#50 憂い
「いただきまーす!!」
日が西へ傾き群青が茜空を追い立て始めた頃。この時間を合図にフウが呼び鈴を鳴らし全員が決まって食堂へとなだれ込む。本日は床に伏せてしまった彼女の代理であるサンシャが呼び鈴代わりの大声で呼び込む。その声にゴルダが「うるせぇ!」と口を割れば言葉を買った彼女が「あなた程ではありませんわ!」と売り返す。いつもより人数が少ないとはいえこの場を流れる和やかな雰囲気は淀む事はない。仲間達への心配もあるだろうがそれより日々の修行に慎み空腹を叫ぶ虫の音を止める方にと頭が行ってしまう。二人の痴話喧嘩が冷めたのを各々が見計らい自分達への労いとテーブルに置かれた食べ物達への感謝を込めて口を揃える。
「ちょっと待ったぁぁぁぁ!!」
正に手を伸ばそうとした時、ペラトが突如制したのだ。いきなり大声を出した彼にギルドのメンバーは戸惑いを隠しきれてないのか、そわそわしている――というよりは大半睨んでいた。
「夕食を食べる前に一つ報告が――」
「はぁ!?」
「食べる前に一体何を言うのだ!?」
「もうお腹ペコペコですわーー!!」
「ぶーぶー!!」
「オレ達のこと餓死させるつもりかよ!!」
ペラトが言い切る前にゴルダが不満な声を出したのを皮切りに半数が彼に向かってブーイングを飛ばす。空腹で限界が近いのか捲し立てる声も力んでいる。だが、ただ単に野次に気圧されるペラトではない。「早く終わらせるから静粛に!」と引けを取らない音量で返すが残念ながら収まる様子など微塵にもないようだ。赤子のように駄々捏ねる弟子達に痺れを切らしたのか青筋を立てながら大声で用件を伝えた。
「あぁもう、お前達! 二つ目の時の歯車≠ェ盗まれたそうだよ!!」
「「「……え」」」
その瞬間、食堂はまるで波を打ったかのように静まりかえる。先程までの騒がしさは何事も無かったように消えて静寂が食堂を支配する。
「「「ええぇぇぇぇえ!?」」」
一瞬の静けさはサクヤとペラト、レード以外全員の声が木霊して打ち破れた。
「ヘイヘイ! 一体どこの時の歯車≠ェ盗まれたんだ!?」
「ま、まさか……!?」
一度だけでなく二度も起こった事態に騒然とする中、キュベレーが発した一言で再び静まる。その瞬間、全員の頭に嫌な予感が走った。
「いや、盗まれた場所は『霧の湖』ではないようだ」
「では……別の場所が……」
「あぁ……南の島の『巨大岩石群』って場所だそうだ」
「――!!」
ペラトが口に出した場所名を聞いて全員が安堵の溜め息をつく――ただ一人、エレナだけを除いて。
「ペラトさん……近隣のポケモン達はどうなったんですか?」
「ん? あぁ、今のところ時が止まったのは『巨大岩石群』のみらしいから、まだ影響が及んでいない周辺に住んでいるポケモン達は避難させているようだ」
「そう、ですか……」
少しだけ静かになったのを見計らい彼女は不安を募らせた双眸をペラトに向ける。彼はどこからか取り出した紙を読み上げてようやく少しだけ表情を緩めた。
「と、いうわけで今回は別の場所だったが……『霧の湖』については誰にも言うんじゃないぞ?」
「当たり前だ!!」
「ユクシーさんとの約束を破るわけにはいかないでゲスぅ!」
「まさかペラトさんはわたし達を信用してないの?」
ペラトが念を押した言い種で再びブーイングが巻き起こり喧騒が食堂に響く。
「分かった分かった!! ただ確認したかっただけだから……ゴホン、それでは待たせたな。では改めて……頂きます!」
「「「頂きまーす!!!」」」
咳払いをしてようやく収まったのを見計らってペラトは号令をかけると全員がものすごい勢いで夕食を食べ始める。
(そんな……まさか盗られるなんて……)
しかし、エレナだけはリンゴを両手で持ったまま口にしようとはしなかった。
「ねぇ、エレナ。お腹空いていない?」
夕食が終わった後、弟子部屋が空いてない代わりに客間へ通されたキュベレー達はベッドに寝そべっていた。今日の依頼で疲れたのかシンラとリョウトは部屋に着いた途端あっという間に眠りに落ち、起きているのはキュベレーとエレナのみ。
「大丈夫よ。今もあんまり食欲が湧かないから――!」
心配を掛けまいと返すエレナだが言葉とは裏腹に体は正直に応える。空腹を訴える小さな音に彼女の顔は恥ずかしさのあまり熟れたマトマの実のように真っ赤に染め上げるとキュベレーはクスリ、と笑いエレナの前にリンゴを置いた。
「……ありがと、キュベレー」
「どういたしまして」
そっぽを向きながらもお礼を述べたエレナにキュベレーは微笑むと外に目をやる。窓に映る景色は夜を司る漆黒の絨毯にたくさんの星達が煌めいており見る者に強い印象を残すようなきれいな夜空だった。
しばらく風景に見とれていたキュベレーはやがてリンゴを頬張っているエレナに顔を向け 口を開く。
「ねぇ、エレナ? 夕食の時の――」
「あぁ、あの時ね」
彼女が言い切る前にエレナは口を挟み、リンゴを一口かじると静かに語り出した。
「……故郷なの」
「故郷?」
「そう。私とシンラは『巨大岩石群』の目の前に広がっている『南のジャングル』出身なのよ。あそこには村が何ヵ所かあって村人も住んでいるの。だから……時が止まった影響に巻き込まれていないか心配で……」
静かに語るエレナ。その表情は手に持っているリンゴに向けられ誰から見ても読み取ることができないが言葉を紡ぐ、微かに震える声色から辛いのだろうとキュベレーも目を伏せて同情する。
「そっか……! じゃあ、シンラ君はなんで反応しなかったんだろう?」
「……そうね。きっと彼は、空腹で話を聞いてる場合じゃなかったのよ。ペラトさんの話なんて右から左に筒抜けてるわね」
彼女の話を聞きふと気になったのは生まれ育った故郷の名を聞いたのにも関わらずいつもと変わらずに食事を取り続けたエレナの幼馴染みの様子。キュベレーが抱いた疑問は無意識に声に乗せられていたらしくエレナは呆れ混じりに話す。彼女が発した言葉と同じ表情を作らせた原因はエレナの脇の藁の上で大の字になって寝ているシンラが主だっているのだろう。
「ふふっ、シンラ君らしいね」
「……全くね」
少しだけ目線を合わせて微笑えばタイミングよくシンラが自分の腹を翼で掻く。その仕草に二人は更に笑みを深める。少しだけでもエレナの声色を明るくし、胸の中に巣くっていた不安をすぐに取り払ってくれたエレナの幼馴染みに感謝しつつキュベレーは祈る。
ーーどうかこれ以上は奪われる事はないように。遠征で見た風景が、自分達を信じてくれたユクシーが襲われてないように、と。