♯7 昼食時間
キーンコーンカーンコーン
4時間目終了のチャイムが校内に鳴り響くと同時にクラスの代表が号令をかけ、それに従いクラス全員が教壇に立っている先生に向けて一礼を行い、先生は教室を出て行った。教室内と廊下側が騒がしくなる。
「ヒイロ君」と 教科書を片付けているヒイロに声をかけるのはアカリである。彼女の横には、1時間目の終わりに紹介されたリーフとエンもいた。
「お昼一緒に食べよう♪」
アカリが両手でお弁当を持ち、満面の笑顔で誘ってきた。そう言えば、約束していたなと思い出すヒイロ。だが同時に周囲から鋭い眼光がヒイロに集中する。と思ったのがちょうど昼食時間という事もあり、そこまで気にはならなかった。それでも、少数が彼に視線を突き刺してはいるのだが。
「あ、でもオレ弁当とか持って来てないから買ってこないと」
ヒワダ中学には食堂と購買部による売店が備わっているのだが、利用する生徒も多い為、食堂では席が空いていなかったり、売店には商品の在庫がなかったりすることもある。また、自身の財政的な問題もある為、お弁当を持参してくる生徒も少なくない。
「それなら、僕と一緒に売店に行かない?僕も今日はお弁当もって来てないから」
エンの誘いにヒイロは、「そうなのか?なら、お供させてもらおうかな。場所もまだわからないし」とすぐ同意した。
「うん。それじゃリーフとアカリちゃんは先に食べててよ。たぶん、混んでるからすぐ戻ってこれないと思うし」
「うん。わかった♪」
「言われなくても、そのつもりよ」
お弁当を持参してきたアカリとリーフが答える。
「では、ヒイロ君。行こうか!」
ヒイロは「ああ。じゃあ、行ってくる」と2人に言い残し、エンの背中を追っていった。
東校舎1階の食堂。そこに隣接して売店があるのだが。
「うわぁ」と声を漏らしたのは、目の前の混雑した風景に圧倒されるヒイロである。
入り口に入ると左側が食堂、右側が購買部がやっている売店なのだが、それぞれのカウンターには多くの生徒で行列が出来ている。
「どっちも、すごい混でるな」
食堂に至っては、席が数えられるほどしか空いていないが、いったいどうやって座るのだろうかと疑問を抱くのだが、「昼食時間はいつもこんな感じだよ。それじゃ、僕達も並ぼう!早くしないと目ぼしいものが無くなっちゃうよ!」
と、気にすることなくエンは売店の方へ走っていった。
「……明日から、ちゃんと弁当持ってきた方が良さそうだな」
そう思ったヒイロも、速足でエンの後ろに並ぶ。
そして、十数分後、どうにか2人は昼食分のパンを買うことが出来た。
「危なかったな。もう少しで商品がなくなるところだったぜ」
「ヒイロ君は何買ったの?」
「焼きそばパンにカレーパン、後は唐辛子蒸しパン」
「えっ!?ヒイロ君唐辛子蒸しパン買ったの!?」
『唐辛子蒸しパン』とは、その名の通り数種類の唐辛子を使ったパンでヒワダ中学にしかない特製パンである。しかし、あまりに辛過ぎる為、ほとんど購入する生徒がいないのだが。
「オレ、こういう珍しい食べ物って好きなんだよ。それに辛いもの好きだし」
「そ……そっか。」
エンは苦笑いしながらヒイロが持っている袋を見つめる。
(大丈夫かな?辛過ぎて倒れるポケモンもいるくらいなんだけど……)
エンの心配を
他所に、「一体どのくらい辛いんだろうな?」と笑っている。
「それじゃあ戻るとするか!お腹ペコペコだし」
「リーフとアカリちゃんも待たせてる事だしね」
そう言って2人が食堂から出ようとした時だった。
「え―――――――!!」と突然誰かが大声で叫んだ。声に反応し、2人の足が立ち止まる。振り向くと、売店のレジカウンターで何かあったようだ。他の生徒達も視線を向けている。
「なんだ?」
「何かあったのかな?」
「……ちょっと行ってみるか。」
「えっ!?待ってよ、ヒイロ君!」
エンの呼び止めも聞かずヒイロは売店の方へと向かって行った。行ってみるとレジの前で2人のポケモンがもめていた。1人は購買部のメンバーと思われるぽっちゃりした薄いピンク色の体にくるりとカールした頭と毛が特徴のピッピ。
もう1匹はお客のようで、水色の体に口が大きいポケモン、ワニノコだ。
「本当にもうないの!?クリームパンとかコロッケパンとか他のものとかも!?」
「だから何度も言ってるでしょ!もうほとんど売り切ちゃってもうコッペパン位しか残ってないって」
「そ、そんな…」とワニノコはその場で両手を床につけた。
先ほどの叫び声は、このワニノコだろう。見ていると、「どうかしたの?」と横からエンが訪ねてきた。
「あのワニノコ。昼食買いにきたみたいだけど、ほとんど残ってなくて買いそびれたみたいなんだ」
「ワニノコ?ああ、彼だね」
エンの口調に「知ってるのか?」とヒイロは質問した。「うん」と頷き、
「この学校では有名だよ。僕達と同じ2年生で隣のクラスのD組、名前はダイル。いじめられっこなんだ」
「いじめられっこ?」
エンの説明にヒイロは、驚きの表情へと変わっていくが、さらに続けて、
「1年生の頃からね。3年生のホーネット先輩とその仲間にいつも狙われてるんだ」
「ホーネット先輩?」
「“スピアー”で、この学校一の不良だよ。学校の中は勿論の事、外でも色々と悪さをしてるみたい」
スピアーはお尻と前脚に大きい針を持っているスズメバチに似たポケモンである。
「そのホーネット先輩にパシリされたり、痛めつけられたりと色々されてるんだよ。きっと今回もホーネット先輩に無理やり頼まれて買いに来たんだと思う。もし、買ってこれなかったら、酷い目にあわされるだろうから、彼も必死なんだと思う」
「マジかよ……」と口を漏らすヒイロは、視線をいまだ平伏しているダイルに向ける。
「でも、それだったらなんで誰も助けないんだ?大体先生とかはどうしてるんだよ?外は難しいかもしれないけど学校内なら教師の範囲内だろ?」
ヒイロの質問にエンが返したのは、予想外の答えだった。
「実はそのホーネット先輩なんだけど、ある不良グループに所属してるんだ。“ブラックサイド”って言うんだけど」
「ブラックサイド?」
「ここヒワダ町は5つの区に分かれてるのは知ってる?」
「ああ。中央区、北区、南区、西区、そしてここ東区だろ?」
「そう。そして中央区以外には1区に1つずつ不良グループが結成されてるんだ。そのブラックサイドは東区に君臨しているグループなんだよ。ブラックサイド自体元々窃盗や暴行といった問題を起こしている集団だからね。しかも強さもかなりみたいだから警察ですらむやみに手を出せないみたいなんだ。もしメンバーであるホーネット先輩に何かしたら――」
「その問題集団がやってきて、学校になにか仕掛けてくる可能性があるって事か」
こくりと、エンは頷いた。同時にヒイロの袋を持つ右手に力が入る。
(それじゃあ……学校内の平和を守るためにそのホーネットって奴を野放しにしておくつもりなのかよ。このまま何もしないでアイツが苦しむのを見てるだけなのかよ。そんなの――)
「あんまりじゃねぇか」
彼の口から漏れた。心の中だけ、閉じ込められなかった自身の気持ちが。どうやら、エンにも聞こえたようだ。彼は視線をダイルに向けたまま、
「でもしょうがないよ。相手は強大な力を持っているのと同じ、逆らったらその力によって学校中が危険になっちゃうんだよ。だから――ってヒイロ君!?」
エンは驚きの声をあげた。会話していた相手が隣にいなく、いつの間にかいまだ床に両手つくダイルの元へと向かっていった。「ちょっと、ヒイロ君!?」と呼び止めるが、彼の足は止まらず、
「なぁ?」と声をかけられ、ダイルは下を向いていた顔を上げる。彼の瞳には涙が流れていた。
「これやるよ。少ししかないけど、ないよりはマシだろう」
そう言って先ほど購入したばかりのパンを差し出すヒイロの行動に「えっ?」瞳を丸くするダイルと、ざわつく周りの生徒たち。この場にいる誰もが、ヒイロの行動は信じられないと思っているだろう。だがヒイロはそんな事も気にせず「ほら。お金もいらねぇから」と再度パンを揺らす。
呆然とするダイルはパンそっちのけで、ヒイロの表情を見上げている。対し、ヒイロは痺れを切らし、「いいから早く受け取れ!」とダイルを無理やり立ち上がらせ、強引にパンを渡した。
「ホラ!早く行けよ。でないと大変なんだろ?」
ダイルは少し袋を見ながら考え込むが、ようやく受け取る事を決意しヒイロに一礼をすると足早と出入り口の方へと去って行った。その後姿を見つめるヒイロにエンが近寄り声を掛けた。
「ヒイロ君。なんであんな事を――」
「だって、あのままだとアイツまた何かされるんだろ?そんなのかわいそうじゃねぇか。これで何事もなく収まるんなら、それにこしたことないだろ?」
不安そうなエンにヒイロはハッキリと笑って言った。
さきほど“危ない”と説明したばかりなのに、彼は平然と…今も笑っている事に信じられなかった。もし、彼に手を貸したらどうなるのか…
「そん時はそん時だよ」
「えっ!?」とエンはまた驚愕した。まるで、心を読まれたかのように、ヒイロは笑顔でそう呟いたのだ。
「じゃあ、オレまた買いに行ってくるぜ。と言っても、コッペパンしかないみたいだけどな」
そう言って彼はまた列に並ぶ。
(……ヒイロ君って一体?)
エンもまた呆然とし、彼の背中を眺めていた。