束の間の“摩訶不思議”‐130
* * *
「冷たい……」
ベルはカイトの腕に触った後、小さくそう呟いた。腕が短い為あまり大きな処置は出来ないが、できる限り傷は消毒し、回復効果のある果物の果汁などで湿らせたガーゼを当て、傷を塞ぐ。トレジャータウンで、卵の育て屋を営んでいるラッキー。彼女は傷の治療に関する知識にも携わっているという話を聞いた。準備を終えてここに辿り着くのはいつごろか。あまり体を動かしたく無い為、できる限りここで大雑把なことは行いたい。
しかし、カイトの体は炎タイプのポケモンとは思えないほどに冷たい。こころなしか尻尾の炎も弱まっているような気がしてならない。傷の治療に加え、ベル自身の能力である『癒しの鈴』のヒーリング効果でどうにか体力を回復させようとするが、うまくいかないのである。
使いすぎるとベル自身の体力消耗にも繋がり、下手に使用することは出来ない。
「……ねぇ」
「すいません、ちょっと今忙し……ん?」
カイトの腕に包帯を巻こうと四苦八苦していた時、ベルの背後から覚えのある声が淡々と響いた。ベルは思わず包帯を落として振り返る。
「あ、アカネさん?」
暫くは意識が戻らないであろう、意識が戻ったとしても暫くは傷の所為で動くこともままならないと踏んでいた相手、アカネが部屋の前に立っていたのである。
ベルは目を疑った。アカネの意識ははっきりしており、壁に手をつくことなく自分の力で平然と部屋の前に立っているのだ。アカネはベッドの上に寝たまま目を覚まさないカイトの方をのぞき込むようにして部屋に首を突っ込んでいる。
驚きと同時に、額に冷や汗が伝った。傷を塞ぐ処置をしたばかりだ。ここまで歩いてきたのなら、どこかしら傷が開いている可能性がある。あまり深く無いにしても、感染症などが怖い。
「あ、アカネさん、部屋に戻ってください!絶対安静です!」
「こんなん別に何ともないし……」
「何ともないわけありません!だって……」
処置をしたのはベル自身だからである。
融通の利かない(?)ベルに対し、アカネは反抗するように首元に巻かれた包帯を取り始めた。ルーファスに首をつかみあげられた時の傷である。
「何してるんです……!?」
「ほら」
するり、と包帯を取ると、そこにはうっすらとした傷跡だけが残っている。あれ?と、ベルは思わず首をかしげる。確かこんなものではなかったはずなのに、どうなっているのだろうか、と。
「私はもう大丈夫だから。続けて」
「続けてって……え、あ……ハイ……」
もう自分が大袈裟だったのではないかと言う気までしてきていた。再びカイトに意識を集中させ、彼の腕に薬を付けて湿らせたガーゼと包帯を当てる。そろそろラッキーが来てもおかしくない頃だった。
「アカネさん、部屋に戻ってくださいね。この先何があるかわかりませんから。
少し出てきます」
ベルはカイトの体にある切り傷などに、一通り包帯を巻くと、ラッキーを呼びに行く為にいったん部屋の外に出た。
取り残されたアカネは、何やら複雑な心境に陥っていた。ぐったりと寝込んだカイトは依然目を覚ましそうにない。先ほどからベルの処置をみていたが、相当深い傷もあるように見えた。
尻尾の先に燃える炎は以前弱いままである。そこから特に変わりは無く、本当に危ないのではないかと正直不安にもなっていた。
ちょん、と。尻尾の炎、その手前辺りに触れてみた。短い体毛が手にチクチクと刺さってくる。痛い。
しかし、冷たいな、と。触った瞬間、感覚的にそう思った。尻尾の炎に近い筈なのに、手をぴったりと付けても熱いとは感じない。
普段からカイトの尻尾の炎はそこまで気になったことが無いが、今回ばかりはそればかりを気にしていた。ヒトカゲの尾の炎が燃え尽きるときが、ヒトカゲの命が消えるときなのだから。
息は浅い。どことなく表情が苦しそうである。しかし、自分にできることは何も無く、また、何をしようとも思わなかった。下手に手を出せばベルの足を引っ張る。無責任なことは出来ない。けれど、と思い、試しに声をかけてみることにした。
「ちょっと」
腹部や腕のあたりで包帯の巻かれて無い所を探すと、そこをゆっくりとさすりながら声をかけてみる。物語などだと、こうすると眠っている者は目を覚ますのである。しかし、そんな都合の良いことは起きる筈も無く、依然眠ったまま。瞼は全くと言っていいほど動かず、指先もぴくりともしない。
「……駄目か。ま、そうよね」
アカネがゆっくりと手を離す。廊下から足音が聞こえた。どうやらベルともう一匹、地に足のついた誰かがこの部屋に来るようである。小さくため息をつくと、部屋のドアの方へと足を向けた。
出入り口へと向かうと、ちょうどドアが開いてベルともう一匹、大きな桃色のポケモンが部屋の中へと入ってくる。種族はラッキー。ベルがギルドへと呼んでいたポケモンである。
アカネはそのラッキーに見覚えがあった。確か、トレジャータウンで商売をしているのを何度か見かけたことがある。長期にわたり休業していたようだが、最近また店の運営を再開したようだった。
「アカネさん、今からアリーナさんに見てもらいます。後でアカネさんも診ますから、部屋に居てくださいね」
ラッキーの名はアリーナというようである。腹部の袋に大きな卵のようなものをしょい込んだそのポケモンは、「よろしく」と言って穏やかに笑った。女性だ。
「……どうも」
頭を軽く下げると、早々に部屋を出ていく。朝礼場によろうかとも考えたが、今はあまり複雑なことを考えたくなかった。アカネはクロッカス共用の部屋へと直行し、ベルの言った通りにしばらく横になっていることにする。
そんなアカネを部屋から見送ると、ベルとアリーナはさっそく作業に取り掛かろうとした。アリーナの医療用の薬などを詰め込んだバッグを開き、ベルが怪我の状態を説明する。
「……というわけです」
「なるほどね!……あら、ん〜?でも……嗚呼、とりあえず傷の状態を確認してみましょ。包帯一度とっていいかしら?」
「構いません」
そう言って、アリーナはまずカイトの傷の状況を確かめる為、一番酷いと言われた腹部の左側の傷に注目しようとし、ゆっくりと包帯を外していた。ベルはその様子を見ながら、どうか回復の見込みがある様にと思い続ける。アリーナは包帯を全て外し、傷の部分をまじまじと見た。
「……あら、やっぱり……ベルさん、言うほど……というか、あまり酷い怪我じゃありませんよ?」
「えっ!?」
ベルは驚いた表情で慌ててカイトの傷をのぞき込む。うっすらと切られたような跡が腹部に残っているだけである。ガーゼの裏側には明らかに血液らしきものが付着しているにも関わらず、傷の周りが多少血で汚れているのみ。軽くナイフのようなもので切ったような跡以外、そこにグロテスクな光景は無かった。
「お、おかしいなぁ……」
よく見れば、呼吸も安定している。尻尾の炎は気が付けばほぼ元の火力に戻っていた。あれ、あれれ?と、ベルは首をかしげる。何が何だかよくわからない。
「他のところも診ても?」
「どうぞどうぞ!」
まさか、ほかの患部もすべてこんな状態なのでは……と、ベルは思いながらアリーナの包帯を巻き取る仕草を観察していた。
結果はドンピシャである。ほとんどの傷が、ベルが見た時よりも明らかに薄くなり、ガーゼや包帯には意味が分からない血痕だけがべったりと付着していた。良くなっている?しかし、何故?
「これなら心配いりません。一週間くらいで綺麗に治りますよ。あとは意識がちゃんと戻ってくれるかの問題です。頭部に異常……骨も折れている様子は……うん。ありません」
ラッキーと言う種族は、元々治癒能力が備わっている。その力を使い、患部の様子や体の調子を感覚的に見ているのだ。ベルはそこまで特殊な力は持っていないため、アリーナに心底感心していた。
「……でも、おかしいですね。私が見た時、確かに傷の状態はかなり悪かったんですけれど……」
「でも、特にこれといった異常はありません。悪い方じゃなくていい方なら、それはそれで良いじゃないですか?ふふ、体温も大体平均です。意識が戻らないうちは、冷やさないよう気を付けてください」
「……ええ、そうですね!体調良い方が良いに決まってますよね」
アリーナに言われて、ベルは疑問を抱えつつ、良い方向へと意識を巡らせた。アカネもカイトも、異常、というよりかは次元が違うレベルで傷の治りが速い。どうしてか……それはいったん、頭の隅に封じることにする。
一応アカネも診てもらいたいとアリーナに頼み、アカネの診察も無事に終える。結果はほとんど二匹には何の以上も無かった。怪我は一週間ほどで治るものとされ、既に意識が戻っているアカネは今日一日の安静を言い渡される。
元の傷の状態を知らなかったアリーナは、何の違和感も持つことなく安心して帰っていった。一方で、安心はしているものの、やはり疑問を抱え続けるベルは、アリーナの後姿を見て再び首を傾げた。
「……どうしてでしょうか……」
とにかく、心配していた皆にはいい報告が出来そうだ。
ちりりん、と鈴を鳴らすと、ギルドの中へと戻っていった。
* * *
「……っぅ……」
とある森の洞窟の奥、一匹のジュプトルが岩の上に腰かけると、背中の火傷を指先で確認し、顔を歪ませる。
ジュプトルの名をルーファスと言う。今回の『時の歯車事件』の犯人、『盗賊L』として追われているポケモンだ。
今まで身を潜めていたものの、『霧の湖』にてユクシーに顔が割れ、そのとたんに噂が一気に広がった。最初から下手に出歩くようなことはしなかったものの、よほどではない限りポケモンたちの目につくような場所に行くことは無い。ほぼ行動を制限されている状態だった。
火傷に効果がある『チーゴの実』の果汁を背中に垂らし、自らもチーゴの実を齧る。自分ではよく見えないため、いったいどんな状態の火傷かは知らないが、明らかに跡がついている感じである。
洞窟の中に水を運び込み、隙間の少ない袋に入れてゆっくりと火傷を冷やしていた。何かに触れるたびに、針で絶えず突き刺されているような痛みが走る。外見的に分かってしまう傷である。それが火傷だなんて、面倒だ。
ルーファスは既に四つ目の時の歯車を手に入れていた。彼が求めている時の歯車は『五つ』なのである。つまり、かなり順調に手に入れているかのように覚えた。四つ目の時の歯車。『地底の湖』で発見した時の歯車を手に入れる際、今までで一番の邪魔者が発生した。その邪魔者が、彼の背中に火傷を負わせたのである。
エムリットが番人として存在している……これは、ルーファスにとっては承知の事。しかし、一方で二匹、探検隊らしきポケモンたちが彼の前に立ちふさがった。
一匹はメスのピカチュウ、もう一匹はヒトカゲである。はっきり言って、霧の湖の『グラードン』よりも面倒な相手だったと、今にしてみれば感じていた。
ピカチュウの電撃は、タイプ相性がお互い良いと言えないにもかかわらず、かなり体を傷めつけた。しかし、ピカチュウはそこまで苦労しなかったのだ。
……ただ、あのヒトカゲは何とも言えない。ルーファスに火傷を負わせた本人である。
特性『猛火』が発動したのは分かったが、そこからの事を言うならば、はっきり言ってルーファスは恐怖を感じていた。
……理性を失い、狂ったポケモンなど死ぬほど見てきた。しかし、あのヒトカゲだけは違った。妙な……背筋がぞっとするような、狂気的な雰囲気を感じた。はっきり言って、もう一度彼の技をまともに喰らっていたら、火傷程度で済んだかどうか謎である。
面倒なポケモンにたまたま当たってしまった。しかし、ヒトカゲにも悪意があったわけではない。……ルーファスの一番強力な技『リーフストーム』を直撃させてしまった。ハッキリ言って、あそこまでモロに食らったら死んでもおかしくない。……大丈夫だろうか。
この世界の『悪役』という立場ながら、そんなことを考えている大悪党の盗賊。彼は目を細め、どこかに消えてしまった何らかの思い出に浸りながら、火傷の傷が癒えるのをただただ待ち続ける。
『盗賊L』が悪
『箒星の探検家』が正義
その認識が改められるとき、世の中の『悪』と『正義』がひっくり返るのである。