負け犬の“遠吠え”‐132
* * *
「つまり、これでまた振り出し、というわけですわね……」
キースの話を聞き、皆わかっているが言わなかったことをフラーがぽつりと口にした。状況報告、と託けていろいろと話をしたが、何一つ結果が出ていないのである。残ったのは見事に『盗賊L』に敗れた軌跡、時が完全に停止した状態の北の砂漠周辺の風景だった。
その言葉の意味を悟り、アカネとカイトは微妙に視線を下へと傾けた。悔しさや怒りもあり、それ以上に情けない。敵はすぐ目の前に居たのにも関わらず、他に何か捕獲する手は無かったのかと、自らを責めていた。
二匹を責める者などいない。しかし、二匹の中でそれとこれとは話が別だったのだ。
「何も手がかり無し、ってことだな。ヘーイ……」
「……いえ、意外とそうでもないかもしれません」
『え?』と、意外そうな顔で皆キースの方を見つめた。キースは何か考えているように、顔に指を突き立てて軽く当てると、『確定したことではないのですが……』と、前置きをし、自らが考える『手がかり』の話を始めた。
「……まず、先ほども話題に出たエムリットなのですが、彼女は聴取の際、しきりにユクシーの名前のみを出していました。チームクロッカスとエムリット、そして『盗賊L』が対峙したあの時点で、エムリットは紛れもなくユクシーの名前しか出していないのです。
そして、これからの私の仮説は、在る『言い伝え』が現実的に正しいと仮定し、話を進めていきます。
その言い伝えによると、ユクシーは『知識の神』、エムリットは『感情の神』と呼ばれ、三匹で『精神世界』をつかさどっていると言われています」
「アグノム、だね」
キースの説明に、ステファニーが付け足した。今まで浮上していなかった三匹目のポケモンの存在に、多少場が騒めく。
要するに、キースが言いたいのはこういうことである。
アグノムは『意思の神』と呼ばれている、ユクシー、エムリットに続く三匹目のポケモン。三匹それぞれが精神世界の柱になることで、それらを支えている。つまり、ユクシーとエムリットの二匹が『時の歯車』を守るという使命に就いているのならば、アグノムもそれと同じように『時の歯車』を守っていると考えるのが妥当である。
しかし、今までの捜査では『アグノム』の名は浮上していないのだ。つまり、アグノムの守っている『時の歯車』には、まだ盗賊Lの手が及んでいない可能性が高い。
その説明を聞き、一同は非常に共感していた。捜査は進展せず、盗賊Lの足取りも辿れない。そんな中で、警察やギルドのメンバーたちにとっては、藁にも縋るような思いで見つけた『希望』のようにも見えていた。
キースは希望を見つけてくれた英雄のように見られている。そんなポケモンたちの瞳を受けつつ、内心はそのポケモンたちを嘲笑していた。
『これは“希望”などではない』そのことを知らない彼らを。
「時の歯車のある場所に盗賊Lは現れる。そう考えると、早急にアグノムの居場所を割り出す必要がありますね。
今までの経過を遡ると、ユクシーの守っている時の歯車は高台の頂上の湖に、エムリットの守っている時の歯車は、砂漠の地底深く、というように、それぞれ『普通』に考えていてはとてもたどり着けそうの無い場所に存在していました。
その為、アグノムの守る時の歯車もまた、常識では考えられぬような場所にあると推測されます」
キースの話が一段落着くと、メンバー達からは大きな歓声が上がった。『さすがキースさんだ!』と、彼をほめたたえる声が次々と聞こえてくる。ペリーは妄信し切ったようにしきりにキースを褒めまくった。パトラスは相変わらず、何をしているのか、何を考えているのか分からない顔つきで話を聞いている。しかし、その事に誰も気づかない程、この空間は熱を帯びていたのである。
自らをほめたたえる数々の声に、キースは『照れますよ……』と言いながら、軽く顔を指で掻くような仕草をする。
「私達、そういえば『水晶の洞窟』をただ普通に探索してただけでしたわね。細部まで見たつもりではあったのですが……可能性はまだそこにも残っているということかしら?」
「そもそも『北の砂漠』を指定したのはキースさんで、見事にそこには時の歯車が存在したんだ。私も話を聞いて、『水晶の洞窟』の探索が不十分だとは感じている。当然そこにもまだ可能性はある!」
フラーとアドレーの発言に、キースは『しめた』と思い、真剣な顔つきを作りながらその話を聞き、うんうんと共感するように頷いた。この流れならば、うまくいきそうだ。キースは用意していた発言を、頃合いを見計らって皆に向かって放った。
「……そうだ。東の森探索メンバーと、水晶の洞窟の探索メンバーの皆さん、何か探索中に拾った物などはありませんでしたか。探索区域に入り、拾った物です。道具や木の実でも構いません」
「これと言ったものは……」
「あ、あっし、あるでゲス。それっぽいの……」
グーテはそういうと、体にかけていたバッグを下ろして漁り始めると、なにやらオレンの実程の大きさの輝く物体を取り出した。フラーは思わず『まぁ!』と声をあげ、アドレーは眉間に皺を寄せる。
オレンの実位の大きさの物体は、透き通った美しい『水晶』だった。キースは思わず目を見開きそうになるが、咄嗟にそれを当たり障りのない仕草で覆い隠した。
水晶をグーテが持っているということは、つまり『水晶の洞窟』に存在していた水晶である。これならば、高確率で……!
内心、この中で最も役に立ちそうにないグーテを見下していたキースだったが、この時ばかりはその存在に感謝した。嗚呼、愚かな物だ、と。
グーテ、あの役に全く立ちそうもないポケモンが、この世界全てのポケモンの首を絞めることになるのだ。そう思うと、なにやら可笑しいような複雑なような。とにかく、これで『材料』は揃った。
あとは『奴』がどう動くか、である。
「おい、グーテ!真面目に皆が捜索して、クロッカスの二匹は大怪我までして帰ってきたにも関わらず、お前だけ的外れな行動……一体何がしたかったのだ?」
「ご、ごめんでゲス……あんまり綺麗だったものでゲスから、あっしの宝物にしたくて……」
ごにょごにょと言い訳をするグーテに、アドレーは非常に苛立っていた。フラーはその様子を見ながら、そういえばなんかやたら水晶眺めてたな、とその時の様子を思い浮かべる。
アカネはグーテの持つ水晶をじっと見つめながら、目に星を浮かべていた。曇りの無い透き通った天然の水晶。売ればなかなか価値のありそうなものである。グーテの行為に対して、アカネは毒を吐くことは一切無く、まぁ、欲しくなるのは仕方がない。と、共感していた。
ところで、何故キースがこんなことを言いだしたのか。皆はまだ、ただ単に『盗賊L』の痕跡が無いかどうか調べる為、キースがこんなことを言いだしたのだと思っていた。何も可笑しなことではない。
しかし、キースの思惑は全く別の場所にあったのである。
「グーテさん、その水晶、少し私に貸していただけませんか?」
「え!?い、いやでゲス!これはあっしの宝物でゲスゥ!」
「な、なにも、取り上げるわけじゃありませんから!少しの間貸していただきたいのです。目的を達成し次第すぐに返します」
そう言って、キースは朝礼の列の一番後ろの方に居る、アカネの方へと視線を注いだ。その視線に気づいた者は少なくない。アカネは、キースのやろうとしている事が何なのか、なんとなくわかった気がして思わず声を上げた。
冗談じゃない。どうして。
「なっ……」
「アカネさん。貴方にグーテさんの水晶を触ってみてほしいのです。時空の叫びが発動するかもしれません」
「何勝手な事言って……!」
「時空の叫び?なんだいそりゃ?」
キースの意味不明な発言に、その意図を知っている者以外が困惑し始めた。キースは場を納めようと、アカネから視線を離し、メンバーたち皆に目を向けたその時だった。
『時空の叫びって何?』という会話がそこらじゅうで飛び交っている中、一匹だけ妙な反応をしているポケモンが居る。そのポケモンは、キースの居る場所から見ると明らかに目立ち、一瞬にしてそのポケモンに目を奪われた。
―――――何だ?何故、何故あそこまで動揺している?
他のメンバーは、まるで知りたいことを母親に尋ねるような、もっと知りたいと言いだしそうな反応であった。しかし、彼一匹のみが違う。ただ唖然と立ち尽くし、大きく目を見開いている。その視線の先はアカネである。瞳孔が大きく開き、それはまるで、『信じられない物』を見ているようだった。
嗚呼、お前もか―――そうだ、そうだよな。人間がポケモンへと変化したのだ。何が起こっても不思議ではないのだ。嗚呼、やはりお前か。あの時の、お前を初めて見た時のあの感覚、私の読みは全く間違っていなかった。やっと正体がはっきりしたよ。偽名と種族の所為で確信を持つのに時間がかかってしまった。やたら捜査がばらついていたのも、お前の仕業か。
あの様子だと、アカネの『正体』に気づいていなかったようだな。馬鹿の大馬鹿者め。否、時空の叫びの事を聞いて初めて気づいた様子だ……タイミングが悪かったのかもしれないな。今の今まで。
嗚呼、神はやはり運命の赴きに肯定したようだ。
キースは密かに思う。何が彼らをこの地へと導いたのか。『時空の叫び?』と、疑問府を頭につけているシャロットをチラりと見て微かに笑った。
―――――お前だ。
「……もし、水晶の洞窟に謎が隠されているのなら、アカネさんが水晶に触れた時、時空の叫びが発動し、何か見えるかもしれません」
キースは笑いを堪えながら、アカネの説得にかかる。そんなキースを、リオンは絶望し切った表情で見つめていた。しかし、キース以外、そんな彼には誰も気づかない。
――――頭が悪い事への報いだ。
キースは『負け犬の遠吠え』のようなリオンの瞳を見て、密かにそう思った。
「だから、時空の叫びって何なんだ?」
ゴルディが気になって仕方が無いように、目立つ声でキースに質問を繰り返す。ある意味、ペリーと同じようにキースを『妄信』しているであろうカイトは、咄嗟にゴルディの問いにはっきりと答えた。
「アカネの持ってる能力の事だよ。物に触れるとたまに、過去と未来、いずれかの映像や声が聞こえる」
その能力の内容についてカイトが話すと、更に場が騒めき始めた。予想しろ、という方が無理な内容である。その騒めき様は、異様と言うほどでは無いにせよ、かなり大袈裟に見えた。
しかし、当然なのである。一緒にギルドの中で生活しており、そこそこ交流もあった新人探検隊の一匹が、そんな突拍子も無い能力の持ち主などと言うのは、普通は誰も信じない。
キースがその能力の存在を認め、肯定しているからこそ、ここまで場がざわつくのである。アカネは様々な面で不満や不安が押し寄せ、無意識に目を細め、眉間に皺を寄せた。
キースにだって、半ば『仕方なく』という状態で能力の事を打ち明け、周囲に悟られないようにしてきた能力だった。知っているのはカイトのみ。アカネが自身が周囲に知られることをあまり良しとしていないことは、カイトが一番よく分かっており、能力の話に関しては何よりも慎重だった。
キースが現れるまでは。
「……信じられない。何も公表することないじゃない……!」
「いきなりこんな事を言って申し訳ないとは思っています。ですが、刻一刻と時間は進んでいる。考えている時間が我々にはありません」
「ッそれは分かるわよ!でもやり方ってもんがあるでしょ!?せめてっ……」
――――せめて、そんな『異様』な部分を曝け出す覚悟さえ出来ていれば。
この場ではうまく受け止められたかもしれない。
アカネの目が、興奮と共に一瞬赤く光り輝く。この現象は今までほかのメンバーも見たことがある為、気づいていたものの別の場所に意識が集中していた。
周囲には警察関係者、保安官……何故こんなところでいきなり言い出すのか。それに関して、多少カイトは動揺はしているものの、それが非常に『悪い事』だとは考えていない様子である。おそらく、アカネの怒り様に疑問すら抱いているのではないかと見えた。
反抗的な態度を示すアカネであるが、その周囲は違う。皆、アカネに能力を使ってもらうということを心から望んでいた。
今まで探り続けていた道の『壁』に、いきなりヒビが入ったような気がして、思わず目が潤む。既に事は成されてしまっている。今更修正は出来ない。
―――――私が、今までどんな思いでッ……!
「……アカネが使いたくないなら、使わなくてもいいんじゃないのか」
「え、ちょ、リオン?」
突如、アカネに助け船のような物が流れてきた。リオンの声である。いきなりの発言に困惑するステファニーを無視し、淡々と話すリオンは、何かが吹っ切れたかのようにキースに対して挑戦的、かつ、反抗的に話をしていた。思わぬ発言に、アカネもキースも、この場に居る一同が唖然とする。
「大体、アカネの反応見て分かるだろ。はっきり言って、そういう能力があるのって、他人から見れば面白いかもしれんが、本人にとっては『異質』だと思う。そんな自分の異様な部分を、いきなりこんな大勢の前で言いふらされて嬉しいと思う?喜んで協力しようと思えるか?
アカネの言うことは間違ってない。キースさん、貴方はもっとやり方があった筈だ。頭の良い貴方の事だから、どうせ『捜索中に拾った物はあるか』って質問は前もって用意してたんじゃないのか。この会議が始まるまで、アカネと相談する時間はあった筈だ。ノーガードで殴られてるのと同じだよ。
カイト。お前のさっきの発言から察するに、随分前から知ってただろ。お前だって、両親の事で相当気を病んでたんじゃないのか。何で一緒になってアカネを公開処刑なんだよ。意味わからん」
キースは思わぬリオンの反抗に動揺していた。こんな状況の中、彼が異論を唱えることは出来ないと思っていたからである。
動揺しながらも、至極真面目な表情を取り繕い、彼の話を真剣に聞くような態度を見せた。クソ!!足を引っ張るような真似をするな!。内心はそれにつきたものの、まずはアカネを言いくるめる必要があるのである。
しかし、リオンが言っていることも正論に聞こえなくもない。この状況では、浮いているのはリオンの方だが、後々意見が集中するのはキースの方になりそうだからである。
何とかして場を取り繕わなければ。『完璧』に。
「リオン!あまり失礼なことを言うんじゃない!」
「いいえ、その通りです」
リオンの言い草に、ペリーは思わず羽をばたつかせて怒り始めた。しかし、それを制止して、キースは自らの不適切な発言と行動を認めたのだ。その様子を見ているアカネは、怒りも吹き飛んだ様子で何が何だか、という状態に陥っていた。嬉しいような驚いたような、目に膜を張っていた涙は頬を伝い、すっかり乾いていた。
一方、カイトは下を向いたまま、一向に顔を上げない。リオンの指摘が相当響いたのか、うんともすんとも言えなくなっていた。
「リオンさんの言う通りですね。……すいません、私は今まですっきりした顔をしていたかもしれませんが、実はかなり焦っていました。しかし、こんなのは言い訳に過ぎない。
決断を急いでしまい、大事な手順を踏むのを怠ってしまいました。アカネさん、本当に申し訳ありませんでした。せめて、会議の前に話をするべきでしたね。……申し訳ありませんでした」
「いやいやいや、キースさん!何を言っていらっしゃるんです!?大丈夫ですよ、我々は探検隊です!捜索の為なら……」
「そりゃねーよペリーさん、まぁまず探検隊の前に一匹のポケモンだから。意志持ってるから。ペリーさんだって知られたくないことの一つや二つ、三つや四つあるだろ?
キースさんも謝罪してる。まぁ実際謝ってすんだら警察いらないんだけどな!!!ガッハッハッハッハッハァッゲホォッ!!
ン、ン……んじゃ。ま、仕切り直して!会議再開だ。あれだよ、社会の自分の意見を世間にも突きとおしたくて仕方ねぇお偉いさんじゃないんだから。持ちつ持たれつでやろうぜ、な?」
意外なことに、ウインディのドナートがこの場を納めてきた。彼の穏やかな声と、比較的中立な意見でその場はそこそこ静かになる。キースは心から申し訳なさそうな顔をし、周囲の気を引いた。リオンは腕を組みながら、挑発的にキースの方を睨みつけていた。嗚呼、そんなことで自らの『化けの皮』などはがしてなる物かと、キースは演技を続行する。
「アカネさん、もう一度改めてお願いします。『時空の叫び』の力を、貸していただけませんか?」
「……あっしはもう水晶のことはいいでゲス。アカネの好きなように、でゲスよ」
グーテも、先ほどは水晶を渡すことについて否定的だったものの、事情を聞いてすんなりと引き下がり、アカネに意見を託すことにした。
それはそれで困ってしまうのだが、大分落ち着いた。と言うよりかは、逆に混乱して意味が分からなくなっているのかもしれないが、アカネは先ほどのように激しく抵抗することは無い。
もちろん賛成でも無いが、無言だった。無言でグーテに近づくと、ゆっくりと『水晶』をグーテの手から自分の手へと運んだ。
協力するという意思表示である。
―――堂々とばらして欲しくは無かった。カイトもそれに加わったのははっきり言って悲しかった。……でも、ポケモンに多くを求めすぎたかもしれない。大人気ない反応だったとは思う。けれど……。
……嗚呼、きた。気持ち悪い……眩暈。
アカネは不意に体を揺らすと、そのまま地面に座り込んだ。誰かがアカネを支えたが、既に意識は別の場所へ飛んでおり、彼女を支えたのは“誰か”を知る術はない。外見的に、アカネの瞳からは光が失われる。それと同時に、アカネ自身の瞳の中には一筋の閃光が走った。
『……だ……駄目だ…………』
『貰っていくぞ。時の歯車を』
『あれを取っては、絶対に、駄目だッ……!』
青を主体とした小さなポケモンと、緑色のポケモンが対峙していた。緑色のポケモンの背中には、微かにだが火傷のような跡がある。
青いポケモンは地面に伏せ、ただただ憎むように緑色のポケモン―――『盗賊L』を見据えていた。
夢は途切れた。これがアカネが見たすべてである。