Blazerk Monster - 第一章
巡狩執行



 巡に奏海、明季葉の三人は初めてのポケモンジムの最奥で、ジムリーダーとバトルをしていた。今年3人一緒に旅をするにあたり、ジムへの挑戦も一人ずつではなく三人で協力しながら行うルールに変わっていた。その分相手のトレーナーが出すポケモンが強くなっているそうだが、一人の手持ちは少ないながらそれを補うタイプ相性の良さ、また涼香に教わった戦術を駆使して巡を中心に戦う彼らの息はとてもあっていて、苦戦することなどなかった。
 
「よし、あと一息だクロイト!」
「やるわね……でも、負けないわよ!おいでヌイコグマ!」

 チャンピオンの四葉によるルールの整備と、引率トレーナーによる涼香の旅のサポートは、あの千屠という少年との邂逅以外とても安全だったし、楽しかった。だから、心のどこかで拍子抜けしながらも、順調にジムリーダーに勝ち、次の町へ。それを繰り返していけば、トレーナーとしての社会勉強は終わる。それが終われば、自分は長男として家の仕事を継ぐ。でも旅の中で出会った人達、特に明季葉や涼香との関係はずっと続いていくものだろうと漫然と思っていた。

 だが、想いが巡り、人と巡り、世界を巡る中で変わらずに在るものなど一つも無い。

 それを突き付けるように起こった出来事が、状況が。三人にはすぐに理解できなかった。

 約二メートルの獣が。自分たちと対面するジムリーダーの背後から。真っ黒な刃でその喉と心臓を貫き、一瞬で絶命させたのを。数瞬前までポケモンバトルをしていたニンゲンが血が噴き出し痙攣しながらくずおれるのを見ても、巡は蜘蛛の巣にかかってもがく蝶を見るように、死を感じながらも自分のするべき反応がわからなかった。

「う、うわああああああああああああっ!!?」
「ひっ……!!」

 奏海と明季葉が悲鳴を上げるのを見て、巡はようやく思考が動き始める。そうだ、目の前で、いきなり、ポケモンが人を襲って殺したのだ。そして巡が反応するより早く、ここに来るまでに自分たちが潜り抜けた試練を血で染めて。何人もいたジムトレーナーを全て屍に変えて。白い髪に白いシャツの少年は。返り血一つ浴びず現れる。

「相変わらず大げさだなあ……さっきの今まで自分たちだってポケモンをたくさん瀕死にしたくせに、今更慌てふためかないでよ」

 以前巡達と三対一の勝負を仕掛けてきた千屠が。惨状に似合わない笑顔をこちらに向けた。そのだがその瞳は命を刈り取る死神の鎌のように弧を描いている。ジムリーダーが事切れたことを確認したオオタチが、千屠の傍まで戻る。思わず巡は叫んだ。

「千屠、お前……ジムリーダーに何したんだよ!!」
「いやー、殺したに決まってるでしょ? 見てわかんない?」

 胸のあたりからピンクと白を基調とした可愛らしい服を着ていたジムリーダーは真っ赤な血で染まり、驚きの表情のまま死んでいた。見ただけで、もう命がないことがわかる。千屠のオオタチが与えた傷は致命傷ですらない。即死だ。

「殺したって……なんでだよ!なんでこの人が死ななきゃいけないんだよ!答えてみろ!」
「一々何したなんでって子供かよ。生き物が殺されて死ぬのに特別な理由なんているわけないじゃん?」
「わけわかんないことを言うなよ!なんでここに――」

 取り乱す巡の様子に面倒くさそうに頭を掻いて、ため息をついて千屠は言う。

「うるっさいなあ。お前も今からこうなるんだよ」
「は……!?」

 まるでゴミでも放り投げるようなどうでもよさそうな態度で言われたことに、頭を殴られたような衝撃が走る。この前会ったときは一瞬だけ刀を抜きだす居合斬りのような、こちらの攻撃に反応するような鋭い殺意だった。
 だが、今の千屠は抜き身の刀をぎらつかせ、見せつけるように。明るい少年の仮面など脱ぎ捨てたような人斬りの顔だった。

「ああ、人の死に特別な事情が欲しいなら安心してよ。お前が死ぬのはちゃんとした理由があるからさ。というか、別に付属品のお前らに長々構ってらんないから黙ってるならさっさとやるよ?」

 呆然とする三人に対し、あからさまに雑で誠意のない調子で付け加える。それでも千屠が何を言っているのかわからなかった。いや、わかっていてもそれが受け止められなかった。

「待ってください!それはおかしいです!」
「奏海……?」

 二メートルのオオタチを従え殺気を放つ千屠に固まっていると、海奏が切羽詰まった声で叫ぶ。

「あなたは四葉様の関係者なのでしょう!?巡兄様を深く傷つけることは許されているはずがありません!」
「そういう約束だったし俺もそのつもりだったけどさー。まあ、状況が変わったんだよ」
「なっ……じゃあ、僕との約束はどうなるんですか!? 話が違うじゃないですか!!」
「はいはいゴメンゴメン。でもぶっちゃけ俺の知ったことじゃないし……ていうか、いいの?『兄様』がばっちり聞いてるけど。ダチにもはっきり聞こえたよなー」
「オオンッ」

 奏海がハッとし、巡を見る。その顔は青ざめ、今言った言葉を否定しようとするかのように手で口をふさいだ。だが当然今の言葉は巡にも聞こえている。

「奏海? お前まで、何言って……」 
「千屠と四葉が関係者って……知ってたの?」
「ほら、二人ともびっくりしてるよ。説明してあげたほうがいいんじゃない?」
「ぬけぬけと……四葉様に何を言われたのですか!」

 青ざめたまま、怒りを露わにする奏海。だがそれは千屠にとってはキャタピーの威嚇行動ほどの脅威もない。

「うーん、口で説明するくらいなら牙を剥いた方が早いかなあ。なあ、ダチー」
「……」

 オオタチが、千屠を守るようにとぐろを巻いた態勢から、獲物に飛び掛かる獣の構えを取る。その瞳が、巡を捕らえた。
 巡を見る千屠の表情は以前サンドのアイスボールを一刀で粉砕した時よりもずっと真剣で。
 ポケモントレーナーとしての敵意とは根本から違う、殺意を幾重にも丸めたような……道理も倫理も刈り取って切り捨ててしまったような瞳だった。

「……明季葉ちゃん、海奏、逃げッ──!」

 故に、巡は叫んだ。叫ぼうとした。だがその声よりも早く。まるで早回しのフィルムのようにオオタチが飛び掛かる。
 巡のアリゲイツが必死で守ろうとするのも虚しく。オオタチは巡の前で体を縦に回転させると己の尻尾で巡の右肩から斜めに胸を切り裂いた。真っ赤な血が噴き出して体が倒れる。自分の首と肩の間がぱっくり開いていくのが感覚でわかった。

(──────)

 それに対して、何か言葉を思い浮かべることすら出来なかった。理不尽という言葉ですら、今の状況は唐突過ぎる。このまま死ぬのか、二人がどうなるのか、四葉と話しに行った涼香がどうなったのか、それについて何らかの回答を得る前に……巡の意識が、途切れる。












 噴出した血が、巡に突き飛ばされて尻餅をつく明季葉の頬を濃紫に染める。体に当たる液体の感触、自分を護らんとした少年の惨すぎる傷。

「うそ……。巡……返事を、して」
「……」

 巡は答えない。既に苦痛の声すら漏らさず横たわる。明季葉が近寄って体を起こそうとするとぐちゃり、という生ぬるい音がした。線は細くとも、発達中の少年らしい面影はそこにはまるでない。

「さすがに真っ二つとはいかないまでも、ここまで切っちゃえば人間なら致命傷だよなあ。仮にポケモンでも、放っておけば危ない……ねえ、奏海くん?」
「あなたという人は……!!」

 奏海がフルートを取り出す。一つ深呼吸をして、フルートを構える。

「お願いです……まだ、死なないでください。あなたには生きてもらわないといけないんです」
「あはっ、やる気になった?では見事彼が蘇生しましたならば、拍手御喝采のほどを……なーんてね」

 顔面蒼白の海奏が、フルートに口をつけ音色を奏でる。彼が朝になると巡の目覚まし代わりに吹いていた曲。こんな状況でも、狂うことなく調律された音色は美しく響く。

「巡の体が……!?」

 笛の音に呼応するように、巡の切り裂かれた部分が淡い紫色の光を放つ。演奏が進むにつれ光は少しずつ強くなり、離れた体がスライムのように粘着し切られたはずの肉が、絶たれたはずの骨が、形状記憶のプラスチックの様に元に戻っていく。

 吹き終わった時、巡の身体は衣服以外切られたのが嘘のように元に戻っていた。閉じられた瞳が開く。

「……ああ、そっか。そういうこと、なんだな」

 致命傷を受けた当人は驚いていない。むしろ得心がいった、という顔で奏海を見ている。その視線がまるで耐えがたい苦痛のように、海奏は目を逸らした。

「どういう……こと……?」
「まだわからないの? そこにいる巡とかいう生き物はさー、実は人間じゃないんだよ。簡単な話でしょ? 人間があんな風に斬られてすぐ元通りになるわけないんだからさ」
「う、嘘……そんなわけ、ない」

 明季葉が自分の頬をつねる代わりのように巡に触れる。戻った巡の身体は、間違いなく人間の感触。でも、人間はあのように斬られて自力で体を修復することなど出来ない。
 そんなことが出来るのは──

「どんな生き物にも変身できるメタモン。それに色々工夫して人間の姿にさせて記憶とかを定着させるために決まった音楽を定期的に聞かせて……だったかな?ま、細かいことは忘れたけどそんな感じだよ。そいつはただの人間の模造品なの。わかった?」
「……そういうこと、なんだよな奏海」

 フルートから口を離した奏海は深く息を吸い、千屠を一瞥した後巡に向き直った。

「奏海……」

 巡を見る奏海の目は、今まで軽い兄を慎重な思考で窘める弟のものではない。作り損ねた粘土細工を見るような、冷たい表情をしていた。

「……ええ、そうですよ!あなたは僕の代わりに家を継ぐために、この旅を無事終わらせるためだけに作られたんです!なのにあなたは事あるごとにポケモンチャンピオンになりたいとか言い出して……危ないことをして……僕がどれだけ苦労したか」

 奏海が開き直って巡に、自分の兄でも何でもない模造品に文句を言う。そしてその矛先はすぐに千屠へと向かった。

「許さない……!あなたが!余計なことをしなければ!四葉様のお話しの通り動いてくれれば!彼が僕の兄代わりとして、長男として家を継いでくれたんです!僕の夢は叶ったはずなんです!それを……貴方みたいな薄汚いものが、何のために!!」
「いやー、ごめんごめん。でも予定が変わっちゃったんだよ。それに、元々奏海君のお兄さんの方から突っかかってきたわけだしね?」

 まるで罪悪感という感情がないかのように笑う千屠に激昂する奏海が詰め寄ろうとする。怯えよりも怒りが勝った、攻撃的な行動。でもそれを、巡は無理やり腕を掴んで止めた。

「離してください!」
「駄目だ、お前が殺される!」
「うん、今までほんとごめんね。自分がフルート奏者になりたいっていう夢の為には代役のお兄さん、しかもちゃんと家を継いでくれるような人を仕立てなきゃいけないから苦労したよね。でももう、どうだっていいじゃん?」
「良くないッ!!」
「どーでもいいって。巡が人間じゃないって証明してくれた段階でお前の役目は終わってるんだからさ。なあ、ダチー」
「……オオンッ!!」

 オオタチの爪が黒き輝き伸びる。それは一切の躊躇なく奏海の心臓をまっすぐに貫こうとしていた。人間に見切れる速度ではないそれは冷静さを失った少年の胸を貫く。

「ぐうっ……ああ!」
「巡!?」

 それは再び、巡を切り裂く。巡が奏海の体を大きく突き飛ばして無理やり避けさせたのだ。今度は倒れない。苦悶の表情を浮かべながらも胸を貫かれたまま意識を保ち、なんとか影の爪を掴もうとする。

「えっと……色々と何やってんの? まさか人間じゃないパワーがあるから俺に勝てるとか少年漫画的な展開が出来ると思ってる?」

 『シャドークロー』の効果が消え、掴もうとした影が消える。栓を抜いたように巡の身体から濃紫色の液体が漏れ出した。それはもはや、人間の血の色ではない。

「奏海……笛を、吹いてくれ。明季葉ちゃんは……俺の後ろへ。絶対、傷つけさせないから」
「……!!」

 なりふり構わず、巡を死なせないようにフルートを奏で始める奏海。明季葉は混乱しつつも、巡の声に頷く。

「うぷっ……うははっ、ねえ何言ってるかわかってんの? 傷つけさせないって、正気? 興奮で正義のヒーローでも気取っちゃってる?そういうのほんとウザイからやめてよね。ぶった切りたくなっちゃうからさあ!『アイアンテール』!」

 鋼の鋭さを纏った尻尾が真剣のように振りぬかれ、巡の右腕を肩から斬り落とす。巡は苦痛にもがきながらも、足で落ちた腕を拾い上げて。ぐちゃりと音を立てさせて、スライムか何かのようにちぎれた腕をくっつけた。奏海がさらにフルートを吹き続けると、噴き出る血は止まる。

「へっ……何してる何言ったって、子供かよ?」
「あ?」

 千屠が巡達に向けた言葉を真似るように挑発すると、わかりやすく額に青筋を浮かべた。

「お前のオオタチはどれだけ強くても、斬ったり体当たりすることしかできないんだろ?……だったら、俺は負けない。二人のことも、傷つけさせない!」
「馬鹿だなあ、さっきの奏海の言葉で察しがつかないの?奏海はお前の正体について知っててずっと黙ってたんだよ?お前を兄と呼んでたのは演技で、本当は代用品としか思ってないってわかるよね?女の子はともかく、そいつ守る意味なんてないじゃん?」
「……わかってたさ」

 巡が一瞬後ろの海奏を見る。それは弟に対する優しさと、それ以上に、寂しさが滲んでいた。

「俺が人間じゃないなんてことは知らなかったけどさ。奏海が自分じゃなくて俺に家を継いでほしい、継いでくれないと困るなんてことくらいはわかってた。俺が病気から治ってから、海奏にはあの曲と同じくらいそのことを言われてたからさ」
「……なーんだ、つまんないの」
「後、俺がお前達に勝てるなんて、思ってないさ……でも、お前は大事なことを忘れてるぜ。俺達の旅は……三人だけでやってるわけじゃないことを!」

 その瞬間、千屠の真横を業火が突き抜けた。オオタチは大きく飛びのいて躱し、後ろを見る。そこには、巡達新人トレーナーを引率するベテラントレーナーの女性とその手持ちであるヘルガーがいた。
 
「俺はお前に奏海と明季葉ちゃんを傷つけさせない、後は涼姉がお前を倒す!それで終わりだ……お前の勝手にはさせない!」

 巡が宣言する。千屠は俯いて肩を震わせた。オオタチの刃でいくら鋭く切り裂いても巡を殺すことはできない。そして、涼香の操るポケモンの炎は到底あしらえるような強さではない。

「やだなあ……忘れてなんてないって、むしろ計画通りさ。教えてあげるよ……お前らが俺の生き残るための血肉に過ぎないってことをね!!」

 だけど、千屠はむしろ今までで一番楽しそうに笑った。まるで畑一面に実った黄金の小麦を刈り取る瞬間のような、満足と興奮が全身からあふれ出すような快楽につつまれたように哄笑した──


じゅぺっと ( 2017/12/28(木) 17:08 )