英雄の子の昔話‐116
僕はもう、許されていたのか。
仕事が終わり、ギルドへ帰省するためにゆっくりと帰路を歩いていた。アカネはさっさと僕の目の前を歩いていた。そんな後姿を目で追いつつ、頭では追わない。昼頃の事ばかりをゆらゆらと考える。
アカネは、昔僕が故郷の中でどんな存在だったのか、母から多くは聞いていないのではないかと思う。だからこそ心苦しい。もう、そろそろ話してもいいかもしれない。アカネに対して僕は、自分のことを多くは語らなかった。十分だと思っていたからだ。なにかきっかけが無い限り、話さなくても何の支障もないと思い、そんな僕の考え方を彼女はきっとそれを悟っていた。
思い返せば、僕はアカネに嘘ばかりついていたな、と思う。アカネに出会った最初の頃、僕はあたかも『人間』という存在がおとぎ話上の存在であり、実際の存在の有無は不明だという口ぶりでアカネに接し、相手が人間であっても無意識に両親との接点を持つのを拒んでいたのだろうか。あの時、正直本当に僕はアカネに対して半信半疑だった。英雄伝説……そんなものが出回っている世界で、自分を人間だと騙りたがるポケモンはきっと多く無くてもいるとは思うのだ。アカネもそんな一匹ではないか、と。しかし、人間の存在を『おとぎ話』と言ったところで、アカネの目に動揺は無かった。
あの時、本当のことを話していれば、アカネはどんなに楽だっただろう。不意に思った。
あのフローゼル……レイに対しての思考は、いつの間にかアカネに移動していた。それでも、気にならない。
ただ、そろそろアカネにも話した方がいいかもしれないと深く感じる。『相棒』『パートナー』なのだから。
それでも、まだ少し怖いよ。
「ねぇ、このペースで夕飯前に帰れると思う?」
「……あ、そうだね。倉庫に寄るのは諦めよっか」
「じゃなくて」
アカネは不満げに僕の方に振り返る。移動するペースを速めたいのだと察すと、僕は少し速足で歩き始めた。アカネとは歩幅が違うので、アカネが追い付ける程度に足を動かす速度を上げた。
空が茜色に染まっている。光の具合によってグラデーションや、茜色に重なる雲のフィルターが空に浮かんでいる。夕方の何かを達成した後の夕焼けや涼し気な風。なんだか不思議な気分になった。
「ちょっと速足だけど。僕、アカネに話したいことがあるんだ」
「そう?じゃ、少し足遅くしてもいいけど」
そう言ってアカネは微かに目を細める。嗚呼、彼女の策にハマったな、と。してやられた気分になった。僕は冗談半分で拗ねたような顔をし、彼女にとっつきに行く。
「アカネ、嵌めたでしょ!」
「さぁ?何のこと?
……でも、ウジウジしないでよ。こんな長い距離ゆっくり歩いてたら引き摺るだけでしょ。で、話って?」
「そうだね……何とも言えないタイミングだけど、少しだけ昔話したくて」
「そ。じゃ、ギルドに着くまでに完結させてね」
「大丈夫。簡潔にまとめた身の上話にするつもりだよ」
返事を聞いて、アカネは意地悪気に笑った。僕も少し楽な気持ちになり、腕を頭の後ろで組むようにして、橙色のベールが伸びる夕焼け空の下で背伸びをする。他人事のように話すことなく、僕は僕の視点で昔話をたどり始めた。
「僕は、この世界で『英雄』とされている夫婦の間に生まれたんだ」
「え?そこから?」
「あ、ごめん。もうちょい先の話するけど、一応〜」
*
今から約19年くらい前に、僕はジェファーズ夫妻の子供として生まれた。父親方の種族の遺伝子を受け継ぐのって結構珍しいことだから、当時村全体が驚いたみたい。名前はカイト・ジェファーズと命名された。僕たちの周りはステファニーとか、リオンとか、ペリーとか。そういう名前でしょ?あっちでもなんか変わってるよねって。周りは言ったんだ。
カイトの『カイ』は海を表すらしい。炎タイプなんだけどな、僕。ただ、名前についてはちょっとわかんないかな。慣れてくると周りもそんなに触れないし、第一あまり気にならないからね。
まぁ、それはいいとして、僕が父方の種族を受け継いで生まれたことや、世界を救ったとされる救助隊の息子であることから、村ではかなり注目を浴びた。外からも来たがるポケモンが居たけど、田舎だったから、村全体でストップをかけるようなこともたまにあったらしい。
何故そんなに大袈裟にしたか。それは、僕が周囲の目を気にする子供だったからだ。
小さいころはそうでもなかったけれど、ある程度情緒が成長してくると、僕は段々と他者の目が煩わしく感じるようになってきた。どこに行っても皆僕を見ている。僕を知っている。監視している。
小さい村だ。ある意味それは当たり前なのだけれど、僕一匹に向けられている視線が違うようで怖かった。というか、たぶん違ったんだと思う。
村のどこへ行っても、僕は『伝説の救助隊の息子』だった。強くなった?救助隊継ぐんだよね?お父さんとお母さん、すごいね。なんて。
知らない。僕が生まれる前の話だ。親切心何だろうけど、父さんと母さんの出会いや、どこらへんで好き合ってどこらへんで夫婦になっただとか、そういうのを聞かせてくる住民も結構いたんだ。やめてほしい、と。ずっとそう思っていた。この大陸の中にいる限り、どこまでも英雄の息子という文字が付き纏った。
子供って無邪気なもんだけど、悪気があるんだか無いんだか。勝負で僕に勝てば、英雄の息子を越えられる、だから偉いって。そういう思考に辿り着く村の子供がたまに、というか割といたんだよ。
自分で言うのも何だけど、一桁の年齢にして戦闘の実力はあったと思う。チコリータだった頃の母さんも、化け物レベルに強かったらしいからね。父さんは、大陸で一番有名な救助隊にお兄さんがいるんだ。僕にとっては伯父さんだけど。
都合よく、なのか必然なのか、とにかく力が強かったんだ。多少年齢が上のポケモンでも返り討ちにしてたし、正直そのポケモンたちの姿勢が面倒で煩わしかった。そんな日々が何年も続いて、段々と気性が荒くなっていった。っていうのかな。密かに不良なんて呼ばれてたよ。父さんと母さんは普通に接してたけど、僕自身は無視してたし。僕のことを何も知らないポケモンでも、父さんと母さんの話をされれば暴言、ガンつけは日常茶飯事。正直、不良なんて呼ばれても仕方ないよね。よく喧嘩もしてたし。
喧嘩で負けた事なんてほとんどなかったよ。でも、負けた奴は決まって言うんだ。父さんと母さんが強いから仕込まれているとか、父さんと母さんが凄いだけで、その子供の僕はお零れ貰ってるだけで、全然すごくないとか。調子乗るの止めろ、とか。
記憶の限りだと、稽古なんて付けてもらったこと無かったよ。小さいころからの喧嘩で強くなった。褒められたことではないのは十分わかってるけど、なんでそう僕を認めてくれないんだろうって。
なんで全部が全部父さんと母さんのおかげになるんだろうって。僕は一匹のポケモンとして見てもらえない。なら、何で生まれてきたんだろうって。
すごく幼稚で多感な時期だったこともあるけど……とにかく毎日そう思ってた。それが年齢二ケタ。
とにかく、『不良』の僕には理解者がいなかった。たった一匹を除いては。
……あ、なんとなくわかった顔してるね。そう、それがレイセニウス・マーロン。僕と同じくらいの年で、まだ進化前のブイゼルだった頃の彼。進化したことを僕は知らなかったから、それは僕が大陸を出た後。それはいいとして……。
レイは、僕の唯一の友達で、父さんや母さんもレイが友人であることを喜んでた。レイは僕が何か優れたことをすれば『すごい』と僕を見て言ってくれるし、話も親身になって聞いてくれる。僕もあいつの前では多少は素直になれてたんだ。バトルの腕はあんまりだったけど、そんなの関係なく一緒に居れたよ。
『今日森入って遊ぶ?俺!腹減ったから木の実取りに行きたい!』
『まぁいいけどさ、あんまり野生に戦い挑んだりしないでよ?僕だって野生相手だとさすがに構ってらんないし』
『分ってるって!だいじょーぶ!』
あの頃はプレイボーイとか女誑しとか、そういう類じゃなかったなぁ、全然。あ、脱線しちゃった。ごめんね。
とにかく、数年間僕たちは友人であり続けた。僕の捻くれ精神は普通に悪化し続けてたわけだから……何かきっかけがあれば、築いてきた者でも簡単に吹き飛ぶことだったのかもしれない。寂しいけど、ね。
当たり前なんだけど、僕は着々と村に敵を作っていった。大人たちは僕のことを後ろ指さして陰口言う程度で済んでた、なんて言ったら馬鹿だけど、本当にそういう認識で。それでも、家の中で家族と過ごすより外にいた方が気持ちは楽だった。ずっと、ずっと。
だけど、やっぱり見方を作るために子供も大人も群れるものだ。僕より年上だったり年下だったりしたけど、とにかく共通の敵を作ると子供は強くなる。その的が僕。
いつの間にか子供の中で僕を嫌ってるグループが出来ててね。それまでどうでも良かったんだけど、有る日数匹が、僕が一匹の時を見計らって言ったんだ。
『レイの奴だって本当はお前と一緒なんてうんざりしてるに決まってる。いい加減気づいた方がいいよ。うざいし、お前』
『そういやあいつ言ってた。お前性格悪すぎて味方面するのも一苦労だって。まぁ、性格悪いのホントだし、言われたって仕方ないだろ』
『そもそもいっつもあいつ面白くなさそうな顔してんじゃん。お前と遊んでるとき、顔笑ってるけど目笑ってねぇもん。合わせてやってんのに我が儘ばっかだって嘆きまわってた』
『てか、あいつなんでカイトなんかと仲良くするんだろ?』
『やっぱ『英雄』の息子だからじゃね?近くにいると良い話のネタになるじゃん。自分が英雄の息子と友達だって自慢できるし、割と見てるだけでも話のネタ見つかるし。そういう『もぐら』的な事、なかなかやるよな〜あいつ』
嘘だって気づくよね?こんなの。
でも、なんでだろ。僕、気づかなかったんだよね。少なくとも、鼻たれ小僧じゃなかったのに、なぜか気づかなかったんだ。
頭真っ白、目の前真っ暗になって、気づいたら目の前のポケモン全員ボコボコにしてた。足元の草がさ、なぜか足跡状に焼け焦げてたんだ。どう見ても僕の足跡。驚いたけど、レイへの疑念は消えない。その後直ぐ、レイにダンジョン探検に誘われたけど、レイに誘われるまでの空白の時間、疑念と不安、そして怒りは膨れ上がった。
ダンジョン探検に行く前、少しの間は普通のだったんだけど、いきなり風船みたいなのが体の中ではじけた。不満が一気にあふれ出して、いわゆる『いきなりキレる』みたいな状態になったんだ。
僕はそうなるまでの経緯を例に怒鳴る様に一つ一つ吐き散らし、それが終わった後、一言こういったんだ。
『お前だって、母さん達が有名だから、僕に近づいてきているだけなんだろ』
反論する姿勢だったレイは、この言葉を聞いて急に黙り込んだ。きっと、この先レイが何を言っても僕は聞き入れなかったと思う。そして、レイはそれを悟った。
あの言葉さえ言わなければ、嗚呼放ってなかったのかもしれない。今はもう、わかんないけど。
……嗚呼、トレジャータウン見えてきたね。ごめんね、もう少しだけだから……うん、ありがとう。
熱が冷めるのは意外と早かった。家に帰って一晩寝たら、気持ちは後悔の念でいっぱい。普通からしたら遅いかもしれないけど、僕には速かったんだ。それは。
父さん母さんは、相変わらず『おはよう』って言って朝食を並べた。それを無言で食べて、いつものように何も言わず外へ出る。
レイに謝った方がいいか。思ったよ。思ったけど、僕はこの村の中で『誰かに謝る』ということが出来なかったんだ。気が強くて、プライドが高くて……屈したくない気持ちで一杯だった。
レイと何度かすれ違ったりしたけど、ね。お互い気まずい空気が流れて終わってしまう。僕がボコボコにしてケガさせた数匹には、発覚後に父さんと母さんが頭下げに行って、僕も散々叱られたけど、それでもどこか上の空って感じだったのかな。何を言われたのか、全然覚えてない。
でも、一つだけはっきり思っていたことがあった。それは……この村において、僕の見方は誰もいないということだ。
父さんと母さんは、そもそも最初から僕にとって敵陣営だった。それを除いても、味方なんて一匹もいない。レイもあの日から友達じゃなくなった。外に安らぐ場所はなく、家はとてつもなく息が苦しい。
息が詰まりそうな日々を送った末に、僕は大陸を出ることにした。英雄伝説の詳細が語られておられず、誰も僕のことを英雄の息子なんて知らない。他の大陸に行けば、英雄の影を毟り取れると思った。
……どうやって移動したのか。そうだね。あんまり知られたくなかったから、こっそり船を持ち出したんだ。降りる大陸の目星をつけて、力は有り余ってたから、意外と漕げたよ。船から落ちたら落ちたで、その時は……って思ってたし。あの頃はね。
そんな無謀さも功を奏してか、大変だったけど、何とか上陸できたんだ。アカネと出会ったあの海岸に。
ねえ、アカネ。『遺跡の欠片』って覚えてる?大分前に、僕とアカネがチーム結成したころにアカネに話したけど、あの小さな石ころみたいなの。
あれね、あの時見つけたんだ。この大陸に初めて来た、あの時。
探検隊目指すきっかけになったって言ったけど、本当にそうだったんだと思う。僕に『救助隊』は、きっと無理だった。
一匹では、とてもじゃないけど勇気がなかった。だから、道が開けた気がしたんだ。君に出会ったその瞬間に。
* * *
この話を聞いて、アカネはどうだったのか。カイトはさりげなくアカネに尋ねた。
「……まぁ、ギリギリアウトね。想像の域から」
「そうなのかな。あ。じゃあアカネがこの話を聞いて何を思ったか当てるよ」
「へぇ?」
「『思ってたより、大分クズだった』」
「ご名答」
アカネもあながち他人事ではないが、お互いにそこら辺はどこか吹っ切れているところが有るのだろう。だからこそ、カイトは打ち明けたのだ。
笑い事ではない。そのはずなのに、二匹の顔から笑みがこぼれる。カイトが超えるべき課題は、もう既にわかっていた。
ギルドは、もうすぐそこである。