♯3 2年C組
「……私は教師になって30年以上になりますが、転校初日に堂々と遅刻してきたポケモンは初めてだよ。入学式などでもそんな事は一切なかったというのに……本当に最近の若者はたるんできているようだな……私がまだ新米の時は――」
「す……すいません……」
ヒイロは左隣りを歩くヒワダ中学の教頭、ピジョットのトリワタリ先生に謝った。自身の体長よりも2,3倍は大きく、下から赤い綺麗な鬣が特徴的な鳥に似た飛行ポケモンだ。ポケモン中、視力がトップクラスと言われている筈なのだが、なぜか黒縁のメガネをかけている。
9時5分前に学校に到着したヒイロは、職員室を探している途中でトリワタリ教頭に出会い事情を説明し、現在教室を案内してもらっている。早口による説教を受けながら。
「…………ですが、まぁ初日からお説教など聞きたくはないでしょうからこの辺で止めておきましょう。ですが、次遅刻した時はそれなりの“罰則”を与えるので、そのつもりで」
「わ……わかりました」
説教自体“罰則”扱いなのでは?と感じるヒイロ。実際、教室まで向かうこの3,4分だけでどれだけ説教が止まる事無く続いていたことか……息継ぎを行っている動作すらわからなかった。
(出来る限り、この教頭先生の前では問題を起こさないよう気を付けよう……出来る限りだけど……)
心に誓うのだが、どこか自信のないヒイロは思わずため息をつきたくなる。実際、前の学校でも“色々”とあり、複数の先生にお世話になったものだ。そんな中で一番関わってしまうのが、トリワタリ教頭のようなタイプなのである。これも“不幸”から発せられる運命の出会いと言うモノだろうか。
「さて、着きました。ここが君の教室で……どうかしたのかい?表情が優れないが」
「……いえ、これが普通なので気にしないで下さい」
「……そうですか」と首を傾げながら、トリワタリ教頭は教室の引き戸を2回ノックする。引き戸の淵に取り付けられた表札を見ると、『2−C』と表示されている。ここが今日からオレが通う教室か。
「はーい!」と同時に足音が聞こえてくる。ガラァっと戸が横開き、現れたのは紺色のスーツ(上着のみ)を着た可愛らしい女性、“しんりょくポケモン”のリーフィアだ。体の組織成分が植物に近い為、この距離だととても甘い匂いがしてくる。
「トリワタリ教頭。何か御用ですか?」
「ホームルーム中失礼しますよ、フラウ先生。先程、こちらの生徒が到着したので……」
トリワタリ教頭が右にずれ、慌ててヒイロは「どうも」と、1歩踏みだす。
「ああ〜!では、君が今日の転校生君!えぇっと、ヒイロ君でしたね?初めまして。わたしは2年C組担任のフラウって言います。と言っても担任を任されたのは今年で初めてなんだけど。教科は数学。よろしくね」
フラウ先生は笑い、右前脚を差し出す。慌ててヒイロも、「あ、はい。よろしくお願いします」と返し、右手で握手を交わした。温かく優しい手。きっと、この人は生徒からも人気が高いだろうな。何より、こんな先生が担任だなんて。すごい幸運だと感じる。
ヒイロは、思わず頬笑んでしまいそうになる。
「それでは、フラウ先生。後は頼みましたよ」
「はい、トリワタリ教頭。わざわざありがとうございました。それじゃあ、ヒイロ君。中に入りましょう!」
少々、緊張し始めたヒイロは、「はい」と答える。
(やべぇ……ドキドキしてきたぜ)
ふぅ、と軽く深呼吸し、トリワタリ教頭に会釈をして、先に入ったフラウ先生の後を追い、教室に足を踏み入れ――
ガッ!
「えっ!?」と時が止まるような感覚。それも、ほんの一瞬。
緊張していたせいか、足の爪を引き戸の溝に引っ掛けてしまったようだ。前方に重力がかかり、必死に耐えようとするが、無駄なあがきに終わり、
「うわぁ!!」「きゃあ!!」
教室内に響く2人の悲鳴と、ドサァ!と床に倒れる音。そして、柔らかい衝撃と甘い香りがヒイロの鼻に強くかかる。倒れた拍子に、前にいたフラウ先生まで巻き込んでしまったようだ。
「イテテ…ご、ごめんなさい…先せ――」
と急いで離れようとしたヒイロの左手に、“ふに”っと柔らかい感触が走る。同時に、「ひゃ…!」と、かわいらしい…とはどこか違うような声がフラウ先生から発せられた。
教室内が、クラスメイトの声でざわめき、「え?」と、ヒイロは大きな瞳を更に大きく見開かせた。
視界に入るのはフラウ先生の顔。大人の女性と言うよりも、少女らしい顔つきの彼女の表情は、何か恥ずかしさを感じているように頬を真っ赤にし、少しばかり泣き顔にもなっていた。
額に汗を流す彼は、視線を下にずらし、自身の左手の置き場所を見つめる。そこは紛れも無く、女性のむ――
「わぁぁ!!ご、ごめんなさい!!け、決してわざとじゃあ――」
飛び跳ねるように、フラウ先生から離れ、後ろに下がるが、今度は下がり過ぎたようで、バンと教室の引き戸にぶつかってしまい、2枚の戸が勢いよくはずれてしまった。彼が“のしかかる”ように、廊下側に倒れていき、
「がっ!!」
と、床に倒れる音ではなく、まるで攻撃でも受けた時のような声が聞こえた。不思議と、衝撃もそこまでなかった。
廊下先から、複数の戸が開く音が聞こえ足音が近づいて来る。どうやら、他の教室の先生達が様子を見に来たようだ。
「ど、どうした!?今の音は、一体――って、教頭先生!!?」
駆け付けた先生の一声に、ヒイロの体はまたもや、凍りつく。
(そういえば、トリワタリ教頭先生は戸の前に立っていたような…)
そう思った瞬間、彼の乗っている戸が、うめき声をあげ、ブルブルと小刻みに揺れ始める。
(………あぁ…もう、不幸――)
と、心の中で言い切る前に彼の体はふわりと浮きあがった。