番人の“使命”‐131
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―――――日記 ステファニー・ローズ
ねえ、質問の答えになってませんよ。私は、貴方が誰なのかって、それが知りたいだけなんです。名前とか、どんなものが好きでどんなことをしていたのか。
なんで私を殺したいの?それも聞いちゃおうかな。ハリボテって、どういうこと?私は私。ローズ家の娘、ステファニーだよ。
ねえ、もう一回ちゃんと聞きなおすよ。あなたはだれ?この下に書いてみて。
私は本物だ。お前は偽物だ。お前は私の一部と言っていい。嗚呼、それは私が困るな、お前のようなモノの心に耳を傾けていると、私はダメになってしまう。価値が損なわれる。
もう気づいているくせに、何故気づかないふりする?わかっているのだろう、気づいているのだろう。こう思っているのが誰なのか、どこにいるのか、この日記に書きこんでいる者は一体何者なのか。私の姿も見えているのではないか?それは少し段階が速いか。しかし、お前はそこまで私の事が知りたいのか?お前は綻びの間から手が出る程穴だらけだ。私の為にわざわざ作っておいてくれたのかな?嗚呼、感謝しよう。その程度は出来る奴なのだな、お前は。
そうだ、お前はステファニーだ。ステファニー・ローズだ。名前だけ付けられた偽物。中身は空っぽ。何もしなくても色々なものがお前には集まってくる。嗚呼、嘆かわしい。価値が分からない者ばかりが集まる。お前のその才能は私には無かった。ならば、お前を殺せば私が勝者、その力は私が手に入れることが可能なのだろうか。
お前を殺せばお前が手に入る。そこそこ価値のある所だけを吸収してやりたいよ。分かるのか、お前に私の気持ちが。分からないだろうな。それどころか本当は私の事を怖いと思っている。私の事を知らないから怖いと思う。しかしそれも良いことだ。恐怖は支配に成り得るのだから。恐怖の支配はやがて神経や人格をゆがませるというもの。そこから化け物が誕生する。しかし、化け者になる者こそそれぞれの素質が浮き彫りになる。価値の無い者は化け者のままゴミ屑以下となるが、自らを見出すことが可能な者は神にだって成り得る。私はここでは終わらない。私は天により生かされたんだ。紙にだって成り得る資格はある。嗚呼、お前を殺すのが待ち遠しい。だがお前の事を見ていたいと思う、何かを手に入れたところですべてを失わせてみれば、お前はいったいどんな顔をするのか。
質問に答えてよ、貴方は誰?分からないならば言い方を変えます。
あなたに名前はあるの?あなただけの名前が。
私は私だ。お前はお前だ。私はお前よりも価値がある。お前は今すぐ消えていい。それだけだ。それが私の存在だ。
名前はある。しかし、それを言っていいものかと思っているところだ。もう少しお前を泳がせたい。傍観者として見ていたい。どいつから奪おうかと思うとなかなか楽しい。
まぁ、良いだろう。話してやろう。私の名を。
『へケート・ロべリア』以上。自己紹介か、実にくだらない。
* * *
「すさまじい回復力ですね……おはようございます、カイトさん」
カイトは体を起こし、ぼーっとしながらあらぬ方向を見つめていた。丁度、クロッカスが帰省した翌日の七時前である。体を起こした瞬間の様々な部位の、筋肉痛のような痛みは一体何事かと思った。記憶が曖昧、意識が戻ったばかりだった為、頭はかなりボーっとしている。
おはよう、と挨拶をしてきたベルに対して『アカネおはよう』などと口走ってしまう。ベルは内心驚きと共に大笑いしていた。
「……あれ!?アカネじゃない!?」
「嗚呼、無理して動かないで!昨日のこと覚えていますか?『北の砂漠』に行った後、『盗賊L』と対峙したんですよ。それで大けがを……って、そうでも無いんですよね……」
「アカネは!?なんで居ないの!?」
カイトはここがクロッカス共用の部屋だということに気付かず、部屋の中にいるであろうアカネの姿を探した。この部屋にアカネが居ないことを確認した後、少し一時停止して考えている。
そういえば間取りも違うし、なんだか変な薬みたいなのが散らばってるし、これは僕の部屋?と、今更ながらやっと別の部屋だということに思い至ったらしい。ベルの発言から、意識を失う直前の事は思い出せなくとも、なんとなく何があったのかだけは想像がついた。
「盗賊Lは……逃げた?アカネとエムリットは無事?というか、ちゃんと帰ってきたの!?」
「……そう、ですね。でも、二匹のおかげでエムリットさんは無事でした。かなり軽症で、現在ジゴイル保安官に保護されてますよ。
アカネさんは意識が戻って、部屋で爆睡してると思います。と言っても、もう朝礼時間の前なので起きてるかもしれませんが。……立って歩けますか?」
「……そっか。おちおち寝てられないね、起きるよ」
そう言って、カイトはベッドに手をつくとゆっくりと起き上がる。筋肉痛のような痛みはあるものの、どこかを負傷しているような感覚は無かった。実際は包帯に覆われた切り傷だらけなのだが、驚異の回復力。もはや次元が違うレベルで、傷も完全にふさがっていた。
いったいなぜ?ベルはその謎を未だに解き明かせずにいたが、化膿して感染症を引き起こし、更に悪化……という最悪のパターンではなく、むしろ良い方なのだからと、気にしないようにしていた。いずれにしても、悪い話ではないのだから。
「アカネ」
「はい?私はベルですよ?」
「アカネに会わないと……生活リズムが……」
「はい?」
そんなカイトの発言を聞いたベルは、アカネとの関係を冷やかす以前に、『え、何、禁断症状?こわ……』と正直に思った。苦笑いをしつつカイトをさっさと部屋から追い出そうとドアを開けた。彼女は怪談好きながら、こういう展開を望む女性ではない。『じゃあ、またあとで朝礼行くから』と言って、早々にカイトは部屋から出ていく。
確かに彼女は、昨日まで生と死の淵をさまよう彼を見ていた筈だった。そんな彼がたった一日、否、それよりも少ない時間しか過ぎていないのにもかかわらず、光の速さで自らの部屋へと飛び込んで行く。白昼夢を見ているようだった。
「あ……仕込みしないと」
そう言うと、部屋を片付けて早々にベルは部屋を立ち去る。再び、カイトが運び込まれた部屋は空き部屋と化したのである。
一方、自室のドアを開けたカイトは、そっと中を覗き込んだ。空になったベッドの横にもう一つベッドがある。その上にはふわふわとした毛布が、中にボールでも入っているような形で膨らみ、中央にポツンと落っこちている。
毛布の隙間からわずかに見える黄色い、丸いポケモンの尾。珍しく、アカネはまだ眠っていた。カイトとエムリットを連れ帰ったのはおそらくアカネである。せめて自分の足で立つことが出来れば、ここまで疲れさせることも無かったのか。
普段時間にうるさい相棒を見て、ふとそう思った。
朝礼が始まるまであと数分と言うところだろうか。カイトは今日も捜索に行く気満々だったが、一方でアカネを起こしていいのか考える。
多少悩んだ末、カイトはゆっくりとアカネの毛布に手を伸ばした。アカネの状態が気になる以前に、まずは彼女の事を確認して安心したいという気持ちが強い。
手が毛布に触れた瞬間に、その毛布がいきなり飛び上がった。飛び上がったという表現は多少ずれているが、とにかくすさまじい勢いで動いた。
毛布の中身の正体であるアカネは、何らかの気配を感じてガバッと起き上がる。彼女はカイトよりも軽傷だった為、変な痛みは特に伴らないが、そもそもそれが可笑しいということに、当時意識が朦朧としていた彼と彼女も気づくことは無かった。
「うぉ!?」
「……カイト。あ、おはよう……」
寝ぼけた風にアカネはカイトの姿を見止めてそういう。寝ぼけているがゆえに、『いつも通り』だと思って声をかけたものの、『おはよう』というカイトの声を聞いて、アカネは半ば覚醒した。
「あんた、なんで起きてんの!?」
「え、だって……え?」
ベルと同じく、包帯の上からではあるがボロボロな状態のカイトを確認したアカネは、驚いて目を見開く。その様子を見て、カイトは心底アカネが驚いているということを確認した。自分の状態がよくわかっていない彼は、いったいなんでそんなに驚いているのかという心境である。
グルグル巻きだった包帯は、ベルやアリーナの判断によって、見えない程度まで隠されているくらいである。アカネにとっては、なんでそんなに包帯が減っているの?ということになり、カイトにとってはどうしてそんなに驚いているのか、ということになるのだ。
「……実際そんなにひどくなかったのかしら……ま、いいわ」
「何のことか分かんないけど、アカネは変な怪我とかない?もう動けるの?」
「私はもう動ける。包帯もほとんど取れてるし。変よね、昨日の事なのに」
アカネがここで多少思った。『盗賊L』との戦いは、かなりの激戦だったはずだが、カイトもほぼ何ともない、と自分で言っている。昨日のことは少し大袈裟だったのかもしれないと思った。
「アカネ、運んでくれたんでしょ?変な手間かけさせてごめん」
「んなことどうでもいいの。私なんてほぼ手も足も出なかった……そう思うとあんたはすごいよ」
「……僕もそんな感じだったような?」
「覚えてないの?」
あの時の戦闘の事を、カイトはよく覚えていない。一方、アカネはぼんやりとだが覚えていた。一瞬でも『盗賊L』を動揺させたカイトの攻撃を。しかし、カイトが覚えていないのは仕方がないかもしれない。アカネは軽くその話題を流した。
朝礼の時間が近い。二匹とも寝込んでいようとも、習慣的にこの時間帯に起きたのだから、朝礼に出た方が良いだろう。
ギルドの皆に心配をかけたかもしれない。そう思いながら、二匹は朝礼へと足を運んだ。
クロッカスの二匹が朝礼場に到着すると、二匹にとっては大したことでもないのに、と思うほどの空騒ぎ状態であった。二匹は一応、お尋ね者の捕獲に失敗してしまった身である。にもかかわらず、それを咎めよう者は誰もいない。二匹は、ギルドメンバーたちに囲まれ、泣かれたり『よかった!』と笑われたりしていた。(泣いていたのはほぼグーテ)
今回の朝礼はいつもとは違い、その場に二匹の見覚えのないポケモンたちも多数参加していた。ギルドメンバーではない筈のシャロットやキース、ジゴイル保安官、チームブレイヴとシャロット以外はあったことが無いであろうウインディも参加している。
そのウインディをみて、ふとカイトが『あ』と声を上げた。どうやら覚えがある相手のようである。いずれにしてもよくわからないアカネは、そんなカイトの反応を気にしつつもスルーした。
この日、朝礼では『会議』のようなものが行われていた。朝早い時間から多数のポケモンがギルドに足を運び、『時の歯車事件』の捜査についての見通しを立てていたのである。
しかしながら、不運なことに時の歯車が存在するうち、『北の砂漠』では、探検隊クロッカスと『盗賊L』が鉢合わせてしまったために失敗に終わった。そして、『東の森』『水晶の洞窟』の両者からは、時の歯車は発見されていない。
この『北の砂漠』『東の森』『水晶の洞窟』を指定したキースは、そのうちの『北の砂漠』と『水晶の洞窟』には時の歯車が存在することをもとより知っていた。そのため、水晶洞窟の件については探検隊の力不足と踏んでおり、表面に出すことは無くとも多少の苛立ちを覚えていた。
その上、キースの『悪巧み』は失敗に終わっている。アカネとカイトはどちらも死亡することなくギルドへと帰省し、凄まじい回復力で朝礼に参加。『盗賊L』ことルーファスには時の歯車を盗られ逃げられる。唯一の救いは、ルーファスがアカネの事を自らの『仲間』だと感づかなかったことである。
しかし、水晶の洞窟には時の歯車が無い、と認識されかけている。このままでは事をうまく運ぶことは難しい。
「……えー、それでは。朝礼兼ね、『時の歯車事件』について、警察と我らギルドの合同会議を始める。
まず、朝早くからいろんな方々にわざわざギルドまで足を運んでいただいている。
今回、我々の捜査において『ブレイン』的立ち位置にあたるキースさん。彼の予感は見事的中し、『北の砂漠』に時の歯車が存在した。彼はかなり信用に値するだろう。宜しくお願いしますよ、キースさん♪」
ペリーはキースになにやら酔っているようである。キースに話しかける際、かなりの猫撫で声に代わっているのだ。合コンで目立ちたいみたいな雰囲気が非常に強い。
「そして、皆もよく知っているジゴイル保安官。そこのシャロットには、申し出によって任意で参加してもらっている。
そして、チームブレイヴとシャロット以外には初見であろう、ウインディのドナート・ウィルシャン警部補だ。現在、警察は様々な方向から捜査を進めている。その中の一つを指揮している方だ。ジゴイル保安官と警察では多少種類が違う。そのため、代表としてここにお越しいただいたのだ」
「よぉ!よろしく!もっと偉いやつが来るべきなんだけど、俺が来ちまった!よろしくなー!
短い間か長い間か、世話になる!ハッハッハァ!!」
明らかに一匹だけテンションが違うのだが、異常に厳格なポケモンよりかはマシだろうと皆判断し、『よろしくお願いします〜』と、弱弱しく彼に向かって言った。
口調がいろんな意味で固すぎるジゴイル保安官と対な感じでいいではないか、と思うが、極端すぎると思った者は少なくはない。
「えー。じゃあまずここからバトンタッチで、俺喋ります。
まず、警察は様々な方面から事件を調べていると言いました。まぁ穴だらけと言ったらそうかもしれないけど。
『盗賊L』については、ほとんど情報が無いに等しい。種族が割れているにも関わらず、まったくと言っていいほどこの地域での情報が無いんだよなぁ。それはいいとして。
現在の状況を確認したいと思う。皆が分かる範囲で説明するから、よーく聞いてくれー。
キースさんの提案によって、『北の砂漠』『東の森』『水晶の洞窟』が、奴が現れるであろう可能性が一番高い『時の歯車』が存在する場所に絞られたわけだが、そのうち『北の砂漠』には時の歯車が存在したのを、チームクロッカスが連れ帰ったエムリットが証言している。ユクシーともはっきりとした交流、面識があり、彼女の発言は極めて信憑性が高いことがうかがえる。
しかし、北の砂漠方面に存在した時の歯車は、運悪く鉢合わせてしまった『盗賊L』によって奪われた。ここまではいいな?
当然、時の歯車を失った地域の時は止まる。現在『北の砂漠』の内部は完全に時が停止し、定評のある激しい砂嵐は宙で固まったままだ。ポケモンたちも動き出すことは無く、完全に石と化したように停止している。
時の停止に飲み込まれるのを免れた者達は、移住を余儀なくされた。
ここまでが現在はっきりしていることだ。そして、次に警察の動きをなんとなくでいいので認識していただきたい。
我々警察は、まず時の歯車が存在していた四か所の周辺の聞き込みに回り、同種族のポケモンやその血縁を片っ端から当たっているところだ。更に、討伐依頼には新しい特徴として、『探検隊との戦闘により背中に火傷を負っている可能性がある』という項目を追加した。後で確認してほしい。
そして、俺の指揮する場所とはまた違う部分では、マフィアや闇取引を行っている会社などを徹底的に当たっている。簡単な事ではないので、これにはかなりの時間を有することになるだろう。
『時の歯車』は、この世界にとっていわば心臓と言われている節がある。それが今回『盗賊L』によって盗まれた。時の歯車という心臓が何者かによって破壊されれば、時の流れが再び正常になるという見込みはかなり少ない。つまり、『時の歯車』は、使い方によっては人質、爆弾に成り得るということだ。
普段息を殺して生活している裏社会のポケモンたちにとっては決して悪いもんじゃない。今回の事件を受けて、のどから手が出る程欲しいポケモンもいる可能性が高いんだよな。そんな奴らとのやり取りが無いか、調べに当たっているというわけだ。とりあえず、以上。何か質問がある奴いるか〜?」
これだけ長くしゃべっても、皆真剣である。誰一人として眠そうな顔をする者はいない。否、パトラスは目を開けたまま寝ているかもしれないし、ドナートは何か声に覇気がない。しかし安心してほしい。ギルドメンバーたちは本気である。
「えっと、ハイ!ドナートさん!」
「おぉ、シャロットちゃん!何だい?」
「警察の動きはなんとなくわかりました。あたし達は引き続き、時の歯車の捜索、同時に『盗賊L』の捕獲に当たるという事になっています。しかし、これからのあたし達の動きには多少不安な点がいくつか。まったく目途が立ってないから、でしょうか。
ちょっと提案させてほしいんですけど……『北の砂漠』には、時の歯車が存在しました。そして、エムリットは現在ジゴイル保安官に保護されいます。エムリットの話では、ユクシーと面識、交流があり、彼女は必然的に『霧の湖』に歯車があることを知っていたことになるんです。他に歯車が存在するのなら、彼女が知っているんじゃないかな、って」
シャロットの提案に、皆『おお』と声を上げた。確かにそのとおりである。しかし、ドナートは軽く首を横に振ると、『俺達もそれは考えたんだ』と、残念そうに言葉にした。
『その件は私から』と、キースはドナートの話を受け継ぐ要領で、少し前へと出た。
「シャロットさんの話のとおり、確かにユクシーとエムリットには面識がありました。しかし、彼女は知らなかったのです。ユクシーが自らと同じく、時の歯車の番人であるということ以外は。
それぞれの番人が知っているのは、自分の持ち場のみ。その持ち場をほのめかすようなことでも、相手が番人であっても他者に喋ってはならず、また、自らも知ることを許されない。それが番人の掟なのだそうです。番人とて万能ではありません。もし番人がうっかりと口を滑らせ、『あそこにも時の歯車がある』などと話してしまっては、ある意味番人である意味がない。
番人には絶対的な守秘義務が課せられている。エムリットが霧の湖の話を我々にしたのは、もうそこに時の歯車が存在していないことが世間に広まっており、また、守るべき主君である『時の歯車』を失ったユクシーが、初めて口にしたからこそだったのです」
キースは淡々と事実を説明する。シャロットは「そうなんだ」と、半ば落ち込んだような表情になり、ほかのメンバーたちも希望が途切れたことで、先ほどまでの覇気を失った。
穏やかに、真剣に話しているキースは、そんなポケモンたちの様子を見て、なんとも言えない怒りに襲われていた。
嗚呼、無能共め。
喉でつっかえたような言葉を、無理やり腹の中へと押し戻した。