#51 名前
――★――
ここは、どこだろう。俺は何をしている?
……あぁ、確か頭がぼぅっとして倒れたんだっけ。どうも熱に浮かされて怠いような感覚があったな。
『すまねぇ……』
ふと、誰かの声が耳に入る。姿は見えない、というより視界がぼやけていて曖昧に見えるだけ。でも、スラリとした体型に二本の足で立っているから……もしかして人間、だろうか。俺と同じで。
『いいや気にするなよ、こんなご時世だし』
『でもよ……』
もう一人の声。聞き馴染みのあるこれは多分俺、だろう。じゃあどこかもの悲しそうな青年の声は一体誰だろう?
『じゃあさ……ファミリーネーム決めてよ、なくしたあれの代わりにさ』
『ファミリーネーム?』
『そう。だって俺達にはないじゃないか。せっかくだしたさ』
ファミリーネーム……確か家族の名前だっけ。でも俺達にないってどういう事だ? ……うーん、会話を聞けば聞く程訳が分からなくなるな。
『……よし、決めた!』
『もう決めたのかよ』
『あぁ。お前に……いや、俺達にぴったりの名前だよ』
『その自信はどっから上がるんだか……で、どういう名前?』
やや興奮気味に語る彼に俺は催促させる。……ていうより意識したつもりはないんだけどな。
『発表しよう。俺達のファミリーネームは――』
刹那、意識が遠くなっていった。
――★――
「あっ……」
一瞬だけ意識が沈んだかと思えば浮上する。次に目を開けばよく目にする岩肌が目立つ天井が映った。
「ここは、ギルドか――って!?」
起きたばかりの倦怠感に苛まれつつも状況を整理しようとしてふと窓に視線を移した瞬間、フィルドは文字通り跳び起きた。慌てて窓際に寄れば真っ暗になった空が広がっている。
「な、何で夜? いや、そもそも俺は昼間に何をしてたんだ? 確かペラトにセカイイチの入荷についてミドリさんのお店に行ったんだよな」
徐々に思い出してゆく行動。カクレオン商店で偶々いたオルディと世間話をして、ノルクとリィナの探し物が見つかった事。忘れかけたセカイイチの入荷を聞いて予定がないと言われ、そのままそっくり報告をしようとして――その後の記憶が全くない。
「……そういう、ことか……」
それが指す意味は自分が気を失っていた事。しかも、一日の大半を休養に使ってしまったのだ。体調不良のせいで皆に迷惑をかけてしまったと理解したフィルドは悔しげに表情を歪ませる。罪悪感に襲れつつもやけに広く感じる部屋を見渡し、ここでようやく自分とぐっすりと眠るジュードしかいないと気付いた。彼なら何かしら知っていると思い起こそうとして……その手を止めた。もしかしたら彼もまた自分と同じく風邪に冒されたと思い立ったからだ。ならば今彼を起こすのは賢明ではないと結論付けてジュードからそっと離れ自分のベッドへと戻る。腰を降ろせば寝汗で濡れた感触が伝わって思わず顰めた。纏わり付くような感覚から意識を逸らすため再び今日の記憶を辿る。
いつもより活動出来なかった分思い返してみれば一つ一つの出来事が直ぐに浮かび映像のように流れていく。その中である場面が浮かんだ時、流れがピタリと止まる。それは目覚める前に視た光景で。ピントが合っていないようなぼやけた世界に自分に話しかける存在。どこか懐かしさを噛み締めていれば、自分が望んだものをあっという間に叶えてくれた。
ーー発表しよう。俺達のファミリーネームはーー
「……ランドスケープ」
醒める前に教えてくれた名前を反芻してみる。そのフレーズに違和感が全く感じないどころか響きがよく心地良ささえ覚えてしまう。まるで自分の一部であるかのように。
(……もしかして記憶がなくなる前の自分と関係があるのかな……)
確証までは至らないが、今までとは違い自分の名前であると自信が持てる。どうしてだろうかと考えようとしたが堂々巡りになるような気がしてすぐに止め再び外へ向けた。先程輝いていた星々は灰色の雲に隠されてしまい賑やかさが失われた景色。闇夜に覆われていてもはっきりと分かるどんよりとした空に胸騒ぎのような感覚が押し寄せる。何事もなければいいだけど、と言葉を零し未だに湿気が残るベッドに横たわり目を瞑る。うまく寝られるのかと不安を抱いたがそれも程なくして襲って来た睡魔により杞憂に終われそうだとフィルドは思う。その考えを最後に彼の意識は再び沈んでいった。