* * *
「……なんっか、やたら騒がしいっつーか」
ある種の暇人、フローゼルのレイセニウスは、ブツブツと呟きながらトレジャータウンをひたすら行ったり来たりしていた。ここに滞在して約ウン週間、彼は全く仕事らしい仕事をせず、ただただ暇な毎日を送っているのである。
そんな自分が情けなくなるほどに、周辺はなにやら騒がしい。聞くとどうやら、『時の歯車』という幻の宝とか言うものが片っ端から何者かによって盗まれているらしいのである。レイセニウスは忙しそうに走り回る警察や探検隊達をちらほら見かけては、自分はこんなことをしていていいのかとため息をついた。
「んぁ〜。アカネちゃん何してんだろ、元気してんのかなぁ」
好みのルックスの相手を思い浮かべて独り言を言ってみるが、特に何も起こったりはしないし、レイセニウス自身が何だという訳でもない。
なんとなく、肩にかけていたバッグからメモ帳を取り出して読み始めた。この大陸に来てであったポケモンの事が穴だらけではありつつも記されている。特にメモを取り出したからと言って何があるという訳でもなく、再びバッグの中にメモを納めた。
レイセニウスは暇すぎる故に、なぜか周りのポケモンに申し訳ないような気持ちになっていた。元々あちらの大陸ではレイセニウスは毎日仕事をしていた為、どこか一日に違和感があるのである。ここの生活に多少慣れてしまったためか、その違和感は余計に強くなってきていた。
すると、丁度向かい側から一匹のコリンクがとぼとぼと歩いてくるのが見えた。レイセニウスは見覚えのある相手に声を掛けようと、小さく手を振る。相手も気づいたのか、顔を上げてレイセニウスの方を凝視していた。
「えっと、あれだよな。確か、シャロットちゃんを振り回しまくったクズ野郎だったっけ?」
「失礼な!この前話したばっかじゃないか」
コリンクの正体はほかでもなくセオである。セオとレイセニウスは、カフェで出会ったことがある為面識があった。その時はシャロットも一緒だった為、そこそこ会話が弾んでいたのである。
レイセニウスが認識している限りのセオと言うのはシャロットちゃんをいじめてる奴、という風にしか思っていなかった。
「ありゃ、シャロットちゃんは?」
「さぁ、知らないおっさんに連れてかれちゃってさ……てか、レイセニウスさんとノリちょっと似てるよね」
「そうなん?」
そもそも『知らないおっさん』を知らないレイセニウスとしては、セオに言われてもよくわからなかったので軽めの反応でスルーした。それにしても、セオも随分と暇そうである。そして、レイセニウスも暇。これは二匹で組むしかない、と思い、レイセニウスは腰を折り気味にしてセオの背中に腕をぐっと押し付けた。セオは不快そうな顔で『なに?』と尋ねる。
「ちょっとさ、ギルド行ってみようぜ。なんか騒がしいじゃんか」
「えぇ〜。一匹で行ってよ」
「良いじゃんか、暇だろどうせ!」
そういって強引にではあるが、ギルドの方へとセオを引っ張って向かって行った。セオは、シャロットが一体何をしにあのウインディと立ち去って行ったのか気になっていたが、確かに『暇』ではあったので、嫌々ながらもレイセニウスに付き合うことにしたのである。
ギルド周辺やその中はやはり騒がしかった。どうやら最後の『時の歯車』の場所が割れたようである。すでにギルド内ではかなり噂になっており、たくさんのポケモンたちが忙しく行きかっていた。
セオとレイセニウスは、依頼掲示板やお尋ね者ポスターなどが設置されているフロアへ立つと、『噂の盗賊L』というポケモンの顔を覗き込んだ。
「へぇ、なんか凶悪そうな面してんなぁ。あ、でも結構イケてる感じする。うん、結構かっこいいな。ちぇっ」
「何言ってんのさ!こいつは時の歯車盗んで回ってる盗賊だよ。かっこいいとかかっこよくないとか以前に、犯罪者だろ!」
「あー。まぁそうなんだけど……よくわかんねぇんだよな、その時の歯車っての。大体、時が止まるだの何だのって、そもそも盗まれるずっと前からそういう話題が持ち上がってた気がすんだよなぁ。なんでわざわざそんなときに盗むんだ?」
「どうせこいつがなんかやったんだよ。通称盗賊Lって書いてあるけど……ホント、とんでもない奴だ。ジュプトルとか言う種族的にも危なっかしそうだし」
「種族関係ないだろ……」
そもそも、セオの種族の方がよほどおっかないのである。暴論を展開し始めるセオに対して、レイセニウスは呆れ顔で返事を返していた。まぁ、種族内にこんなのが出てきたんじゃあ同種族の方々も苦労するよな、と思いながら同情する。
『盗賊L』の顔が割れているとすれば、いずれ道端でビラ配りなどもザラではなくなるだろう。もう少しすれば世界中がこのポケモンを追い詰めにかかってくるはずである。
レイセニウスはおもむろにバッグに手を突っ込むと、またもメモ帳を取り出して事件の事を書き記し始めた。セオはそんな様子を、なにやら妙なものを見るような目つきで伺っている。
「何それ?」
「俺の軌跡」
「……時の歯車事件が?レイセニウスさんの軌跡?」
「めんどいやつだなぁ。……うーん。ここら辺が空いてるのやだな。どっかで関われないかな。あ〜。北の砂漠一緒に行っとけばよかったわ」
レイセニウスはアカネとカイトが重傷で帰ってきたのを知らないため、事件に携わる機会を逃してしまったと後悔した。セオは相変わらずよくわからない、と言いたげな表情でレイセニウスの事をじっと見ている。
レイセニウスは両手にメモとペンを持って走り書きのようなものをしながら、時折目を細めてペンを止めた。
* * *
アカネとカイトは『水晶の洞窟』の最奥部へと辿り着いた。そして、その場所に隠された『時の歯車』へと繋がる謎を解き明かし、見事隠された道を出現させたのである。
巨大な水晶で作られた道は、岩壁が水晶で覆い尽くされて見えない程に大量の水晶で埋まっていた。足元には平面に広がった水晶や水が溜まっており、言うなれば『大水晶の道』である。
トラップとしてなのか、やはりその場所にも野生のポケモンは存在していた。二匹が進むにつれ、ポケモンの戦闘レベルは上がってくるものの、馬鹿みたいに不利な状態では無い為あまり苦労はしない。その為、二匹は至って順調に探索を進めていた。際立って不利になるポケモンはいない。アカネとカイトのお互いが技を出し合い、アグノムの湖を探して道を進み続ける。
一方、『時の歯車を盗む者』として追われている『盗賊L』ことルーファスも又、『時の歯車』へと繋がる水晶の道にて最奥部を目指していた。
求めるものは勿論『時の歯車』。目指す場所は、アカネが『時空の叫び』で見た通り、アグノムの住んでいる『水晶の湖』である。
ルーファスはクロッカスの二匹よりも僅かに先に水晶の謎を解き明かし、大水晶の道へと進んでいた。ルーファスにとって、クロッカスの二匹でも、そう手を煩わせることなく倒せてしまうこのダンジョンの敵は、もはやただの『障害』でしかなかった。
このダンジョンへの『道』となる巨大な水晶の入口は、どうやら時間差か謎を解いた者が道に入ったことを確認すればリセットされる仕組みのようだった。その為、クロッカスの二匹は初めからその謎を解きなおすことになったのである。
この場所は『不思議のダンジョン』である。逃げる際にはどうにでもなるのだ。
この場所を突破すれば、ルーファスの手元にある歯車は『五つ』となる。そして、ルーファスが求めている歯車の数も『五つ』なのだ。
(―――まだ考えるべきことは山ほどある。しかし、これで終わる。歯車を集め続ける日々は…………)
ルーファスはどこか浮かれて居た。背中の火傷も忘れかけ、一心不乱に敵をなぎ倒し先ヘ進む。体力を温存しながら、アグノムの守る時の歯車を奪うための作戦を決行していた。
ルーファスは突進してくるオニゴーリをエナジーボールで狙い撃ち、目の前で唸りながら飛び掛かってくるアブソルを逆に『リーフブレード』によって切り裂くように攻撃した。
障害が無くなれば、また道を進んでいく。しかし、決して理性を失い襲い掛かってくるポケモンを『殺害』したりするようなことは無い。
『盗賊L』と称されるジュプトルは、自らの攻撃によって命を決して奪うことは無いのである。
そんな彼の『良心』のような物が、ルーファスの動きを影から観察している野生のポケモンたちには妙なものに見えてならなかった。
ルーファスの通った後を、アカネとカイトも何度か通っていた。何故か、何もしていないにもかかわらず何匹ものポケモンが道端で目を回して倒れている。その答えは考えずとも導き出された。『盗賊Lが通った』可能性があるからである。
「この切り傷……」
アカネが倒されたアブソルに恐る恐る近づいた。ナイフのようなもので浅く切られた跡のある背中。『盗賊L』のリーフブレードを受けた際につく傷とよく似ていた。カイトの体にも何個か残っている。
「……二重で解かなければいけなかった謎は今のところは無いよね。細部をじっくり探すよりも、とにかく一旦最奥部を目指そう。先越されたらお終いだよ!」
二匹は目的を『探索』ではなく『最奥部へ向かう事』とし、足を速めた。ひたすらに階段を探すが、やはりそこにも何匹かの戦闘不能にされたポケモンが横たわっている。
しかし、誰一匹として息を引き取ってはいなかった。
「……盗賊Lは、ポケモンを殺さない……?」
「……多分捕まったら死刑になっても可笑しくないのに、殺さない……それだけの良心はあるっていう事なのかな」
『盗賊Lはポケモンを殺めない』……不透明な真実であるが、時が停止してそれに巻き込まれた者以外、この事件において死亡した者はいない。否、時が停止して巻き込まれた者は、おそらく時が再び流れ始めれば息を吹き返すはずだ。
妙な事実に首をかしげつつも、二匹は先を急いだ。出来る限り敵とは戦わぬよう、警戒しながら周囲を見て行動し、階段のみを探して通過した。
そうしているうちに、今までのダンジョンとは全く異なる巨大な空間へ出た。足元は透き通る滑らかな水晶で覆われており、瑞々しい空気が漂っている。
「……湖があるっ……!」
水晶に覆われた空間の中に、巨大な湖が広がっていた。湖の中にも水晶は無数に突き出している。洞窟の中のわずかな光が水晶に反射して水面を光らせているのだ。何とも言い難い、美しい光景だった。湖をのぞき込むと、中央には小さな島のような場所と、その数十メートルほど離れた場所に青緑色の光を放つ部分がある。
嗚呼、時の歯車だ。二匹は確信した。
「時の歯車……間違いないわね」
「まだ誰も居な……い?……アカネ、あそこに誰かいない!?時の歯車の手前、島みたいなとこ!」
「……行くよ!」
誰なのかは予想がついている。二匹は急ぎ足でその場へと向かった。その『島のような場所』は、アカネやカイトから見れば一見島に見えたものの、実際はアカネ達が今走っている陸地と繋がっていた。湖側へと一部突出した部分である。まだ無事であるように、そう祈りながら、二匹は走っていた。
二匹の予想通り、そこに居たのは『盗賊L』ことルーファス、そしてこの湖の守り神であるアグノムだった。
アグノムは今にも地に落ちそうなほどボロボロになっていたが、何とかルーファスを湖に近づけまいと、ギリギリの状態で通せんぼしている状態だった。ルーファスは、そんな風に目の前に立つアグノムを見て、『三匹の中でこいつが一番厄介だ』と感じる。
打たれ強いのか、リーフブレードを受けても反発して攻撃を仕掛けてくるのだ。今でもアグノムは『サイコキネシス』でルーファスをねじ伏せようと狙っていた。
ルーファスは口から『エナジーボール』を発射する。能力を使う力はあっても、素早く避ける力はアグノムには残っていない。
アグノムにモロに命中し、彼は地面へと叩きつけられた。
「はぁっ……ぐっ……はっ」
苦しそうに息を吐くも、アグノムはほぼ限界に近い。ルーファスは、これ以上アグノムに戦う力がないと判断し、地に落ちたアグノムの隣を横切った。
「……貰っていくぞ。時の歯車を」
「……だめだッ……あれを取っては、絶対にっ…………!」
「あそこに沈むのが時の歯車か。すまないが、アグノムとやら。貰っていくぞ」
そういうと、足早にその場を動き出し、湖の方へと進んでいく。
しかし、次のアグノムの言葉で、その足は停止した。
「……やらせるものか……盗賊Lッ……お前の本当の名は知らない……しかし、お前がここに来る事、だけはっ……ユクシーとエムリットから聞いたよ……ハァッ……。
本当は僕の手で、倒せるのが一番だったが……もし失敗した時にっ備え……ある仕掛けを施しておいたっ!」
ルーファスの肌に鳥肌が立つ。大きく目を見開き、あからさまに焦る彼を見て、アグノムは微かにニヤリと笑った。
アグノムの金色の目が光を放った。すると、巨大な地響きが湖全体に響き渡り、所々で水晶にヒビを入れ、湖に波紋を呼ぶ。その様子を確認すると、ルーファスは『とんでもないことをやっているのではないか』ということをやっと理解したのだ。
「何を……何をした!!」
ルーファスが声を上げるも、遅かった。湖を囲む部分、全ての水晶が急激な成長をはじめ、巨大な湖が見えないほどに重なり、囲んでいった。湖の周囲には、何者の侵入を拒むための水晶の巨大な壁が張り巡らされたのである。
ルーファスでさえ突破が不可能だと思われる巨大な水晶の壁に、思わず足をふらつかせた。怒りのあまり、ルーファスはアグノムの首を掴みあげ、そのまま地面をと強く押し付ける。
「ッ……ぼくは、時の歯車を絶対に渡さない……僕の命に代えてもッ……」
首を絞められ、アグノムは言葉を切って顔をゆがめる。命を奪わない……そう思いながらやってきたルーファスは、ここで決断を迫られた。
アグノムの体自体がおそらくカギとなっている。この場所でアグノムに解かせるか、アグノムを殺害するか。それしか方法は無いのだ。
「……貴様ッ……!この水晶をどうにかするんだ、今すぐに!!」
「……する訳ッ……無いだろう……!」
「いいかアグノム!!俺は何としてでも時の歯車を手に入れる!!手に入れなければならない!!!
お前を殺してでもだ!!……!!ッ」
ルーファスが更に強くアグノムの喉を絞めようとした瞬間、ルーファスに当たるか当たらないかの所に、何者かの攻撃が放たれた。ルーファスは舌打ちをすると、泣く泣くアグノムを地面に叩きつけて咄嗟に攻撃を回避する。
襲撃者はアカネとカイトだった。ギリギリのところで間に合い、ルーファスのアグノム殺害を阻止したのである。二匹は素早くアグノムを背中に庇い、ルーファスと対峙した。彼にとって見覚えのある二匹。自らに火傷を負わせたヒトカゲの顔を見て、ルーファスは微かにではあるが、傷跡が疼くような感覚に襲われる。
「お前達ッ……お前達に用はない、そこを退け!!」
険しい表情でルーファスは二匹に迫るが、まったく怯える様子は無く、『退くわけがないだろう』と、カイトは言い放った。
ルーファスは内心焦った。この水晶に囲まれた状況で、逃げようともこの二匹が立ちはだかっている。この二匹を無事倒したとしても、その後の増援が考えられる。ここで終わってしまっては、今までの苦労が水の泡となる。
ルーファスは、湖を囲む巨大な水晶を破壊しようと、『エナジーボール』を数個放った。しかし、巨大な水晶はびくともせず、ヒビも確認できない。本来、水晶は『びくともしない』というほど頑丈なものではない筈である。おそらく、アグノムが何らかの力を加えたのだ。
やはり、アグノムを殺害するしか手はない。となると、ピカチュウとヒトカゲ、この二匹が邪魔である。戦闘不能にしておく必要があった。
地に伏しつつも、何とか意識を保っている。ルーファスの方を憎たらしそうに睨みつけてくるアグノムを睨み返した途端、彼の頭を“ある言葉”が過った。
―――――――――必要な犠牲は、必ず発生してしまうもの
ルーファスの脳裏に浮かんだのは、かつて『師』によって告げられた一言であった。