水のフロート‐117
とある晩、パトラスのギルドの前に三匹の影が佇む。松明の炎が揺れると同時に、その影も揺らめいた。光はその姿を微かに映し出す。しかし、ギルドの者は気づかない。
「あ、アニキぃ……見事にやられちまいましたね……」
その中の一匹、ズバットのエターは苦々しく怯えた顔をしながらギルドの方を見ていた。グロムはそんな彼の様子を見て『ふん』と鼻を鳴らす。
「……ムカつく野郎だったが、実力があるのは確かなようだ。参ったぜ。クククッ。
ただ、このままじゃ気が収まらん。何とか一泡吹かせてやりてぇが、相手があのパトラスじゃどうしようもねぇな」
「ケケッ。どうにか仕返しできないもんですかねぇ」
クモロはグロムの言葉に合わせるように答えた。エターの怯え方は彼らにとっては大袈裟なものに見えたが、実際はクモロやグロムが撃たれ強すぎるだけなのである。
「……へ、へへッ!こうなりゃ腹いせだ。パトラスの代わりにクロッカスにでも仕返しできりゃ……」
「嗚呼、そりゃいいな。名案だよ、エター。作戦練るぞ、お前ら」
くだらない会話をすると、チーム『ドクローズ』は自らの『アジト』と称す家に帰っていく。ギルドの屋根の上で寝ているペリーは、爆睡中の為に気づかない。
夜が明けるのは、まだ少し先である。
* * *
『地面がいつか陥没するから、本を減らしてくれ 頼むから マジで
アドレーより』
そんな張り紙を、リオンは披露し切った顔つきで見つめていた。チーム『ブレイヴ』の部屋の前にドン!と貼ってあったその張り紙は、ダグトリオのアドレーによるものだった。地面に直接『刺さってる』感じの彼は、前々からブレイヴの部屋が大量の本で埋め尽くされているため、いつか床が陥没するのではないかと危険信号を発していたのだ。
リオンも初めていわれたころは『ンな馬鹿な』と思っていたが、最近の本の量を見て思っていた。これ、総重量何キロぐらいなんだろうな……と。
「あいつ……遠征前からコツコツ増やしてたな……」
遠征が終わって三日。リオンは、先ほど自分の個ポケスペースの棚に隠していたヘソクリが無くなっていたことに気づいた。無垢な顔したイーブイながら、とんでもない女である。
とにかく、リオンは思っていた。今度こそ部屋にある本の三分の一でも、処分させるか図書館に寄付するかさせよう、と。腹を括り、勢いをつけてパァン、とドアをあけ放った。
「ステフィ!今回は見逃さないからな!いい加減…………ほん、を……?」
リオンの視界に飛び込んできたのは、目を疑うような光景だった。
ステファニーが大量の本を不要な箱に入れたり、紐でどうにかこうにか結んだり頑張っていた。至極真剣な顔をして作業をしており、リオンの声に気づいたのはその五秒後位後だっただろうか。ステファニーはきょとんとした顔でリオンに『おかえり』というと、また作業を続けようと、口や足を使って紐を結う。
「……お、おい。お前、何してるんだ?」
「なに、って。捨てるんだよ。綺麗な本は寄付するけどね〜」
「す、捨てる?寄付?本を?お前が?え、な、なんで?」
思ってもいなかった光景に、リオンは激しく動揺し、自分の目がおかしいのではないかと疑った。
目の前にいるイーブイは、つい二日ほど前には、部屋が本で一杯になったらリオンを叩き出すとかなんとか言っていた女である。こんなにあっさり?今まで一冊も手放したことが無いじゃないか。
本を捨ててほしいという、今まで貫いてきた意に背いて、リオンの気分は不満や疑問で一杯だった。そしてそれ以上に、どこかショックだった。
「なんで……って。捨ててって言ったのはリオンだよ。
それに、確かに多すぎるなって。最近……って言っても、遠征終わってからなんか、本の羅列見てると目がチカチカしちゃって。目の健康の為にも、ってね」
「……そうなのか?え、じゃあ無くなったヘソクリ……」
「ヘソクリ?私知らないよ。あ、棚の下にでも入り込んでるんじゃない?変な場所隠すから、もう〜」
「そもそもなんで場所知ってんだ……」
「何度も悩みました……手を出そうか出すまいか……」
「出さなかったのは良い判断だ!あと、アレはお前が使いまくるからこっそり溜めてたんだからな」
ステファニーを横目に見ながら、リオンは棚の下を目を細めてみてみると、異物がある。ポケの入った袋だ。本当にリオンの見落としだったらしい。
そういえば、と彼は思い返す。一昨日、本を買うとしつこかった割には銀行からポケを引き出さず、結局買った本を自慢してくることも無かった。
遠征から帰ってから、買ってないのか?今初めて気づいた事実であった。
「リオンは手使いやすいんだから、ちょっと手伝って!これとこれとこれ、紐で結ってほしいの」
「……ほんとに捨てるのか?」
「はは、どうしたの?」
「いや、禁断症状で爆買いとかされたら怖いなって……」
「大丈夫!絶対しないから〜」
リオンは誤魔化しつつも、違和感がどこまでも付き纏うことに不快感を感じていた。本の中の三分の二ほどを何れかの形で処分するつもりらしいが、どうして?疑問が頭を何度も繰り返し過る。
どうして、禁断症状が無いと言い切れるのかも不思議で仕方ない。しかし、今回思い切っただけなのかもしれない。ステファニーは褒めてもらえると思ってやってるかもしれないし、リオンは下手なことを言えなかった。
「ま、まぁ。思い切ったな。うん、偉い偉い」
「えへへ。なんか思い切れたっていうか……最近ずっと字を見てるのがつらくて……前みたいに感情移入、できないんだよね」
声色はとても寂しそうに聞こえた。リオンはステファニーの顔をふと覗き込んだ。
声は寂しそうなのに、何故だろう。表情はなんだか、憂いと喜びが入り混じったような顔をしていた。
リオンはほんの一瞬、咄嗟に思った事を、喉の奥で危機一髪抑え込んだ。
『お前は誰だ?』
……一瞬でもそう感じたのは、きっと気のせいである。
* * *
遠征が終わって四日目の朝、ギルドメンバーたちは朝礼を終えると、一斉にそれぞれの持ち場へと散らばって行った。全員、ユクシーとの約束を守り、『霧の湖』にある真実は誰にも明かしていないようだ。
そんな中、チームクロッカスも、いつも通り仕事に出かけようと、お尋ね者ポスターや掲示板のあるフロアへと向かおうと足を向けていた。
「おい、クロッカス。ちょっと待ってくれ」
そんな中、遠征が終わって一日目と同様にペリーに声を掛けられる。これは何かの使い走りパターンだな、と思いつつ、二匹は迷惑そうに眉間に軽く皺をよせながらペリーの方へと向かう。
「今日の仕事の前に、頼みたいことが……って、そんなあからさまに嫌そうな顔するな!」
「……ロクな事ないのよね。色々」
ペリーに小言を言うアカネをカイトは軽く宥めながら、『頼み事って?』と、手早く要件を済ませようと口を出した。ペリーも慣れてしまったもので、アカネの小言に多少不満そうな顔をしながらも、さっさとカイトの問いに答える。
「嗚呼。ちょっとした事なんだが、カクレオン商店に行って、セカイイチの入荷予定を聞いてきてほしいんだ」
「セカイイチ……あのでかいリンゴね」
「つまり、カクレオン商店でセカイイチを売り出す予定があるかどうか聞くだけでいいってこと?」
「そうだ。ギルドの倉庫にはたくさんのセカイイチが保管されている……筈なのだが。
ちょーっと目を離すと、すぐに親方様が手を出してしまうために、直ぐに不足してしまう。セカイイチが無くなると親方様はいろいろ……だし。
一々リンゴの森に行くのも手がかかる」
ペリーは苦々しい顔をしながら話した。まぁ、意味は分かる。
「それで、カクレオンの店で売ってれば手っ取り早く買ってしまおうと?」
「その通りだ♪」
「……ま、そのくらいなら構わないけど。私たちも用があるから、ついでにカクレオン商店利用していいわね?」
「……ウッ。ま、まぁ……道草を認めるのはあれだが……良しとする」
ペリーに要件を聞くと、二匹はギルドを出てカクレオン商店へと向かった。とレジャータウンはいつものように賑わっているが、どこか皆そわそわしたような雰囲気があった。どこもかしこも『キース』という名前が飛び交っている。嗚呼、あの有名ポケモン。と、二匹はすぐに理解した。
「あれの、何がいいのか分かんないんだけど」
「でも、紳士的で礼儀正しくて、おまけに実力もあるんでしょ?確かに憧れるなぁ、って思うよ」
「ふぅん……どうでもいいけど」
会話をしながらカクレオン商店へと足を運ぶ。その手前までくると、店の前でなにやらカクレオンの二匹と、もう一匹のポケモンがなにやら話し込んでいるようだった。
目的のためにその場へ近づくと、カクレオン二匹、イゴルとラゴニのほかにもう一匹、ヨノワールのキースが話をしているのをはっきりと確認する。カイトが『あ』と小さく声を上げると、キースは視線とその声に気づき、二匹の方へと振り返った。
「おお!あなた達は確か、ギルドの……」
「あ……うん。僕たちはチームクロッカス。パトラスのギルドで働いてるんだ。
えーと。よろしく!」
「……どうも」
カイトがチーム名を名乗ったため、アカネもとりあえず軽く頭を下げた。キースは微笑む。
(……クロッカス……?……まぁ、ありがちな名前だ。関係ないだろう)
キースは内心ぶっきらぼうな口調に戻りつつ、『こちらこそ』と、穏やかに短く返した。
「えっと、ところで、キースさんは何を?買い物?」
やたら何かを聞きたがるカイトに対し、アカネは呆れたように目を細める。そして同時に、話し相手を取られたことで恨めしそうにしている、カクレオンの兄の方、イゴルに気づいて、微かに目を細めた。
「いえいえ、少しおしゃべりしていただけですよ」
「私が呼び止めたんです!!私が。
ほら、キースさんて有名じゃないですか。色々話をしたいな、と思いまして。……そしたらもう、ビックリ!キースさんって、実に多種多様な事を知っていらっしゃる!もう感激ですよ♪」
いきなり会話に割り込んできたイゴルは、多少自己主張をはさみながらキースのことを上げまくる。カイトとアカネはそんな彼に苦笑いをすると、再び視線をキースに戻した。
「そっか。皆噂してたけど、やっぱり物知りなんだね。有名探検家となれば、やっぱり知識も並みじゃダメってことか……」
「まず技のレパートリーを増やして欲しいんだけど?」
「でも最近大活躍だよ。竜の怒り」
「ちょっとちょっと。ところで、カイトさん達はどうしたんです?もしかして、何か買いにいらっしゃった……!?ワクワクウヒョー!!」
「あ、そ、そう。とりあえず縛り玉貰える?」
「ハイハイ!ハイハイ!」
アカネは金銭を支払うと、縛り玉を受け取る。いつも思うのだが、カクレオン商店はやたら高いのだ。こういうのは如何なものか。と、アカネは眉間に皺をよせながらバッグに縛り玉を放り込む。
「まぁ買い物はついでなんだけどさ、聞きたいことがあるんだ。
実は…………」
これこれこうで、こうなって、こうなんだ、と。カイトはセカイイチの入荷予定を聞きたい理由をカクレオン二匹に話した。イゴルとラゴニはどちらも困った顔で首をかしげると、申し訳なさそうにカイトに返事をする。
「申し訳ありませんね〜……うちの店で世界一の入荷予定は今のところないんですよ〜」
「あー……そうなんだ」
「まぁ、理由も話したから一応、これリクエストってことで。店に並べれるようなら並べてくれると嬉しいんだけど」
「セカイイチは手に入りにくいものですから、取引も大変でして……。もしも入荷したらギルドの方にお知らせします!本当にすいません……」
ペリーが聞いたらがっかりするだろうな、とカイトは思い、そしてアカネの方は、報告者である自分たちに何かケチをつけてくるのではないかと危惧していた。ペリーに対する認識の違いがうかがえる。
「……じゃ、聞きたいことは聞いたし。そろそろ帰るよ。モタモタしてるとペリーに嫌味言われるじゃない」
「てか、既に悪口だよそれー」
「ギルドにおかえりになるのなら、ペリーさんに今後ともよろしくお願いしますとお伝えいただければ……」
「ま、忘れてなかったらね」
「失礼だよ!な、なんかすいません……」
会話を一通り終えると、アカネとカイトは身を翻してギルド方面へと戻ろうと踏み出した。しかし、カイトは身を翻す前に何かに気づいて『あ』と、小さく声を出す。
「カイト、何?」
「あの二匹ってマリとルリマじゃないかな」
「マリとルリマ……嗚呼、あの子達」
向かい側の道から幼いルリリの少女と、その兄であろうマリルが足早にこちらへと向かってくる。チームクロッカスが、初めて自分たちの力だけで捕獲したお尋ね者が絡んでいる誘拐事件にかかわった兄妹である。後ろから、カクレオン商店の店主たちがその子供たちの名を呼ぶ声が聞こえた。
「マリ、速く!」
「わわ、お兄ちゃんまってよ!」
慌ただしく向かってくるマリとルリマの兄弟を、非常に『温かい目』で見守っているイゴルとラゴニは、二匹して大きく手を振った。
「お、マリちゃんにルリマちゃん!」
「あ、イゴルさんとラゴニさんだ!こんにちはです!」
「クロッカスさんもお久しぶりです!」
随分慌てた様子で汗を流している二匹に対し、不思議に思ったカイトは柔らかい声色で二匹に尋ねた。
「どうしてそんなに急いでるんだい?」
「あ、えっとですね、僕たち、ずっと失くしてしまっていたものがありまして、今まで探していたんですが……」
「……落とし物、って。前に探してるっていってたやつでしょ?まだ見つかってなかったのね」
「そうです。まだ手元になくて……『水のフロート』って道具なんです」
キースはその道具の名前を聞いて、少し驚いたような表情を見せた。そんなに貴重なものを子供が持っているなんて、と。内心思いながら、彼はルリマに言った。
「水のフロート。それはまた、随分貴重な物ですね」
「はい。ですので、僕たちもずっと探していたんですが……」
「そしたら、今日海岸で水のフロートが落ちてるのを見た、って誰かが言ってて!」
「なので、これから急いで海岸へ」
「そっか。見つかったのならよかったよ」
「はい!さぁ、行こうかマリ!」
「うん!」
そう言って、ルリマとマリは無邪気に駆け出していく。キースは、その光景をどこか遠い目で見ていた。この先、あの子供たちはいったいどんな運命を辿るというのか。キースは一つしかない目を微かに細めて、笑うように嘆いた。
「……あの二匹、探し物のことがちょっと気になってたんだけど。でも、なんか見つかったみたいだし、よかったね」
「情報が正しくて、あっさり見つかってくれるといいんだけど、ね」
「しっかし、水のフロートというのは私でも知らないんですよ〜」
「まぁ、市場に出回るような道具ではありませんから。水のフロートは、ルリリ専用の道具なんです。貴重なお宝と繰り返しトレードすることで、やっと手に入るという、とても貴重で稀な道具だと言われているんですよ」
キースは水のフロートの事を大雑把に説明する。カイトやアカネはその説明の中に入っていた『トレード』という言葉を聞き、なんとなく不気味な中年・グレッグルのクレークの事を思い出した。何故思い出してしまったのか。一気に苦笑いになる。
「ひゃー!そうなんですか…………商売してる私らですら知らないんだから、相当珍しいものなんでしょうね……。
そんなものを私らの店で入荷させるなんて……一生……とほほ……」
勝手に聞いて勝手に落ち込むカクレオン二匹に対し、全員呆れたような困ったような表情で苦笑いした。
ふと、カイトがその言葉で思い出す。『入荷』…………。
「そうだ。セカイイチの事をギルドに報告しなきゃね。ギルドに帰ろう!
じゃあ、キースさん、また!」
カイトはアカネと共に、今度こそ完全に身を翻してギルドに戻っていく。
そんな様子を、キースでもカクレオン商店の二匹でもない、マリとルリマでもない……そんなポケモンたちが、じっと見つめていたことを、誰一匹として知る者はいなかった。