#52 再起
あれからどれ程の時間が経ったのだろう。ふと目を開けたフィルドを迎えたのは明るくとも柔らかな陽射し。どうやら二度目はすんなりと睡魔に預けられたらしく朝が来るまで寝れたようだった。
そしてもう一つ、昨日苛まれたあの気怠さは全くを以て感じない。熱に浮かされた感覚も、身体全体を纏わり付くような倦怠感もまるで最初からなかったように。
ーーとうやら治ったんだな、と理解したフィルドは頭に響く声に意識を傾ける。フィルド、と名を呼ぶ低い声を聞いたのは遠征以来。帰ってきた後は日常生活に振り回されて挙げ句の果てに病気で倒れてしまったのだから気に掛けている余裕などなかったのだ。
「久しぶりだな、コバルオン」
“久しいな。我はてっきり忘れ去られていたかと思っていたが……我が名を覚えていて安心した。”
長らく放置されていたのを気にしているのか、前より冷たさが増しているような声色にフィルドはごめん、と謝る。しかし、冷淡だったのは二言だけで続けて零れたのは少しだけ柔らかみを帯びたもの。おそらく覚えていた事への安心感が出たのだろう。冷静で厳かな彼も意外と寂しがり屋なのかもしれないとフィルドは心中で思った。
次からは気を付けるよ、と腕輪に触れながら語るフィルドはふと向けられる視線を感じ取り振り向く。視野に映ったのは藁で横になっているジュードの姿。起きたばかりなのか寝ぼけ眼でフィルドを見上げた彼は、おはようと挨拶してふにゃりと笑う。少しだけ気の抜けたあどけない微笑みにフィルドも思わず釣られながらも返事をした。
「体調の方はどう?」
「それ、俺に訊ける事か?」
心配そうに問うた彼にフィルドは肩を竦めれば、そうだったねと苦笑する。ジュードもフィルド同様、床に伏せていた身。彼自身も相当辛かったはずだが自身より相手を気遣う様は実に彼らしい。ーー本当に大丈夫なんだろうか、と心の中で呟いたフィルドだったが、平気だよと本人から笑顔付きで返ってくる。
「フィルドも人の事言えないよね」
「それはお互い様さ」
どうやら心情が顔に出ていた所を読まれていたらしい。結局自分も仲間が心配で仕方がないんだなと気付き苦笑すれば、向かい合うジュードもつられて笑みを浮かべた。ここに皆がいればさらに賑やかになりそうだと思い浮かべて、そういえばとここにいない仲間達の姿を無意識に探し始める。一時的とはいえ病床になった『サンライズ』の部屋。感染拡大の抑止のためキュベレー達は別室にて休んでいるのだろう。いつもならば六人一緒だが揃っていないことに気付いた途端、この部屋はやけに静かで淋しいと感じた。
今頃どうしているのだろうと思い始めた時、入口から慌ただしい足音とその音を制止しようと宥める少女の声が後を追う。聞き覚えのある声にフィルドとジュードは顔を見合わせ唯一の出口へ向けると、
「二人ともー! 元気になったかーー!?」
勢いよく開け放たれた扉と共に溌剌な声を浴びさせられる。そこに立っていたのはシンラの姿だっだ。肩で荒く息をしている様から走ってきたんだなと考えてながら質問に肯定するとシンラの表情がみるみるうちに変わっていく。先程は疲労感が全面押しで出ていたが今や満面の笑みが座っている二人に向けられていた。
「マジか……っ! ホントに元気になったんだよな!?」
「ぐはっ!?」
「いたっ……はは、シンラも心配症だなぁ……」
確かめるように今一度訊いたシンラに頷けば彼は迷うことなく二人に抱き付いてきた。と、いってもこちらへ勢いを収めずに直進してきた彼のタックルを受け止める形となり二人は痛みに顔を顰めざるえなかったが咎める気力は不思議と沸き立つ事はない。
「もう、シンラ君ったら……二人はまだ病み上がりなのに」
「い、いいんじゃないかな。元気になったみたいだし」
「それもそうね。まぁ、あの突進はかなり効いているようだけど」
そんな和ましい雰囲気に後から来たキュベレー達も苦笑するしかなかったが、二人と目が合うなり表情を綻ばせて歩み寄る。
おはようと変わらずに挨拶を交わすエレナ、体調は平気などと気に掛けてくれるキュベレー、二人がいなくてちょっと大変だったと懐旧しながら語らうリョウト、そして先程から離れようとはしないシンラ。一日ぶりとはいえこの弟子部屋に全員がいると実感しただけで安堵感が染み渡っていく。もうしばらくは余韻に浸りたいと願うフィルドだが元気になったのだからいつまでも部屋に居座る訳にはいかない。嬉し泣きするシンラを強引に引き剥がすと一人一人顔を合わせた。
「それじゃ、改めて活動再開だな」
その一言に『サンライズ』の面々が一つ頷く。先までの個々の表情は形を潜めて引き締まった顔がフィルドを見つめ返す。いつもと変わらない朝、弟子部屋を後にして向かう足先は兄弟子達が待つロビー。その方向を見据える彼らの瞳はいつも以上に気合いに満ち溢れていた。
ロビーへ踏み入れたフィルド達は兄弟子達に早速囲まれて気遣いの言葉を掛けられる羽目になった。いつぞやのリョウトの時と同じ状況に自身が晒されて頬を引き攣らせながら対応するが、そこへペラトが制止した事によりいつも通りに朝礼を迎えて仕事をこなす……はずだった。
「……なんでシンラだけ残ったんだ?」
「確かに……シンラにしか出来ない仕事とかあったかな? それに内容とかも教えてくれなかったし……」
掲示板を見ながらフィルドは訝しげに呟く。実は仕事内容を伝えられた後、ペラトがシンラに頼みたい仕事があるから今日いっぱい借りていくと伝えてきたのだ。ちなみに名指しされた本人は不満気な態度を露骨に出していたようだが、ペラトに怒鳴らされて渋々と従ったらしい。
それはともかくフィルドは何故シンラが残ったのか? とあれから考えたが残念ながら思い当たる節が見つからない。隣に立つジュードも納得がいかない表情を浮かべながらも依頼を吟味する。答えが見つからない以上、長々と提議しても意味がないため会話は自然と打ち切られて手頃な依頼を探し出す作業へと戻っていく。
「あっ、そういえば一つ訊きたい事があるんだけど」
ふと思い出したように声を上げれば隣にいたジュードは首を傾げて先を促す。
「ファミリーネームってさ、なんで名乗らないんだ?」
「あぁ、それはね、フルネーム教えると悪用される可能性があるからじゃないかな。荒んでいるポケモンもたくさんいるからね……余程の事がない限りは名前しか教えないんだよ」
それは前から微かに思っていた事で前夜に視た夢のおかげで膨れ上がった疑問。喉からすんなりと出された問いかけにジュードは回答する。不思議のダンジョンが増えてから街に住む者達の不安は比例して増えている。そこへ便乗するように悪事を働かす者達もまた増加しているのだ。なりすましを装いダンジョンへ誘わせる手口もあれば、名前を利用し道具を騙し取る詐欺師もいる。悪徳な者達の巧みな話術に囚われないためにも個人情報をあまり公言しない事が身を守る手段として根付いているのだろう。
自分が知りたい真実がこうもあっさりと分かってしまえばそれ以上の疑問は浮かぶことはなく納得という形になって収まる。そうか、と理解した意を伝えて再び掲示板へと意識を向けた矢先、梯子からフィルド達を呼ぶ声が聞こえる。誘われるようにギルド唯一の通行口へと目を向ければ声の主であるエレナが降りて来た。
「どうしたんだ? 確かカクレオン商店へ品を買いに行ったんじゃ……」
「まぁ、買い出しは終わったけどその帰りにちょっと……ね。とりあえずついてきて?」
フィルドの問いに上手く説明が出来ないのか歯切れを悪くすると二人を手招きしてさっさと梯子を登っていく。口で言うよりは見た方が早いということか、と理解したフィルドとジュードはとりあえず依頼選びを後回しにして先に行ったエレナを追いかけたのだった。
――プクリンのギルド前――
★
俺とジュードはエレナについていきギルドの前に出た。そこにいたのはエレナと一緒に買い出しに行ってたキュベレーとリョウト、そして――
「フィルドさん、こんにちは……」
浮かない顔をしていたノルクとリィナがいた。昨日は元気いっぱいだった二人に何かあったのかは見て明らかだ。
「二人ともどうしたんだ?」
「……実は昨日、水のフロートが『海岸』にあるって聞いて向かったのですが、そしたらこんなものが……」
俺の声にノルクは説明をすると紙切れのようなものを手渡す。何やら文字が書いてあるようだがあまりきれいな字とも言えないな――っておい、エレナ。俺が読もうとしていたところを勝手に取るな!
「何々――水のフロートは我々が頂いた。取り返したいのなら『エレキ平原』の奥地まで来るがいい。だが、果たしてお前達のような弱いやつが取り返せるのかな? 無理ならせいぜい強い探検隊にでも頼むんだな、クククッ――って……」
「これ、脅迫状だよね!?」
半ば棒読みに読み上げたエレナにキュベレーが反応する。まぁ、確かにそうだが俺は文末が気になるな……。この言い回し、何か知っているような気がする。
「『エレキ平原』って電気タイプのポケモン達が住んでいる場所だよね……!?」
口を開いたジュードの言葉尻が途切れる。息を呑んだ後に聞こえたか細い悲鳴に咄嗟に振り返れば、ジュードの大きな瞳がこれでもかってくらい見開いていた。彼の向ける視線の先を追って……俺達も似たような行動をとっていた。ーーいや、とるしかなかった。
「ノルク、お前体が!」
「まさか『エレキ平原』に行ったの!?」
ノルクの体中に痛々しい傷や痣が刻まれていたならば。落ち込んだ声色に気を取られて今更気付いたが、これは転んで擦り傷を作ったとかどこかにぶつけたという笑い話じゃ済まされない。あからさまに人為的に出来たものだ。そんな俺達の驚いた声に彼は涙を浮かべながら首を縦に振って言葉を紡いだ。
「でも、あれは……水のフロートは僕達の大切な宝物なんです!! せっかく手がかりがあったのに何もせずにいられなくて――」
「だからリィナもついていくって」
「だ、ダメだよ! もしもリィナに何かあったら――」
「いけない子達ね」
兄妹の言い争いに近くなった時、エレナが溜め息を挟んで言い放つ。その目は厳しい顔を浮かべた時の大人みたいな感じで、反論の余地すら与えてくれないような威圧が彼女から出ていた。当然俺達も口を出すのは危険だと判断するしかなく成り行きをただ見守るしか出来ない。
「ダンジョンは危険だってこと、分かってるわよね? どうして探検隊に頼まなかったの? もしあなた達に何かあったら悲しむポケモンもいるのよ」
「ご、ごめんなさい……」
「あ、あのエレナ、その辺にしとこうよ……」
エレナに叱られてしゅんとなったノルク。彼の言い分も分かるが彼女の正論も筋が通ってるから申し訳ないけどフォローしようがない。まぁ、キュベレーに宥められて説教コースには発展しなかったみたいだ。
さて――ここまで来たら俺達のやるべきことが明白になったな。
「二人とも。俺達で良かったら取り返してくるよ?」
「え、でも迷惑をかける訳には――」
「えっと、ノルク君? 君は一生懸命に探したんだからもう無理しなくても大丈夫だよ。そんな傷だらけでダンジョンに行ったら妹さんに心配をかけすぎちゃうから」
「とにかく後はわたし達に任せて、ね?」
俺に続くようにジュードとキュベレーがノルクを説得させ、複雑な表情を浮かべながらもようやく頷いてくれた。さて、後は――
「とにかくまずはノルクを休ませないと――」
「だ、大丈夫です! 自分で帰れますから!」
ノルクは手を前に出して振る。――たぶん彼なりの気遣いかもしれない。ならばこれ以上はお節介だと思われるよな。
「――そうか。じゃあ、気をつけて帰れよ?」
「はい……皆さん、よろしくお願いします……」
彼は頭を下げるとリィナの肩を借りて去っていく。――幼いのに互いに支え合うあの兄妹は本当にすごいな……。
「じゃ、俺達も向かうとするか――『エレキ平原』に!」
「そうだね!」
「水のフロートを取り返しに!」
「そのついでに脅迫状を出した犯人も懲らしめてやりましょうか……」
うん、皆一致団結してるな。それじゃ二人のために『エレキ平原』へ向かおう。……出発の際に後ろから紙を握り潰し何度も引き裂いた音、そして目的地に着くまでの道中で呪詛に近い言葉を唱え続ける彼女の戯言が耳に入ったのは気のせいだと思いたい。