#48 一対一のバトル
――プクリンのギルド――
リョウトとシンラが『迷宮の洞窟』へ出発した後、残ったキュベレーとエレナは病床に伏しているフィルド、ジュードそれからフウの奔走に追われていた。後に依頼から帰ってきたサンシャと合流しフェルイヤの指示の元、冷えたタオルを交換したり交代しながら経過を看て報告する。一見すれば単調な動きも繰り返せば時をも忘れてのめり込まれてしまうもの。気付けばお昼過ぎ、太陽が真南から日射しを照らす時刻となっていた。
交代の時間となりギルドから出たキュベレーは崖へと座り込み束の間の休息に委ねる。彼女の眼下には各々に点在するダンジョンの外観が映っているがそれらには目をくれずただ真っ直ぐと、『迷宮の洞窟』がある方向を見ていた。――ダンジョンに行った二人は無事に帰って来るのか、無茶をしていないだろうか……不安な想いが浮かんでは消えていく。
「まぁ、こんな所にいらしたのですわね」
「サンシャさん……」
二人の身を案じるあまり、不安感のループに苛まれそうになった彼女を引き戻したのはサンシャの声だった。浮かない表情で見上げたキュベレーとは対照でいつもと変わらない笑顔でいる彼女を一瞥し再び視線を戻す。高台にいるせいか海から離れていても風が直接届き二人を撫でる。
「わたしも行けば良かったのでしょうか……」
しばらく無言の状態が続いた後、ポツリと紡いだ一言はギルドに残ると了承してからずっと燻っていたキュベレーの本音だ。感情に任せ行動を起こそうとも思い通りにならず指をくわえているしか出来ない自分に問い、答えが行き着かない己にもどかしさが巣食う。しかし、真剣に話し合っている場面で打ち明けても皆の迷惑がかかってしまうのではないかと思うと言葉が出ず伝えたい事も身の内で留まるしかない。たった一言でも込められた想いは重くずっしりとしていた。
「……大丈夫ですわ。きっと」
「そう、でしょうか……」
キュベレーの心情を汲み取り、投げ掛けたサンシャの言葉は最初に交わした時より柔らかみがあり、彼女の耳に優しく届く。しかし、それでもキュベレーの表情はまだ曇ったまま。するとサンシャはキュベレーを自身の方へ向かい合わせ口を開いた。
「いいです、キュベレー? 仲間を信じて待つ事も探検隊としての立派な責務だと私は思うのですわ。だって、あなただって二人なら依頼を果たして帰って来ると心から信じているから送り出せたのでしょう?」
サンシャの言葉にキュベレーは午前中のやり取りを思い出す。いつものように張り切るシンラに頷いてくれたリョウト。そんな彼らだって本当ならば普段のように全員が揃わない不安とたった二人で依頼をこなさなければならない責任に押し潰されそうで辛いはずなのだ。それもひっくるめて頼んだのに何を今更後悔しているのだろうか。
「……そうですね。二人なら成功するって送り出したのに……信じているわたしが揺らいでいちゃ駄目ですよね」
真っ直ぐ見据えて話すキュベレーは休憩してから間もない頃と比べ穏やかで、瞳にも光が灯されていた。
「その意気ですわ! ……あっ、そうですわ、確かそろそろ交代の時間でしたからあなたを呼びに来たのですが……少しお喋りが過ぎてしまったですわね」
「そうなんですか? すみません……」
「謝らなくてもいいのですわ」
口調からしていつもと変わらない様子だと分かったサンシャは本来を目的をキュベレーに告げてギルドに戻ろうとする。その彼女にキュベレーは頭を下げると「あのっ」と呼び止めた。
「どうかしました?」
「サンシャさん……ありがとうございます!」
気持ちが折れそうになった自分をここまで持ち直してくれたサンシャに感謝を込めて再び頭を下げた。
「そんな対した事してませんわ。さぁ、急がないとフェルイヤさんが痺れを切らしてしまうかもしれませんわ」
真摯に礼を述べるキュベレーにサンシャは頭を振るとさっさと中へ入っていく。彼女に続こうとしてキュベレーはふと立ち止まった。
(大丈夫……二人ならきっと――)
不安に負けないよう今一度自分を鼓舞し、そしてダンジョンにいるシンラとリョウトへ信頼を込めた眼差しを『迷宮の洞窟』に向けてからギルドへ戻っていった。
――迷宮の洞窟――
一方でこちらはガバイドの群れと無事に会えたシンラとリョウト。しかし、目的のガバイドの鱗はそんな簡単に譲り受けられるものではなく、リーダーに実力を認められなくてはもらえないというのだ。
代表としてリョウトが受けて立ち現在に至るのだが、始まってからお互いに様子を伺うばかり。それから数十秒後、先陣を切ったのはガバイトだった。強靭な脚で大地を蹴ってあっという間にリョウトとの距離を詰めると彼の爪が金属のように光沢させる。鋼色に染まった鋭利な爪を構えながら彼はリョウトに向け突き出した。
迫り来る鋼の爪――“メタルクロー”をリョウトは飛び越えるように躱し、がら空きにあった背中に“シャドーボール”を撃ち込む。しかし直撃を許すほどガバイトは甘くはない。彼はすぐ振り返ると腕の突起で“シャドーボール”を凪ぎ払う。軌道を大きくずらされた黒い塊は高台の壁にぶつかり、形を崩しながら消えていく。
その光景を一瞥すると再びリョウトに近づき“メタルクロー”を繰り出そうと爪を挙げた。
「さっきの払いからするとやっぱり物理攻撃が強そう……なら!」
“シャドーボール”を突起で払い除けたガバイトに物理攻撃が強いと予測。接近戦に持ち込むのは厳しいと判断したリョウトはかわいらしい声――“鳴き声”を上げてガバイトに聞かせる。少年の声から若干かけ離れた甘えた声によりガバイトは少しだけ顔を顰めるが構わずに爪を降り下ろす。“鳴き声”により攻撃力が下げられた“メタルクロー”はリョウトを捉えて引っ掻いたが大きなダメージを与えることは出来ず、かすり傷程度に終わる。
「なら……“砂嵐”!」
一旦距離をとったガバイトは技名を叫ぶと瞬く間に砂混じりの突風がフロアに吹き荒れる。天候が悪いせいで視界が悪くなり、ガバイトの姿を完全に見失ったリョウトにガバイトは確実に攻撃を当てにいく。その度にリョウトは呻き声を漏らした。
「くっ、“アイアンテール”!」
リョウトも黙ってやられる訳には行かず反撃を試みるがガバイトの持つ特性“砂隠れ”によってほとんど空振りに終わってしまう。
「隙だらけだぞ。“ダブルチョップ”!」
「うぐっ……うわぁ!?」
その隙を狙ってガバイトが爪の甲でリョウトに名前の如く二発チョップを繰り出す。技はリョウトに当たり二発目を喰らった際、彼は突き飛ばされた。
「う……強い――!?」
なんとか立ち上がったリョウトだが突如目の前が下から上へと流れるように真っ暗になった。一瞬何があったか分からない彼だったが右後ろ足を握られた感覚が伝わった時、自分は地中に引きずり込まれたのだと理解する。
だが次の瞬間――彼の腹部に強烈な痛みが走ったのだ。その同時に掴まれた感覚が消える。しかし、それは反発する力がなくなり攻撃を受けた方向に押されていく合図。引っ張られる力を失ったリョウトはものすごい勢いで地中から弾き飛ばされた。
一方シンラは二人の闘いを見守っていたが、途中から発動された“砂嵐”がまるで二人を包み込むかのように渦を巻いていたため、外からは状況が全く見えない状態となっていた。闘う前、リョウトの意思を尊重し行かせたのが本当ならば意地でも飛び入りし手助けをしたいのだ。しかし、事の顛末を見守るフロアの静かで重々しい雰囲気が鎖となり足首を縛らせ行動を起こせずにいた。
「このまま見てるしかねぇのかぁ……?」
何も出来ずにいる己に苛立ちを覚え始めた時、“砂嵐”が収まり徐々に晴れていく。そして視界が完全に晴れ渡った時、彼は目の前の光景に思わず目を見開いた。
「んあ……リョウトとガバイトがいない……!?」
闘っていたはずのリョウトとガバイトの姿が見当たらなかったのだ。彼の目に映ったのは中央と左端辺りに穴が二ヶ所空いた誰もいないフィールド。その内、左の穴から空中に浮いた何かを見て……絶句をした。
「あれって……リョウトだよな!?」
穴から打ち上げられたのは満身創痍のリョウトだった。銀色の体に傷や痣がついたその姿は見るに堪えられないくらい酷い。と、ここでリョウトを打ち上げたと思われるガバイトが同じ穴から這い上がり、重力に逆らえず無防備に落ちてくる彼を見据え左腕を後ろに構えた。このままではどちらが勝敗を決するのは確実に分かる。周りのガバイド達が勝利を確信し、見下した視線が嫌という程突き刺さった。
「リョウト……しっかりしろ! キュベレー達と約束したじゃねぇか! 鱗をもらって帰るって!!」
周囲の視線に負けないようにとシンラは力強く叫ぶ。例え体が動けなくともこの声と言葉だけは、必ずリョウトに届けと強い願いを込めて。
★
ほんの一瞬の出来事だった。足を掴まれて真っ暗な地面に……抵抗することを許さず下へと引きずり込まれた。その動きが止んだと思ったらお腹に強烈な痛みが走った、そしたら今度は上昇する感覚。壁に擦れることなく浮かび上がった僕の体は宙に浮いていた。高さは、五メートルぐらいかな……あぁ、まだ距離感覚は分かるみたい。
真下ではいつの間にか穴から出てきたガバイトさんがトドメを刺そうと構えていた。ボクがやると言い切ったのに相手にはを傷一つ付ける事すらままならない。あの技が決まったら確実に負ける――それは分かっている。分かっているけど空中で避ける方法が見つからない。……あぁ、やっぱりボクじゃダメなのかな……? 諦めが心を支配し始めた時、声が届いた。さっきの攻撃で少しぼうっとしているせいで所々聞き取れなかった。けど、最後の二言だけははっきり聞こえた。
『――約束したじゃねぇか! 鱗をもらって帰るって!!』
――そうだ。ガバイドの鱗を譲って帰らないとボクらを信じて待っているキュベレーやエレナ、フェルイヤさん、サクヤさんに失礼じゃないか。それに……フウさんやフィルド、それからジュードだって苦しみながらも待っているに違いない。だったら尚更だ、こんな所で……諦める訳には……いかないんだ……!
★
(やつの目の色が始めた時より強くなったな……面白い!)
覚悟を決めガバイトを見据えながら落ちてくるリョウトにガバイトはどこか嬉しそうに表情を軽く緩めるが、すぐに引っ込めると左手の爪に意識を集中させる。すると、ガバイトを包み込むかのように赤い火が現れ……彼の爪に吸収されていく。また、比例するように爪が赤く染め上がっていった。
そして、リョウトとの距離が目と鼻の先に近づいた瞬間――
「“ドラゴンクロー”!」
深紅に染めた爪“ドラゴンクロー”を携えた左腕を彼に向けて突き出した。一方のリョウトは目の前に爪が迫って来ているのにも関わらず避けようとはしない。決して目を逸らさず、ガバイドの爪先を見ていた。このままでは攻撃が必ず当たる――誰もが思った時、リョウトは瞬時に体を捻らせて躱したのだ。
「なっ……あの至近距離で攻撃をかわすだと……!!」
これにはガバイトも驚いた表情を浮かべながらリョウトを探すが……右下から視線を感じ目を流した。目が合った瞬間――リョウトは横回転をする。その同時にガバイトは自身の右腹に鈍器のようなもので叩かれた鈍い痛みが襲いかかる。彼は厄介そうに舌打ちをしながらリョウトとの距離を離した。
一方のリョウトは“アイアンテール”を出すために硬化させた尾を元に戻しガバイトを様子見している。肩で息はしていながらも諦めの色は全く見えない。
「なるほど……お前はあの距離で“見切り”を使った訳か……」
ガバイトの分析にリョウトは否定するような仕草も見せずに少し息を吐くと小さく微笑む。それはまるで「正解だよ」と言わんばかりの少し残念そうな、だが当ててくれて嬉しそうな複雑な感情を表していた。
“見切り”――それはどんな攻撃も軌道を読んで回避する技。用途は“守る”と同じだが隙があまりない分、こちらの方が使い勝手がいいのだ。
「あの技を使ったのは予想していなかったが……乱用はできまい!」
ガバイトは再び攻撃を与えるため素早くリョウトに近づく。その際に言い放った言葉……それは“見切り”の弱点である連続で使うと成功率が減ること、つまりは“守る”と同じく連続で使うと失敗することだ。
それを指摘されリョウトは体をビクッ、と反射する。が、動いたのはほんの少しだけで取り乱してはいないようだ。彼は距離を詰めてくるガバイトに対抗するため、自身の尻尾を硬化させる。
「“ドラゴンクロー”!!」
「“アイアンテール”!」
ガバイトは走りながら紅く染めた両爪をリョウトへ向け、リョウトは軽めに助走をつけた後、鋼色に硬化させた尻尾をガバイトに振り迎え撃つ。
両者は自身の技を携えてフィールドの真ん中で激しくぶつかりあう。だが――威力はガバイトの方が上手だったようで深紅の爪が鋼の尾に皹を刻み、硬い鋼を剥がした。それだけではとどまらず爪は露出した銀色の尻尾に静かに食い込む。
「いっ……!?」
さすがのリョウトも生身に爪を入れられるのは痛かったのか呻きを漏らし、耐えるように目を閉じた。その証拠に彼の額から脂汗が少しずつ滲んでおり、爪が食い込んだ尻尾からは赤い雫が地面に小さな雨を降らせていた。
「で……でも、諦める訳には……!」
リョウトは意を決したように痛みに耐えるために固く閉ざした瞼をゆっくりと開いた。すると尻尾の回りに白い輪が浮かび上がる。 その様子を直視したガバイトも直感的に危険を察して尻尾から爪を手早く抜くとリョウトから離れれ“穴を掘る”で地面に身を隠した。
「あ……ぐっ……!?」
反対にリョウトは尻尾から抜かれた爪によって出来た傷口から一気に血が溢れ出し激痛に気を失いそうになる。しかし、なんとか踏みとどまるとガバイトが潜ったを見据えた。その間も白い輪は消える事なく彼の尻尾に纏わりついている。
(たぶん、技はこの一発しか撃てない……ならこれに賭けよう……!)
肩で息をしながらリョウトは二、三歩ほど歩めると少し腰を曲げてガバイトが地面から這い出るのを静かに待つ。
――次の技で決着が着くだろう――
鱗を巡る決闘を観ていた誰もがそう思っていた。結果がどうなるか知りたい――その想いは状況が変わらず、ただ風が通り抜ける音だけが洞窟を支配することによってさらに高まる。
そして……ボコッ、という籠った音を合図に始まったと見物者達は思った。発信源はフィールドの高台がある方角――リョウトがちょうど立っている位置付近から聞こえてきた、と同時に地面が小さく盛り上がる。どうやら相手はこちらに来て攻撃しようとしたようだ。そう勘づいたリョウトはその場から離れようとしたが尻尾に残る激痛のせいなのか、なかなか逃げれずにいるようだ。
そこへガバイトが地面から姿を現し“ダブルチョップ”を繰り出す。一発目は紙一重でかわすものの、二発目は対応しきれずリョウトの左肩に命中した。
「くぅ……ま、まだだ!」
「なっ……!? は、離せ!」
苦痛の表情に歪ませながらもリョウトは二発目を出したガバイトの左腕に噛み付く。反撃を予期してなかったガバイトは少し焦りつつも引き離すために腕を大きく振るが、リョウトも引き離されないようにしっかりと噛みついているためなかなか離れない。
暫く振られ続けて軽い頭痛に襲われたリョウトはガバイトの腕から離す。
「……
疾風の刃っ!!」
昨日特訓を終えてからずっと考えて来た技名を、叫ぶと血が滴る尻尾を力強くガバイトに向けて振った。すると尻尾に纏わりついていた白い輪が離れすぐさま刃の形となり――リョウトが離れて僅かな隙が出来たガバイトの腹部に命中した。
「ぐわぁぁぁぁっ!?」
刃を受けたガバイトは弾かれたように真っ直ぐと飛んでいき自身がいた崖の壁にぶつかると地面に突っ伏した。
「ま、まさかリーダーが……我々のリーダーがやられたとでも言うのか……!?」
「そ、そんな……」
最初は平静に見守っていたガバイト達だが少し経っても起き上がらないガバイトに一人が信じられないように呟くとそれが波紋となってどよめき出す。
「リョウトが……勝ったんだ……やったーー!!」
周りの状況からリョウトが勝ったと理解し、佇む彼に走って近づく。走りながら口にした言葉は喜びに満ち溢れていた。
「シンラ……や、やっ……たよ……」
シンラの元気な声を拾いリョウトは振り返ると微笑み返すと彼に、そしてギルドで帰るのを待ち続けている仲間へと向けて呟く。
――皆……今からもらって帰るから、ね。
後に続いた言葉を繋げる力はもう残っておらず、足の力がすっと抜けていくのが分かった。そのままリョウトはゆっくりと倒れたのだった。